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才能のない二世女優は、元子役の初恋相手が認める天才肌の素人に嫉妬する

作者: 聡子

*参考文献*

グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」

 私の家庭が他の人たちとは少し違う、と知ったのは保育園に入園したときだった。

 なぜだか、私の周りにはいつも自然と沢山の大人や子供たちが集まってきて、『美姫ちゃん、可愛いね』とか『お目目がくりくりして、お姫様みたい』とか言って、毎日毎日チヤホヤしてくれた。それが何故かは当時はよく分からなかったが、褒められるのは嬉しいもので、少し鼻が高かった。

 でもそんなある時耳にした。『美姫ちゃんのママは有名人だから、仲良くしなさい』とか『美姫ちゃんと仲良くしてたら、いいことがあるかもしれないわよ』とか。皆がチヤホヤしてくれていたのは、私と仲良くなりたいからではなくて、私の母、小鳥遊たかなしよし乃と少しでも近づきたいからなのだ、とその時知った。

 私の母、小鳥遊よし乃は、今世紀一の才能を持つ女優として名を日本中に轟かせ、またハリウッドにも進出したことで、世界で活躍するアジア女性として選ばれた実績もあり、大変な有名人だった。けれど母は滅多に家に帰ってこないから、会話なんて殆どしたことがなかったし、私にとってもテレビや舞台の上でしか見ないお姉さん、であった。だから当時は、母と仲良くなるために、なんで私なんかに近づいてくるのだろう、と疑問に思うこともしばしば。けれど、自身が褒められることは悪い気がしなかったし、注目されることは嫌いではなく、むしろ心地よいものだった。

 一方で、いつも家にいて私と一緒に過ごしている父は、母とは違い全く知名度のない俳優だった。仕事で忙しい母に代わり、家事をしたり、保育園の行事に来てくれたり、熱を出したときに看病をしてくれていたりしたのは、全て父。私はそんな父が大好きだった。よく知らない母よりも、ずっとずっと大好きだったのだ。だから、いつも家で演技の稽古を夜遅くまでしてる父が、いつか母と同じ舞台に立てますように、と毎夜願いながら私は眠りについていた。


 だからあの日、父が、「もう耐えられない。なんで役者なんか…。美姫、本当に、本当にごめんな」そう言葉を残して、家を去った意味が理解ができなかった。

 久しぶりに家に戻ってきた母は、私にとってはやはりよく知らないお姉さんで、いつもホッと和めるお家は緊張感に包まれたものに変わってしまった。目の前にいる母と父無しではどう接したらいいのか分からなくて。私は、早く父が帰ってきますように、と、ずっとずっと神様に祈っていた。


 父がようやく家へ戻ってきた日、母が家に帰ってくることはなかった。白い箱の中で眠りから覚めない父。私が話しかけても目を開けてくれることはなかった。母のマネージャーが私の頭をずっと撫でてくれていたのだが、その手があまりにも冷たいものだったことは、今でも覚えている。


 セミの声がうるさい、蒸し蒸しとした日のことだった。



*****



 『やっぱりいつかはこうなると思っていたわ』

 『当時はすぐ離婚するって言われていたしね…』

 『巻き込まれた子供が一番の被害者』


 テレビの報道で当時はかなり騒がれていたらしい。

 保育園に登園する度にヒソヒソ話され、好機の目で私はジロジロと見世物のように見られるようになった。時には知らないお兄さんに『パパとママは仲が悪かったのかい?』とか、『パパはお家が嫌いだったのかい?』何て急に肩を掴まれて聞かれたりもした。

 あんなにも注目されるのが大好きだったはずなのに、次第に他人の視線に恐怖を覚えるようになり、幼稚園に向かうことが苦痛となってしまった。どこにいても、突き刺さるような視線が私に向けられ、家から外に出ようとすると足が重くなる。扉の外は父と母の悪口で広がる世界。私はついに家から出ることができなくなってしまった。

 けれど家にいても苦痛は続く。毎日のように家に帰ってくるようになった母は、日々違う雰囲気を醸し出していた。ある時は老婆のようで、ある時はケバケバしい女で、また違う日になると、ほとんど無口な冷たい女性。いつも違った他人が家にいるような感覚だった。それは女優のさだめであったのだが、当時の私はそう簡単に分別のつく年頃ではなかった。いつも温かな笑顔と、美味しいごはん、そして和やかな会話で包まれながら父と過ごしたお家が、今では、化粧も話し方も髪型も日々異なる母と、冷たいコンビニ弁当の食事へと変わってしまった。それに母はいつも夜遅く帰ってきて、朝になるとマネージャーと忙しく打ち合わせしていたものだから、人と会話をすることすらなくなってしまったのだ。


*****


 「今日から、ここが美姫ちゃんの帰る場所だからね」

 父を失ってから一切笑わなくなってしまった私を日々見ていた母のマネージャーが、私の手を引いてあの恐ろしい家から連れ出してくれたのは、雪が降り始めた季節のことだった。「どこにつれていかれるのだろう」と、もう何も感じなくなってしまった心でそう考えていた。

 母のマネージャーが連れてきたのは、大きな劇場の前だった。昔、父と母の舞台を見に来たのもこんな劇場だったな、と思い出す。

 母のマネージャーは無表情のまま固まっている私をぎゅっと抱きしめて、劇場の隣のビルのほうへ私を連れて歩き出した。


 「ごめんください。先週お話させてもらった、小鳥遊の代理の者です」

 そこは母と父が出会い、共に過ごした劇団フルールの事務所だった。辺りには書類が乱雑に放置されており、電話も鳴りっぱなしだったと記憶している。

 「ごめん、ごめん。電話が長引いていて、さ、入って」

 ようやくひと段落ついたのか、そう部屋の中から顔を出して案内してくれたのは、父よりずっと背の高いおじさん。

 「美姫ちゃん、この方は劇団フルールの座長の三木さんよ。しばらくお世話になるからね」

 マネージャーにそう紹介された座長は、「久しぶり。生まれたばかりの時にあったことあるんだけど、さすがに覚えていないよね」と優しくそう微笑んだ。

 初めて会う人と初めて来た場所。私は怖くて怖くて、何も喋らずに下を向いて、じっとその場に立っているだけだった。

 - パパ、パパ…

 もういないはずの父に心の中で助けを求めていると、目頭から温かなものが出てくるのを感じた。

 「旦那さんが家を出て行ったあとから、感情をださないようになってしまって…。今では殆ど引きこもりに…。一部の記者の発言が余計に心を苦しめているようで…」

 「簡単によし乃ちゃんから話は聞いていたんだけど…。そんなことになっていたのか。有名人もその家族も大変だな」

 「小鳥遊から連絡があったとは思いますが…」

 「もちろん大丈夫。よし乃ちゃんには随分と助けられたからね。騒動が収まるまで、こっちで面倒を見るから」

 おじさんが母のマネージャーと何やら難しい話をした後、後ろを振り向いて、部屋の奥へと大声をだす。

 「おい大翔たいが!ちょっとこっちこーい!美姫ちゃんに挨拶して!」

 マネージャーとおじさんの話はよく理解できなかった。ただ、ぼんやりと、父だけでなく母にも捨てられてしまったのかもしれない、と悲しくなったのを覚えている。

 「よっ」

 なのに、そんな私の悲しい心のうちを知ってか知らずか、かったるそうにキミはおじさんの後ろから現れた。

 「よ、じゃないだろ!」パチッと男の子の頭を軽く叩いて、「美姫ちゃん、この子の名前は大翔。私の息子だよ」おじさんは私にそう教えてくれた。

 「え、おまえ、ミキっていうの!?」

 「お前じゃないだろ」パチン。「み~き~ちゃ~ん!!」

 そんな親子のやり取りに何か懐かしさを感じ、目頭に浮かんだ雫が溢れてしまう。

 「わわ!パパが おんなのこ なかせた!!」

 「わわ、大丈夫かい?美姫ちゃん!!」

 「よしパパ! いつものやるぞ! せーの!」

 男の子の掛け声で、おじさんと男の子は私に渾身の変顔を披露する。時おりその顔を二人とも変えるのだが、息がピッタリとあっていて、どの変顔も同じタイミングで変化する。なんだかそれが可笑しくて可笑しくて。フフっとつい笑みが自然と溢れた。

