第一話「霧の街」
よろしくね
十八世紀中頃イギリス__一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命が起こった。つまり、「大規模工場で機械を沢山使って物を大量生産」の産業革命である。ロンドンでは産業革命での影響を大きく受け、工場や交通機関が増加していった。
いつしかロンドンは工場や住宅の煙突から放たれた煤煙で覆われ「霧の街」と呼ばれるようになった。
一八九〇年___イギリス_シティ・オブ・ロンドン
相も変わらず空気が悪い。
ヴィクトリア朝様式の壮麗な建物が数多く並ぶ中、空気は壮麗とは程遠い。肺にカビでも生えてきそうな、ゴーヤの様なえも言われぬ苦味がしそうな。だが、慣れとはなんと恐ろしいことか。その吸っただけで体調不良を起こしそうな空気を目一杯吸って、一人の少年はシティを駆けていた。
首辺りまで伸ばされた髪が荒々しく靡く。煤を被ったのか、焦げ茶色の髪や服の一部が黒に染まっていた。そんなみずほらしい少年は思い切り地面を踏み締め、建物の裏へと走って行った。
残飯を咥えた鼠が静かに少年の様子を見ていた。ゴキブリが道を開ける様にはけていった。裏口の階段で座り込む大人を横切り、突き当たりを曲がる。薄暗い場所へ着いた。街灯があるくせに役目を果たしていないのはタイマーが労働時間だと告げていないからだ。昼間だというのに夕方を思わせる暗い路地裏で少年は足を止めた。
「………まだ匂う」
目を瞑り、鼻に神経を注ぐ。薄れない匂いに少年は顔を顰めた。高くも低くもない鼻を摘むとグリグリと動かす。
まるで、花粉症の時の鼻のむず痒さを気にしている様に見える。だが、少年の鼻を刺激していたのは花粉でも廃棄された残飯でもなかった。少年は鼻から手を離すと掌を広げた。
次の瞬間、掌から星屑の様な光が現れた。
数多もの細かい光が舞い、少年を包み込んだ。他の光よりも五回り程大きな光が少年の髪を撫でれば、煤がみるみると消えていく。煤だけでは無い。走った時に滝の如く流れた汗も、飛び散った腐り野菜のカスも光に吸い込まれる様に消えた。髪、服、靴、皮膚から汚れという汚れが綺麗さっぱり落ちた頃、みずほらしい少年は普通の少年になっていた。
懐中時計を閉じるみたいに手を閉じれば光はゆっくりと消えた。そして、自身の胸に手を当てる。そうすれば、痕跡は跡形もなく消えた。
身体に付いた汚れを水も使わずに落とす。どんな手品だ?小細工だ?奇跡だ?
いいや__これは「魔法」だ。
みずほらしい少年から普通の少年へとチェンジしたかと思いきや、そもそも、彼はみずほらしい少年ですらなかった。
少年の名はアルマリン・フラン。
魔法使いであり、訳あってお尋ね者となっている。
「魔法使い」・・男の魔導師を指す。