恋愛シミュレーションになってみた!
月曜日。19時。
帰宅して、テレビのスイッチを入れる。音量は低めに設定。
音がないのは一人だから寂しい。でも、あまり音量が高いと彼の声が聞こえない。
コンビニで買ったサンドイッチと菓子パン、ヨーグルト、野菜ジュースをテーブルに並べる。
私は疲れている、早く癒されたい。食事をする時間ももったいない。もちろん着替えるのもめんどくさい。仕事帰りのお出かけ着のままテーブルとベットの間に挟まるようにして座る。
ゲーム機のスイッチを入れる。
さあ、昨日の続きだ。早く、早く彼をオトさなくては!!
サンドイッチにかぶりつき、画面を見つめる。
ピンポーン…
軽い音が鳴る。
彼との時間は大事だけど、これは無視できない。だって、私が呼んだからだ。
「はいはーい」
玄関を開くと、見慣れた人が立っていた。
「毎度様でーす。お荷物でーす」
濃い緑に白のストライプ、ところどころに入った黄色も目を引く。猫のマークの緑のキャップ。その下からは赤味がかった軽い茶髪がチラリと見える。襟足はやや長め。
「いつもありがとうございますー。はい、印鑑押しますねー、あ、制服変わりました?」
私は愛想はいい方だと思う。にっこり笑ってシャチハタを出す。
「そうなんすよ。今月から、色変わったんです。」
茶髪の猫さんも、パッチリ二重の目を細めて私に笑いかける。
この猫さんは我が家の地区を担当しているようで、よく来てくれるし、私は仕事以外は引きこもりで通しているネット通販ユーザーなので、週に一回以上は会っている。
ちなみに、この猫さんはなかなかのイケメンだと思う。私は二次元専門だけど。
それに私の好みよりは、ややチャラい。
でも乙女ゲームの中ならば、メインヒーロー級の正統派だと思う。
そんなことを思いながら、伝票に印鑑を押し、茶髪猫さんに返す。
ふと、目が合うと何か言いたげに、迷うような視線を送られているような気がした。
「…あの、どうかしました?」
「…それ、あの、口元に、何かついてます」
ためらうように、猫さんは配送業者特有のしっかりした腕で荷物を差し出しながら言った。
「え?!」
慌てて口元を探る。なんてこった!!
さっき食べてたサンドイッチのタマゴががっつり手の甲についてきやがった!なんてこった!!週一以上で会うリアル正統派イケメンに、こんなことを指摘されるなんて、マジなんてこった!!
「…ふ」
「え?」
「真っ赤ですよ、顔。あ、ハイ、荷物どーぞ」
心の中でなんてこったを連呼しているうちに、赤面していたようだ。慌てて荷物も受け取る。
「…ありがとうございます」
「じゃ、ありがとうございましたー!」
何事もなかったかのように、猫さんはさわやかな春風のごとく去っていった。
やだ!私ったら!イケメンに口元になんかついてるよ、とか、しかも赤面とか、乙女ゲームのヒロインかよ!!
…ふっ、いや、冷静になれ。現実は仕事帰りの疲れた女が、口にだらしなくタマゴサンドの中身をくっつけて営業スマイルで玄関を勢いよく開けたって話だ。
これは私がときめいても、相手はときめかない。
落ち着いた私は、玄関にカギをかけて部屋に戻る。
予定の来客はもうない。これから部屋着に着替えて定位置に戻り、残りのタマゴサンドをほおばりながら二次元彼氏を獲得しなくては。
ちなみに荷物は原画集だ。何の、とは言わない。察してほしい。
火曜日。19時15分。天気がいい。暗くなり始めた道を、私は走っている。
普段運動しない体をなんとか動かし、息も絶え絶えに走っている。
ヤバい、ヤバいのだ。約束の時間に遅れている。これは非常にまずい。
自らが設定した待ち合わせ時間に遅れるなど、社会人としてあるまじき…いや人としてどうか。
アパートの前まで来ると、やはり、もう飛脚のついたブルーのストライプが特徴の車が停まっている!!本当にヤバい!ドライバーの姿は車上にはないから、きっと我が家に向かったんだ!
