【70話】夕方のお迎え
*
「どうして生まれて来ちゃったの!」
お母さんがよく言う言葉だった。
そう言われる度に、僕はいつも考えていた。
どうして、僕は生まれてきちゃったんだろう。
藤本緋月、4歳。
僕をここまで育ててくれたのはお母さんだった。
お父さんもいたけど、僕が3歳の時に離婚したんだって。幼い頃だったから、もう覚えてないや。
母「緋月、あたしの口紅知らない?」
緋月「くちべに?あったよ!」
僕は床に落ちていた口紅を拾った。
母「ありがとう。ママのものは取っちゃだめよ。」
緋月「ごめんなさい。」
母「ふふ、約束ね。」
母は僕の頭を撫でた。
緋月「ねぇお母さん。おるすばん、かくれんぼしてていい?」
母「いいよ。でも、あまりママのものは触らないで。」
緋月「はーい!」
僕が住んでいるのは小さなアパート。
部屋もあまり広くなかったけど、隠れんぼしたりできるから楽しかった。
お母さんの道具とかいっぱいあるけど、僕はあまり触らないようにしてたんだ。
母「じゃあ、行ってくるから。留守番よろしくね。」
緋月「はーい!」
お母さんそういうと、家から出ていった。
緋月「おするばんがんばるもん!」
お母さんはいつも、キラキラしたドレスを着て朝とか夜に家を出ていく。
次の日に帰ってきて、大きいボトルのジュースを飲んで寝るんだ。
毎日お母さんがお出かけするから、4歳でおるすばんができるようになった。時々、お掃除もしてあげるんだ。
お母さんはいつもお仕事をがんばっていた。僕はそんなお母さんが大好きなんだ。
僕はまた今日も、夜までずっとおるすばんをした。
*
母「ただいま〜〜」
緋月「あ、お母さん!」
ドアが開く音とともに、お母さんの声が聞こえた。
緋月「おかえりなさい!お母さん、あのね…。」
お母さんは家に帰ってくるなり、ビニール袋から大量の瓶をテーブル上に出した。
緋月「あのね…。」
お母さんは無言で瓶の中のものを飲み干した。
お母さん「ぷはー。やっぱ酒はいいねぇ。」
僕は気になって瓶のシールの部分を見てみた。
でも、文字が読めなかった。
お母さん「緋月も気になるの?でもダメだよ。子供は飲んじゃダメなんだ。」
緋月「ぼくはだめなの?」
お母さん「うん。…もう夜遅いから、早く寝なさい。」
緋月「はーい…。」
僕はお母さんが帰ってきても、すぐ寝ないといけなかった。お母さんに話したいことがいっぱいあるのに…。
布団の中で、羊を数えて、無理やりにでも眠った。
そんな生活が続く中、僕は幼稚園に通うことになった。
緋月「まてまてー!」
幼稚園のお庭で、お友達と鬼ごっこをしていた。
園児1「わぁー!」
緋月「つかまえちゃうぞ!」
僕はお友達の肩をタッチした。
園児2「緋月くんはやいよー。」
緋月「えへへ。」
すると、校舎の中から先生が出てきた。
緋月「あ、せんせー!」
先生「緋月くん。ちょっといいかな。」
僕は先生に呼ばれて校舎の中へ行った。
先生が、僕だけは今日も夕方まで幼稚園で遊べるって言っていた。嬉しいな。
緋月「ゆうがたにお母さんくる?」
先生「ええ、そうね。それまでは先生と遊びましょう。」
緋月「うん!」
…でも、お母さんは迎えに来てくれなかった。
その日の夜。僕は先生と一緒にお家へ帰った。
僕はいつも家の鍵を持っていたので、それで開けて家の中にはいった。
緋月「…ただいま。」
家の中には誰もいない。
緋月「あ、パン!」
テーブルの上に置いてある、いつ買ったのか分からないパンを食べた。
緋月「…お腹、すいたなぁ。」
空腹を我慢して、お風呂に入り、すぐに布団の中にはいった。
緋月「お母さん、帰ってこないのかな…。」
1人で寂しく、僕は眠りについた。
*
僕のお母さんが帰ってこなかったり、朝幼稚園に行く時にいないことが多くなっていった。
幼稚園の先生からも、僕がいつも同じ服を着てるから、心配そうに見ていた。
先生「緋月くん、ちょっといいかな。」
緋月「…。」
先生の顔色で、今日もお母さんが迎えに来てくれないことが分かった。
久しぶりにお母さんが帰ってきても、ずっとお酒を飲んでいたので、話も出来なかった。そのうえ、僕のおうちはビンボーだから、お洋服とかご飯とかあまり多くは買えなかった。
*
幼稚園の集金の日が近くなると、お母さんはいつもよりいっぱいお酒を飲んでいた。
緋月「…お母さん。」
お母さんは瓶を持ちながら、少し朦朧としていた。
緋月「ねぇ、お母さん。」
僕がお母さんの体を揺すった。
母「…んぅ、なにぃ?」
緋月「ようちえんのおかね。また、やるんだって。」
すると、お母さんは嫌な顔をした。
母「あぁ?まーた回収すんの?最悪…。」
すると、母はタンスの中からぐちゃぐちゃになった封筒を取りだした。
母「これでいい?」
僕は封筒を受け取った。中身はよく分からないけど、それを先生に提出しようと思った。
緋月「あれ?」
封筒があまりにも軽かったので、中身をみてみた。
緋月「…お母さん、お札1枚じゃ足りな…」
その瞬間、僕のほっぺに痛みが走った。
衝撃で、床に倒れた。
母「うるさい。お金が無いの!」
僕は、封筒を握りしめたまま震えた。
緋月「…ごめん…な…さい…。お母…さん…。」
お母さんはまたお酒を飲み始めた。
僕は逃げるように布団の中に潜った。
その日から、お母さんは変わってしまった。
お母さんは、何かある度に僕のほっぺを叩いた。
次第に、腕や足、お腹を叩いたり蹴るようになっていった。
母「どうしてあんたは分からないの!」
緋月「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
そして、お母さんが帰ってくる日も少なくなっていった。