ゼタ・ルスカディオ
そしてざわつく宿舎学校。
どこから情報が仕入れられたのか、話題は未知の隣国から来る留学生で持ちきりだった。
「……なんだか視線が、痛いような?」
「そりゃ、あなたがオリザ辺境伯家のご令嬢だからでしょ」
チェスカリナがはてと首を傾げれば、隣にいた友人に呆れたように言われた。
「隣国と接する唯一の領地出身だから、自分たちよりなにか情報を持っているんじゃないかって思われているのよ」
「あー、なるほど」
婿探しに必死な令嬢とも、万一にでも言い寄られたら困る令息とも親しくしないようにした結果、チェスカリナの友人は少ない。気軽に話し掛けて来るのは、今隣にいる令嬢と、その婚約者の令息、それから彼女と婚約者の友人数人くらいなものだ。
「それで?」
「うん?」
そんな数少ない友人、ミラルダ伯爵令嬢フェリシラ・ボヌールが、身を乗り出して微笑む。
「なにか素敵な情報はないのかしら」
教室中の意識が、こちらに向いたのを感じた。
それに、大きく肩をすくめて答える。
「残念ながら、なにも」
そうして告げるのは、みんながご存知の現実だ。
「隣接しているとは言っても、お互い行き来はないからね。情報なんて入って来ないよ」
表向きは、と心の中で付け足す。山の切れ目は国境沿いに高い鉄の壁がふたつの国を割っていて、兵士が厳重に見張る扉以外での行き来は出来ない。けれどそれは、山の切れ目の話で、いくら切り立っていても裾は登れないほどではない山を通れば、隣国に行くことは出来なくはないのだ。
実際チェスカリナが第一皇子に出会ったのも、そうしてうっかり国境を越えてしまったからである。
ついでに言えば、いくら壁が高くても鳥が飛び越えられないほどではないので、伝書鳩や梟に手紙を預ければ、情報のやり取りは可能だ。
表向きは、そんなこと、出来ないししないことになっているけれど。
「本当に?」
「本当に。来るの、第一皇子だって?絵姿ですら知らない。どんなひとなんだろうね」
チェスカリナとよく似た色の髪の青年を思い浮かべながら、チェスカリナはそらとぼける。第一皇子は少し癖のある柔らかそうな黒髪に、神秘的な藤色の瞳の青年だ。背が高いが、線は細く、色も白い。少し吊り目で、冷たそうに見えるが、整った顔立ちをしている。
同じ黒髪でもチェスカリナは癖のないまっすぐな髪で、瞳は砂糖楓の樹液を固めたような色。背も見た目の体型も平均的で、肌も褒められるような白さではない。丸みのあるどんぐりまなこは愛嬌があると言えなくもないが、十人並みよりちょっとマシくらいの顔立ち。
「すごい美人って噂だけど、どうかしらね」
チェスカリナと話が盛り上がらないならさしたる興味もないのか、フェリシラが乗り出した身を戻して言う。
このさっぱりした性格が心地良くて、チェスカリナはフェリシラのそばにいる。
「チェカ、ルスカダ混じりでしょ」
「四分の一だけね」
「ほかのひとより親しみやすい顔だって、見染められたりしちゃうかもよ」
「まさか」
首を振る。顔で見染めると言うなら、とうに見染められているはずだ。散々顔は合わせているのだから。
「王女殿下と交流しに来るのだから、余所見なんてしないよ」
「まあそうよね」
フェリシラも本気で言ったわけではないのか、苦笑して頷いた。
「でも同じ学級にはなるでしょ、王女殿下と交流目的なら」
貴族の子弟の通う寄宿学校だけあって、生徒数は決して多くない。一学年一学級のみで、第二王女と同学年のチェスカリナとフェリシラは、当然ながら王女と同じ学級だ。と言っても、授業は選択式なので、同じ学級だからどうと言うこともないのだが。週一の学級会では必ず顔を合わせることになるくらいだろうか。
「見染められるより、なにか不興でも買って目を付けられる方があり得そうだから、怖いな」
「あーまあ、戦争の火種にはなりたくないわね」
そんな物騒な会話の途中で、始業間近を告げる予鈴が鳴った。貴族を集めた学校だけあってお行儀の良い生徒ばかりで、予鈴が鳴れば自然とざわつきも鎮まる。
席は自由なのでみな思い思いの席に着くのだが、今日は普段より前方の席が混んでいるのは、きっと前に立って挨拶をするであろう留学生が気になっているからか。
「フェリシラは前に行かないの?」
「そう言うチェカこそ」
「わざわざ今日見なくても、同じ学級なら近くで顔を見る機会はあるだろうからなあ」
人混みは嫌いと、チェスカリナは顔をしかめる。
「そう言って、人気のない授業ばかり取ってるものね、チェカ」
苦笑したフェリシラと共に、後ろ寄りの席に陣取る。
本鈴にわずかばかり遅れて、この学級の担任がぞろぞろと青年たちを連れて現れた。
見目麗しい五人の青年に、ざわりと教室がざわめく。
全員チェスカリナと同じような黒髪だが、華やかさが違う。目が鮮やかで、顔の出来が違うのが原因だろうか。
まあ目立ちたくないから華やかさなんていらないけれどと思いながら、美術館の絵画のように視線を集める青年たちを眺め、
「……こっちみんな」
露骨に合った視線に顔をしかめた。口の中で小さく文句を言う。
藤、撫子、月草、山吹に、常盤緑。色とりどりの花束のような瞳が、迷いもなくチェスカリナへと向けられている。
近寄るなと言ったはずだが??