我が家は3階だ。気合を入れてラストスパート。
階段を駆け上がって勢いよく踊り場を回ると、人にぶつかった。
「わぁっ!」
「ぎゃっ!」
我ながらみっともない声が出たものだ。『ぎゃ』なんて。
こんな時に『キャ!』なんてかわいい声が出せるのは、ヒロインくらいだ。もちろん二次元の。
あ、ドラマとかでもヒロインは『キャ!』って言うか。古今東西ヒロインはかわいい声が出るものだ。私は所詮モブ。
「あ!山崎さん、良かった。会えて」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだ、この人は。
まるで学校の廊下でヒロインとぶつかったあこがれの人みたいなことを言ってくれる。
ちなみに申し遅れましたが、私が山崎です。
「こんばんは。ぶつかっちゃって、ごめんなさい。もう帰っちゃったかと思いました。時間に遅れちゃって本当にごめんなさい。本当に気を付けます、ごめんなさい」
時間に遅れた私は、申し訳ないくて壊れたおもちゃのごとく、何度も頭を下げる。
「そんなに謝らなくても大丈夫ですよ。こちらこそ失礼しました。あ、ポストに不在票、入れちゃいました。捨ててください。荷物は…、ここで渡しても大丈夫ですか?ご自宅までお持ちしましょうか?」
日焼けした笑顔がまぶしい…。
車と同じくブルーのストライプポロシャツ。厚い胸板。180㎝は超えているであろう大柄な彼は、ポロシャツの柄といい、まさにラガーマンといった風体。口元から除く白い歯も、短髪も、好感度が高い。こんなに大柄なのに、いつも腰の低い態度のサービスドライバーの鏡のような人だ。
ちなみにこのラガーマンとも、週に一回は会う仲だ。
「大丈夫です。そんな重い物でも大きい物でもないですし自分で持っていけますから、ここで受け取ります。」
私も得意の営業スマイルで応戦。その場で伝票にサインする。
「ありがとうございます。山崎さん、字、お上手なんですね。いつもハンコだったから、初めて見ました。では、また」
とんでもない口説き文句を投下して、ラガーマンはイルカに乗った少年のごとくさわやかに去っていった。
こんなセリフを、生きているうちに命ある人間から実際に言われて私は本当に幸せ者だ。
今夜はよく眠れる気がする。すごい走ったし。
ちなみに荷物はフリマサイトで買った、抱き枕カバーだ。何の、とは言わない。察してほしい。
水曜日。16時。
夕方特有の懐かしいような空気の漂う中、私は自宅へ向かってゆるゆると歩いている。
私には平日の休みもあるのだ。
両手には、買い物袋。中身は近所のスーパーで買った野菜や牛乳、あと醤油。
ヘビー級の通販ユーザーの私も、食材は店で買う。そして、時折自炊もする。
それにしてもなかなかに重たい。牛乳と醤油と野菜は組み合わせとして重量級だ。醤油は次に回せばよかっただろうか…しかし、いざというとき醤油が切れていては、何も作れる気がしない。
「あ!山崎さん、ですよね?」
ふいに声をかけられ、醤油の必要性の夢想から現実に引き戻された。
そこには水色のポロシャツと紺色のズボンの小柄な男性がニコニコと屈託のない笑みを浮かべている。
キャップの下から見える目の横に刻まれている笑い皺から、日常的にニコニコした人物であることが予想される。
世の中ではそろそろオジサンと呼ばれてもおかしくないだろうけど、この笑顔と小柄な体格のせいで少年の様にも見える。
お察しかと思うが、この男性も宅配業者さんである。お手紙さんとでも呼んでおく。
「こんにちは、あれ?今日何か届いてますか?」
私も咄嗟に笑顔を作る。まさかさっきまで醤油のことを考えていたとは誰も思うまい。
それにしても、宅配業者さんに外で声をかけられるという経験は初めてだ。
「こんばんは。特に今日はお届するものはないんですけど、見知った人がいたからつい声かけちゃいました。」
多分配達先の奥様方を何人もキュンとさせてきたであろう愛らしい笑顔で、お手紙さん。
これは新手のナンパだろうか。ここはときめくべきだろうか?