 「あ、わらった!」目をまん丸にする男の子。「おまえ、わらうと めっちゃ かわいいじゃん!」

 「大翔!!!」

 パチンという音とともに、おじさんの怒った声。でも、私の耳には届いていなかった。お世辞だとしても、久しぶりに聞く可愛いという褒め言葉。普段聞きなれていたはずなのに、キミの口からでたその言葉は、何か特別な魔法のようなもので、不思議な力を感じ、ボッと火がついたかのように顔が熱くなってしまった。何だかとても恥ずかしい。


 「ぼく みき たいが。よろしく!」

 

 ニカっと笑うキミは私の心を溶かしてくれた魔法使いで、私の笑顔を取り戻してくれたヒーローで、私の大事な大事な淡い初恋の人。



*****



 時はめぐって、10年と数年後


 「美姫さん、お疲れ様です。クランクアップです!!!」

 パチパチパチと沢山のスタッフの拍手とともに、私はもう何度目かの花束を受け取る。

 「ありがとうございます」

 母譲りの少し派手目な顔のせいでよく薄情な人間と勘違いされる。SNSに自身の否定の言葉がこれ以上溢れないように、私は精いっぱいの人懐っこい笑顔を浮かべて周りにそう感謝の言葉を述べる。


 私、芳乃よしの 美姫は、父の心を壊した、あんなにも大嫌いで憎んでいたはずの役者になっていた。



*****



 「まるさん~。お茶~」

 長年母のマネージャーをしていたマルさんは、今は私のマネージャー。マルさんの運転する車の後ろで、いつものように行儀悪く足を伸ばしながらお茶をせがむ。

 「ピンクのリュックにウーロン茶と玄米茶が入ってるから、好きなほうをどうぞ。あ、あと、来月から始まる新ドラマの台本来てたから。それはブルーのカバンの中入ってるから、あとでチェックしといてね~」

 「今回の相手役は誰~?」

 「〇ニーズの神田君。抱かれてたい男ナンバーワンの子よ~。あの子と共演したい子なんて山ほどいるんだから!!この仕事をとってきた私に感謝でもすることね」

 「あっそ。ま、興味ないかな…」

 「はぁ。美姫ってば、まだ大翔君を期待してるの?でもね、あの子はこう言ったらなんだけど、もう旬が過ぎてしまった俳優よ…。共演なんてほぼほぼないわ。あり得ない。ほら!それにあの子は今、テレビじゃなくて舞台の仕事がメインでしょう?」

 ピンクのリュックから玄米茶のペットボトルを出して、口に含む。高速道路からチラッと見えたビルの屋上には、私が今キャンペンガールを担当している炭酸飲料の広告が大々的に張り出されていた。

 「私の旬はいつになったら終わるの?もうそろそろ消費期限くる??」

 「ちょ!そんな怖いこと聞かないでよ!」

 一瞬車のスピードが速くなった。危ないなぁ、もぉ。

 「だって大翔と共演できないならこんな仕事いつまでも続ける意味ないじゃない」私の声を無視するマルさん。「それか私も舞台女優を目指してみるとか?」マルさんの無視は続く。「ま、私の演技力じゃ、まず無理か…」

 私のポツンと呟いた声にも、マルさんは応えることはなかった。



 『ぼくのゆめは にんきものの はいゆうさん!そして パパのさくひんを このげきじょうで ぼくが えんじるんだ』隣の劇場にこっそり侵入して、おじさんが指導する劇団フルールの練習風景をこっそり盗み見しながら大翔はいつもそう私に言った。〝俳優になる〟それが彼の口癖だった。『よしのの おばさんよりも ゆうめいに なるんだからな!』


 私に笑いかけてくれ、手を握ってくれ、寝るときは優しく抱きしめてくれる大翔。私は大翔にかつての父の姿を重ねていた。俳優として有名になるために日々練習を欠かさなかった父。大翔が父のようにいつか俳優を夢見ることで心が壊れてしまうのではないか、また私の前から急に去っていってしまうのではないか、といつも怖かった。だからいつも大翔の後ろを金魚の糞のようについてまわっていた。もう二度と大事な人を見失わないように。

 けれど大翔には私のそんな心配なんて知る由もない。こっそり舞台の稽古場に忍び込み、その風景を見ながら、役者の演技を真似ていた。それは彼なりの演技の稽古。私の心は複雑だった。だってもう誰かの演技なんて心底見たくなかったから。でも、どんなに大嫌いで憎んでいるはずの演技も、なぜか大翔が演じるとその演技を楽しく見ている自分もいた。


 ピンクの蕾が街を彩り始めた頃、ついに大翔とのお別れが来てしまった。私たちは保育園を卒業して、小学校へとあがるのだ。

 離れたくなかった。もっとずっとずっと一緒にいたかった。何よりあの冷たい家に帰りたくなんかなかった。

 私はおじさんと大翔の前で号泣した。そんな私に眉を下げて困った顔をする母のマネージャー。この感情が何なのか、当時はわからなかった。ただ心が引きちぎられる思いがしてとてもとても苦しかった。


 『だいじょうぶ』大翔はそう言って私の額にキスを落とした。急にそんなことするから、私もびっくりして涙が引っ込んでしまった。『すぐに よしのの まえに あらわれてやるから。おまえが さみしくないように』


 やっぱり最初から最後まで、大翔はおじさんにパチンと頭を叩かれていた。


 別れは辛かったけど、彼はちゃんと有言実行した。

 それは小学校に上がって過ごす初めての夏休みの初日のことだった。

 『美姫ちゃん!見て見て!』

 そう言って母のマネージャーが指を指す。びっくりした。テレビの中に大翔の姿があったから。

 夏休みのお昼ごはんの時間。30分の特別ドラマに大翔は毎日現れた。私はそれが嬉しくて、お家で過ごすお昼の時間が好きになった。

 『美姫ちゃん!こっちもこっちも!』

 夏休みが終わる頃には、大翔を他の時間帯でも見かけるようになった。月曜日と木曜日の夕方、火曜日の朝、水曜日や金曜日の夜。年越し前には、大翔はCMにも出るようになっていて、どの時間帯でもチャンネルを変えれば大翔の顔をどこかで見ることができていた。

 テレビ越しの大翔はよく笑っていた。そして、たまに怒り、驚き、涙を浮かべ…。いつも隣で一緒に過していたから、大翔のことを全て知っていると思っていた…。なのに、テレビに映る大翔は時おり知らない表情をするようになった。それを見る度に、心にモヤモヤしたものが広がっていく。遠くの存在になっていく大翔になぜか素直に喜べなくなってしまった。


 中学に上がってからも、大翔の人気は衰えることはなかった。むしろ身長も伸び始め、声変わりが始まる頃には、可愛い子役からイケメン子役に変わり始めていた。でも不思議だった。彼をテレビで見るのは、バラエティー番組やニュース番組ばかり。俳優としての彼を見ることが随分と減ってしまっていたから。大翔は一体何を目指しているのだろう?と首をかしげるようになった。


 私が女優になろうと決心したのは、中学3年の夏。〝あの夏の日に〟という、久々に大翔が主演する映画を観たことがきっかけ。野球部員たちが切磋琢磨するストーリーに、少し恋愛ものが混じっているそんなごく普通の青春映画。でも私はキュンキュンすることも、感動することもなかった。心が締め付けられる思いがしたのだ。母に似て、顔が派手になってしまった私とは真逆のタイプの、ほんわかしたフワフワとした小動物のような女の子に顔を赤らめ恋をする大翔がそこにいたから。

 きりっと少し吊り上がった目が嫌いになった。鼻筋の通った鼻が嫌いになった。少し老けて見られる顔が嫌いになった。すごくすごくムカムカした。大翔の横で笑っている女の子が私でないことに。私はスクリーンに映る名前の知らない女優に嫉妬した。私はこの時に知ったのだ。


