弔い:誓い
幼い頃、父と母はいつも忙しそうで、小さかった僕は構ってもらおうとあらゆる人に悪戯を仕掛けていた。
結局そんなことをしても、父と母は一緒にいてくれるわけでもなく、寂しさの中で僕はいつからか外の人間があまり好きではなくなっていた。
そんな日々の中で、僕が唯一大好きだった外の人間が、父さんと母さんの親友であるガロウ君だった。
夕日で染まる時間は透隴岳が一番きれいな時間だ。父さんと母さんが外の人間との会議中に悪戯を仕掛けに行ったった僕は、まんまとガロウ君に捕まり、抱っこされながら廊下を歩いていた。
「ガロウ君はどうして、父さんといれるんだ?」
「ん? なんだぁ、アルガぁ~お前そんな難しいこと考える歳になったのか?」
「ガロウ君が強いからなのか? 僕が弱いから? それとも、父さんが弱いから?」
「エディンが弱い~? お前はそう思うのか?」
「父さん強いのか?」
「なんだぁおめぇ知らねぇのか? エディンはつぇ~よ。すっげぇつぇ~の」
「じゃあ、ガロウ君は父さんが強いから一緒にいるのか?」
「あ? あぁ~それはちげぇな~」
「ん~、なんで?」
「ははっ、お前なぜなぜ期ってやつかぁ? そうだな、エディンは強い。そしてかっけぇ。それを世界に知らしめるために俺はいるんだ。エディンが死んでも、あいつはこの世で最も偉大な男だったと言わしめるために、俺がいる」
「なんでそんなことをするんだ?」
コツンと、ガロウ君の靴の音が鳴り響いて止まる。まだ魔力封印をしていなかった僕の瞳は、靴音と共にキラキラと舞い上がった魔素をとらえながら、青い、青い空みたいな瞳を見つめていた。
「誓ったからだ。一度した誓いは決して破らねえ。何が何でもそれを請け負う。それが俺の生き方だ」
「ちかい?」
「愛する人間や尊敬する人間と結ぶ約束のことだ。誓いは請け負い、果たすべきものだ。忘れんなよぉ~!」
くしゃくしゃと、頭を撫でつけられたことを覚えている。
「寂しいよなぁ。でもなぁ、アルガ。お前の父さんと母さんはぁ、誰よりもお前のことが大事だ。それだけは俺が保証する」
「ちかってくれるのか」
「あぁ、誓うよ。アルガレン、俺はずっとこれから先もお前ら家族のために生きる」
あの日、夕日に照らされて見えなかった彼の顔を見ていれば、頭に置かれた手に逆らって、彼の首筋に顔を埋めていなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。こんなに、何もかもを失わなくて済んだのかもしれない。
それでも僕は、あの日生まれて初めて結ばれた誓いが忘れられない。
ふと意識が覚醒する。その刹那、様々なものを失ったことを思い出して、自分が助かってしまったことを理解した。
まだ、焦げ臭いにおいがする。
目を開けると、なんだか見覚えのある部屋だった。たしか、ビンの部屋だ。体を起こすと、真っ白なシーツが敷かれたベッドの上だとわかる。窓が開かれており穏やかな風が吹いている。体中に痛みが広がっているが、怪我をした部分には包帯がまかれており、手当されたのがわかる。
「……」
かちゃりと軽快な音がする。開いた扉の奥から現れたのは、僕の恩人、ポウラだった。
ブロンドの波打った髪を一つにまとめ、軍服を着ているが、マントは外しているようで、気を失う前の記憶と少し雰囲気が違う。彼女は目を覚ました僕に気づくと、驚いたように目を見開いて、勢いのままに駆け寄ってきてくれた。
「アルガ! 目が覚めたんだね、ごめんね気付けなくて。怪我の具合はどう?」
「いや、今起きたところだよ。怪我も全然。ポウラ、聞きたいことがあるんだ」
