1話 ドリアード③
精霊を使役するのは、至極簡単だ。精霊たちがそれぞれ知能を持っているため、大雑把な命令を出すだけでいい。攻撃を一から十まで指定せずとも、自己判断で行動してくれる。それはドリアードも例外ではない。
「貫け。」
今にも飛びかかろうとしていた獣を、竹の子が槍のように貫いた。飛び散る黒い血液を掻い潜って近付いてくる二匹の獣も同様に無様な姿を晒す。視界の端で泉から水が飛び交う様を見ながら、こちらを出方を伺う残りの獣達に再度ナイフを向ける。
「ドリアード、まとめて刺せ」
一ヶ所に固まったのは間違いだったな。頭上から降り注ぐ鋭利な枝に、黒い獣達が死出のダンスを踊る。あるものは全身を貫かれ、あるものは体を少しずつ削られ体液を振り撒いている。地獄絵図と言っても過言ではないその風景を眺めて、表情には出さずに内心ほくそ笑んだ。
なんだ、思った以上に強いじゃないか。
「終わらせるぞ。ツルで叩きつけろ」
木の枝が鳴りをひそめ、代わりに地面からカズラのような堅いツルが獣達に巻き付いた。悲鳴をあげる間もなく、ズドンズドンと重々しい音をたてて地面に叩きつけられる濡れた肉塊たち。自分で手を下していないせいか、その光景はどこか他人事のような姿をしていた。地面に倒れて呻いていた最後の獣を叩き潰すと、ドリアードが詰めていた息を吐いて胸に手を当てた。初めての戦闘だというのになんとあっけない事か、拍子抜けしてしまう。
「クロノア、大丈夫か?」
「なんとかね。」
「ドリアード、コンテンツ、大丈夫だな?」
『はい』
『マスター、さすがですね!』
汗を拭って一息ついたクロノアと両手を合わせて微笑みあうコンテンツとドリアード。うむ、これにて一件落着。
さて帰ろうかと足を踏み出すと、クロノアにむんずと襟首を掴まれた。く、首が閉まる!
「ちょっと待ちなさい!せっかくの獲物を放置するなんて、お天道様は許しても私は許さないわよ!」
「いたいいたいいたい、は、離せ!大体なんなんだ獲物って!」
「討伐系の依頼を受けたって言ったでしょ?この黒い獣がそうよ。ブラックファングを狩ってくるのが条件で、一体のデータにつき100ルクで買い取りますってヤツ。」
そういえばそんな依頼も受けていたな……すっかり忘れていた。討伐といえば有名なゲームがあるが、ゲームのように獣の一部分を切り取ってギルドに持って行くんじゃないのか。
「何呆けた顔してるのよ、今から説明するからよく見てなさいよ。……死んだ獲物の近くに立って腕輪をつけた方の手の平を獲物に向けて『情報化』って唱えればいいの。獲物が光になって腕輪に吸い込まれれば成功よ。」
クロノアの言うとおりに動きをトレースすると、目の前で判別不能なまでに叩き潰れた肉塊が光となって腕輪の中に消え失せた。腕輪の宝石にはブラックファング1と表示されていて、情報化が成功した事を示していた。なんたるハイテク、科学技術ならぬ魔法技術の勝利。もうギルドに足を向けて眠れない。帰ったらさっそくベッドの上下を逆にしよう。
「もう大丈夫ね。お互い自分が倒した分を貰っていく事にしましょう。」
指差す先には先程クロノアが倒したブラックファングが5体ほど転がっている。対してドリアードが倒したブラックファングは20体ほど。
「了解だ。悪いな」
「気にしないで。折半にしようかとも思ったけど、それだとちょっと不公平だからね」
手の平をかざしながら、苦笑いを浮かべるクロノア。なんと言うか、気遣いさせすぎで申し訳ないくらいだな。
「一段落したら、飯でも奢るよ。田中さんとクロノアには世話になったからな」
「それもステキだけど……アヤノ、あなた料理は得意?」
「日本にいた頃はまあそれなりに料理はやっていた。まあこの世界じゃ通用するかどうかは分からないけどな。」
ある程度日本で習得した料理技能の応用が効くとは言え、食材や調理法を覚えなければ料理はできない。野生にかえって火で炙った肉と野菜炒めだけで生きていくなら問題無しだが、それだけは全力でお断りさせていただきます。
クロノアが全て回収し終わったみたいだが、俺の前にはまだ幾つか死体が転がっている。
「じゃあ一通り料理ができるようになってからでいいわ。いつか父上に〈オミソシル〉と〈ナットー〉と〈ニクザガ〉を作ってあげて欲しいの。」
「……ああ、いつかな。」
振り返るとクロノアが真剣な顔でこちらを見つめていた。味噌汁と納豆は分かったが……ニクザガとは何ぞ。ニクザラの強化系ではあるまい、ゲームの呪文じゃないんだから。ラインナップからして多分日本ゆかりの料理だろうが、ニクザガと言う食い物は聞いたことがない、マイナーな郷土料理じゃないことを祈るばかりだ。……またその時になったら田中さんに聞こう。
最後のブラックファングを宝石が吸いとり、辺りにはまた涼やかなマイナスイオンの空気を取り戻した。さっきの騒動で逃げてしまった動物達も、またしばらくたてば戻ってくるだろう。
「よし、もう帰っても大丈夫だな?」
「そうね。あとはもう帰るだけよ」
『はい!ミッションクリアーです!』
『みっしょんくりあ、です』
コンテンツが振り上げた拳を高々とあげ、ドリアードはおずおずと片手を小さくあげる。お前ら本当仲良しだな。
本をウェストポーチに戻し、ドリアードの頭に乗っているコンテンツを俺の肩に移動させる。
「ドリアード、本日最後のお仕事だ。森の出口まで案内頼む。」
ドリアードがほんのりと微笑み、小さく頷く。草を倒しながら歩き出したその細く頼りない背中を見つめて、クロノアと二人歩き出した。
召喚したての頃はあんなに怯えていたのに……今では笑顔を見せてくれるまでになっている。コンテンツが一緒にいるせいなのか俺に慣れたからなのかは分からないが、この調子だと他の精霊も一筋縄ではいかなさそうだ。いや、命令は聞いてくれるだろうが、手足のように使役するには時間がかかりそうだ。ドライアードは比較的大人しい精霊だったから良かったものの、これで出てきた精霊がツンデレやらヤンデレなら目も当てられないことになっていたに違いない。どんな性格の精霊でも命令だけは素直に聞いてくれることを切に願う、心のそこから。
これからコンテンツとよくよく話し合わなければ平穏な日常は無いと思えって事か。
「コンテンツ、ほんとよろしく頼むな。」
『なんですか、急に。さっきの戦闘で不安な所があったんですか?大丈夫ですよ、さっきのマスターなら何も心配することなんてありませんから』
このコンテンツがお側におります!と自慢気に胸を張る。小さいながらも堂々としたその姿に、少しずつではあるが不安な気持ちが薄らいでいく。
「頼りにしてるぜ、相棒」
『ええ、どこまでも御一緒に。』
差し出した人差し指をコンテンツが両手でぎゅっと握り、嬉しくて仕方がないと言わんばかりに笑ってみせた。