 大翔に恋をしている、ということを。

 

 〝大翔の横にいたいから〟。母のマネージャーだったマルさんに頼み込んで、芸能事務所に所属していない人でも受けれるオーディションを母に内緒で探して貰った。私は片っ端から応募していく。早く大翔の横でヒロインを演じたくて。けれど、いつも苦しんでいる父の顔がチラついて、面接官の前で上手く演技なんかできなかった。加えて、私は演技の稽古をしたことも、指導も受けたことも一度もない。だからそんな素人丸出しの演技しかできない私はオーディションに受かることはなかったのだ。



 そんな遠い昔を思い出す。

 「あ〜あ。こんなことになるなら、オーディションなんか受けなければよかった…」

 私は飲み干し、空になった玄米茶のペットボトルをぐしゃりと握りつぶす。

 「ゴミはちゃんとゴミ箱に片づけてよね」

 マルさんのそんな声にため息をつきながらも従う。

 「でもさ、なんであの人は名前を使うことを許可したの?マルさん知ってる?」

 「さあ。そうね、聞いたことないわ」

 「あの人があの時知らんぷりしてたら、私女優になんかならずにすんだのに…」

 「ねえ、美姫?」ミラー越しにマルさんの鋭い目と目があう。「そんな事、絶対に外で言わないでよ?ただでさえ…」

 「ただでさえ大根すぎる私の演技って、よくSNSで炎上しているものね」ハハハと他人事のように笑いながらマルさんの声に被せる。分かってる。私は全然演技の稽古も指導も今でも尚受けることを拒否しているものだから、他の新人役者に比べて素人臭い演技しかできていないということを。私の名前をエゴサしても〝演技がみてられない〟〝所詮親の名の七光り〟〝役と実力が伴ってない顔だけで採用されてる〟〝もはや芸能界も落ちた〟みたいな言葉が並ぶ。でもそんなの私が一番分かってる。「他の売れてない子には申し訳ないと思ってるわ。でも、大翔の隣にいられないなら、私にとって役者は苦痛。だって私は私以外演じられない、才能のない役者なんだもの…」

 「じゃあ、何で面接の時あんなこと言ったのよ。『母を超える女優になる』なんて」

 マルさんの声は淡々としていて、静かな怒りを感じる。

 「分かんない。夢だってなかったもの。だから、大翔の夢を真似ただけよ」

 そう言葉を返しながら、人生が変わったあるオーディションの面接の時を思い出していた。



 それはN〇Kの朝ドラの一般公募のオーディションだった。エキストラの役だったから事務所に所属していない私でも受けられた。

 母譲りの整った顔だちもあって、書類選考は難なく受かり、すぐにその面接の時が来た。


 『あなた方の将来の夢を教えてください』


 いつもと異なる面接官の不思議な質問。でも周りの子たちは予め考えていたのか、次々と回答しだす。私は焦っていた。夢?そんなものなかったし、考えたこともなかった。あえていうならば、ただ大翔の横で笑って演技できるヒロインになりたい。ただそれだけ。でも、そんなこと言えば落とされるのは目に見えているし…。あ、そういえば…。


 『私の夢は、小鳥遊よし乃を超える役者になることです』

 

 こんな時に思い出すのは、昔教えてもらった大好きな大翔の夢。


 『大きな夢ですね』

 失笑する面接官たち。何故かそれが無性に腹が立った。大翔の夢を笑われているようで。


 『母を超えることはそんなに大きな夢なんでしょうか?』


 『ええ!?』

 売り言葉に買い言葉で、けんか腰で放ったその言葉に、目を開き明らかに動揺し出す面接官。周りの大人たちも受験生も騒めき出していた。私、そんな可笑しいこといったかしら?でもまぁ、調べればすぐに分かることだし…。

 この時の私は、この発言があんなに大事おおごとになるなんて思いもよらなかったのだ。



 今までオーディションを勝ち進めることなんてできなかったのに、有名な母の名を語った途端に世界が変わった。ただのエキストラ役のオーディションだったはずなのに、なぜか母の事務所に所属することになり、そのまま朝ドラのヒロイン役へと大抜擢。それからはトントン拍子に話が進んでいって、朝ドラのヒロイン役をこなした私は、それが自身の名に更に箔をかけることとなり、その後オファーが絶えることはなかった。しかも、映画もドラマも全て私が主役のものばかり。

 こういった経緯で、17歳となった私は今もなお、日本中に名を轟かす、人気女優の名を手にしたのだった。


 

 「でも、なんでそんなに大翔君と共演したいのよ?学校でも会えるし、フルールに顔出しても、いつでも会えるじゃない」

 マルさんの言葉に我に返る。

 「別にいいじゃん。大翔の隣の役を他の女に取られたくなかっただけなんだから…」でも、私が活躍していくのと反比例して、大翔は少しずつテレビから姿を消していった。もう今では探しても探しても彼の出演する番組なんて見つけることはできない。「あんなにも人気だったのに、もう今では忘れられてるものね…。芸能界って怖いわ…」

 車は高速道路を降りていた。外はもう見慣れた景色。

 「マルさん…。私もう頑張れない…。いつも思うの、早く皆に忘れ去られたいって」

 マネージャーにそう気弱な声を落とす。

 「残念ながら…」マルさんは感情のない声で続ける。「向こう2年先までスケジュールが埋まってる人気者の女優だからね、美姫は。あなたはうちの出世頭だから、スタッフの為にも早く忘れられるわけにはいかないの。貴女が望んでこの舞台に上がったのよ?腹をくくりなさい」

 私は車窓から見える景色を見るだけで何も答えない。

 「ま、次の仕事まで久しぶりに一週間もお休みがあるんだから、学校に行って大翔君にパワーチャージしてもらってきなさいな」


 ****


 「あ、美姫~!ドラマ見たよ~」

 「美姫久々~!写メとろ~」

 「うわ、美姫じゃん!ホンモノほっそ!!!」


 芸能活動している生徒が多い高校とは言っても美姫ほど売れている生徒はほぼ皆無。だから、久しぶりに学校に登校すれば美姫はすぐに野次馬に囲まれてしまう。本当はめっちゃ面倒くさい。一人にしてほしいし、大して仲良くもないのに話しかけてこないでほしい。でもまぁ、誰に足を引っ張られるかわかったもんじゃないから、私は一人ひとりに天使の笑顔で接してあげる。

 「ね、大翔見た?」

 野次馬のうちの一人にそう尋ねる。以前大翔の隣でヒロインを演じていた子。この子も大翔と同じく、子役の旬が切れたのかテレビで見ることがすっかり減ってしまった。

 「さっき雅人君と…」

 顔を赤らめてそう隣の教室を指す。こんな小動物の子が男にモテるんだろうな、そんなことを考えながら「ありがと」と答える。せっかく同じ学校に通っているのに一度も同じクラスになれない…。なんだか大翔とすれ違ってばっかりで悔しい。


 「わ~美姫だ~」

 「顔ちっさ~。可愛い~」

 隣の教室をちょっと覗いただけですぐに黄色い声が上がる。仮にもここの生徒たちは未来の芸能の卵なのだ。なのにそんなミーハーでいいのか?なんて心の中で冷笑しながらも、やはり天使のような微笑みは崩さない。

 「大翔見なかった??」

 廊下に溜まっていたグループにそう声をかけた時だった。

 「俺になんかよう?」

 ポンと頭に何か硬いもので優しく叩かれた。見上げるとあの頃よりもずっと背の伸びた大翔がそこに立っていた。いつもの無表情の顔。いつ見ても恰好いいと思う。「教科書忘れてたから、借りに行ってたんだよ。どした?」

 大翔の顔に見とれていると、「いいな~幼馴染が美姫とか。世の男性全員に呪われろ」後ろからニコニコと人懐っこい声が聞こえ、美しい彫刻のような顔がひょいっと大翔の後ろから現れた。大翔と仲のいい子なんだけど、名前、興味ないから忘れちゃった…。

 「いや、用っていうか…」

 この子の名前…。あぁ、喉まで出かかってるのに出てこない!ついこの間も何かで見た記憶があるんだけどな…。

 「用事ないのに来てくれるとか、マジで大翔うらやますぎるだろ~。ま、邪魔者はトイレでも行ってくるわ」

 そう言って手をだるそうに振り上げて去っていった。

 「あの子って、〇ニーズの子よね?」名前なんだっけ?大翔教えてくれるかしら??