ベッドから降りようと布団に手を伸ばすが、すぐにポウラに制止される。
「あ、ダメダメ、動かないで。痛みが無くても、絶対安静! 少しだけ待ってて、二人のこと呼んでくるから」
入って来た扉に戻ろうと振り返った彼女を目で追う。彼女が振り向いた瞬間に、首筋に張られたガーゼでカバーしきれていない皮膚が、青黒く変色しているのが見えた。視線を下げれば、軍服の下にまかれた腕の包帯も目に入る。
「アルガ?」
たまらなく彼女の腕を掴む。何に触れるよりも、丁寧に、決して彼女にこれ以上の傷をつけないように。
僕のせいだ。
「すまない。僕のせいでこんな、それにゼンも」
申し訳なさなのか、恐怖なのか、失望からか、頭が下がる。すると、ポウラがしゃがみ込み僕をのぞき込むように視線を合わせた。
金鳳花に似た綺麗な瞳。窓辺からさす太陽の光が、反射して、黄色の虹彩に虹色の光を反射させている。その目は昔の記憶と少し違うが、たしかに同じ色をしていた。
「大丈夫だよ、アルガ。大丈夫。私たちは騎士だもの、これくらいの傷なら、国に帰ればすぐ治るし、もう手当てしたよ。それに、あの日の約束を果たしただけだよ」
「しかし、僕は」
優しく頬をつねられた。痛くなんてない。柔らかい手の感触に驚いて顔を上げると、ポウラが困ったように笑っている。
「もう。あんな状態であなたが悪い訳ないよ。だったらもっと私たちが、早く駆け付ければよかったでしょ?」
わざとらしく眉間のしわを寄せたポウラがなんだかかわいらしくて、肩の力が幾分か降りる。これ以上引き留めて迷惑をかけるのも違うだろう。
「……すまない。ゼンを呼んできてくれるのか?」
「うん。あともう一人いるから紹介するね」
今度こそ立ち上がって、ドアノブに手を駆けようとした瞬間に、扉が勢いよく開かれた。
「アルガ起きたのか!」
もう一人の恩人だ。軍服姿で、外にいたのかその頬には泥汚れがついている。
「ゼン、怪我は」
声をかけ終わる前に、だんだんと音を鳴らしながらゼンが近づいてくる。なんだかその勢いが凄いような。
「大丈夫か! 怪我は⁉ 魔力は⁉ 動かないところとかないか⁉ 足が犬になってるとか!」
そのままゼンが僕の肩を勢いよく掴んだと思った瞬間に、体がぶんぶん揺れ始める。
「え、あ、ちょっと、まって……そんな揺らされると!」
「ゼン! ちょっとちょっと、ストップ落ち着いて! そんなことしたら痛まない傷もいたんじゃう!」
「あ、あぁ悪い。いやだってあいつが変なこと言うから」
「言い訳しない、けが人をこんな風に扱うなんて、騎士としてダメ」
「悪い。俺も気が動転してたっていうか、あ、今の言い訳じゃなくて……!」
「だ、だいじょーぶ。……びっくりしただけだよ。すまないゼン。迷惑をかけたようだ」
僕の言葉で動きを止め、ゼンは眉をひそめた。
「迷惑なんて……約束しただろ? それに俺は何もできてねぇよ。とにかくお前が無事でよかった」
肩からゆっくり手が離れ、僕を気遣うようにゼンは苦く笑った。海によく似た青い髪が開けられた窓から吹く風に小さく揺れている。そして僕から離れた手や首元には、包帯が見て取れた。
「とりあえず状況説明するか。何か聞きたいことはあるか?」
「僕のほかに、無事な人は?」
口をついて言葉が出た。僕がポウラにさっき聞こうとしたこと。ここに、僕以外の生存者がいないか。
小さく、ポウラの唇が震えた。
「……いなかった。昨日、一日中探してみたんだけど、生きてる魔力の気配もなかったよ」
いなかった。
頭を固い何かで殴られたような衝撃が走る。僕が見た倒れてる愛すべき人たちは、皆まごうことなく死んでしまっていたようだ。