持っていた買い物袋を持ち直す。
「重そうですね?お買い物ですか?」
たたみかける、お手紙さん。
「そうなんです、牛乳とお醤油買っちゃて、ちょっと重い、です」
なんと答えていいのか、対人スキルはあまり高い方ではないので、もにゃもにゃと歯切れ悪く応える。
いつも話の内容よりも笑顔でごまかしてしまう。
「ですよね、買い物って意外と重いですよね。もしよかったら、うち、今ネットスーパーの配達も請け負ってるんです。利用してみたら楽になるかもしれませんよ?」
…………
んだよ、このやろぉ!!営業かよ!営業かよ!営業なのかよ!?一瞬ときめくべきか悩んだ私が恥ずかしいじゃねえか!!
「あ、えっと、いいかもしれませんね!ちょっと、調べてみます」
うふふと、ぶりっこみたいな笑い声を交えつつ、返事をする。複雑な表情になっては困るので、意識して笑顔を張り付ける。
「ぜひ。そうしたら、僕、山崎さんの生活用品を何でも運ぶ人になれますね!それにもっと会えますよ?」
少し腰をかがめてこちらに近づき、いたずらっ子みたいな上目遣い。
……………
くそぉ!!小悪魔か!?小悪魔なのか!?私を翻弄して面白いのか!?ふざけるなぁあぁ!これはいかん、これは赤面してしまう。少女漫画の何かかお前は!!!
「じゃあ、また!」
どうして宅配業者はみんなさわやかに去っていくんだろう。
ゆるゆるした私と、重たい牛乳と醤油と野菜が、夕方の住宅街にポツンと残された。
なんとなく、胸がざわざわするから、恥ずかしい。
大人なのに、オタクなのに、三次元にドキドキさせられると、なんか悔しい。
木曜日。20時半。
今日は来客予定はない。
帰宅と同時にさっさと昨日作ったおかずで食事を済ませ、シャワーも済ませた。
ここからは彼との時間だ。
ちなみに月曜日の彼は昨日の休みを利用して結婚したので、今日からは別の彼をオトしにかかる。
声がいいんだよなー、今度の彼は。キャラソンを買うか迷う。でもキャラ的には本命ではないし、今回のは中身の好みと外見の好みが伴ってないから難しい選択を迫られる。悩みは尽きないな…両方ってのはちょっと安月給には負担だし…
そんなことをつらつらと思いながら、ドライヤーを手に取る。
ピンポーン…
ん?今日は誰とも約束してないのに?? 勘弁してくれよ、よっこいしょ。
濡れた頭で、しかもパジャマで玄関に出るのはやや抵抗があるけど、仕方がない。
「どちら様ですか?」
「こんばんは。カンガルー運輸です!遅くに申し訳ございません。青森県の山崎様からお荷物です。」
それは実家だ。多分母からだろう。そしてこの時期ならリンゴだな。
実家の側にはこのカンガルー運送の運送所がある。
見た感じ大きなトラックばかりで個人の荷物なんて扱ってるのかという雰囲気だが、こうして離れて暮らすようになってから母が利用しているということは個人の荷物もあの運送所で扱ってくれているに違いない。
母は、私と同じでめんどくさがりだから。遠くまで行くわけはない。
不審者ではない確信が持てたので、玄関を開ける。
「はーい、ありがとうございます」
「あ!」
玄関を開けると同時に、私を見てカンガルーさんが小さく叫んだ。
「はい?」
紺色の袖のだぶだぶした野暮ったいジャンパー。
手には大手通販会社の段ボールに“M”の字を手書きで足したmamazonnと書かれた大き目の段ボールを持ち、私の顔をまじまじと見つめてくる。
少し伸びすぎてしまったような、真っ黒なストレートヘア。
見るからにさらさらとしていて、うらやましい。
でも少し整えないと、ジャンパーと相まって野暮ったさが何割増しかしている気がする。
前髪も長い。その隙間から少しつり目がちな一重瞼が私の視線とぶつかる。
その瞬間、カンガルーさんの頬が朱に染まり視線をそらされる。
「本当に、申し訳ありませんっ。お風呂中だとは… 遅くなりましたもんね、本当にごめんなさい」
そんなに謝ってもらうほど、私の風呂上りは大層なものではない。と思う。
「今ちょうど出たところですから、大丈夫ですよ。」
ヘラヘラと笑顔を作る。夜も遅いし風呂上りで全力スマイルを作る力が出ない。
ぽつぽつと濡れた髪の毛から少し水がたれる。
「遅くまで、お仕事お疲れ様です。重いですよね、たぶんそれ、リンゴだから… あ、玄関に置いてもらっていいですか?」
私は伝票にハンコを押しながら、申し訳なさそうにするカンガルーさんに声をかける。
「いや、大丈夫です。ホントに、荷物が重いのとか、遅いのとかは全然慣れてますから…。」
玄関を少し入り、大きなmamazonnの箱を入れてくれる。その間ずっと頬が赤い。
ずいぶんウブな配達員さんだ。風呂上がりの女がそんなに珍しいのか。
配達員さんという職業なら、こんなシチュエーションにも慣れそうなものだけど…。
そもそも初めてお会いするような気がする。
カンガルーさんは2、3か月に一度、それこそ母の荷物の時にしかいらっしゃらないので顔はほとんど覚えていないから何とも言い難いけれど、それでも初対面な気がする。
新人さんなのだろうか。だからこんなにウブなのか?
