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シュガートング

※犬(狼)が死にます

 それは、七年前。まだ十歳のゼタが、叔父の治める辺境の皇領を訪れていたときのこと。

 危険な魔物が目撃された。

 その報を受けて、魔物の間引きに参加していたゼタたちは一時帰還を余儀なくされていた。曲がりなりにもゼタは第一皇子。危険度の高い場所にいるわけには行かない。

[でも、本当に出たのか?鎧狼の群れなんて]

 かなり山深くまで進んでいただけに、いまさら戻れと言われるのも不服だった。それでも叔父の指示と言われれば、従わないわけにも行かない。

 鎧狼は名の通り、鎧のように硬い毛皮を持つ魔物で、その体当たりを受ければ堅牢な城壁ですら傷が付くと言われている。ただ、棲息域が標高2哩以上の寒冷地に限られるので、鎧狼が実際に人間へ害をなす例はほとんどない。冬の寒い時期、ごくまれに低いところまでやって来て、山里を襲うくらいのものだ。

 まだ春先の冷え込んだ日とは言え、こんな低地に現れるなど考えにくいが。

[だが、それらしき生きものを複数回見たと言われれば、対策を取らんわけにも行くまい]

 ログスの言葉にヨルハが頷く。

[まず事実か否かの確認が必要ですし、事実であるならただちに危険種対策と山を降りて来た原因の究明をしなくては]

[ああ。単純に餌不足ならまだしも、なにかもっと凶悪な獣が山に住み着いて追われたなら、危険度は鎧狼の比でなくなりかねないからな]

[でもどっちにしろ]

 ラグラに続いて、ユウルが眉を寄せる。

[それはぼくらの役目じゃないんでしょ。ぼくらは、殿下を安全なところに連れて行くことを、]

 言葉の途中で、全員が警戒体制に入った。

「動くな!」

 響いた声は耳慣れぬ第三者の、それも異国語。

 肉薄する獣の気配。息遣いと、唸り声。

 いつの間に、こんなに近付かれていたのか。

「山には入らないようふれを出してあっただろうが」

 不機嫌そうな声ののちに、ギャワンと言う複数の断末魔と、噎せ返るような血の匂い。

「首落としじゃ価値が下がるから邪魔するなって言ったのに、なんでこんなところ、に」

 言いながら現れたのは、明らかに幼い女の子。ゼタたちを見て、驚いた顔をしている。

 驚きたいのはこちらだと、ゼタは思った。

 なにせゼタたちの周りには、首を落とされて事切れた鎧狼が、五頭も倒れ伏している。

[……あのさ]

 幼女がゼタを見上げて言う。貴族のような美しいルスカダ語だった。

[これ、あげるから見逃してくれない?]

 これ、と指すのは鎧狼の遺体だ。

[首落としちゃってて悪いけど、首なしでも毛皮は売れるだろ?そこそこ高値が付くと思うからさ]

 そこそこ高値、どころではない。鎧狼の毛皮など、狩ろうと思って狩れるものではないのだ。希少性も機能性も超一流。狩るとしたら命懸け。一頭分だって、平民なら一生暮らせるくらいの金額で売れるはずだ。

[……そんな簡単に差し出して良いのか。お前が狩ったのだろう]

 この幼女が、直接攻撃したのを見たわけではない。だが、口振りから考えるに、この幼女がなにかして、鎧狼を殺したのだ。

[べつに五頭くらいなら……あ、いや、なんでもない。その、狩りに夢中で、皇領に入ったことに気付かず、申し訳、ありません]

 幼女の髪は黒髪。ルスカダの人間の特徴として挙げられる、美しい漆黒の髪だ。顔立ちも肌の色も、ルスカダの人間と見える。

 だからこの言葉は、ルスカダのほかの領地からここ、皇領に入ってしまったことへの謝罪とも思えなくはない。

[まあ、皇領で狩りは、誉められたことでないけれど、鎧狼が人里におりる方が問題だからな。狩ってくれたことに礼を言う。お前が、ルスカダの人間ならな]

 幼女の年齢は五歳か六歳と言ったところ。国境の皇領は確かにさほど広くないが、それでも国境間際のこんな山奥に、そんな年齢の幼女が他領から迷い込めはしない。

 この位置ならば、ルスカダ内の別の領との境界より、バウドルとの国境の方が近い。

[なんの目的があって、バウドルの人間がルスカダに入り込んだ。お前、アルトゥールの親族だろう]

 バウドルに黒髪は生まれない。唯一可能性があるとしたら、和平の証拠にアルトゥールへ嫁いだ、ルスカダ貴族の娘の血縁者だけだ。この幼女がそうなら、黒髪も流暢なルスカダ語も、異様な強さでさえ納得が行く。

 この幼女が、ルスカダからバウドルを守り続ける盾の一族、アルトゥールの娘であるならば。

[……話したら、見逃してくれる?]