「わりぃ、何も」
「いいや。いいんだ。仕方がないことだから。ポウラの口ぶりだと、僕は丸一日寝ていたのかな?」
事実に沈む前に、何とか言葉を紡ぐ。これ以上下を向いていても何にもならない。
ゼンの言葉をふさぐように聞くと、彼もすぐに答えをくれた。
「あぁ、一日半ってとこだな。日付的には二日後の朝だ」
「ここは、南の小さな家であってる?」
「うん、正解。唯一ここだけ無傷だったんだ。スサクさんが見つけてくれたの」
「スサクさん?」
聞きなれない名前に首をかしげると、ゼンが大げさにため息をついた。
「あぁーあいつならどっか行ったから知らんくていい!」
「一応、私たちの上司にあたる人。直属ではないんだけど」
「誰があんなとんでも野郎の部下だ。なんでここにいたのかもわかんねぇし」
どうやら、ゼンの中であまり評価は高くないようだ。たまに連絡を取ったときに愚痴をこぼす時と同じテンションで、思わずくすりと笑みがこぼれた。
しかし、僕にとっては彼もまた恩人ということだ。スサク。覚えておこう。どこにいるかはわからないが、周りを探せば会えるだろうか。
いや、今はそれ以上に確かめたいことがある。
「犠牲になったみんなは、今どこに?」
ポウラがベッドの横脇にあるデスクに置かれたマントを取って、僕に手渡す。
「外にいるよ。行く?」
「うん」
意を決して、僕はマントを受け取った。
透隴岳の東にある広い草原に氷魔法のドームが出来ていた。その中には、何人もの遺体が横たわっている。二人が連れて来てくれたのだろう。シーツの上に、丁寧に寝かされており、みんな同じように、顔に布が被せられている。氷魔法のドームの中に横たわっている。
ドームのなかに入ると一瞬で体が冷える。全身の毛が逆立ち、服にまとわりついた。寒さの匂いがする。それは、まだ彼らが形を保っている証拠だ。
僕から一番近い人のそばに行く。ひざまずけば、服装と体格ですぐわかる。
「ばぁや」
白い布を取ると、血まみれのシーツの中にいたとは思えないほど、綺麗な顔をしていた。顔や体についていた血もふき取ってくれたようだ。
手に触れれば、柔らかく、ひどく冷たい。
一人にかけている時間はあまり長くてはいけない。布を再度被せて立ち上がって、僕は隣の男性のそばによる。
ビングレン。今僕が寝ていたところの家主だ。騎士で、そろそろ誕生日だった。
ロンディオン。厨房の料理長だ。彼のグラタンは僕のお気に入りだ。
フォレアとフィル。バースレイズ家のメイドとその子供。僕が鍛錬に行く前に手を振ってくれた二人。
ユアン、ファレシア、トーン、ユネロ。アリア、ジュライ、ナミセス、アルレア、ゾイ。
皆知っている。どんな人間だったか語ることなど容易い。どこに住んでいたか、何が好きだったか、何をしていたか、知っている。
彼も、彼女も、この子も、みんなみんな知っている。みんな、僕の友達であり、師であり、民だ。
守れなかった民を一人一人確認しては、手に触れる。僕の手もとっくに冷え切っているはずなのに誰に触れても、あったかいままだった。
二人の騎士の制服を着た男の間に膝まづいた。布をずらせば、黒髪の青年と、灰色髪の青年が顔をみせる。
「ハリー。レオ。大義だったよ……すまない」
ハリスとレオルド。僕が幼い頃の専属騎士だ。僕が好きなことを良く知っている、兄のような人たち。最期にはじまりのアトリビュートを守ってた二人だ。そのアトリビュートも僕が台無しにしてしまった。
布を戻し、早々に立ち上がる。最後に、一番奥の二人に近づく。
「父さん、母さん」