伝票を受け取ると、飛ぶように帰っていった。
また来るだろうか? 次に会う時、お互い覚えているだろうか。
…自信ないな。 週に一回来てくれたら覚えるけど。
荷物は案の定リンゴだった。あと、レトルト食品。そしてなぜか朱色の綿入れが入っていた。
実家でも着ていなかったのに、今更綿入れを着ろとは、母は私をロシアかアラスカにでも住まわせている気分にでもなったのだろうか。…心配性め。そんなに寒くはない。
箱の底に、メモが一枚入っている。
『着なくなったオシャレな服があったら、ママに譲ってください。待ってます』
綿入れと、服を交換しようというつもりか…。わらしべ長者にでもなったのだろうか。
金曜日。18時05分。
帰宅時にポストを開けると不在票が入っていた。
私はいつも時間指定で荷物を受け取るようにしているから、不在票とはあまり出会わない。
珍しいこともあるものだ。
しかも時間は11時で来ている。ずいぶん前だ。
携帯電話を操り、時間指定をかけ忘れた荷物はないか確認する。
あ、あー、定期便だ。定期便の発送連絡を見落としていたようだ。
今日受け取ろうか、少し思案して明日の休みに受け取ることにする。
不在票を見ながら自動受付センターに電話をかける。明日の受け取りを予約し、ベッドに転がる。
疲れた… 平日休みを一日挟んでいても、やっぱり疲れるのだ。目を閉じると、意識が沈んでいくのがわかった。体も、とても重たい。
ふと気が付くと、知らない場所に立っていた。
大理石みたいな廊下に、重厚な造りのギリシャ神話みたいな柱が等間隔で建っている。
服が重いと自分を見ると、ベロア地のような品のある光沢を生む茜色のドレスを身に着けている。そのスカートもたくさんの布地が重なり合い、裾にはレースがふんだんに使われている。
何だこりゃとスカートをつまみ上げる指先に貝殻のような薄桃色の形の良い爪がついていて、何かの冗談みたいな優雅な白い手をしている。
慌てて鏡を探す、しかし周囲には自分の姿を映すものが何もない。
ふらりとして、一歩後ろに下がると、カツンとヒールが石を踏む硬い音がした。
ヒールなんて、普段ほとんど履かない。スニーカーばかりの色気のない女だ、私は。
ふいに前に垂れ下がってきた髪はまさかのブロンドだった。向こう側が透けるんじゃないかと思うほどのツヤ。
え?なんだ?これ…
うっそ私シャンプー変えたっけ?
…じゃなくて、まさか流行りのあれか?転生したら乙女ゲームの悪徳令嬢だった件だろうか?
…………
オイオイ、ゲームのし過ぎじゃないのか、こりゃ。
神様ごめんなさい、私は悪徳令嬢に転生しても、自分で運命を良き方向に導く知識も度量もありません。お願いだから、日常系のモブに戻してください。お願いしますっ!!
こんな素敵なドレスも、家事も仕事もしたことないような冗談みたいな綺麗な手もいりません!!
肉体労働系の人間なんです、私は!
へたりと座り込むと、後ろから私を呼ぶ男性の声がした。
「山崎さん…」
………山崎さん…?
転生しても、山崎さん…?
「山崎さん?」
ハッとして、携帯電話をたぐり寄せる。
目は開かないが、状況は把握した。
私は寝ぼけている!!
