表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

【その12】愛とは? ~情熱と理性の間の想い~

愛とは何か、その言葉はあまりに多くの意味を背負っている。

無償であり、相手を思うがゆえに悩みも伴う。

その情熱と理性のはざまで揺れる想いの正体を、今回は探っていきたい。

愛とはいったい何だろうか?


これも色々な形があるのだろうと推測される。


そういう訳だから、表面的に見えるものではなく、愛の根っこにあるものは何なのか?それを考えていきたい。


似たような表現として、“好き”というものがある。

好きの発展形として、愛があるという考え方もあるようだ。


ただ、本当にそうなんだろうか?

好きの要素だけでは、愛には成らないと感じている。


そして、好きと愛には、決定的な違いがあるとも思っている。

この辺りも合わせて考えていきたいところだ。


というのも、好きと愛とでは、想うときの視点が違うような気がするのだ。


好きの時には、一方的に、相手へ向けて、主観的な想いを抱いている。

愛の時には、相手の立場や状況を想い、自分に何ができるかと考えている。


つまり、好きの時は自分の方から考えていて、愛の時には相手の方から考えているということだ。

これが、愛が、好きの単純な発展形ではないと考える理由だ。


愛は、相手目線なのだ。


そこには、自分が何かを得たいという気持ちはなく、どうしたら相手の助けになれるかを必死に考えている。

誠実の回でも書いたように、相手を「尊重(そんちょう)する心」と「(おとし)めない倫理観(りんりかん)」があり、愛においても、それが前提となっているのだ。


愛は、相手目線の想いであるから、自分がどのように行動すべきかは本当に悩む。

果たして、これは相手の助けになるのだろうか?自分の気持ちの押し付けではないのか?と。


さらに、愛は言葉で語られるものではない。

愛は、伝えるものではなく、行動で伝わるものなのだ。


悩みに悩み抜いて、自分の行動を選択する。

そして、その行動は、自分の想いが無駄になるかもしれないという覚悟も持っている。


「想いが無駄になってもいい。それでも、その人のために何か力になりたい」そんな覚悟である。


愛は無償なのだ。


そこに損得勘定(そんとくかんじょう)はないのだ。


愛は伝えるものではないから、時には見守るということも選択肢に入る。

これまでの回でも述べてきた通り、想いも、考えも、人生も、その人だけのものだ。


その人の想い、考え、行動を尊重するならば、口を出さないことも、時には必要である。


見守ることも愛なのだ。


だだ、それは静観(せいかん)するのとは少し違う。

様子を見守り、助けが必要そうであれば、すかさず、さり気なくフォローする。


もどかしい気持ちになることもある。

それでも、見守るのだ。


その中で、愛する人が、何かを掴めたり、納得できるのであれば、それは、人生の充実感と人としての成長につながる。

そして、その様子を自分のことのように喜べるのであれば、それは愛である。


愛は、行動の積み重ねにより伝わるものである。


だから、すぐに相手に伝わるとは限らない。

なんだったら、伝わらないこともある。


親の子供に対する愛がいい例かもしれない。

だいたい、愛を受けている時は気がつかない。

何十年も経ってから、親の愛情に気づく。


愛もまた、人生の一部である。

愛することも、愛されることも、その人の人生である。


愛は一途な想いと地道な行動の積み重ねである。


その想いと行動は純粋であり、かけがえのないものだ。

愛する側も愛される側も素直な気持ちで向き合ってほしいと思う。


ただ、受け止め方は人それぞれであり、見え方もまた、人それぞれである。

人間だから、誤解もある。

それは、致し方ないことだ。


ただ、繰り返しなるが、愛には相手を「尊重(そんちょう)する心」と「(おとし)めない倫理観(りんりかん)」があることをお忘れなく。

逆に、これがないものは愛ではない。


想いが強いと、その想いの強さが愛だと勘違いすることがある。

そんな時に、思い返してほしい。


相手を尊重(そんちょう)することを忘れていないか?と。


相手はどう成りたいのか?


相手はどう在りたいのか?


相手の潜在的な望みや(さけ)びに耳を傾けられているか?


人間は単純ではない。

表面的に見えていることが真意とは限らない。


相手の真意を見つめ、受け止め、その上で、自分がどうするべきか?それを考える。

愛における尊重は、そこまで見据えたものなのだ。


今回の副題は、「情熱と理性の間の想い」。


愛を知るためには、まず、自分を知らなければならない。


愛は情熱だけではない。

そして、理性だけでもない。


情熱と理性の両方があって、愛となる。


愛の源は情熱であり、そこから先の思考と行動は理性である。


突き動かすのは純粋な愛する人への想い。

でも、冷静に自分と相手を見れている。


その境地で考え抜かれた相手の潜在的な想い。

それを受容(じゅよう)し、自分がどうするのか。

その行動の積み重ねが、愛となって、相手へと伝わる。


愛は、徹底(てってい)した相手目線である。


誠実な対応が、信頼となり、好意となり、そして、愛となる。


そして、大前提には、誠実があることを忘れないでほしい。


次回は、人の根源(こんげん)「心」について考えていく。

最後まで、ご覧いただき、ありがとうございます。

評価・リアクション・感想もお待ちしております。


今後も毎週金曜日に投稿予定です。


作品を投稿したらXでお知らせします。

気になる方はフォローしていただけると嬉しいです。

https://x.com/A08_Studio

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