 見た目には、ただの愛らしい幼女だ。とても、単独で山に分け入り鎧狼を狩るようには、

[そもそもお前、ひとりなのか?]

 状況が異常過ぎて、そんな大きな異常も見落としていた。

 バウドルからだろうがルスカダからだろうが、ここは人里離れた山奥だ。幼い子供がひとりで来れる場所ではない。服は質素だが質がよく汚れもない。孤児ではないのだ。保護者はなにをしている。

[ああ]

 幼女がにこっと笑う。

[心配しなくても、ここまで来たのは私だけだよ。あとは荷運びと、情報伝達を依頼したから、国境を超えてはいない]

 言いながら、幼女は魔法で鎧狼の血を集める。

 息をするように使われた魔法に、従者たちはぎょっとしてゼタを囲う。こんなに予備動作も気配もなく魔法を使われては、主を守れない。

 ただでさえ異常な子供に抱いていた警戒心が、一気に最高潮に達した。

 その警戒には気付いたようだが、理由にまでは思い至らない様子で、幼女が集めた血を革袋に詰める。

[国境侵犯の罪人は私だけだし、こんな年端も行かない子供がやったことだから、見逃して欲しいな。国境を越えてから狩ったのは、たぶんこの五頭だけだし]

[年端も行かない子供の台詞じゃないな]

[ゼタ様]

[大丈夫だと思うぞ。殺すつもりならとうに殺してるはずだ]

 周りの警戒をよそにゼタはあっさりと言い、幼女に目を向けた。

[情報が欲しい。お前の持つ情報が有用なら、見逃してあげないこともない]

[……求める情報による]

[べつに、オリザを裏切れとかは言わないさ。真偽もわからないからな。訊きたいのは、鎧狼のことだ]

 話している内容から言って、幼女か保護者かはわからないが、この五頭だけでなく鎧狼を殺しているのだろう。

 ならば、知っているのではないか。

[本来、こんな低地までおりて来ないはずの鎧狼が、なぜこんなところにいる?この五頭以外にも、おりて来ている鎧狼はいるのか?]

[少なくとも、私が把握している鎧狼はこれで全部だ。追加でおりて来ないとも限らないが]

 しゃがんだ幼女が、血で満たされた革袋を地面に置く。

[この血を山中に撒くと良い。鎧狼を殺せるものがいると知れば、無理にそれ以上はおりて来ない]

[そうなのか]

[鎧狼より弱い魔物ならたいてい避けられるよ。まあ首落として出た血だから鮮度がいまいちだけど、ないよりマシだろ。半年くらいはたぶん効く]

 初めて知った知識だった。そもそも、鎧狼なんて狩れるものではないのだから、仕方のない話だが。

[竜種が住み着いたらしいんだ]

[うん?]

[鎧狼がおりて来た理由だよ。こっちの山の上に竜種が住み着いたから、住みを移そうとおりて来てるんだ。だけどこっちとしては、下手な場所に居を移されても困るし、おりて来たやつは狩ってる]

 そんなさらっと言って良い内容ではない。

 ぎょっとしたゼタたちには気付かぬ様子で、幼女は続ける。

[幸い竜種って言っても狂暴種じゃないから、逃げる必要はないんだ。まあ居心地は悪くなるかもしれないが、いままでは自分たちが弱者に強いていたことだし、鎧狼には耐えて貰って。ほかの魔物や獣も動き出すかもしれないから、様子をうかがって、可能なら竜種にもなんのつもりでここに来たのか訊かないと。でも、まずは鎧狼が喫緊の危険だから先に対処したところ]

 逃げ足の速いのを追っていたらここまで来ていたと、幼女は肩をすくめた。

[不注意は申し訳ないけど、わざとじゃなかったんだ。見逃して]

 そして要望を繰り返す。

[なぜ、そんな危険なことをお前が?鍛え上げた兵なんていくらでもいるだろう]

[国境付近の罠類をいちばん把握しているのが私だからだよ。狩人が罠にはまったら目も当てられないだろう。それに]

 当たり前のように、幼女は言ってのける。

[オリザ辺境伯家のものとして、領民の安全を守る義務があるからな。鎧狼は高く売れるし、最高の状態で狩らないと]

 いっそ大法螺であってくれた方が、どれだけ良かったか。

 けれどゼタは、幼女の言葉が嘘でないと感じてしまった。

 制止を退け、幼女へと歩み寄る。

[俺は、ゼタ・ルスカディオ。ルスカダ皇国の第一皇子だ。あなたの名を聞かせて貰えるか?]