手に携帯電話が当たって、時間を見ようと勢いよく顔の上に持ってきたら、焦りすぎて顔に落とした。
「った!!」
さすがに目も開いて体を起こす。
土曜日。9時半。
すごい。12時間以上眠った。我ながらあっぱれだ。
ピンポンピンポーン!
「山崎さーん?!」
荷物だ!今日午前中でお願いしていたやつだ!イカン、寝ている場合じゃない!不在票になっちゃう!
ベッドから慌てて降りる。もんどりうつとはこのことか、という勢いで布団を踏んで、すんでのところでテーブルに頭から転びそうになるが何とか態勢を整えて玄関までダッシュだ。
飛ぶように猛ダッシュだ。
その甲斐あって、3歩で玄関にたどり着く。
ダッシュで派手な音を立てながら、同時に大声で返事をする。
「はーい!!!!今開けます!!!」
私の生活は通販で成り立っているのだ。配達員さんとの良好な関係はとても大事だ!不在票など持ってのほかだ!
玄関を開くと、そこには宅配業者が二人立っていた。
「「おはようございまーす。お荷物でーす」」
猫とラガーマンのダブルアタックだ。
仲いいな、ハモってんじゃん。
いつもの二人が、
化粧をしたままの寝起きの、仕事帰りのままの恰好のしわくちゃな姿の私を、
爽やかな笑顔が二つ並んで見てくる。
後光がさしているんじゃないかってくらい、まぶしい…
きっと私は寝ぐせも立っている。前髪とか、想像したくない形になっているはずだ。
「…ふ」
先に声を出したのは、猫だった。
「え?」
なんかこの前会った時もこの人にこんな風に笑われた気がする。
ちょっとチャラそうなのに目を細めると無邪気な少年の様に見えるから不思議だ。
「今起きたんですか?」
「あ…はい…。ごめんなさい。お待たせして… 寝ぐせ、ついてますよね…?」
恐る恐る問うと猫さんは邪気のない笑顔で頷く。
「ふふ、寝ぐせ、付いてます。それに、結構鳴らしましたから、チャイム。寝てるかなって。な?」
隣のラガーマンに同意を求める。
「申し訳ないです。お休みのところ。何回も鳴らして…」
スポーツマンらしい武骨なラガーマンの、申し訳なさそうな顔もイイ。
大柄なのに腰が低いってだけでギャップ萌えをゲットできるんだから、得してるな…
そういえばこの人にはこの前も謝られたな…
本当にまぶしい… 二人セットでまぶしすぎる…
私は二次元が好きだけど、三次元にときめかない訳ではない。
先日のお手紙さんで証明済みだ。イケメンの基準が三次元でわからない訳でもないのだ。
「あの、鳴らして頂いて良かったです… 何度も来てもらうのは本当に申し訳ないですから。こんなみっともない姿をお見せして、こちらこそ申し訳ない限りです…」
日本人あるあるで、とにかく何でも謝ってしまう体質の私は二言目に謝る。
そして謝りながら赤面していることを自覚する。
頬が熱い。脇とか手のひらから汗が噴き出すのがわかる。今回はこの正統派イケメンややチャラ猫に指摘されるまでもない。
イケメン二人に寝起きのボロボロの姿を晒しているんだから、顔が赤くなるのも仕方ない。許してほしい。
私は二次元が好きでゲーム機を握りしめ身もだえし、赤面するが、時には三次元でも赤面するし身もだえもする。
汗で湿る手を出して荷物も受け取ろうとする。
「本当に、ごめんなさい。ありがとうございます、ホントに、あの、すいません」
伸ばした手を、突然猫が握ってきた。
「いいですよ、焦らなくても。先に伝票に印鑑かサイン、お願いします」
にっこり笑って、私の手汗まみれの手を!この風呂も入らず寝た小汚い手を!あろうことか握っている!
心の中で叫び声をあげる。もちろん『きゃあ!』ではなく、『ぎゃーーーっ!』だ。
脇から更にぶわっとさらに汗が噴き出た、と思う。おでこの生え際からも汗が噴き出たと思う。
いやいやいやいや、落ち着け。この人も配送業で多くの荷物を扱っているからきっと手は埃まみれよ!今仕事中だもの!きっとお互い様の状態よ!!埃まみれの手で、たまたま握った私の手が手汗まみれ… 手汗まみれは向こうの手がたとえ汚れててもバレるわ!そもそもなぜ手を握るんだこのチャラ猫め!! そもそもお前の手、ごつくて男らしいなこの野郎!!思いがけずときめくだろうが、ホントお前この前から何なんだ一体、私は三次元耐性はあまり高くないんだぞ!可愛く笑ってんじゃねぇ!