 「は?芳乃の次のドラマの相手役だろ?それくらい覚えとけよ…」はぁ、とため息をつきながらも、〝神田雅人〟とちゃんと教えてくれる。あぁ、マルさんの言ってた男の子か…。「で、本件は何だよ?」

 あ、そうそう。いつもの好評を大翔に聞きに来たんだった!「今回のドラマ見てくれた??」

 「ああ。もちろん、ちゃんと見たぞ。だいぶ演技上達したじゃん」

 大翔が悪戯な笑みを浮かべる。その声にドクンと心臓が大きな音を立てる。

 演技は全くもって好きではないし、そのせいか私の演技は大根だ、なんて周りから言われるけれど、大翔にだけは嫌われたくないから…。だからこれでも一応自分なりに研究して、ほどほどに、一人隠れて演技の稽古ををしている。そして一つのドラマや映画の撮影が終わると、決まって大翔に演技のダメ出しをしてもらうのが私の日常なのだ。


 「でも、具体的にどこをどう改善したらいいかもう少し詳しく教えてよ」


 それに…。子役としての演技の仕事がなくなってしまった大翔と今の私を繋ぐものはもうこれしかないから。だから好きでもない演技の話を大翔に振るのだ。

 「第10話のさ、芳乃が『えっ?』って驚いて振り向くシーンあったろ?ほら、先週の放送シーンの。あれはな…」

 演技の話をしている時の大翔って、本当に楽しそうで、私と真剣に向き合ってくれるから。真面目に話すときの眼差しも、上手にできたねって褒めてくれるときの笑顔も大好き。一際輝いていて、私はいつもぽ~っと惚れ直してしまう。ま、だからちゃんと話を聞けって、よく怒られるんだけど…。


 「おい、見ろよ。消費期限切れの俳優が、大根役者に演技指導してるぞ」


 だけど、時折どこからか聞こえてくるそんな心無い中傷。心が痛んだ。

 私が大根役者なのは、認める。私は母の名前で売れただけの、演技の才能のない二世女優なだけなのだから。でも、大翔を消費期限切れとか言わないでほしい。ただ芸能界の大人たちの金儲けの為に利用されて、捨てられた被害者なのだから…。

 だってね?当時爆発的に人気があって引っ張りだこだった時も、決しておごることなく、毎日おじさんとの演技の稽古を欠かすことはなかったし、今でも初心に帰って、基礎トレから練習し直していることを私は知ってるから。誰よりも努力している大翔。私はそれを知っているから、そんな心無い中傷が苦しかった。

 でも、もし私がここで言い返しても、そんな奴たちの心に響くことなんてない。あ、なんか負け犬がきゃんきゃん吠えてるわ、みたいに冷笑されるのは目に見えている。だから、どんな理不尽な中傷だとしても、それに対抗するには、実力で頂点へと登りつめていくしかないのだ。


 「大丈夫だから。お前は偉いよ」私の顔が曇ったことを察したのか、ポンポンと不意打ちで優しく頭をなでてくる大翔。

 自分だってアレコレ言われているのに、それでも私を気遣って優しく声をかけてくれる彼が愛おしい。冷え切っていた心がじんわりと温かさを取り戻していく…。

 「ねぇ?今日、劇場遊びに行ってもいい?今回ね、一週間も休みがあるし…」

 自分なりに、きっとこれはいい雰囲気だ、と感じてそう尋ねる。だけど…。

 「あ、ごめん。今週は忙しいかな?今日は最終オーディションがあるし、相手役が決まったら、すぐにでも舞台稽古に取り掛かりたいし…」

 「またオーディションするの?この前劇団員増やしたばっかりなのに?」

 「いや、ま、何ていうか…」少し歯切れの悪い回答。私はもう一度首を傾げ、なぜなのか聞いてみる。「芳乃って小鳥遊さんとホント会話とかしないのな…」

 降参、と手を挙げそう言葉を放つ。頭から大翔のぬくもりが去ってしまってほんの少し寂しい。

 「ん?何の会話よ?」

 「昔な、小鳥遊さんってうちの夏休み企画で一週間舞台に友情出演してくれてたんだけど、暫くの間その話は白紙になってたんだ。でも、なぜか今年から復活するってなったらしくて、劇団総動員で、役の取り合いが始まってるんだよ…」

 「ふ~ん」そんなことしてたのも知らなかったし、ま別に興味もない。「で、人が足りないからオーディションするの?」

 「ま、そんなとこ。いつもさ、昼と夜の二公演するんだけど、殆どの役者が夜の公演を希望して、昼の公演の役者が足りないんだ」

 「え、違う演目するの?」

 「そうだよ、せっかくだからどっちも楽しんでほしいっていう、小鳥遊さんの希望。で、二公演連続出演するには残ってる役が少し難解で…」

 「そんなに難しいの?」

 「いや、難しいっていうか、小鳥遊さんとがっつり絡むんだよ。夜の舞台の練習でも神経使うのに、二つも同時にできないって、一つの役に集中したいっていう人ばっかりでさ」

 ま、そういう役者たちの心情は理解できる。確かに自分でもいうのもあれだが、この業界に入って尚、未だ母以上の迫力のある演技をする人を見たことがない。ただ何もせず立っているだけで人を威圧するオーラ。一日にそんな人と二舞台もできないよな、とウンウンと頷く。

 「演目は何なの?」

 「夜は大人たちが多いから、〝レ・ミゼラブル〟。昼は近くの施設の子供たちや、小学生たちを招待しているから、〝ヘンゼルとグレーテル〟っていう童話をする予定」

 「大翔はどっちするの?」

 「俺?俺はヘンゼルとグレーテルのヘンゼル」

 「じゃぁ、今オーディションしてるのって…もしかして?」

 「ああ。妹役のグレーテル」

 「それ、私もやっていみたい!」

 レ・ミゼラブルはどの役も重要だし、高い演技力が必要。だから私みたいな大根役者に務まるわけないけど、ヘンゼルとグレーテルならできそう!そんな軽い気持ちだった。見に来るのは子供たちが多いと言ってたし、みんな知ってる話だから、そんなに高い演技力なんて必要ないはず!

 なのに私のその言葉に一瞬奇妙な間を置く大翔。

 「…。え、いや、でもほら…芳乃って仕事忙しいだろ?」

 「うちのマルさんを舐めないでよ!」にやりと笑う。「敏腕マネージャーよ?お世話になった人に恩返しするためなら、例えどんなに厳しいスケージュールだとしても調整してくれるわよ!」

 「……。いや、ほら、それにさ、小鳥遊さんと共演だぜ?芳乃、嫌がってたじゃないか」

 「そりゃあ本音を言えばいやよ?でも〝親子共演〟なんて話題性高いから、いっぱい取材来るに決まってるでしょ?私おじさんにはとてもお世話なったんだもの。恩返しのために大人になるわ!」

 取材陣がたくさん劇場に押し寄せて話題にさえなれば、共演する大翔だって注目されること間違いなし!きっと再度テレビの業界へと戻ってこられる道筋になるはず!あの女と共演するのは癪に障るけど、我ながらいい案だわ!

 「あ、え…うん…。いや…でも…」

 大翔にしてはそれでもまだ歯切れの悪い回答が続く。一体どうしたというのだろう?