隣あって寝かされている二人の布を外す。思ったより、穏やかな顔をしていた。
何を、思ったのだろうか。僕は、なぜ狩りになんて行ったのだろうか。鍛錬など、するべきではなかったのだろうか。いや、違う。どうして気づけなかったんだろう。いつもだったらもっと早く魔力の気配に、異常に気づけたはずなのに、僕は、何をしていたんだろう。
「……」
なにか、言葉をかけたい。でもなにを、言えばいいかわからない。
二人の手に触れる。冷たくて、握り返されることはない。恐ろしいほどに熱がないその手は、これ以上強く握ったら、破けてしまいそうだ。知っている手だ。滑らかで、細く、綺麗な手だ。厚く、力強くて、大きな手だ。知っている。いつもと変わらない。それなのに、冷たいだけで、熱がないだけで、こんなにも知らない感触がするものなのか。握り返してくれないものなのか。僕の手は、まだ暖かいのに。
なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。なぜ、皆が犠牲になる必要があったのだろうか。どうして、死ななきゃいけなかったのだろうか。どうして、僕が生き残ってしまったのだろうか。
「アルガレン」
ポウラの声がドームの中に響いた。続くように、ゼンの声がした。
「悪いな、そろそろ出よう。冷えるぞ」
「……うん。そうだね」
二人の手から離し、僕は布を二人の顔へと戻した。
ドームから出ると、中との温度差で、ブルっと全身に寒気が走った。なんだか世界が変わってしまったようだ。
「傷とかは痛まない?」
「あぁ、大丈夫だよ。皆を移動させてくれたんだね、ありがとう」
「別に大したことじゃない。それより、もう戻ったほうが良いんじゃないか?まだ安静にしてた方が」
「いや。二人にお願いがあるんだ」
「なに?」
「みんなを埋めるのを手伝ってくれないかな。二人が国に帰るべきなのはわかっているんだけど、それだけ手伝ってほしいんだ」
これ以上、寒いところにいたらきっと風邪をひいてしまう。なんて言ったら笑われるだろうか。
「もちろん。アルガ私たちに手伝わせて」
「家の近くにそれぞれ埋めるってのはどうだ?」
金鳳花みたいな瞳と、深海みたい瞳が僕を見つめている。
笑われるなんてことは、無いだろうな。
小さな国で小さな村とはいえど、三人で埋めるには、相当な人数がいるもので、結局全員を埋葬出来たのはそれから三日後のことだった。
その間の食事や衣服は『スサクさん』が持ってきてくれていたようで、ビンの家を借りて僕らは過ごしていた。最初、怪我が酷かった僕は二人に止められてしまい、家の場所や、関係性をもとに、埋葬する場所を提案することぐらいしかできなかった。しかしやはりじっとはしていられなくて、いつの間にか僕も二人と一緒になって瓦礫の片づけや、みんなの埋葬をしていた。
埋葬するときは、一人一人のそばによった。魔力を凝縮して結晶化したものを花弁のように形を整え、彼らの胸に一枚ずつ置いていく。これは古くから伝わる透隴岳の弔い方に必要な工程の一つだ。たとえ何人いても、これだけはやるべきなのだ。
全員埋葬し終えた頃、僕は倒壊した自宅の前にいた。
「ありがとう二人とも。本当に助かったよ」
「気にすんな。そんで、儀式だっけ?」
「儀式というか、透隴岳の弔い方があるんだ。僕がやるのは初めてなんだけど」
「できるの?」
「うん。ずっと見てきたし、この魔法はそこまで難しくないんだ」
それじゃあと言って、僕は一歩前に出る。
風が吹いている。相変わらず春は、いつも晴れている。こんなことがあったのに、空は泣いてはくれない。穏やかで優美な空をまとってずっと頭上に漂っている。