心の中で一瞬にして悪態をつくも、顔には多分出ていない。
いや、真っ赤だろうからある意味出ているとは思うが表情筋は機能していない。
機能しない。半笑いフリーズだ。
「あ、そうですね。山崎さんは字がとってもお上手なんですよね? なんて言うか、可愛らしくて。この前書いてもらって、びっくりしちゃいました」
追い打ち攻撃とはこのことだ。
なんと反対側の手を、ラガーマンが優しくとってくれてその手にボールペンを乗せてきた。
今度は表情筋が動いた。ぎょっとして、ラガーマンの顔を見つめ返してしまった。
脇汗が止まらない。
照れたように、はにかんだ笑顔をその日に焼けた顔に浮かべて、私と目が合うとふと逸らした。
今朝は一体何のイベントなんだ!? これは夢の続きの何かだろうか? こんなイケメンに両手を握られるなんて現実に起こりうることなの!? あ、現実だから私は脇汗、手汗まみれなのかーあははー…
……
………
私は信じない!断固信じない!三次元にはモテ期などは存在しない。そんなものは夢まぼろし二次元恋愛シミュレーションだ!だからこの恋愛イベントっぽい何かも、それっぽく見せた自意識過剰ドッキリイベント!私は若い配送員にからかわれているんだ!そう思わないと、羞恥心とか、ときめきとか、勘違いとかで頭がおかしくなりそうだ!
焦って震える手で、お世辞にも上手とは言えないサインを伝票にし、押し付けるように二人に渡し(慌てすぎて、逆に返してしまった)奪うように荷物を受け取り、ごめんなさいと、ありがとうを繰り返しながら玄関を閉めた。
顔に血が集まりすぎたのか、なぜか涙目だ。
今はとりあえず、そうまずは… シャワーを浴びよう。
この汗をどうにかしなくては…。少し頭を冷やそう。
こんなに心臓に負担のかかる荷物の受け渡しは初めてだ。
定期便で買っている洗剤だのシャンプーだのパントリー商品も
新作のゲームも、今は開ける気分になれない。
推し声優さんのいっぱい出てるやつだから、めちゃくちゃ楽しみにしてたし、今日はそのゲーム三昧で一日過ごそうと思っていたのに、全然やる気が出ないから
三次元イケメンの影響力は恐ろしいものだ。
日曜日。13時半。
今日は仕事が半日だった。
お腹は空いているが、帰ってから食べようと思ってまだ何も食べていない。
空腹を紛らわすために、コンビニでタピオカミルクティーを買ってすすりながら歩く。
このモチモチしたところが好きだが、別にインスタ映えとか、流行りの店で並んで買って飲む!と言うほどではない。
たまに、こうしてコンビニで買って嗜む程度だ。
ちんたらと歩く、日曜の住宅地の午後。のどかだ。
たまにどこかの家から子供のはしゃいだ声がする。
犬の吠える声も聞こえる。
知らない家の台所から、食器を片付けているようなガチャガチャした音が鳴る。
私は今一人暮らしだけど、
こういう住宅地の、他の家族の立てる生活音を聞いていると懐かしいような、安心したような気持になる。
そういう性分なので、この帰り道も焦ることなくちんたらと堪能する。
そもそも昨日は心臓と汗腺をフル活用したので、なんとなく疲れた。
癒しを求めている。
今日求めているそれは、乙女ゲームから得られるドキドキを伴う癒しではないのだ。
自宅アパートの近くに来ると、隣のアパートの前に青帽さんのトラックが停まっている。
なんとなくトラックの運転席をチラリと見ながら歩いていたら、陰から出てきた青帽の運転手さんとぶつかりそうになった。
「あ!ごめんなさい!」
一歩下がって咄嗟に謝罪の言葉が口から出る。
「おう!ねぇちゃん気を付けて歩けよ!怪我すんぞ!」
中年の青帽さんが大きな声で荒々しく告げてきた。
一瞬圧倒されたが、これはたぶん江戸っ子的な口調で悪気や脅かす意図は多分ないだろう。
「はい、すいません。」
もう一度謝って、すれ違う。
大柄ではないけど、その道の職業人にありがちながっしりした肩幅で、顔には深い皺が刻まれていた。