 けれど迷っていた大翔は「よしっ」と何かを決心し、私の肩をぐっとひっぱる。

 「実は、ここだけの話、ど~しても一緒に共演したい奴がいるんだ!」大翔の口から思ってもいない言葉がでてきて、今度はこちらが驚いた。ど、どういうこと?「なんの演技指導も受けてないのに、アイツはなんていうか、一言でいえば天才なんだよ!何度も何度も共演の誘いを断られていたんだけど、今回だけはなぜかいいよって言ってくれて…。だから親父に頼み込んで最終オーディションに捻じ込んでもらったんだ!俺はアイツの演じるグレーテルを見てみたいし、俺自身アイツと同じ舞台に立って同じ景色を見たいんだ」

 そう頼み込んでくる大翔に私からこれ以上言えることなんて何もない。ただ大翔にそこまで言わせるまだ見ぬその人物に無性に嫉妬した。

 「で、でも、その人が合格する補償なんて絶対とは言い切れないでしょ?」

 「いや、絶対に合格する!アイツ以上に演技の才能があるやつも多彩な表現力も持ったやつも俺は今まで見たことがないんだから!」

 目を輝かせてそう力説する大翔になぜだか無性にむしゃくしゃした。

 「じゃ、じゃあさ、オーディションの様子はこっそり見させてよ。大翔がそこまで言う子なんて初めてだし…。そんなに天才的な演技をする子なら、私だって勉強のためにみたいし…」

 だから少しでも大翔を困らせたくてそういった。

 「あ、それなら別に…大丈夫だと思うけど…。たださ、芳乃は有名人だからさ、隠れてみるって約束だけはしてくれよ?」

 あからさまにホッとした表情を浮かべる大翔に私の胸は抉られる。

 悔しい、むかつく、イライラする。そして何より悲しい…。

 「でも、その子って一体どんな子?」

 だからせめてその嫉妬する相手が大翔と同性であることを願う。

 「う~ん。いつも髪の毛バサバサしてる」

 髪?寝癖がひどいってこと?それだけじゃ分からない。

 「他には?」

 「他?う~ん。服も、おさがりばっかりだし…」兄弟がいらっしゃるのね。「あ、声の幅が広い。ソプラノからアルトまで。アイツ、歌手でもいけるかも。今度ミュージカルも誘ってみるか…」

 声の幅って確かに魅力的。演じられる役も、演じられる幅も広がるもの。

 「あ、あと、俺たちと一緒だぜ!」その人物を思い浮かべながら色んな表情を見せる大翔にただでさえ胸が締め付けられる思い感じていたのに…。「名前がな〝ミキ〟なんだよ!俺たちと一緒のミキ。漢字は変わってるんだけどな」

 その声にガツンと頭を鈍器で殴られた鈍い痛みを感じた。

 私と大翔の唯一のお揃いの繋がりが、見ず知らずの人物にもあるなんて…。ドロドロした得体の知れない感情が沸き上がってくるのを感じる。


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴り響く。

 「お前も教室戻れよ」

 再度大翔に頭をポンと叩かれたけど、嬉しくなかった。その場から動くことができないくらい、心に大ダメージを追っていた。

 「放課後、迎えにいくから~」

 大翔の声は空しく頭の中で響いていた。


*****

 

 マルさんの運転で、私たちは学校を出発した。

 『マネージャーを芳乃の使用人みたいに使うなよ…』

 学校を出るとき迎えに来たマルさんを見てため息交じりに大翔は私を咎めた。

 『大翔君ってば優しいわね。でも、知らないところで自由に振舞われても困るからね。私は監視役よ』


 久しぶりに来た劇場はなんだか思い出のものよりも色褪せて見えた。

 「ちょっと待ってろ」そう言って大翔は隣のビルに駆け足で向かっていった。事務所に何か用でもあるのかな?私が見に来たっておじさんに報告しに行くのかな?

 私の感情はあのチャイムの前から変わらず、ずっとモヤモヤしたままだった。


 「何かあったの?」大翔の背中を見ながらマルさんは私に優しく問いかける。長年一緒にいるから、ちょっとした感情の変化にもすぐに気が付く敏腕マネージャー。さすがだな、と感心する。

 「いや、別に」

 「所属事務所のタレントの健康状態は逐一把握しないといけないのは、美姫も分かっているでしょう?」決して咎めることなく私に諭すマルさん。「それから予定にない外出はもっと早く連絡してきなさい」


 「ほら、お待たせ」しばらくしてから、大翔が戻ってきた。大翔は私とマルさんの空気が微妙なことに気が付かない。なんて鈍感なんだろう…。「一応有名人だからな」

 大翔が事務所に取りに行っていたもの。それは昔、私が初めてバレンタインの時に彼に贈った帽子だった。まだこれも持ってくれていたことに心がジーンと温かくなる。そして「ほいっ」と強制的に被せられたその帽子からは大翔の優しい香りがした。こんな時でも鼓動が早打ちする私って、本当に重症だと思う。

 「それ被ってろよ。顔さすと後々やっかいなことに巻き込まれるかもしれないし…。じゃ、二階の一番後ろの席で静かに見学しとけよ?話は通してるからな!」

 大翔は足早に裏口の方へと去って行った。


*****


 マルさんと二階へと足を進める。余程のことがない限り、舞台上でオーディションをしている受験者たちが上なんて見あげることなんてないだろうけれど、それでも大翔の言いつけ通り帽子は深く被ったまま腰掛ける。

 舞台の上には四人の女性が立っていた。そして彼らの前にはおじさんを含め数人の大人たちが腰掛けている。彼らが受験生の演技を審査するのだろう。なぜだか大翔の姿をそこに確認することはできなかった。

 「オーディションに残ったのってこれだけなのね…」

 マルさんの声に我に返る。そういえばあまり詳しく彼女に説明していないんだった。

 「今日が最終日なんですって。で、あの人たちのうちの一人は大翔のお気に入り・・・・・の受験生だそうよ…」

 私の回答にマルさんから強い視線を感じた。きっと何かを察したのだろう。けれど、私はそれに気が付かないふりをして舞台を見る。舞台に立っている女の子たちのうち、一番左手に立っている子だけがなぜか私服ではなくてどこかの学校の制服を着ていた。ここからはその女の子の髪までははっきりとは確認できなかったけれど、あの子が〝ミキ〟なんだろうな、と直感で感じる。


 「まずはここまでの長い面接に、今までの演技審査お疲れ様」おじさんの声が聞こえてきた。どうやら最終オーディションが始まったようだ「始めに伝えたいのだが、ここまで残っている君たちは間違いなく最高の役者だ。だから例えこの場で思った結果が返ってこなかったとしても、君たちは役者として成功する。それは長年のボクのカンがそう言っている」

 えらい適当なこと言うんだな、と思った。今までいろんなドラマに出演してきた私は、オーディションで役を勝ち取った人だっていたことを知っている。けれど、どんなにうまい演技をしても、その後一緒に再度お仕事できた人なんて片手で数えれる人しかいない。この業界はよい役者ではなくて、良い運を持った人しか生き残れない。

 舞台に立っている人たちを眺める。二階にいても彼らの緊張がヒシヒシと伝わってきた。

 「今日は本当は一緒に共演予定の三木と、覚えてきてもらったセリフで演技をしてもらう予定だったんだけど…」舞台袖がザワザワしている。本当に何か急な出来事でもあったんだろう。でも、大翔はさっき劇場前で別れたばっかりだし、なんのトラブルがあったのか?「実はね、小鳥遊本人が今劇場に来ていて、実際に君たちと演技して、君たちの演技を審査したい、と言っているんだ」


 はっとマルさんを振り替える。マルさんは両手を挙げて首を振っている。どうやら彼女も、あの女がここに来ていることを知らなかったようだ。

 舞台上はザワザワしていた。審査員の一部の人たちもどうやら知らなかったようだ。

 「え、本当ですか?」

 「え、そんな会えるなんて…」

 「き、緊張が…」

 でも、その騒めきも、カツンと嫌味なヒールの音が舞台いっぱいに響き渡ると同時に、静まり返った。

 あの女が舞台の袖から現れた。二階にいてもその存在はヒシヒシと伝わってくる。本人はただ単に歩いているだけなのかもしれないが、威圧という名のオーラが存分に醸し出されている。

