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6話 逃がされてるの


 私こと聖女は、感情の静まりを待った。

 昂った気持ちは次第に冷め、どうなるのだろうという疑念が鎌首を上げ始めていた。


 兄様は起きる気配がない。

 ナナシは私の髪留めピンを使いながら、器用に枷を外していた。がしゃんと音を立てながら鎖が床に落ち、手首の動きを確認するように回している。


「あの……ナナシさん?」

「……」


 私が呼びかけると、彼は真顔で近づいてきた。

 あの笑顔の欠片は微塵も感じない。兄様を気絶させるほどの威力を持った手が、私に再び迫ってくる。普通に考えれば恐怖を抱くだろうが、まったく怖くなかった。

 彼は優しい。

 後になって思ったが、その手が私に暴力を振るうことはないと確信していたのだろう。


 ナナシは私を立たせると、そのままお腹に手を廻し込み、


「ひゃっ!」


 そのまま私の身体を肩に勢いよく担ぎ上げた。お腹が固い肩に当たり、ちょっぴり痛い。両手両足がだらんと垂れ、彼が動くたびに揺れた。

 なにがなんだか分からない。

 混乱していると、ナナシさんが長く息を吐く音が聞こえてきた。顔を上げると、自分の斜め上あたりに、彼の横顔が見えた。鋼色の瞳は、まっすぐ前だけを見つめ、そして――、


「っ!!」


 床を思いっきり蹴り上げた。

 急激に鍵のかかった扉が迫ってくる。瞬きするよりも早く激突してしまう。

 

「と、扉!!」


 私は、扉に激突するのと同時に叫ぶ――が、衝撃は感じない。代わりに見えたのが、木製の扉が音を立てながら破壊される瞬間だった。

 ナナシが扉を蹴り破り、外に飛び出たのだと分かったのは、暗く閉ざされた階段を上り始めてからだった。あまりにも目まぐるしく事態が進んでいくので、頭が追い付いていかない。


 暗い闇を風のように昇っていく。

 いや、風と一体化したようだった。ナナシは灯りがないのに、階段が見えているようで、踏み外すこともなく、速度を落とさずに駆けあがっていた。

 そのうちに、暗闇に閉ざされた道に薄ら一条の灯りが差し込み始める。出口が近いのだ。私が理解する頃には、ナナシが体勢を変えていた。私を担いでいる左手に力を籠め、左側の重心をわずかに後ろに引いた。右肘を突き出し、思いっきり出口の戸に打ち付けた。


 みしり、と軋んだ音がしたかと思えば、一気に光が眼前に差し込んだ。



 ところが、いつものように目が眩むことはなかった。

 闇に慣れるような静かな明かりは、私の目を潰さない。白い広間は昼間のように輝いておらず、穏やかな静寂に包まれている。


 私が困惑している間に、ナナシは私の位置を変えていた。

 肩が腹に乗っていたのが、今度は彼の肩にちょこんと座っている。もちろん、安定しないので、必然的に彼の首元に抱き着くことになってしまう。


「す、すみません……」


 私が謝ると、「気にしていない」とでも言うように鼻を鳴らし、左腕で私の足元を抱きかかえる。彼は私の顔を見上げ、落ちる気配がないことを確認すると、再び床を蹴り飛ばした。


 あっという間に広間が遠ざかっていく。

 ずっと遠くから見ていた硬く閉ざされた扉に接近すると、ナナシが銀の取っ手を握る。この先の世界は、私にとって未知の世界だ。ナナシが少しずつ扉を開けていく様子を見て、場違いにも興奮してしまう。


 扉の向こうには、3人の騎士が立っていた。

 

「なッ、お前はっ!!」


 騎士が驚いて声を上げると、剣を引き抜こうとする。

 しかし、そのまえにナナシの右拳が騎士の顔に炸裂した。騎士は兄様のように倒れていく。騎士が倒れる前に、ナナシは騎士の剣を引き抜くと、左側から迫りくる男の腹に剣の柄を打ち付けた。その相手が口から唾を飛ばしながら屈みこむ刹那、その者を前に向かって蹴り飛ばし、残りの騎士の足を止めた。


「この、狼藉者がッ!」


 残った騎士は同僚に目を剝いている押し潰され、恨み言を吐いた。ナナシは剣を手の中で軽く回し、意識のある騎士の頭めがけて踵落としを決める。


 これで、三人の騎士は仲良く気絶した。

 私が呆気に取られていると、ナナシは再び走りだした。


「あの人たち……大丈夫でしょうか?……きゃうっ!?」


 私は振り返りながら、どんどん遠ざかっていく騎士の骸を案ずると、ナナシが肩を大きく上下させた。慌てて前を向き直し、彼の首に強く抱き着く。

 それとほぼ同時に、鉄を爪で引いたような金属音が耳を貫いた。


「っち」


 ナナシが舌打ちをした。

 不快な音は一瞬で終わったが、あまり好ましいことではないのだろう。


 そこで、初めて……私は外の世界を見た。

 

