始まりの終わり
「それでは継承を行いますね!お二人共準備はよろしいでしょうか?」
コンテンツと名乗った女が、笑顔で二人の顔を交互に見る。待て待て、ちょっといきなりすぎじゃないか?
呆然と田中さんを見ると彼もまた心配ないですよと言わんばかりに微笑んだ。
「ちょっと……ちょっと待ってくれ。俺はまだ受け取るといってな「それでは田中篤史様、本の最終ページ、左隅に血判をお願いします。」」
おいこら、人の話を聞けこの野郎。振り切ろうと力を込めた腕を、クロノアがそれ以上の力を込めて引き戻す。女の細腕でなんて力だ、前世はゴリラかオランウータンか!?
クロノアと無言の格闘を繰り広げている俺を尻目に田中さんが本を手に取り、親指を噛みきってページに押し付けた。
「これで、いいですね」
「はい、これで完了です。田中様、今までありがとうございました。マリオノールを代表致しまして、私から心からの感謝を。」
背筋を伸ばし、コンテンツがふわりと微笑みを浮かべて深く頭を下げた。田中さんはそれを見つめてどこか寂し気に笑顔で答える。田中さんに抱かれた本も微かに光を放ち、コンテンツの足元へと空中移動した。
「さて!先代マスター、あそこでクロノア様にイジメられている哀れな男が新しいマスターですね。お名前は何と?」
「……アヤノタツキ。」
誰がイジメられてるって?ふざけんな。クロノアの手を振り落として、釈然としない気持ちを押さえて小さな声で名前を告げると、コンテンツがにっこりと笑った。
「はい、アヤノ様でございますね。ではアヤノ様、ここに血判をいただけますか?」
さあ!と言わんばかりに満面の笑顔で本を開けて差し出してくるコンテンツ。開かれたページの上部に日本語で(契約印)と書かれている。何なんだ、この悪徳マルチ商法に引っかかったような光景。俺の心情でそう見えるだけか?それにしてもだな。
「ちょっと待て。俺はまだ受け取ると言った覚えはないぞ。」
「あらまあ」
きょとんとしたような顔のコンテンツ。田中さんは物言わずこちらを見つめており、クロノアが呆れたようにため息をついた。
「……あげるって言ってるもの、素直に受け取ったらどうなの?」
今までずっと沈黙を守っていたクロノアにじっとりとした視線を向けられる。
「受け取った後、騙されたり面倒事に巻き込まれるのは御免だ。」
「考えを変えなさいよ。貴方はチャンスを掴むの、この世界で円滑に生きていくための力を得るのよ。もちろん受け取る受け取らないを決めるのは貴方だけれど、受け取らないと言う時はこれから誰の後ろ楯も力も無しに多大な苦労をして生きていくというのね。目の前にある力を無視して、血ヘドを吐くような苦痛を背負うのね。……チャンスの神様は前髪しかないのよ、誰も待ってくれないんだから」
ふん!とそっぽを向いてクロノアが呟く。
……それは、そうだが。
「それに!そんなに不安を感じるのなら、慣れるまで父上と私がサポートしてあげるわ。貴方に借りもある事だし。だから、潔く継承してあげて。こんな宙ぶらりんの状態じゃ本も可哀想だから。」
クロノアが俺の両手を力強く握り、髪と同じ水色の瞳は俺の黒い濁った瞳をまっすぐに見つめる。吸い込まれそうな空の色に、くらりと目眩がする。至近距離でのやり取りに刹那の淡い劣情を感じて、ついと視線を反らした。その視線の先にいるコンテンツが優雅に笑みを浮かべて、胸に手を当ててその場に膝をついた。
「アヤノ様、新しいマスターとなられるお方。私達魔法書は、契約したマスターのために存在するもの。私達は最強の矛であり、最強の盾。遠く古の時代から受け継いできた全てのマスターの力を受け取り、存分に使役して下さいませ。」
「……もし俺が、世界を滅亡を望んだならば。」
その場の空気が音をたてて軋む。クロノアから溢れる怒気と殺気を受けて、俺はコンテンツに向き合う。俺と視線を交わして、コンテンツはそれは予想外だったと言わんばかりに一瞬目を丸くしたが、再度胸に手を当てて深く頭を下げた。
それは無言の肯定。
俺は腰のナイフを抜いて、親指に傷をつけた。コンテンツの足元に置かれていたマリオノールを手に取り、ページを繰って契約印に親指を押し付けた。流れる血を舐めて、コンテンツに本を手渡す。
気に入った、と。直接伝えるのは少し照れくさかった。
「契約、成立だ。」
長く蕾のままだった花が綻ぶように、コンテンツがふわりと微笑んだ。
コンテンツの手にあった本が煌々と輝き、俺の体もそれにつられて燃えるように熱くなっていく。それはこの世界に来る前に感じた灼熱と似て非なるもの。立っていられなくなって膝をついた俺に、コンテンツが腕を伸ばした。
「今からマスターに知識を織り込みます。目が覚める頃には、貴方はこの本を自由に繰る事ができるようになっているでしょう。どうぞ、今はお眠り下さい。」
そっと目蓋を撫でられ、視界が闇に染まる。
頭の中を弄くられるのは抵抗があるが、これも本を使えるようになるための事。我慢するしかない。
コンテンツに放った言葉。大雑把に分類すれば嘘になるが、俺の本当に望む行動によっては本当になるかもしれん。
俺の本当の望みは、俺をここに落とした神と会って話をする事。もし田中さんの言う事が本当だとしたら、何故俺だけを助けたのかを聞きたい。そして、あの火事は偶然に起こった物なのか、それとも俺がいたから起こったのか。火事を起こしたのは誰なのか。その全ての質問、返答次第では……と言った所だ。
神が死んでこの世界のバランスが崩れようとも、俺が死んで俺自身の世界が壊れようとも構わない。まずは俺と友人達の死に折り合いをつけてからだ。
輪廻転生はまた後で。二つ目の人生、いつもの如くやりたいようにやるんだ。
閉ざされた目蓋を、誰かの指がさらりと撫でた。
とりあえず、第一章完です。
大変お待たせして申し訳ありませんでした。
次からは何事もなかったかのようにマリオノールの人工精霊達との日常が始まります。
短編形式にできたらいいなと思います。