誰もが、優しく穏やかな顔をしていたわけじゃなかった。ここにいたほとんどの僕の民は、きっと恐怖や苦しみで終わりを迎えてしまったのだろう。遅かった僕はそれも知らない。でも、死は等しく平等で、僕にもやがて降り注ぎ、選べるのだ。でも、それは今じゃない。今はまだ選べない。こんな恩知らずの僕が今できることは、精いっぱいの弔いは、見守ってきてくれたみんなに心から感謝をして、魔法を贈ること。
だってこの国の民は、誰もが魔法に愛されていたから。
「アルガレン・バースレイズの名のもとに、魔力をことほぎ、開放する」
体中の魔力が魔素と共鳴して、変わらずこの世界に漂う魔素がキラキラと幾千万もの色を持ち始める。
体の中にめぐる魔力が以前と比べ物にならないほどに増加しているのを感じる。アトリビュートを手にした影響だ。魔法使いの魔力を何倍にも底上げする魔力の結晶。それがアトリビュートだ。
魔力の解放と同時に、集まった魔素が結晶化し、僕の目の前に現れたのはアトリビュートの刀。鞘と柄を持ち目元の高さまで刀を上げる。
あたりを見渡せば、壮麗な世界の煌めきが絶えず降りそそいでいる。アトリビュートを手にしたからだろうか、以前より鮮明に色を感じる。皆をそれぞれ埋葬した場所には、紅い魔素が漂っている。これは僕が用意した魔力の痕跡だ。
美しい景色から目をそらすことなく、僕は別れを告げる。
「どうか、安らかに。素晴らしい夢が見られますように」
言葉と同時に、魔素が魔力と共鳴する。埋葬した場所に漂っていた魔素はやがて万華鏡のように乱反射し、きらびやかな光をまとい、薔薇の形をもって咲き誇る。
魔力の花弁を媒介とし、透隴岳は三日前とは違う穏やかな赤で包まれた。
あたり一面が夕焼けに照らされたようにまばゆく光り始める。魔力と共鳴した空気は穏やかだ。しかし確かに強い意志がアルガのもとに集まるように風を起こす。
「いつか、透明へと還りますように」
紅く、赤く、朱く。極彩色の世界で、魔法は一人の少年を中心に弔いの花を咲かす。
「綺麗……」
やがて燃えるように咲いた薔薇は穏やかに消えていった。ふと、少女は弔いを見届けた少年の横顔を目に映す。そして息をのむ。
穏やかな彼からは想像もつかないほどに、その目はまだ燃えていた。悲しみや苦しみよりももっと苛烈な憎しみと共に、その瞳にはもっと遠くにある、復讐を確かに捕えていた。
今すぐにでもそこまで走り出してしまいそうな彼を引き留めようと、少女はとっさに彼の腕をつかむ。
「……?」
焦ったような顔をしたポウラの表情を見て、僕は思わず首をかしげる。いきなりどうしたのだろうか。
「アルガ、これ」
ふとポウラが1枚の紙切れを胸元のポケットから取り出した。
家族写真だ。いつも、自分の机に飾っていたものと同じ。でもこれは、折り目がついてる。
「あぁ、それ。エジンバラ様の外套のポケットに入ってたのが、落ちてきたんだよ。家族写真だろ? アルガがいつも撮ってるって教えてくれたやつ」
ゼンの説明にうなずいて、ポウラから写真を受け取る。
映っているのは正装を着た、僕と父さんと母さん。
小さい頃から毎年撮り直していて、今年も変わると思っていた。来年には当たり前のように新しい自分たちがいると思っていた。
『お前は大事な何かを守れるような人間になる。父さんが保証する』
いつもふざけてるくせに、こういうことは大事に伝えてくれる父を尊敬していた。
『かわいい、かわいい、私たちのアルガレン。可愛くて、とってもとっても強い子』