 「おはよう」

 たった一言の挨拶。遠くから見ている私の背筋もビシっと正される。

 「「「「おはようございます」」」」

 四人の声が舞台いっぱいに響き渡る。この距離ですら威圧がすごいのだから、同じ舞台に立っている彼女たちは何百倍も感じているのだろう。

 「よし乃ちゃん、今日はありがとう」

 一気に緊張感が高まったこの舞台に、呑気なおじさんの声が響く。けれどそれでも和むことはないこの緊張感。わが母ながら、その圧倒的な存在感に感動する。

 「ふふ。皆?そんな、かしこまらないで」ふわりと笑う母。母が何をしたのかは二階からは見えなかった。けれど次に言葉を話す母の姿からはあの強烈な威圧感が急に消え去ってしまっていた。「もし、このオーディションに受かったとしても、きっと私と一緒に稽古できる時間は少ないと思う。私と会うたびにそんなに緊張するつもり?もしね、あなた達の感じている緊張感を客席に少しでも感じさせてしまったのなら、それはプロとして失格よ」

 母のそんな言葉に、誰かがゴクリ、と生唾を飲んだのが聞こえた。こんな遠くまでそんな小さな音が聞こえるはずもないのに…。もしかしたら、その生唾は私のものだったのかもしれない。だって、このオーディションに参加していない私の鼓動でさえもドキドキと早く鳴り響き、とても大きく大きく聞こえてくるのだから。

 「私ね、先ほど皆さんの書類を少し拝見したの。色んな舞台で活躍されている方から、全く演技経験のない方まで」そう言いながら一度舞台から降りて、受験生四人たちと真正面から向き合う。「とても面白い経歴の方ばっかりで、私びっくりしたのだけれど、皆さんに一つ質問があるの。少しだけお時間いいかしら?」

 母はそう言って後ろに腰掛ける審査員たちを見つめる。皆首を縦にふり、おじさんにいたっては、「気のすむまでどうぞ」なんて答えていた。

 「まず一番右の、工藤奈津美さん」

 「は、はい!」

 急に名を呼ばれた工藤さんは、少し口がどもりながらも母の問いかけに答える。

 「素敵なお名前ね」

 「あ、ありがとうございます。祖母がつけてくれた名前で、芸名も本名と同じです」

 「ご家族とは仲はいい?」

 「あ、はい。ごくごく一般的ですが仲は良いほうだと思います」

 「そう、ありがとう。次…」

 どんな質問かと思ったら、そんな腑抜けた質問ただ一つ。心を引き締め直していた受験生たちも、そんな他愛ない問いに少し戸惑っている様子だった。

 「松本ひとみです」

 「ひとみさん、ね。あなたお名前がひらがなだったけど…」

 「ほ、本名は漢字一文字で〝瞳〟なのですが、柔らかいイメージを持たせるために、芸名はひらがなにしています」

 「そうなのね…」そして母は先ほどと同じ質問をする。「ご家族とは仲はいい?」

 「はい、仲の良い家族です。が、母親はこのお仕事に少し肯定的ではないので…。早く安心させたいと思っております」

 「ご立派ね。ありがとう」

 本当に母はこれだけのことを全員に聞くつもりのようだ。自分の家がギスギスしているから、周りもそうであってほしい、と願っているのか?それとも、大翔が私がこの劇場に来ていることをあの女にチクりでもして、私にあてつけるようにこの質問を繰り返しているだけだろうか?家族に恵まれていないと幸せな演技はできない、とかなんとか。

 「お次の方は…」

 「カルロス・マリアです」

 母の声に答えをかぶせる女性。気の強い人なのかしら?

 「ご家族に外国の方が?」

 「はい。名前とギャップがあって、見た目はTHE・日本人ですけど、父親はペルー人のハーフです。本名はカルロス・マリア・愛子。セカンドネームの愛子の字をとって芸名にしました」

 「そうなのね。美しいお名前だわ。あなたもご家族とは…?」

 「はい、仲は良いほうだと思います。私には実の兄弟以外にも、腹違いの姉妹もいますが、皆仲良しです。少し驚かれるかもしれませんが…」

 「それは確かに驚きだわ…」声音は変わりはなかったけれど、表情に変化はあったのだろう。カルロスさんの顔が少し赤く染まったのを見て、そう感じた。「でも、羨ましいな、と思うわ。本当よ?」

 そして最後の左端に立つ制服姿の女の子に向き合う。

 「あなたのお名前は…」

 「大山美鬼です」

 緊張しているのか、それとも感情がないだけなのか、母の声に怖気もせずに淡々と名前を名乗る。やはり私の直感通り彼女が〝ミキ〟だった。

 「楽屋でお名前の漢字を拝見したのだけれど…、少し変わっていらっしゃるのね」

 初めて見せる母の戸惑いの声。ミキという名に珍しい漢字が使用されているって、それは一体どんな文字なのだろう?

 「〝美しい鬼の子〟という意味らしいです。苗字はお寺で私を見つけてくださったおばあさんの名前をいただきました」

 「そう、ごめんなさいね。でも、教えてくださってありがとう」

 「私は施設育ちですので、家族というものがよく分かりません。でも、もし、施設の兄弟を家族と呼んでも問題ないと仰っていただけるのなら、私たちは喧嘩もあるけれど仲の良い、幸せな家族だと思います」

 美鬼は思った以上に苦労しているんだな、と私はぼんやりと思っていた。けれど、例え血が繋がっていなくても幸せを感じているだけこの女はマシじゃないか、と鼻で笑う。私はあの女と血はつながっているけれど、幸せに感じたことはない。むしろ苦痛。仲も良くない、私たちの関係はお互い無関心の他人同士のようなもの。なのに、そんな孤独の中の私に唯一の幸せを与えてくれる大翔。彼の隣の席をこの女がとろうとしている。私にとってもこの女は盗人で、鬼のような存在。ああ、名前の漢字にピッタリじゃないか、と考えていた。

 「私がなぜこの質問をあなた方にしたかというと…」母は再度階段へと足をかけ、舞台へと登り始める。「あなたがたに演じてもらうのがグレーテルだから。貧しくも仲の良かったはずの家族に、飢饉が訪れる。そして両親に捨てられるのよ…。ヘンゼルと森の中を冒険し、お菓子の家を見つけ、魔女に騙され、でも兄を思ってその魔女を倒し、結果家に戻ることができたグレーテルは、それぞれのシーンでどう思い行動していたのかしら。子供たちに分かるように、けれども決して怖がらせることなく、様々な感情を演技しなければならない。簡単に見えて、とても技術力のいる役なのよ。いい?苦痛も、幸せもどちらも知っている人ではないと、グレーテルの表面の演技しかできないと私は考えているの」

 母は一番右で微動だにしない工藤さんのもとへ歩み寄っていく。

 「監督に伝えられたシーンは3シーンよね?おそらく殆どがヘンゼルとの会話の場面だと思うわ。私は魔女役ですけれど、今からヘンゼル役も同時進行させていただきます」そして、残りの三人の方へ振り返る。「それでは、工藤さん以外の皆さんは舞台から降りて頂いて、私たちの演技を見てくださるかしら?審査とか忘れて、観客としてこの3シーンの舞台を楽しんで」


*****


 演技審査の最終の3シーン。

 最初のシーンは、両親が『子供たちを山へ捨てよう』というのを耳にしたグレーテルがヘンゼルに問いかける場面。

 『お兄さん、お兄さん!私たち本当に捨てられてしまうの?』


 次のシーンは、腹をすかせ森の中をさ迷っていた兄妹がお菓子の家を見つけるシーン。

 『小鳥さんがいなくなってしまったわ…。あら?お兄さん、でもなんだか良い匂いがしない??』 

 『グレーテル。かわいそうに…。お腹をこんなにも空かせてしまって幻覚でもみてしまっているのかい?』

 『違うわ、お兄さん目を開けて、しっかり見てよ!ほら!このお家の壁はフワフワのカステラよ!お家の屋根は甘い香りのするチョコレートで、窓のガラスは氷ざとう!ここにはクッキーが!あら、ここにはドーナッツ!お兄さん、よく見てみてよ!このお家はどこもかしこもお菓子だらけ!全てお菓子でできているの、まぁ、なんて素敵なのかしら!』


