【その3】認知とは? ~真実を掴むための認知術~
前回は真実に近付くための思考術を考えてきた。
今回は真実に近付く思考を助ける認知術について考えていこうと思う。
そもそも、認知するという行為はどんなものであろうか?
これも当たり前過ぎて、普段は意識することが少ないのではないだろうか。
認知するとは、外部の事象を自身の感覚で捉え、自身の中へ情報として取り込むプロセスを指す。
日常の生活の中で、意識せずとも認知は常に行われており、自身の中へ情報として蓄積されている。
これらは生きるノウハウという側面もあり、生物として生きていくにあたっては、生死を左右する重要な機能であるといえる。
ただ、その認知機能も万能ではない。
その理由は、認知した情報は必ずしも事実ではないということだ。
前回までで説明した通り、この認知の過程においては、少なからず、その時の感情成分が情報に入り込んでしまう。
そこで入り込んだ感情成分が事実を歪ませてしまう。
そして、自身の中では、感情というフィルター越しに情報を見てしまうものだから、更に情報が歪む。
これ自体は、人間が感情持つ生物である限り、どうすることもできないし、仕方がないことなのだ。
その認知の性質を理解した上、それとどのように向き合っていくかということが、今回の本題である。
まずは、なぜ情報として精度が高い認知をする必要があるのかということを考えていく。
私達は自分の中にある情報をもとに思考をしている。
それは、自動思考も意識的思考も同様である。
不安に代表される自動思考のきっかけとなるものも、自分の中に蓄積されている情報である。
そして、その情報をもとに未来を考えた時に、期待や不安を生むという流れである。
情報の付属情報として、ポジティブな感情が結び付いていれば期待になるし、ネガティブな感情が結び付いていれば不安となる。
実は、期待と不安は表裏一体で、情報にどのような感情が結び付いているかしか変わらない。
つまり、普段の私達は、情報の内容よりも、それの付属情報である感情の方に意識が行き易いということだ。
この性質もまた、真実に近付くための思考を妨げる要因となる。
ただ、これもまた、人間が感情持つ生物である限り、どうすることもできないし、仕方がないことなのだ。
それでは、私達は真実に近付くためにどうしたらいいのだろうか?
私は、方法が2つあると考えている。
①可能な限り冷静な状態で外部事象を認知する。
②思考の中の情報の性質を理解し、情報の内容に目を向ける。
一つずつ考えていこう。
①可能な限り冷静な状態で外部事象を認知する。
最初にお伝えしておくが、認知のプロセスで感情成分が入り込まないようにすることは不可能だ。
ここで「可能な限り」という表現にしている理由はそこにある。
ここでの認知というのは、受け身的な認知ではなく、観察という意識的な認知への転換を意味している。
感情成分が入り込むことは避けれないが、意識的に観察して認知することで情報の精度を上げることはできる。
そして、感情成分が入り込み易い認知というのは、その外部事象の対象が人間であることが多い。
それを踏まえた上で、人間に対して観察して、認知情報の精度を上げていく方法を一例として考えていく。
ここで考えたいことは、人間において事実を示している部分はどこか?ということだ。
まずは、言葉。
斜に構えた見方かもしれないが、言葉というのは、いくらでも嘘をつけてしまう。
つまり、その人が発する言葉は事実とは言い切れないだろう。
次に、行動や仕草。
行動や仕草は、どんなに嘘を隠そうとしても、隠しきることは難しいと思う。
絶対にどこかで、その人の思考が出てしまう瞬間がある。
だから、その人がどのような思考を持っているかを知りたければ、行動や仕草を観察することが有効である。
行動や仕草を観察する際のポイントは、瞬間ではなく、流れで見ることである。
会話中の間であったり、目線の動き、声のトーンや震え、表情等、人間には意識してコントロールできない部分があるのだ。
そして、こういう部分にこそ、その人の真実が見え隠れしている。
もし、観察することでこのような情報をインプットすることができたのなら、事実の切り分け作業はし易くなる。
最後に、人相。
人相は、その人がどのような人生を歩んできたかを示すものである。
ここもまた、人間が嘘をつけない部分である。
行動と仕草を観察して、それが本当かどうかを、人相を見て証明するという流れだ。
ただ、人相の見方に付いては、現状、私も言葉では説明できない。
あなたも機会があれば考えてみるといいだろう。
少し脱線したが、このように事実となる情報がどこかと考え、その上で意識的に観察していくことが認知においては重要である。
今回は、対人間の観察ということを例として考えただけなので、ここで考えたことが真実かどうかは、あなた自身も考えてみてほしい。
②思考の中の情報の性質を理解し、情報の内容に目を向ける。
人は、情報の内容ではなく、付属情報である感情の方に意識が行き易い。
そうではなく、情報の内容自体を見ていくことが、真実に近付くためには重要となる。
その上で、観察による情報との突合せや自分以外の観点からの見方があれば、更に事実を抽出し易くなる。
事実の抽出の過程においては、他人の意見を聞いてみるというのもアリだと思う。
①は認知の精度を上げていく取り組みで、②は認知した情報の精度を上げていく取り組みである。
このようなプロセスを経ることで、思考の中の情報の精度が上がり、事実に近付き易くなる。
そして、事実に近付くことは、不安を解消していくことにも繋がる。
更にいえば、人間の機能として、漠然と受動的に行われていたものを、このように意識的に実施していくことは、不安を強大なモンスターにしないことにも繋がるのだ。
今回の結論は、「認知を意識的な観察に転換していくことが真実へ近付くことへと繋がる」ということだ。
次回は、情報歪める人間の「感情」との向き合い方について考えていこうと思う。
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