いつもしっかりしてるのに、お酒に弱くて僕をなでる母の手が好きだった。
強く、ありたかったのだ。大事な『家族』を守れる人間になりたかった。それなのに僕は、なれなかったのだ。
「………………」
これ以上ないほどの親だった。嫌なところも、腹立つところも、合わないところもあったけど。それでも、もし生まれ変わりなんてものがあるなら、来世もこの人たちの元に生まれたいと恥ずかしげもなく思うほどに、僕の自慢の家族だった。
足の力が抜ける。地面に膝をつく。心臓がざらついたように軋んでいる。僕の家族はもういないのか。
「あぁ……僕は、守れなかったのか」
襲いかかった喪失に耐えきれずに首をもたげる。視界に薄い膜が貼っていく。
三日間、泣かなかった。壊れたみんなの家を片付けて、大好きな国中の人を埋葬した。みんなが好きなものをそれぞれ入れたときも、作りかけの晩御飯を片付けてる時も、血に濡れた洗濯物を燃やした時も、泣かなかった。でも、もうとっくに限界だった。
あぁ、大事だった。立ち上がるのさえ恐ろしいほどに。
一日で彼が積上げた人生のほとんどが失われてしまった。思い出の名残りも、日常の風景も、飛び交う言葉も、美味しいご飯も、彼の前から消えてしまった。跡形もなく。慈悲もなく。
「ごめん、ごめん……父さん、母さん、ごめん。ごめん、みんな。守れなくて、何も、なにも出来なかった!」
声に出して叫んでも、写真を抱いて泣いても、全部遅い。もう、何も戻らない。大好きだった人も、信じてた人も、全部、全部なくなってしまった。
背中に、二つのぬくもりが触れた。これ以上、無くしたくはない。たまらなく痛い心臓をほんの少し無視できるようになったころ、僕は顔を上げた。
いまだ心配そうな顔をして、二人が僕を見ていた。言わないといけないことがある。
「すまない。もう大丈夫」
「……そっか」
「迷惑かけたね。本当にありがとう。だから……ふたりは、明日にでも国に帰っても大丈夫だよ。あとは僕が何とかするから」
「えっ、おいちょっと待て。なんとかって、なんだよ」
「特に考えてないけど、何とかするよ。それに、透隴岳は均衡のための国だ。スぺアラールの騎士だけに頼ってちゃいけないし。もちろん、二人には感謝してる。でも、これ以上は僕一人でやるよ」
しばしの無言が続く。二人の目には困惑と同情が見て取れて、なんだか情けない。今回ばかりは見逃されたが、この先何が起こるかわからない。透隴岳が機能しなくなった以上、僕に価値なんてないかもしれないが、あの時僕が手にしたアトリビュートを持ち出そうとしていたなら、僕といると二人に危険が及ぶのは間違いない。なら早く二人を僕から解放するべきだ。
沈黙を切るように、ゼンが口を開いた。
「なぁアルガ。昨日ポラフィーと話してたんだけどよ。スぺアラールに来ないか?」
「え?」
「こう言っちゃあれだが、透隴岳がこの状態な以上、もうこの世界の均衡は保てない。だから、お前がどこに行くか、選んでいいんじゃねえか? 一人になんなくたっていいと思うんだよ。スぺアラールに来れば、何か再建とか、あいつの行方とか探す手立てがあるだろうし、陛下に言えば手伝ってくれるかもしれないだろう? いや、なんつうか。来いよ、俺たちと一緒に」
「でも、僕は何もできなかったのに」
「何かできたかなんて言われたら、私たちだって何もできなかったよ。騎士なのに、守れなかった。でもそれで、また何もしないで、アルガを一人になんてさせたくない」
「どうして……君たちは招かれただけで、僕に何かする義務なんてない。それに、これ以上僕といたら」
