5話目 教授は突然に
高木くんのエプロン間違えてたので直しました。
皆が床を拭いているところ、唐突に、漆部屋と続き部屋である教授の部屋のドアが勢い良く開いた。
「さあ、課題は出来たか?」
その男は、皆が床にへばりついているという奇異な光景には目にもくれない。
40歳前半ぐらいだろう背筋の伸びた若作りのダンディーな紳士だ。
「課題って········何でしたっけ?黒島教授······」
一週間ぶりに部屋から飛び出てきたと思えば藪から棒にである。
教授の上着のシャツは大きな花がらのアロハシャツのような出で立ちで、それでも何故か妙に品がある。
「言ってなかった?塗りの実力を測るため来週までに提出させようと思ってたんだけど」
「「「何をです!?」」」
教授はきょとんとして自分の部屋に戻ると小さな木の板(手板)を持ってきた。
「だから課題····、なんだ、こっちにあったあった····これに本塗りまで仕上げてさ、俺が採点するから。
全学年の人やってね。
そうそう、毎年やれば後で自分の成長が分かって面白いからな」
黒島教授は、ほいほいとメンバー一人ずつに手板を渡していく。
そして、なめこ川のところであれっと止まる。
なめこ側の手には既に曽根から渡った手板がある。
教授は再び持っていない状態の曽根に気づくと手板を渡しに戻る。
「ありがとうございます♪」
曽根は教授から二度も手ずから貰って嬉しそうだ。
「よし、みんなに渡ったな。じゃ、提出は来週な」
来週!?
漆部屋は凍りついた。
大変に唐突で急な話だ。
人数が揃っていたからか、教授は珍入者なめこ川に疑問を抱く間も無く満足したようだ。
生徒の顔一人一人は覚えていないのだろう。
ふいに教授の部屋から洗濯機の終了のブザー音が鳴った。
「じゃあな〜」
そして教授はまたいつ開くか分からないドアを重く閉じるのであった········と、
「あ、そうだ高木」
「はい?」
「お前のが俺の洗濯物に混じってたぞ」
教授は閉じかけたドアを再び勢いよく開け、高木に握ったエプロンを突き出した。
「洗っといたから」
黒くシックで高木らしいデザインだ。
「あ、そちらにありましたか。ありがとうございます」
教授には極めて礼儀正しい高木は一礼して受け取った。
教授はもうドアを閉めていた。
「「「·········」」」
皆、どう突っ込もうかと思案しているのだろう。
「先生·······洗濯機、持ってたんだ」
海府は大学院1年生で4年間のほとんどをこの部屋で過ごしてきたので、続き部屋の洗濯機の今更の存在には驚いた。いや、もしかして新品で導入したばかりなのかもしれない。
そもそも教授が大学の経費で購入できるのは研究で使う名目の品だけのはずである。
洗濯機は漆芸に必要な物品だろうか?
ドアの隙間からいつもチラリと見える教授の部屋は、スタイリッシュというかアーバン的というか、いかにも独身貴族男性の悠々自適な一人暮らしといった風情で、とにかく漆部屋とは別世界のハイレベルな異空間が広がっているのであった。
教授はかなりの時間を部屋に詰めているようで、実はそこに住んじゃっているのかもしれない。
そう思っても、課題提出や質問で部屋を訪れる度に留守なのはどうしたことか。
こんなミステリアスな先生だが、漆芸界では名の通った著名な漆芸作家だったりするなんて本当に意外である。
「はあ、······なんで高木のエプロンが先生の洗濯物に混じってるのよ」
曽根は超不機嫌だった。
そこへ海部は不思議そうに話す。
「そういえば、高木くんちょっと前から可愛いエプロンしてるの不思議だったのよ」
「これ?俺のやつ無くしたからそこら辺の落ちてたやつ借りたんだよ。卒業生が置いていった物の山があるだろ。俺の自前はこっちの黒いやつだ」
どうりで今高木は不釣合いなエプロンを巻いていたが、さっさと自前のに取り替えている。
最近の芸術系分野を志す女性人気の波にもれず、日本の伝統工芸を学ぶことを目的に作られたA大学総合造形コースも、女性が多くなっている。
希少な男性は、体力を活かした体育会系ともいえる金工かガラスを専攻する傾向がある。
漆工芸は室内の作業台の前で延々とちまちま作業しているせいか、文科系というか地味なイメージで男性に倦厭されてきた。天然の樹液を使う為、気温室温の管理が難しくデリケートなので冷暖房完備の教室があてがわれている。
というわけで、心がもはや乙女の女装男子曽根を除けば高木の存在はここでは珍しいものだった。
しかし、実際に漆の産地で漆器製造業に従事しているのは男性が圧倒的に多い。職人の妻が仕事を手伝うことはあるが、日本の伝統工芸は古くからのスタイルを重んじる風潮が強く、現代になっても男性の仕事といったイメージが払拭し切れていない。
そういった現状からなのか、黒島教授は高木に特に目をかけているようなふしがある。
本人も気づいていない様であからさまではないが、時折、男同士の連帯感なのか妙〜なムードが流れている。
黒島教授こそもしやゲイなのでは??時折そういう生暖かいものを感じてしまうのである。
曽根はイライラが止まらなかった。
改めて言おう。
なぜ、黒島教授の洗濯物に奴のエプロンが混じっている?
教授には極めて礼儀正しく爽やかな好青年の高木。
ずるい。
男なのにズルい。
脳裏には、教授の部屋のミニキッチンで調理していたエプロン姿の高木が振り返ると教授も笑いかける、新婚夫婦のような光景が目に浮かんで消えた。
(畜生め)
曽根にとって高木は畜生にも等しい存在だった。
やはり彼は『M』であるべきだ。
曽根はその夜、裏山に登り、丑の刻参りの5日目を念入りに行った。
呪いの成就の7日目まであと2日だ。
そして夜空に向かってずっと心に秘めている言葉を叫んだ。
「教授~!!お慕いしております~!!!」
とそこに通りかかった野良ネコに威嚇される。
一方なめこ川は飼い猫を探して今夜も街をうろついていた。
今日完成したお手製の尋ね猫のポスターを電柱に貼っている。
そこから少し離れたところに学校帰りの高木がバイクを降りて様子を伺っている。
高木にとって漆の作業に熱中して帰宅が遅くなるのはいつものことである。喉が渇いて自販機に立ち寄ったら偶然なめこ川を見つけたのだ。
高木は電柱のチラシを見た。辺りが暗くて見えにくい。
「迷いネコ·······ジャン•ピエール?」
ネコの名はジャン•ピエールというらしい。
「ぶっっ、ブッサイク·····」
高木はネコのブサイクな似顔絵を見て笑って、
大仰な名に笑って、
そしてくしゃみをした。
今夜は夜風が冷たい。