【66話】Butterfly
それから、緋月はおれに毎日話しかけてくれるようになった。
朝、登校すると必ず「おはよう、桜くん。」って言ってくれる。
それがたまらなく嬉しかった。
そして、帰り道。
緋月「桜くん!」
胡蝶「…。」
緋月くんは、笑顔でおれに話しかけてきた。
緋月「…えへへ、一緒にかえろ。」
胡蝶「…うん。」
にこにこしていて、動きも活発で、元気をもらっていた。…でも、身体にはたくさん痣があった。
胡蝶「緋月くん、それ。(痣を指さす。)」
緋月「ん?こんなの大丈夫だよ!へっちゃらだもん!」
胡蝶「…そっか。」
きっと、緋月くんはおれを勇気づけるためにいつもニコニコしてるんだ。そう思うと、おれも頑張らないといけないと思った。
*
ある日の朝。
おれはまた、緋月の家の前を通って登校する。
アパートにつくと、入口のところで緋月が出てくるのを待った。
すると、アパート中から大きな音が聞こえてくる。
胡蝶「!?」
間違いなく緋月の部屋からだった。
心配そうに見ていると、ランドセルを背負った緋月が出てきた。
胡蝶「緋月くん…!」
手を振ろうとするが、ある異変に気づいた。
緋月の顔は、大きく腫れていた。
胡蝶「…緋月くん、大丈夫。」
緋月「…あ、桜くん、おはよう。」
ふらふらとしながら緋月はおれに手を振った。
胡蝶「緋月くん…。」
緋月「…朝から、お母さんに怒られちゃった。」
緋月はへらっと笑った。でも、目には涙があった。
緋月「バカだよね、僕。筆箱も、体操服も、ぜーんぶ無くしちゃったんだ。だから怒られちゃった。」
胡蝶「…。」
緋月「先生に怒られたから、またお母さんを困らせちゃった…。」
話を聞きながら学校へ向かった。
おれはなにか、似たようなものを感じていた。
緋月も同じように、親から暴力を受けていた。
なので、心の傷は痛いほど分かった。
胡蝶「…緋月くん。」
緋月「ん?」
胡蝶「あのね…。」
おれは初めて、家族のことを話した。
緋月はその事を聞いて驚いていたが、同時に少し、緊張が和らいだ感じもした。
*
桜暦、12歳。
緋月と初めて会ってから3年も経った。
緋月「やっほー、胡蝶。」
俺がいつも通り登校していると、後ろからいきなりどつかれた。
胡蝶「…五月蝿い。」
緋月に向けて肘打ちをする。すると、すぐに手でガードした。
緋月「えっへへ、わかってますよーだ。」
緋月はにんまりと笑いながら俺の横を歩いた。
これがいつもの光景だ。
3.4.5年生とクラスが一緒だったので、俺たちはもっと仲良くなった。6年生では離れてしまったが、朝は一緒に登校していた。
緋月「…そういえばさ…明日のテストって教科書何ページからだっけ。」
胡蝶「…はぁ。忘れたのか?教科書から出題じゃないんだぞ、今回は。」
緋月「え!!」
胡蝶「先週配られた問題集、見てないのか?」
緋月「…やっべー。」
そういえば、俺は「胡蝶」と呼ばれるようになった。緋月が俺のことを見て、「蝶みたい」と言ったことから、あだ名になっていった。
緋月「お願い、胡蝶。勉強教えて…。」
胡蝶「…はぁ、やれやれ。」
こうして、放課後も一緒に過ごすことになることもあった。
*
学校が終わり、緋月に勉強を教え終わると、俺は急いで剣道場へ向かった。
剣道場の中へ入ろうとすると、横から父がやってきた。
父「暦。」
胡蝶「…父さん。」
父「すまんな、電話するのを忘れてたな。今日は事情があって休みじゃ。」
胡蝶「…そっか。」
父「剣道協会の集まりがあってな。今から電車に行くんだ。」
胡蝶「分かった。また明日ね。」
父と別れると、俺は仕方なく家に向かおうとした。
帰り道、俺はどこかで剣道の練習を出来ないかと考えていた。
人が少なくて、広い場所。その条件が当てはまる場所で、一度行ってみたいところがあった。
胡蝶「…。」
住宅街の横にある、少し暗い森。
小さい頃から気になってはいたが、親に入るのを止められていた。地域でも、小さな子供が出入りしているのを見ると、あまりいい顔をしない。
胡蝶「(…少しなら、大丈夫かな。)」
俺は安易な考えで、この森に入ることを決めた。
中へ入ってみると、意外にも暗くはなかった。
上を見ると、空を覆うくらいの葉っぱ。背の高い木や、低い木がたくさん生えていた。
足場は土で、時々草が生えていたが、歩きやすかった。誰かが手入れをしているのかな。
しばらく進むと、木が比較的少ない、広い場所に来た。
胡蝶「わぁ。」
さっきよりも明るくて、花も咲いていて、なによりも人がいないので、快適そうだった。
胡蝶「ここなら、できそうかも。」
俺は切り株に荷物を置き、竹刀を持った。
胡蝶「…着替え持ってきてないけど、いっか。」
俺は竹刀を構え、剣道の練習をした。
*
胡蝶「はぁ…はぁ…。」
基本技を一通りやると、俺は切り株に腰かけた。
カバンの中から水筒を取り出し、飲んだ。
胡蝶「ふぅ…。」
すると、森の茂みから音が聞こえた。
胡蝶「…!?」
ガサガサと音を立て、中で何かが蠢いている。
胡蝶「なんだ?」
立ち上がり、その方向を見てみると…
そこには猫がいた。
猫「にゃぁ。」
俺は、大きく息をついた。
胡蝶「…なんだ、猫か。」
森に初めて入ったという不安もあり、熊などを想像していたので、ただの猫であることに安心した。
猫はその場に座り、毛繕いを始めたので、俺はその猫をしゃがんで見ていた。
胡蝶「…可愛らしいな。」
すると、猫の後ろに大きな影。
胡蝶「!?」
俺は驚き、正面を向いた。