どんっと音を立てて、ゼンが勢いよく僕の肩に手を置く。驚いて目を見開くと、ゼンがニッと歯を見せて笑う。後ろからポウラも首をかしげて笑っていた。
「そういやまだ言ってなかったな。久しぶりアルガレン。俺らお前に会いに来たんだよ」
「また会えてうれしい。本当に、無事でよかった」
ダメだ。そんな優しい言葉を今聞いてしまったらだめなのだ。
「……無事なんて。これ以上僕が、生きていても、何もできないのに。いっそのことあのまま」
ふわりと、優しい香りがした。気づけば、ポウラが僕をゼンごと抱きしめていた。
「違う。絶対に違う。言ったでしょ。生きてほしいの。私たちが会いにきたの。またアルガと喋りたかったの。それに、まだクッキーだって一緒に作ってないでしょう。生き残った意味が分からないなら、わかるまでそばにいる。私たちが隣にいる。だから、あのままなんて言わないで」
言葉に続くように、ゼンまで僕を抱きしめる。二人の力が強くて、動けそうもない。
「生き残れ。生き残ったなら、生き続けてくれ。頼むから。ひでぇこと言ってるってわかってる。でも、一人にしない。何をすべきか、どう生きていくか、まだ何もわからないけど、俺たちが一緒に考える。約束する」
拭って抑えたはずなのに、また感情が溢れて止まらない。
「貴方が知りたいこと、見つけ出したいものも全部協力する。絶対にアルガを置いて行ったりなんてしない。だから」
優しく僕を抱きしめていた手が僕の手を掴む。金鳳花に似た瞳は再会してから何度僕の瞳に映ったのだろうか。
「一緒に生きていきませんか?」
そう言って笑ったポウラも、うなずいたゼンもキラキラ光って見えるのは、まだ魔力を解放しているからだろうか。それとも涙のせいだろうか。でもこの光景に似た思い出を僕は忘れていない。
ちっぽけな僕の大事な記憶。父がいつも言っていた言葉と、僕を守ると誓ってくれた騎士との記憶。
『いつでも、アトリビュートと共にあらんことを。強くあれ、己を誇れるほどに。大事な人間に尽くせ。お前にはその才能があるから。そんでもって、俺はお前にそういう人間になってほしい』
父さん。母さん。僕は今度こそ、守れるだろうか。大切なものを自分の手で守れる、そんな人間になれるだろうか。ほんとは今だって怖くて、父さんたちがいなくなったことに、震えが止まらない。でも、それでも、ここで変われないなら、誓えないなら、果たしてもらった約束に、僕は何も返せなくなってしまう。僕はもう二度と、誓いを破るような人間になりたくない。
なら、その誓いは僕が請け負うしかないじゃないか。
涙を強引に袖で拭って、僕は優しくポウラの腕をほどく。そして、二人の前に膝まづく。金鳳花と海の色をした瞳は少し驚いたように僕を見た。
こぶしを床について、二人へ向き直る。
赤、青、黄。無限の可能性へと広がる色が混ざり合っていく。
「誓いを果たし、命を助けてもらったこと、感謝してもしきれない」
世界がもう一度始まる物語に、高まる鼓動を抑えられずにいる。
「この恩を、僕はきっと忘れない。忘れられない。返しきれない。だから」
伝われと叫ぶ。この思いを、この感情を、この感謝も、全部伝われ。
「僕のこれからの人生すべてをかけて、二人に尽くすと誓うよ」
なんとも滑稽で、なんとも拙い僕の誓い。でも、この誓いを僕は一度も後悔したことがない。この先、僕らは何度も傷ついた。決して癒えない傷もあった。失ったものも、取り返せなかったものも、数えきれないほどにある。でも、僕は君たち二人の手だけは決して離さなかった。
「だから、一緒に行ってもいいかな?」
人生をかけた最愛へ。これは貴方たちが生きた世界を綴った物語。