だんだんと寄って行くチェスカリナの左右の眉を見て、満足そうに笑ってから、青年たちは教室を見渡した。
「初めまして。ルスカダ皇国第一皇子のゼタ・ルスカディオと申します。文化の違いで迷惑をかけることもあるかと思いますが、よろしくお願い致します」
その、流暢な言葉遣いに、いまいちど教室がざわめいた。
ゼタにバウドルの言葉を教えたのは、他ならぬチェスカリナだ。ルスカダ貴族を祖母に持つチェスカリナは、どちらの言葉も同等に話せるように教育されていたため、教師として最適だった。
「ゼタ殿下の側近をしております、ヨルハと申します」
「同じく、ユウルです」
「ログスです」
「ラグラと申します」
続けて話す側近たちも、同じように流暢な発音。彼らもチェスカリナの教え子だ。
担任が、仲良くするようにと言い置き、伝達事項を何点か告げて、新学年最初の学級会が終わる。
誰か留学生の案内をと教室を見回した担任に反応して、王女が歩み寄りゼタに話しかける、前に。
「チェカ!」
いと爽やかかつ満面の笑みで、ゼタが呼びかけて手を振った。
教室の後方で気配を殺していた、チェスカリナに。
お前話しかけるんじゃねぇオーラ全開のチェスカリナの空気など丸無視して、軽い足取りのゼタがチェスカリナへ駆け寄る。ゼタに注目する教室内を、前から後ろまで突っ切って。
「同じ学級で良かった。案内頼んで良いよね?どの授業取ったら良いかとかもわかんないし、時間割りも真似して良い?」
疑問系ではあるが形ばかりで、言外に断らないよな?と告げている。
チェスカリナは、ぱく、と一旦絶句してから、
「留学の、目的として、私ではなく、王女殿下と親しくされた方がよろしいかと」
低い声で絞り出した。こちらは言外に、近寄るなって言ったよな?と怒りを示して。
「いや?バウドルの民と交友を結べとは言われたが、誰と、と言う指定はない。遺恨が深いのはオリザ辺境伯領の者とだから、チェカと親しくした方が、目的には沿うんじゃないかな」
断りもなくチェスカリナの隣に腰掛けて、ゼタはのたまう。
「それに、日常会話はともかく、専門用語になると言葉が少し怪しいから、ルスカダの言葉もバウドルの言葉も、どちらも詳しいものがいてくれないと、授業が理解出来なくなりそうで」
そこでゼタが困った顔を造ったのは、絶対にあえてだ。
チェスカリナが、断れないように。そして、挨拶程度以上のルスカダ語が使えない第二王女に、しゃしゃり出るなと牽制するために。
「アルトゥール嬢」
冷えた声で、第二王女がチェスカリナを呼ぶ。
「ゼタ殿下のご希望です。受けて下さいますよね?」
自国の王族に命じられて、否とは言えない。
「身に余る光栄ではありますが、謹んで務めさせて頂きます」
「やった。ありがとう。チェカは優しいなあ」
ゼタが、ぱあっと顔を輝かせて、チェスカリナの肩を抱く。
「これからよろしくな!」
チェスカリナの耳には、言質は取ったからなと言う副音声が、はっきりと届いた。
こうして、チェスカリナの平穏な学校生活は、ぶち壊されたのである。
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