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【その13】心とは? ~人の根源に迫る~

心とは何か――。

長く探し続けてきたテーマの果てに、ようやく本丸へとたどり着いた。

ここからは、人の根源を形作るその正体に、正面から迫っていく。

心とはいったい何だろうか?


う~ん、これもまた、問われると、すぐに言葉は浮かんでこない。

これまで考えてきたテーマの中で一番の難題かもしれない。


それもそのはずだ。

このエッセイの連載で最終的に見つけ出したいものが「心」であるからだ。


ただ、いきなりは見つけられないと感じていた。

だからこそ、様々な切り口から考え、心の()()を探してきた。

急がば回れの方針で、周囲から輪郭を見出していく作戦である。


長い道のりであった。

今回、やっと、本丸へと乗り込むというわけだ。

過去の考察たちが力になってくれると信じ、出陣していこうではないか。


今回、考えることは、心の()()と心の正体である。


順番に迫っていこう。


まずは、心の()()から。


これまで、色々なテーマを考えてきたが、どのテーマも最終的に行きつくエリアが同じであったことに、みなさんはお気づきだろうか?

各テーマで最終的に行きつく先は、いずれも「感情と理性の間」の領域である。

理性のプロセスで、感情と理性を行ったり来たりしながら、たどり着く境地である。

そして、自分の追い求める答えはそこにあった。


感情は生物としての真実、理性は論理あるいは客観視としての真実である。

あれ?感情の方にも、理性の方にも、自分いなくね?となる。


双方とも、それぞれの側面においては真実であるから、その論はもっともらしく見える。

もっともではあるのだけど、う~ん、何かが違う。そんな感覚になる。


その時に、感情側面と理性側面の両方が納得できる要素、または、両方に属していない要素を探すことを試みる。

すると、今まで見えていなかった領域が浮かび上がってくるのだ。

それこそが、「感情と理性の間」の領域である。


そして、そこにいるのが「素の自分」である。

自分の真の不安と真の願望(がんぼう)を知る存在。


つまり、ここにいる「素の自分」こそが「心」である。


やっと、たどり着いたわけだが、そこに至るルートが難解すぎると感じた方もいるだろう。


大丈夫、1つ、コツがある。

“自分以外の他人の存在を一旦すべて消す”のだ。


他人がいなかったとしても、自分が不安に思うこと、自分が願うこと。

これこそが、自分の真の不安と願望(がんぼう)である。


そもそも、人間は、自分が認知し、思考したことからでないと世界を構築できない。

よって、自分の不安や願望(がんぼう)に他人が介在(かいざい)するわけがないのだ。


だから、自分の外にはヒントはあっても答えはない。

他人に依存するのも、情報に依存するのも(もっ)ての(ほか)


自分の内なる世界に目を向けて誠実に自分自身と対話をしていく。

そして、「心」という名の「素の自分」を見つけるのだ。


素の自分と向き合い、課題を解決するためには?目標を実現するためには?と必死に考え、行動をしていく。

それで、得られた結果は、どんな結果であれ、充実感を生む。


なぜ、どんな結果でも充実感が生まれるのか?

それは、自分で納得して、覚悟を決めて取り組んだからである。


失敗だとか、成功だとか、そんな次元を通り越している。

その段階での結果として受けて入れて、次はどうしようか?と未来へ視点が向いている。


これが、真の意味での、人間の“自立(じりつ)”であり、“自律(じりつ)”である。


でも、誠実や愛の回では、相手を尊重することが大事と言っていたではないか?

他人の存在を消して考えるということと矛盾(むじゅん)するではないか?


そう感じる方もいると思う。

確かにその通りである。


これにも理由がある。

素の自分である心が存在する次元と、誠実や愛が存在する次元は違うのだ。

心は精神世界の一番深い次元に存在しており、誠実や愛はその一つ手前の次元に存在している。


心というものは、その人をその人たらしめる人間の根源(こんげん)である。

その人の人間性を形作るすべての大前提である。


だから、そこにある不安や願望(がんぼう)は、至ってシンプルである。

誠実で()りたい、素直で()りたい、穏やかで()りたい、約束は守りたい、人を大切にしたい、自分を自分で表現したい。


このような、自分がどう()りたいという想いが並ぶ。

この“自分がどう()りたい”というのが、自分の真の願望(がんぼう)である。


“自分がどう()りたい”であるから、他人がいようがいまいが関係ない。

なぜなら、自分がそう成ろうとすれば、そう()れるからである。


そして、これらの真の願望(がんぼう)を大前提として、その上に乗ってくるのが、相手の尊重を前提する誠実や愛である。


心が抱く真の不安は、真の願望(がんぼう)に対して“自分はそう()りたいのに、そう()れないかもしれない”という予感である。


なぜ、そう()れない可能性があるのか?そこを突き詰めて考えていく必要がある。

例えば、人を大切にしたいという真の願望(がんぼう)を持っていたとする。

ただ、好奇心が強くなると踏み込みすぎた質問をしてしまう。

相手が踏み込んでほしくない領域の質問をしてしまい、相手に不快な思いをさせてしまっていないか。


このように、真の願望(がんぼう)に対して、感情を強く反映する行動をしてしまい、結果として()りたい自分でなくなってしまう。

これが真の不安である。


真の不安は自分に対するものなのである。


真の願望(がんぼう)を見つけ出し、受容(じゅよう)し、それを阻害(そがい)する可能性がある不安を解消する方法を考え、実行する。

これこそが、心と、素の自分と、自分自身と誠実に向き合うということなのだ。


そして、これらを見失わないことを「自分を見失うな」と表現しているのである。


「心とは、()りたい自分の集合体であり、人間性を形作るすべての根源(こんげん)である。」


()りたい自分を知れば、世界の見え方は変わる。


自分でそう成ろうとするから、自分の足で生きているという実感を得られるようになる。


この()りたい自分を実現していくことこそが、自分で自分自身へと与える人生の唯一の意義なのかもしれない。


次回は、「素直」であることの大切さを考えていく。

最後まで、ご覧いただき、ありがとうございます。

評価・リアクション・感想もお待ちしております。


次回が最終回です。

最終回は2025年9月25日(木)に投稿予定です。


作品を投稿したらXでお知らせします。

気になる方はフォローしていただけると嬉しいです。

https://x.com/A08_Studio

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