休話 ドリアード
ドリアード独白
彼女の気弱さは劣等感と迷いからなるものだと思っていただければ
声をたてるのはいつだってできたのに、私はそれをしなかった。
声を出すのに努力なんて必要なかったのに、私はそれをしなかった。
誰も私を責めない、それが一番辛かったなんていったい誰に話せばいいの。
私が生まれてどのくらいたっただろうか。ふと何かの拍子に浮かんでくる記憶の中に、母さんの姿が見える。
私の母さんはひどく気弱な人だった。
何をするにもびくびくと誰かの顔色を伺い、誰かに付いてまわった。
マリオノールという力を手に入れてからもそれは変わらず、誰かの後ろについてまわっては力を利用されて嘆き悲しんでいた。いつまでたっても気付かず、それゆえに命を落とした気の毒な女性だった。
母親のリルハは森の中が好きだった。植物たちと意思疎通ができたらどんなにいいだろう、森の中で自在に生きることができたらどんなにいいだろうと常々心の中で思っていたらしく、マリオノールを手に入れてすぐに私を作った。
赤ん坊の私を一生懸命に世話をして、時には森の奥深くまで散歩に出かけて訓練と経験積みにいそしんだ。あなたがいてくれて本当によかったと、嬉しそうに呟いては笑っていた。
歳は確か20代前半だったように思う。人につき従うばかりで恋も友情も知らない人だったから、私と森を歩いている瞬間が一番生き生きして見えた。
マリオノールのみんなは少し困ったように、あなたのお母さんは気の毒な人ねと言っていた。寂しい人だ、と。
確かに人間としては哀れだっただろう、それでも私にとっては一番のご主人様で、最高の母親。
母さんがギルドの仕事を請けるときは、決まって森の家に直接誰かが依頼に来た。知らない人であったり、顔なじみであったり。幾度となく人里離れたところに移り住んでも、誰かが必ず家を訪ねた。
母さんは有名人だった。居場所を見つけてある程度の金を積めば誰にだって従っていたから、扱いやすかったというのもあるんだろう。それにマリオノールがあるから負け知らずだった。
乱暴事は嫌いだけれど強く言えない性分だったから、母さんについて色々な仕事をこなした。戦争だったり、暗殺だったり、用心棒だったり。流され人生にも程があると言ってもいいくらいに、母さんは何でもやった。後悔もそれなりにしていたようだったけれど。
母さんが死んだのは真っ黒な雲が空を覆っていた、細雪の舞う日。森にいつものお偉いさんが来て、戦争したいから参加してくれと言った。
母さんは俯いて押し黙り、コンテンツが実体化して、そんな話を受ける義務はありませんのでお帰りください!と怒鳴った。私は母さんに抱っこされて、黙って母さんの頭を撫でた。
男はコンテンツを完全に無視して、母さんに向かってつらつらと言葉を並べた。
この森に住んでいる以上国民としての義務を果たせ、この戦争に勝てば国民の生活が楽になる、この国が成り立っていくにはこの戦争が必要不可欠、それに戦争を仕掛けてきたのはあちらのほうでこれは国家の誇りがかかっている、何百万という国民の命をないがしろにするつもりか、力を持つものは責任を負わなければならない、と。要約すればそんなことを延々と説明した。一時間ほど喋っていただろうか。
それでも返事をしない母さんに、しびれを切らしたのか。青筋をたてて怒りに顔を歪ませた使者が、ガツン!と一発机を蹴った。
体を振るわせた母さんに追い討ちをかけるように机に勢いよく両手をたたきつけて、従えリルハ!!と一言。気の弱い母さんを陥落させるには十分だった。引きつった顔でがくがくと頷いた母さんに歪んだ笑顔と書類を一枚机に残して、その男は荒々しく去っていった。
止めれば良かった。コンテンツは全力で抗ったというのに、私は母さんと一緒になって震えていただけだ。人間への恐怖と無力感にさいなまれて、自分の保身だけを考えていただけだった。
母さんが戦地へ赴く間、本の中でずっと震えていた。誰彼ともなく本の精霊たちが声をかけてくれたけれど、どれも耳に入らないくらい自分が許せなくて。
優しい言葉なんていらない、なぜあの時無理やりにでも攻撃しなかったのかと問い詰めてほしい。
荒野で行われる戦争に私が参加することもなく、戦争は終結して母さんは死んだ。
戦争が終わり、官位授与という名目で壇上に立った母さんに待っていたのは戦犯としての死。勝ちも負けもない力を誇示するための戦争を終わらせるには、犠牲が必要だなんて言い訳にもならない。ましてそれが強制的に駆り立てられた母さんだなんて。
氾濫するマリオノールの精霊たちを命令一つで抑えて、母さんが笑った。疲れた、もういいんだと呟いて笑った。あきらめないで、お願いだから命令して。そう叫んだコンテンツも精霊たちの声も聞こえていなかった。
私も、叫べばよかった。
でも、母さんの気持ちも痛いほどよくわかった。
一生この性格は直らない、脅され隷属を強要されても断れない。それで一体どれほどの人間が死んだだろう。
マリオノールは弱い人間が持つには強大すぎる。そしてその脆弱な人間の誰よりも私が手にしてはならなかった。母さんは自分を責めていた。
母さんが死ぬ瞬間さえ私は見ていない。コンテンツのぬくもりに包まれて、泣いていただけ。
母さん。空の上の母さん。
どうか私を責めてください。私の判断は間違いだったと。
あの瞬間、何故攻撃しなかったのかと叱ってください。
あなたはそれでいいのと微笑まないで下さい、私は間違っている。
私の判断は間違っています、お願いだから間違っていると言って。
あの瞬間が正しいはずがなかったんだから。