[チェスカリナ・アルトゥール。オリザ辺境伯爵の末子だ]

[チェスカリナ。オリザのついでとは言え、我が国の危機を退けてくれたこと、感謝する。その功績に免じて、俺の名の下に、今回の国境侵犯については不問に処そう。ただし]

 ゼタはチェスカリナと名乗る幼女の前に跪き、その両手を取る。十歳のゼタが跪いてやっと視線の位置が揃うくらいに、チェスカリナは小さかった。

[叔父……ここの領主が、情報の信頼性を求めるかもしれない。いちど、領主の許まで共に来て貰えないだろうか]

[それは出来ない]

 チェスカリナは首を振る。さすがに警戒されるかと予測したゼタに対して、チェスカリナの答えは斜め上だった。

[まだやることがあるから、今は駄目だ。しばらく、たぶん十日くらいは忙しい。シュガートングを貸すから、必要なら十日後以降に呼んでくれ]

砂糖挟み(シュガートング)?]

[そう。このこ]

 ゼタの手から片手を抜いたチェスカリナの袖から、チョロリと銀の蜥蜴が姿を見せる。

[蜥蜴?こんな冬に?]

[ゼタさま、それ、ただの蜥蜴じゃない。竜種、雪蜥蜴だ]

[雪蜥蜴?これが?初めて見た]

[ぼくも実物は初めて見る。本当に、こんな寒さでも平気なんだ]

 興味を引かれて寄って来たユウルに、チェスカリナは快く手の上の蜥蜴を見せる。

[どこからでも、私のところには戻って来るから、手紙を渡して。そうしたら、ここに来る]

 チェスカリナは襟元に巻いていたスカーフをほどくと、魔法で近くの木の枝に結び付けた。

[目印。これで、迷わず来れる]

 ふ、と微笑むと、チェスカリナはゼタの手に蜥蜴を乗せ、ぴょんっと飛びすさった。

[じゃあ、もう行く。見逃してくれてありがとう]

 チェスカリナのなかでは、もう見逃して貰ったことになったらしい。バイバイと手を振って、止める間もなくチェスカリナは駆け去った。

[逃、げられた]

[いやでも、人質、蜥蜴質?置いてったよ]

[呼ぶなら手紙を持たせて放せって言ってただろ。蜥蜴質にはならない]

 そう答えつつも、たぶん本当にここに来るのだろうなと、ゼタは思う。

[なんにせよ、叔父上に報告だ。これ運んで、言われた通り血を撒くか、判断を仰がないと]

[そこは、疑うのですね]

[いや俺は疑ってないけど]

 ゼタは迷いなく答え、でも、と続ける。

[ここの領主は叔父上だから、独断で実行するわけには行かないだろう。鎧狼は追い払えても、血の匂いでもっと危険な魔物を呼ぶかもしれない]

[大人になりましたね、ゼタさま]

[なんだそれ]

 ヨルハの言い様に顔をしかめ、ゼタは地面を示す。

[とにかく、運ぶぞ。これが証拠になるんだから]

 五頭の鎧狼の死骸を持ち帰ったゼタに叔父は驚き、甥であるゼタの話を真剣に聞いた。それから叔父は、チェスカリナの助言を実行に移すことを判断し、それから、血を撒いたより下で鎧狼が目撃されることはなかった。

 ぜひ領を救ってくれた方に感謝を、と言う叔父のために、ゼタはシュガートングを飛ばし、約束通りチェスカリナは現れた。チェスカリナに感謝した叔父は、害をなさないことを条件に、チェスカリナが自分の領地に出入りすることを認め、アルトゥール家もまた、チェスカリナがルスカダの皇族と関わることを認めた。

 そうして交流を続けながら、時は経ち。

 誰かバウドルに留学をとの話が出たのに、ゼタはみずから手を挙げたのだ。

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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