身のこなしがきびきびとしている。
黒縁のメガネと、くっきりした目鼻立ちが印象的。
顔つきは江戸っ子というより、なんか沖縄とか南国を思わせる感じだった。
なんと言うか、これはあれだな、一周目では落とせない隠しキャラ的なアレだな。
二周目プレイから攻略対象になるヤツ。
ついつい、コイツ二次元だったら、このポジションね、みたいに考えてしまう。
乙女ゲーム置き換え脳になっている。
青帽さんとすれ違うと、すぐにもう一人男性が現れて青帽さんにお礼を言っている。
「ありがとうございました。お世話になりました!」
「おう!荷ほどき頑張れよ!」
「はい!」
その会話から、引っ越しなんだろうな、と思う。
これも生活音。なんだか心地良い。
カバンを持ち直そうとよっこいしょと腕を動かすと、
手に持っていたタピオカミルクティーを落としてしまう。
いけねいけね、と拾う。
どうせもうすぐ飲み終わるところだった。
「こんにちは。あの、山崎さん、ですよね?」
呼ばれて振り返る。
…は?誰?
目の前には、さっき青帽さんにお礼を言っていた男性がこちらをまっすぐに見つめている。
ゆるっとしたジーパンに、スポーツメーカーのロゴが小さく入ったトレーナー。
少し伸びすぎてしまったような、真っ黒なストレートヘアに前髪を輪ゴムで縛っている。
銀の細いフレームのメガネをかけ、その下から少しつり目がちな一重瞼が私の視線とぶつかる。
少し困ったように下げられた眉。
会ったことはある。この目を見たことがある。でもどこで…
「…あ、こんにちは… え、と、あの、もしかして、あの、間違っていたらごめんなさい、もしかして…えっと」
もごもごとはっきりしない私に対しその男性はさらに眉を下げる。
「すいません、わからないですよね。この前、夜遅くに伺ったカンガルー運送です…」
「あ… あーっ!思い出しました。すいません! よくわかりましたね!」
思い出した。風呂上りで髪も乾いていない、だっさい部屋着の私が遭遇したカンガルーさんだ。
あの日、あんまりにも気の抜けた格好をしていたから、今普段着で会ってしまったのが逆に気恥ずかしい気がする。
しかし本当に、あの気の抜けた私からよく気が付いたものだ。
そして今日は逆に彼の方が気の抜けた格好をしているみたいだ。
そのストレートヘアを、輪ゴムであげちゃう?
それで外出たり、引っ越し業者に頭下げちゃうとか、ちょっと勇者じゃないか?
つーか、仕事外の、このシチュエーションで、お客さんに声かけちゃう?
他の宅配業者さんに比べて、大してお会いした記憶もないし…
私の前髪の輪ゴムに対する不躾な視線に気づいたのか、彼は慌てたようにまくしたてる。
「あの、これはその、さっきの青帽さんが、作業には邪魔だろうからこれでまとめておけってくれたもので、普段はあんまりこんなことしないんですけど、いや、恥ずかしいですね、考えてみたら… すいません… あの、とります…」
「いえ!私こそ不躾でした!ジロジロ見ちゃったみたいでごめんなさい!」
この男性も日本人あるあるで、よく謝ってしまうタイプらしく、私と会話をすると『すいません、ごめんなさい、申し訳ありません』の応酬になってしまう。
帰ろう… まさかこんなのどかな日曜の午後に、またしてもイベントを発生させてしまうなんて…
癒されねば。
「じゃあ…」
と、別れを告げようとすると男性もそれを察して
「あ!はい!急に声かけちゃって、申し訳ありませんでした!」
と上ずった声を出した。
手は必死に輪ゴムを前髪から外そうとしている。
………なんだか目が離せない。
さすがのストレートヘアも、輪ゴムには絡まるようだ…
「あれ?おかしいな… あはは… 絡まっちゃって… あはは… いて… くそぅ…」
これ以上、三次元で恋愛イベントっぽいことが起こると心労がたまるから出来ればこの場を去りたい。
本当にもう勘弁してくれ、私はそのスキルは高くないのだ。
