表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/14

【その14】素直がイチバン ~素直であることの大切さ~

最終回のテーマは「素直」。

それは、大切な人から贈られた、シンプルでありながら深く響く言葉である。

なぜその言葉がこれほど心に残ったのか――そこから、このエッセイは始まった。

このエッセイも今回で最終回となる。

いつもとタイトルの雰囲気が異なることに、違和感(いわかん)を覚えた方もいるだろう。


この“素直がイチバン”という言葉は、私の大切な人が私へと(おく)ってくれた言葉である。


言葉も意味もシンプルでストレート。

ただ、私にはこの言葉が不思議なほど(ひび)いた。


そして、その理由が気になった。

なぜ、この言葉が自分の心へ浸透(しんとう)するかのように(ひび)いたのかと。


大切な人の言葉だから(ひび)いたのではないか?と言われれば、それは否定できない。

もちろん、それもあると思う。


でも、それだけでは説明できないほどに、(ひび)くと同時に考えさせられた。


素直に生きてきたつもりだ。

少なくとも、うつ病を(わずら)って以降のこの数年は、素直で()ろうと日ごろから心がけてきた。

それは、自分に対しても、他人に対しても。


だからこそ、私は考えようと思った。

素直とは何か?何に対して素直にならなければならないのか?と。


実は、これが、このエッセイを書き始めたきっかけである。


えっ?どういうこと?と思われたかもしれない。

これも順を追って説明する。


その時、私が真っ先に考えたのは、素直にならなければならない対象って何だ?ということだった。

色々なことに対して素直に向き合うことは大切だが、その中でも一番大切な向き合うべき存在は何か?


おそらく、心や素の自分であろう。

でも、心や素の自分って何だろう?となったのである。


前回も書いた通り、その段階ではイメージが浮かばなかった。

そこで、私は自分の内面に関わる事象を深掘りすることで、糸口を探すことにした。


ここまで、13個のお題を考えてきた。

それぞれ、アプローチは違えど、素の自分を探す旅であった。


単なる自分探しではない。

“素”の自分である。


素の自分は、何処(どこ)にいるのか?どんな存在であるのか?それを一心に探してきた。

そして、お題を考えていくうちに、毎回、たどり着くエリアが同じであることに気がついた。


それが、前回書いた“素の自分”であり、“心”である。

自分のこう在りたいというシンプルで純粋(じゅんすい)な想いが集まる場所。


私はこのシンプルで純粋(じゅんすい)な想いこそが心であると思った。


すべての思考や行動の原理は、この想いに帰結(きけつ)する。

つまり、この想いたちが人間の根源(こんげん)であり、人間性を形作る大前提であると。


これらの想いは、感情とも違うし、理性とも違う。

どういう状況であっても、揺らぐことのない想いとして存在している。


でも、人間はこれを見失う。

なぜか?


それは、素直であることを忘れるからだ。


年齢を重ねるにつれ、人は様々な経験をし、知見(ちけん)を得ていく。

これらの知見(ちけん)は、心のまわりに(から)のように何重にも層を作っていく。

それ自体は、自然なことだし、悪いことでもない。


ただ、それらの層はレンズとなり、光を屈曲(くっきょく)させ、心たる想いたちの姿を歪ませる。

これらのレンズはフィルターでもあるから、心から発する光が届かなくなることもある。


このエッセイは、歪んだ光と失われた光を一つずつ解き明かしていく過程であった。


心は常に光を発している。


その光を見失うな。


認知というレンズの歪みを取り、磨くことを忘れるな。


うつは、心の光が見えなくなった状態である。

自分のシンプルで純粋(じゅんすい)なこう在りたいという想いが分からなくなっているのである。


だから、探し出すのだ。


自分だけの至高(しこう)の光を。


私たちは、宇宙から見れば、ちっぽけな存在かもしれない。

でも、私たちは一つの生命として、今、この瞬間も生きている。

世界がどうなろうと、社会がどうなろうと、組織がどうなろうと、生きているのだ。


人が集まると、どういう訳だか、正義と呼ばれる概念(がいねん)が生まれてくる。

この概念(がいねん)は、如何(いか)にも、もっともらしく語られる。


だが、これはあくまで、人の集団を管理するための暗黙(あんもく)のルールに過ぎない。

組織目線の概念(がいねん)であって、個人に主眼(しゅがん)を置いたものではないのだ。


だから、自分と向き合う時には、そんなものは取っ払って考えればいいのだ。


そもそも、人間は千差万別。

すべての人間が、その正義なるものに当てはまるわけがない。


つまり、他人に合わせなくていいということ。

他人は他人、自分は自分。

他人がそうであるからといって、自分もそうであるということはない。


信念という名の心の光を見つけ、それに素直に向き合い、在りたい自分を目指して生きていけばいいのだ。


人生はこれに()きると、私は思う。


「“素直(すなお)”とは、“()”の自分に“(じか)”に向き合うこと」


彼女は、私を見て、素直と理性の間で葛藤(かっとう)しているように感じたのかもしれない。


でも、あなたもそうでしょう?


私はあなたからも確かな信念の光を感じた。


だから、私もあなたに伝えたい。


“素直がイチバン”

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

私自身も思い悩みながら書いてきたエッセイでしたが、その過程で気づかされることも多くありました。


最終回のタイトルの通り、“素直な気持ちと素直な考えを、素直に言葉にしていく”ことを大切に綴ってきました。

もう少し、文章を整理してから投稿するべきかとも思いましたが、自分が考えた過程をそのまま書く方が臨場感あったので、そのまま投稿することにしました。


このエッセイが何かの気づきになれば幸いです。


来週から、長編小説の連載を開始します。

そちらもお楽しみに!


A08_Studio

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