2話 クロノア②
鉛のような重い空気の中無理やり食事を終えて、服飾売り場に向かっていた。前を歩くクロノアの背中から例えようもない怒気が噴出している。怒髪天とはまさにこのこと。利発でしっかりしていて、正義感のあるお嬢さんのことだ、ごまかしや嘘の類は嫌いだと見える。いや、そうでなくともあの態度はやはりまずかったか。あのいかにも隠し事がありますといわんばかりの間と答えじゃ、腹立ちようも倍だろう。だからと言って誤る気はさらさらないが。理解してくれとは言わないが、それなりに察してくれても……いや、それは虫が良すぎるか。話もしないのにわかってくれなんて、我侭以外のなにものでもない。
昼下がりのまったりとした商店街を歩きながら、左右の店に視線を投げかけていると店の軒先においてある黒いコートに目が留まった。あちこちにあしらわれたベルトと内ポケットがなかなか便利そうだ。手に取ってみると特殊な布らしく生地は硬めだが、しっかりとしていて長持ちすること間違いなし……だと思う。
「特別性の糸を織り込んである耐刃性のコートね、微弱だけど魔法もかけてあるからそれなりに攻撃を防いでくれるわ」
「そうか、ありがとう」
一瞬クロノアの顔がにやけそうになったが、すぐに仏頂面でそっぽを向いてしまった。まあしょうがない。店先においてあったコートを3点、ハンガーのような枠からはずして腕にかけた。店内に足を運ぶとレジカウンターのお兄さんがこちらを向いて軽く会釈をする。兄さんの背中からのぞく小さな黒いこうもり羽根がぴくぴく動いてなかなか可愛い。店は若年層向けのようでカジュアルなものから、鎧の下に着るアンダーウェアまで幅広い品揃えだ。あまり派手なものは好まないから、少しだけ迷って黒いYシャツとジーンズを5点とタオル生地の布や下着等生活必需品を多めに選び、最後に旅行用とおぼしき大きなトートバックを手に取った。ホテルを出て一人暮らしするならもっと色々入用になるかもしれんが、今のところはとりあえずこれだけでいい。レジで清算をしてもらっている間、クロノアの様子をうかがってみたが相変わらず機嫌は直らないようだ。さて、どうしたものか。ため息をつくと、トートバックに商品を詰めていたレジの兄さんがついと顔を上げた。
「お連れさん、機嫌が悪いようっすね」
苦笑い混じりに両手を広げてみせる。原因は自分だ、悪い事はいえない。
「モテル男は大変っす。どうっすか、贈り物してみては」
女性の気を引くにはプレゼントが一番だと言うが、それで機嫌取りをするのはいかがなものか。同じ様な事が起こるたびに金をかけた贈り物をするなんて金銭的にも精神的にも勘弁してほしい、女心がわかっていないと罵られようともだ。プレゼントとは特別な日に特別な感情をもって贈られるものであり……待てよ、特別な日か。
店員がいそいそと何かを探している背中を眺めて、顎に手をあてて思案する。
今日はクロノアとたくさんの『初めて』を体験した。初めての依頼に初めての冒険、初めて生き物を殺して収入を得た。そういえば四番通りを通ったのも初めてで、ここまでクロノアと険悪な雰囲気になったのも初めてだ。記念としてなら贈り物をしてみても良い。ええい、我ながらまどろっこしいと思うが、ご機嫌取りだけで贈り物をするのだけは絶対にしたくない。
どこからか聞こえてくる面倒くせえ男だなという嘲笑の声を振り払っていると、店員が手の平サイズのジュエリーボックスを持ってきた。
「お連れさんは水の精霊と契約されているっすね?色々考えてみましたが、精霊石の指輪がいいかと思いまして」
「精霊石?」
ジュエリーボックスの中に整然と並べられた指輪はどれも銀の腕に寒色系の小さな宝石がついていた。シンプルだがなかなか上品なデザインである。多分この小さな宝石が精霊石とやらなのだろう。
「精霊石は精霊が司る自然の力〈マナ〉の質を高める効果があると言われていているっす。詳しく説明すると論文何十枚分にもなるので省かせてもらうっすが、精霊魔法が強くなるって覚えていれば間違いないっす。」