 そして最後のシーンは、

 『ほら、他の事はもういいから、お前はパンが焼けるかどうか、かまどの中へ入って火かげんを見ておいで』

 『かまどにどうやって入るのか分からないわ…』

 『本当に、お前はバカだねぇ。こうやってちょっと体をかがめりゃ、誰だって入れるじゃないか』

 この会話の後に、人食い魔女をかまどに突き飛ばすシーン。



 「いい?監督がOKを出すまでが演技よ。それでは初めのシーンから始めましょうか」


 こうして、オーディション最後の演技審査が始まった。


 初めは工藤奈津美。


 『お兄さん、お兄さん!私たち本当に捨てられてしまうの?』


 ヘンゼル役をしている母にしがみつき、声を絞り出す。けれどその声は可憐に舞台いっぱいに響き渡っていた。

 彼女はきっと舞台経験が豊富なのね、と私はここで一発で見抜いた。大げさに舞台いっぱいに使って悲しむ演技を続ける彼女。けれど全く嫌味を感じることなく、グレーテルの悲しみは二階の奥で腰かけている私にまで伝わってくるものだから、彼女の演技はうまいな、と私は素直に感心する。

 しかしながらたもったいないことに、何故かお菓子の家を見つけたときの嬉しさを表現するときは、悲しみと違って棒読みの演技感がかなり伝わってきたし、魔女を突き飛ばすシーンは母が急にオーラを放ち、グレーテルを威圧する演技をするものだから、どんどん口がどもってしまい、彼女のセリフが二階にまで届くことはなかった。


 二人目の松本ひとみ。

 彼女は私と同じで、舞台よりもテレビや映画の女優として演技稽古に励んできていたのだろう。工藤さんと比べると全体的に演技が小さく、遠くで見ている私にはどの感情も伝わってこなかった。ただ、目をつぶって彼女の声にだけ耳を傾けると、ハキハキとした彼女の声に引きまれていくものを感じた。声色の演じ方は誰よりもずば抜けていた。だからこそ、細かな彼女の演技は舞台では引き立たず、もったいないな、と残念に思ってしまう…。


 三人目のカルロス・マリア。

 この子の魔女を突き飛ばすシーンは誰よりもピカ一だった。

 『かまどにどうやって入るのか分からないわ…』

 なんてオドオドしている演技の時から、私は何か胸にハラハラするものを感じ、

 『こうやってちょっと体をかがめりゃ、誰だって入れるじゃないか』

 と、魔女の言葉の後に、躊躇うことなくかまどへと突き飛ばすシーンにはどこかスッキリしたものを感じた。彼女と一緒になって悪者を退治したかのような爽快感。これが舞台に引き込まれる演技か、と納得する。

 ただ工藤さんと違い、最初のシーンの悲しみはあまり強く伝わっては来ず、松本さんとも違い、それぞれのシーン別の声色の分け方が雑だと感じた。

 でもまぁ、子供たち相手に演技をするのだから、そんなに強く悲しみの演技が伝わる必要なんてないか、なんて勝手に審査員気取りになり始めた。


 「どう?」マルさんが問いかけてきた。「やっぱりどの子も最終まで残るだけあって上手ね…。それにしても、美姫が他人の芝居をこんな風に見るって初めてじゃない?」

 確かにマルさんの言う通りだ。これまで、仕事のお付き合いで映画だけでなく、舞台やミュージカルを見に行ったことは多々あった。けれど、こんな風に人を審査するように演技なんて見たことなんてなかった。いつもその演目を観客の一人として楽しんでいただけだったから。

 立場を変えて人の演技を見て、また他人と比べてみる、となると、例えどんなに上手な演技だとしても、多少の粗が大きな欠点であるかのように目に入ってしまうのだな、と少し勉強にもなった。

 「私、とっても大事な過程をすっとばして、こんな所に来てしまったのね…」

 母の名前を使って特に何の努力もせずに売れてしまったから、私は人と自分の演技を特に比べることなく、ここまで来てしまった。やはり、自分ももっと演技に向き合うべきなのか?でもその考えが頭を過る度に父の『ごめんね』の声が空しく聞こえてくる。そして私にやっぱりストッパーをかけてしまう。

 これ以上、演技にのめりこみたくない。父のように、思った演技ができないことで苦しみたくない。誰かを傷つけてしまうなら、母のような演技が上手な人間になんてなりたくない。

 「私ってホント情けない」

 そう呟いた声はマルさんには届いていなかったらしい。「次の子でラストね」なんて呑気に言葉を落としていた。再度目線を舞台へと戻す。

 舞台上にはカルロス・マリアに代わって、大山美鬼が立っていた。他とは違い制服だからすぐに分かる。


 - 大翔が共演したいとおじさんに頼んで、無理やりオーディションにねじ込んだ女…


 きっとこの最終まで共に戦ってきた三人も、この子は誰?となっているに違いない。私が陰で嫌味を言われた時と同じで、きっとこの子も『コネのくせに…』と愚痴を言われる人生が待っているのだろう。そう思い、心の中でこの女を馬鹿にしていた。


 でも馬鹿だったのは、私だった。


 彼女は舞台の上で突っ立っているだけだった。

 でも、『スタート』とおじさんが声を出さなかったのは、声を出す間もなく既に演技がスタートしていたからである。そう、彼女もまた演技を始めた途端に、あの女と同じ存在感あるオーラを放った。ただ、それは威圧するものではなくて、ただただ全身から湧き出てくる悲しみだった。まだセリフを何も放っていないのにも関わらず、その舞台の上に姿があるだけで、今彼女は悲しんでいる、と分かるのだ。演技なんかじゃない。圧倒的な表現力。

 『お兄ちゃん…』グレーテルはヘンゼルの肩を揺らす。まるで今耳にした言葉は本当に自分たちの両親の口から出てきたものなのかと確かめるように。ヘンゼルはそのグレーテル手に優しく触れる。『お兄ちゃん…』グレーテルのわずかに震えた声で、私の体もぶるっと震えた。どこからか風を感じて、寒いとさえ思ってしまった。

 ヘンゼルは優しくグレーテルに寄り添う。言葉は話さなくてもその姿は〝僕が守ってやるから〟と言っているように思う。両親に捨てられる…。そのことが発覚した悲しいだけのシーンに、なぜだか少し兄妹愛が見え隠れするのだ。『私たち本当に捨てられてしまうの?』


 おじさんの「OK」という声が空しく劇場に響き渡る。

 誰も言葉を発さない。たった数秒の演技なのに…。なのに今ここにいるものたちはみんな審査を忘れて見入ってしまった。二人で演じられたヘンゼルとグレーテルの世界に。

 パチパチパチ

 まばらに拍手の音が鳴りだした。前三人の時には鳴らなかった音。それほどまでに美鬼の演じるグレーテルは他の女優たちとは明らかにレベルを超えたもので、圧倒的だった。

 「すごい…」

 自分のそう落とした言葉に我に返った。自分も無意識のうちに拍手を送っていたのだ。大翔の認める女の演技に、私も知らず知らずのうちに感動を覚えていた。


 次のシーンは、グレーテルがバタンと舞台の上に倒れたところから始まった。

 空腹でもう耐えきれなくなったのだろう…。その前のシーンを見ていなくてもなぜだが素直に演じられている場面を理解することができた。

 『小鳥さんがいなくなってしまったわ…』

 まるで死を悟ったみたいだった。ゆっくりと手を空にあげ、小鳥を探すグレーテルに私は何かが込みあがってくるものを感じる。

 けれど、『あら?』と急に少し声色が変わるグレーテル。ゆっくりと起き上がり、近くの木の幹で力尽きた様子で足を放り投げ座っているヘンデルに声をかける。『ねぇ、お兄さん?なんだか良い匂いがしない??』 

 ヘンゼルは力なき手でグレーテルを引き寄せる。

 『グレーテル。かわいそうに…』ヘンゼルもお腹を空かせている。力なき声で、それでも妹の事を思って、優しく抱きしめる。『お腹をこんなにも空かせてしまって…幻覚でもみてしまっているのかい?』