しかし輪ゴムが髪に絡まるとなかなか取れないのは解る。しかも痛い。
子供の頃やったことあるから知っている。
仕方なく、手を貸す覚悟を決めた。
ため息と同時に、頬が熱くなってくるのを感じる。
仕事以外、宅配業者さん以外の男性とお話するんなんて、いつぶりだろう。
あ、この人も宅配業者さんだけどさ。
「あの、お手伝いしますんで、すいませんけど、ちょっとしゃがんでもらってもいいですか?」
「はい… すいません、お願いします…」
彼も顔が真っ赤だし、心なしか目もうるんでいる。
素直にしゃがむ。
大丈夫か…。この人大丈夫か…。なんか頼りなく見える…。
大きな子供みたいだ。いや、小動物かな? 目なんかウルウルさせちゃって。
そんなことを考えて、私も男性の髪に触れるなんて特殊イベントに緊張して、手が震える。
なかなか取れそうにない。
「ごめんなさい、取れそうになくて… ハサミ、貸してもらえたら、頑張って輪ゴムだけ切ります」
勢いでそうは告げたものの、絶対髪の毛も少しは切っちゃう気がする。
「わかりました!ちょっと待ってて下さい!」
飛ぶように彼はブロック塀の奥のアパートの中に消えた。
いや、待てよ、ここはトンズラしてもよくないかな。
いやでも、手伝うって言っちゃったしなぁ…
葛藤が生まれたが、一度手を貸すといったクセに逃げるのは失礼とぐっと我慢して待つ。
しかし、待てども待てども、彼は帰ってこない。
オイオイ、どうした。私の決心が揺らぐだろ!
それとも取れたのか!?それならば一言あってしかるべきだろ、オイ!!
もしかしてハサミ見つかんないのかぁ…?
引っ越し中だったみたいだし…。
仕方なく様子をうかがうためにアパートの敷地に入る。
ブロック塀から一歩入ると、一階の一部屋のドアが全開になっている。
引っ越し中だったから開いているのか、慌ててハサミを探しに行ったから開いているのか。
とにかく、多分そこだとアタリをつけてのぞき込む。
案の定、段ボールをのぞき込んで中をかき回している。
「あのー…」
遠慮がちに声をかけると、彼ははじかれたようにこちらを見た。
「すいません!ハサミ、見つけられなくて… 大丈夫です。あの、見つかり次第、自分で切りますから、ホントにごめんなさい!待たせて、申し訳ないです。」
イヤイヤイヤ、多分それ自分で切ったら絶対髪の毛やっちゃうから。
髪の毛変な形になっちゃうから。
取り返しつかないから。
「………」
つい無言で見つめてしまう。
その時彼が叫んだ。
「あ!!あった!これ、これでも大丈夫ですか!?」
差し出されたのはカッターナイフだった。
「………」
大丈夫かな…
カッターで輪ゴムって切れるかな…?
ハサミより髪の毛やっちまう可能性は低そうだけど、自分の指やっちまわないかな…
「わかりました…。貸してください。やってみます…」
意を決して受け取る。
ソワソワしたような表情。
ほんっと小動物…
前髪を抑える輪ゴムに、カッターの刃を差し入れる。
輪ゴムの根本を抑え、刃を少し上向きに自分の方に引っ張る。
…髪の毛、引っ張ってないかな?
痛くないかな?
ゴムが伸びて、怖い。急にゴムが切れて、顔にカッター向かってきたらどうしよう。
冷や汗が出る。
得意の脇汗も出る。
私、今、汗臭くないかな…
プッ
と、軽い感触で輪ゴムがはじけた。
「あっ!」
気を付けていたつもりだったのに、案の定カッターの刃が私の前髪をかすった。
「大丈夫ですか!?」
彼が突然、私の右の手首をつかんだ。
へんな癖のついた、やや長い黒髪。その隙間から覗く切れ長な目。
今までで一番の至近距離で見るそれに、ドキリとする。
輪ゴムは切れた。
それなのに、彼は私の腕をつかんでいる。
これは大イベントだ。
ドキドキする。
ゲームの終盤みたいだ。
輪ゴムは切れたのに、
カッターの刃はもう私に向いていないのに
ドキドキが止まらない。
これは…
もしかして吊り橋効果ってやつじゃない?