その後も親切な店員に精霊について簡単な説明をうけた。どうやら同じ精霊と名のつくものでも人工物と天然物ではえらく違うらしい。マリオノールに住んでいる精霊たちは俺の魔力を媒介にして力を行使し、力の強弱や技の選択などを自由に選択する権利を持っている。それに対して天然物の精霊は通常の場合、強大な力を持っているものしか視認できず、大半は自然の力〈マナ〉と呼ばれる原子のようなものが空気中に漂っているだけである。そして精霊の中にもマナに属性を付与する事のできる力を持った大精霊というものが存在する。その大精霊の属性変換の力を〈精霊の加護〉として代理行使しているのが精霊使いというのだとか。また加護なんて胡散臭い言葉が出てきたが、この場合はマナを魔法として扱う才能をもった人間と解釈するのが正しいだろう。云わば選ばれた人間という訳だ。
ジュエリーボックスの中から深い海の色をした宝石を選び洒落たデザインの箱に入れてもらって、銀貨一枚を店員に手渡した。軽く手を上げて礼と告げると、店員が毎度どうもと笑顔を返した。店員の歳も近そうだし、品揃えもいい。今度服を買うときもここに来よう。
入り口で腕を組んでふくれっつらをしているクロノア。何かを言い出そうとする口を制して、手に小箱を握らせた。
「……何これ」
「良さそうだったから、やる」
青いリボンをかけてある小箱を両方の手のひらにのせて、まじまじと見つめる姿に思わず笑みがこぼれる。そんなに観察していたら箱に穴が開くぞ。
笑っているのに気付いたのか、クロノアがはっと顔をあげて一瞬のうちに困惑と照れと嬉しさが入り混じったような表情になった。なかなか、表情豊かで見ていて面白い。
「な、こ、こんな、こんなものなんかで、騙されないんだから!」
「じゃあ返すか?」
両手でしっかりと握っているのを見越して、クロノアに手を差し出す。案の定、嫌!といわんばかりに箱を握ったまま身をよじらせた。ここまで効果てきめんだとは思わなかったけどな、まあなんというか……いや、純粋に贈り物が嬉しいんだと好解釈しておこう。顔を赤くさせたまま、小箱を大事そうに胸に抱いている姿に浮かびかけた無粋な考えを頭から追い出す。
さて、これでようやく落ち着いて言葉を聞かせる事ができるな。
「さっきの事、もう少し時間をくれないか。落ち着いて話せるときになったら話す」
真摯な言葉だと示すように、胸に手を置いて少し視線を落とす。顔に髪がかかって、少しアンニュイな表情が出ていると説得力があるのだが。ちらりとクロノアの方に視線を投げると、少し考えるように唇を引き結んでこちらを見つめていた。
「……それならそうと、ちゃんと言ってほしい。ちゃんと話してよ、私これからどうすればいいのか、見極めなきゃいけないのよ。父上はあなたのこと、同郷だからって無条件に信じてるみたいだし、私がしっかりしないと……」
「無条件で信じてるわけじゃない。田中さんは俺の近くにいて監視していなくても、止める術を持っているからな。クロノアが心配する必要はない」
驚愕の表情を浮かべるクロノアをおいて、俺は店の外へと出る。本当はこれだってあまり話したい内容じゃないが、少しくらいサービスしてもいいだろう。マリオノールの力の中に感じるわずかな違和感、流し込まれた知識の中にその違和感の説明などなかったが少し考えればわかることだ。同じ世界から来たというだけで、これほど強大な力をそう簡単に明け渡すはずがない。マリオノールの中、もしくはコンテンツに少しでも魔力を残しておいて有事の際には契約をなかったことにする、もしくはマリオノール自体に干渉する。そういった特別措置があってもおかしくはない。というか何百と続いてきたマリオノールの所持者たちの中にそういった発想を持ち、機能を追加した人間がいないなんて考えられない。誰だって見ず知らずの人間をすぐ信頼しろといってもできないだろう。
まあ……手綱を握られているとか、そういう考えでいるわけじゃないけどな。田中さんには大恩があるし、クロノアにもこうして世話になっている。前マスターと現マスターとしてではなく、同じ世界の人間として付き合っていけたらいい。
後ろで小走りに近寄ってくる可憐な足音を耳に、青く澄み切った空を見上げた。雲ひとつない空に、鳥のような人間や様々な動物たちが悠々と翼を広げている。さて、これでチュートリアル期間は終わりだ、明日からは本格的に活動していこう。