 グレーテルはヘンゼルを抱きしめ返す。けれども、兄の腰かけている幹の奥に何かを見つけ、はっと立ち上がる。グレーテルの心が躍り始めるのを感じ、見ているこちらまでワクワクしてきて笑みがこぼれ始めた。

 『違うわ、お兄さん目を開けて、しっかり見てよ!』そう言って、奥を指さす。ヘンゼルも振り返りその方向を見るが、まだ幻覚をみていると思っているのか、何度も何度も目をこする。一方でそれ・・を発見したグレーテルは喜びという感情のおかげで、少しずつ体に力が戻っていく。そしてヘンゼルを引っ張って、それ・・の方まで兄を引っ張って連れていく。

 『ほら!このお家の壁はフワフワのカステラよ!お家の屋根は甘い香りのするチョコレートで、窓のガラスは氷ざとう!ここにはクッキーが!あら、ここにはドーナッツ!お兄さん、よく見てみてよ!このお家はどこもかしこもお菓子だらけ!全てお菓子でできているの、まぁ、なんて素敵なのかしら!』

 こちらにまで焼きたてのお菓子の甘い匂いが漂ってくるようだった。グレーテルが一つ一つ指さし、時にはそれを口に含んで、美味しい、と頬を緩ませる度に私もヘンゼル同様に目の前に見えるお菓子の家に心が躍り楽しくなっていく。

 

 「OK」

 今度のおじさんの声は明るかった。そして最初のシーンよりも大きな拍手が劇場を包み込む。もう、最後のシーンの演技を見なくても問題なかった。審査員の誰も異論はなく、彼女で満場の一致だった。加えて、あろうことか同じように最終演技を披露していた受験者の三人も立ち上がって、美鬼に拍手を送っていた。この場にいる全員が彼女の演技を讃えていた。

 そうか…。例えコネだとしても、例え他人が羨ましがる違うルートからチャンスを掴んだとしても、こんなにも才能が圧倒的に違うとやっかまれることなんてないのか…。

 「あなた、演技はどこで覚えたの?」

 母の興奮する声が二階まで響き渡ってくる。そらそうだ。だって、他の人と演技しても、グレーテルと小鳥遊よし乃、のシーンが、美鬼と演じている時だけ、本当にヘンゼルとグレーテルに見えたんだもの。それほどまでの圧倒的な演技、表現力。共演していて興奮しないはずがない。


 - あぁ。だから大翔も彼女と共演したがっていたのか…


 「劇団フルールの夏の企画に、幼いころ私がお世話になっている施設の子供たちも招待してもらったことがあるんです。その時演じられていたのが〝氷の女王〟で…。あれ以来演技にはまってしまって…」


 美鬼の実力に完敗を認め、あんな表現力を持っているなら大翔が共演したがるのも無理はない、と納得した直後だった。あの女の問いにそう答える彼女の声が耳に入り、今度は怒りがフツフツとこみあがってきてしまった。


 - そうか、そうだったのか…


 ずっとずっと堪えていたはずの涙が頬を伝わるのを感じた。


 「施設の兄弟たちに、絵本を読み聞かせする時とかに、見よう見まねであの時の小鳥遊さんの演技を真似をしていて…。答え合わせをしたかったんですけれど、あれ以来夏の企画以降長い間出演されなくなってしまったので…。ですので、私なりに考えアレンジしながら色んな役で兄弟の前で演じるようになったんです。少しでも施設での思い出を良いものとして残してほしいという、その一心で!そんな時、たまたま大翔君にこのオーディションのことを教えてもらって…それで…」


 母と美鬼の楽しそうな声なんか聞きたくなくて、私は席を立ち「マルさん、帰ろ」と呟いて外に出る。

 そっか、やっぱり…。やっぱり、母にも大翔にも認められたあの美鬼って女は嫌いだ。

 だって美鬼が目を輝かせて話す〝氷の女王〟という舞台は、あの夏の日、父の通夜も葬式もすっぽかして、あの女が演技した演目。私が孤独で心病んでいた時に演じていた忌々しい舞台。そんな私が苦しんでいるときに、あの女の演技に目を輝かせ、そしてその演技の才能を磨き続けていただなんて…。ああ、美鬼なんて殺してやりたい。お門違いだとは重々承知してはいるが、やはりそれでも心の底から恵まれているこの美鬼という女を恨む。

 役者なんて大嫌い。憎い。この世からその職業なんてなくなってしまえばいいのに…。


 「芳野」

 階段を勢いよく降りて、劇場を出ようとしたときに、大好きな声に呼び止められた。さっきまでどこにもいなかったのに、一体どこであのオーディションを見て、一体どう思っていたのだろうか。

 「大翔があの子に夢中になるのが分かったわ」

 悔しい。一緒に共演したい、と私が欲してもその言葉を言ってくれたことなんて今までないのに…。親に捨てられてもなお、周りに愛されて過ごしてきたであろうあの美鬼という女が、心の底から憎たらしい。

 涙で濡れた顔を大翔に見られたくなくて、私は振り返らずに言葉を紡ぐ。

 「でも、あんな圧倒的な演技、大翔なら食われるんじゃない?だったら無難に…」

 自分と共演したらいいのに、なんて言えなかった。誰よりも、大翔の努力を知っているから、彼がどれだけ役者の高見に行きたいのかも知っているから…。だからこそ簡単に私と、だなんて言えるはずもなかった。

 「だよな、俺ホントまだまだなんだ。だから、小鳥遊さんと美鬼の下でもっと稽古をつけて、もっともっとうまくなりたい」

 名前が一緒で恥ずかしいから、なんて言って私の名前を一度も呼んでくれなかった大翔。なのに私と同じ名を持つあの子はその名を呼んであげるのね…。


 もう辛いとか、憎いとか、そんないろんな感情が胸の中でぐちゃぐちゃにかき混ざりあい、気持ち悪くなってきた。いっそのこと胃の中のものを全部吐いて楽になりたかった。


 ああ、そっか。きっとパパはこんな気持ちだったのかもしれない…。


 ドラマや映画での母の演技姿を画面越しに見るたびに、舞台やミュージカルで母の表現力を見るたびに、一番近くにいるはずの自分とあの女の才能の差に悩み、苦しみ、惨めに思っていたのかもしれない…。


 「早く、共演者のそばにいってあげなよ」


 タイミングよく目の前に止まったマルさんの車に急いで乗り込む。

 「大翔君と話さなくてもいいの?」

 マルさんの言葉に力なく頷いて、「だして…」と呟いた。

 

 「パパ、わたし、これからどうすればいいの?」


 これ以上演技にのめり込みたくない。だって、やっぱり私の家族をめちゃくちゃにしたこの仕事が嫌い、憎いって、この職業が存在しなければいいのに、って呪いたいほど嫌忌してるんだもの。


 でも、どんなに忘れようと思っても、バックミラー越しに不安げにこちらを見ている大翔を見つけると、胸が鷲づかみされたように痛くて、辛い気持ちになる。彼に嫌われたくない…。帰ったら、今日大翔から指摘があった部分の芝居の稽古をしなきゃ…。


 大好きな人に認められたい。でも、でも…。いろんな思いが交差する。

 ねぇ、こんなことなら大翔と出逢いたくなかった。好きになんてなりたくなかった。


 ふと頭の上から大好きな大翔の香りが漂ってきた。帽子を返し忘れた、とその時気づく。この帽子を車の外に投げ出すと同時に、大翔へのこの感情も捨ててしまおう、と考え窓を全開にする。けれど、二人で過ごした思い出が走馬灯のように駆け巡り、この思い出のある帽子を投げ捨てることなんてできなかった。


 ねぇ、なんで私ではなくてあなたなの?あなたがいなければ、私は今も大翔の隣で何事もなく笑っていられたかもしれないのに…。


 「マルさん、私、辛いの…。もう全部どうにかなっちゃえって放り出したくなるくらい、辛いの…」


 

 演技の才能のない二世女優である私、美姫は、元子役として活躍していた大好きな大翔が認める、天才肌の美鬼に嫉妬し、その存在を憎まずにはいられなかった。




 -FIN-

 

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