 真紅の下敷きに見上げるほどの壁。

 そこに開けられた幾つもの窓の向こうには、地下室の闇よりも遠い暗闇が見えた。暗闇を覆いつくすほど豆粒ほど小さな灯りが点在している。その中でも、一番大きく白く輝いた丸があった。白銀の丸の縁は薄ら青みがかった光を帯び、丸の内側には絵を描くように灰色が広がっている。


「……月?」


 青白い静かな光を浴びながら、夜空に浮かぶ蒼銀の月に目を奪われていた。

 知識と符合すれば、その周りで瞬いているのが星なのだ。本に書いてあった通り、よくよく目を凝らせば、白い輝きのうちに、赤や青、明暗の差が分かってきた。


「そっか……私、外に出たんだ」


 口に出してみて、すとんっと心に落ちた。

 外に出たのだ。

 あの狭い世界から抜け出して、外の世界を進んでいる。ナナシは、私を外の世界に連れ出してくれたのだ。

 そして、彼は更なる外の世界へ連れて行ってくれようとしている。


 それは嬉しい。

 心に太陽が生まれたように、胸が温かくなる。


 けれど、それは現実的ではない。


「だ、駄目です。嬉しいけど、とっても嬉しいけど……私、聖女だから、あそこにいないと!」


 いまさらながら、彼を止めようとした。

 私には、聖女としての使命がある。外に出るのは長年の夢だし、兄の恐慌から助けてくれたのは心の底から感謝しても足りないくらいだ。

 だが、その以前に、私は聖女だ。

 皆の祈りを聞き入れ、叶えていく機構である。ここから外に出ることは、決して許されないことなのだ。

 

 そのことを訴えたが、ナナシは聞く耳を持ってくれない。

 黙ったまま、ただ前だけを向いて走っている。止まることはおろか、速度を落とす頃もなかった。私にはどこを走っているのか見当もつかないが、彼にはここの間取りが手に取るように分かるのかもしれない。


 

 夜だからか、誰ともすれ違うことはなかった。

 それとも、ナナシが誰もいない道を進んでいるのか。



 青白い月灯りに照らされた道を進み始めて、どのくらいの時間が経っただろうか。

 ナナシは空いている窓から外に飛び出し、下草を踏みしめて走り続けた。爽やかな夜気が仄かで心優しい甘い香りや冷たい土の匂いを運んでくる。薄緑の草は柔らかそうで、ぼうっと白く浮き出た花は想像よりも可愛らしかった。

 だが、それらの想いは頭の一部にとどまり、ナナシと一緒に外の世界へ本当に行けるのかということが強い思いとして自分を支配していた。



 本当に、私は外に行けるのか。

 もう、あの怖くて苦しい独りぼっちの闇に戻されることはないのか。

 聖女の使命云々は建前だけで、本当に、ここから救い上げてくれるのか。



 初めての世界への新鮮さより、胸が凍るような緊張感。

 それが、ナナシにも伝わったのか、私の足を支える手に力が入ったような気がした。



 しばし、草の壁に沿って進む。

 私たちの背より高い壁は、私の親指程の大きさの葉っぱで構成されていた。一糸乱れぬ高さで揃えられているのは、職人技……というものなのだろう。

 その壁が途絶えると、巨大な建物が姿を現した。


 私が千人並んでも足りないくらい横幅の長い直方体の建物の上に、月まで届きそうなほど高い半円状の器が乗っている。


 ここで少し、ナナシの速度が落ちた。

 疲れたのかとも思ったが、顔色は変わらず、真剣そうに目を細めながら建物の裏手に回り始める。私はナナシを手伝えないのがもどかしく、かといって、声をかけて邪魔することは申し訳なく、ただただ唇を噛むことしかできなかった。

 そのうちに、彼はとある窓を開けた。

 窓が完全に開く前に、軽く跳躍して室内に入る。



 そこは、私の知っている広間と似ていた。

 壁や天井一面に描かれた絵画も酷似している。

 違う点といえば、広間の中心に魔法陣が敷かれていたことくらいだろう。魔法陣から少し離れた場所に石造りの箱が置かれている。


 ナナシは私を魔法陣の中央に置くと、箱の方へ向かった。


 一体、何が始まるのか。


 ナナシは箱の上に手をかざし、なにかを指で打ち込んでいる。

 ナナシの武骨な指が動くのに呼応し、魔法陣が純白の光を帯び始めていた。星と月の中間程の白い粒子が魔法陣内に浮かび上がりはじめ、空へと登っていく。


 私が粒子が浮かぶ様子を眺めていると、堅く閉ざされた入り口の扉が勢いよく開いた。


「なにをしている、この鼠が!!」


 お父様と護衛の兵士が雪崩れ込んできたのだ。

 彼らは私とナナシに向かって走り出したが、寸でのところで足を止めた。魔法陣よりこちら側とお父様たち側の間に透明な壁が発生していたのである。ナナシが口の端を持ち上げてるところから察するに、彼の仕業なのだろう。


 お父様は顔どころか全身を真っ赤に燃え上がらせながら、怒りの叫びをあげていた。


「ええい! お前たち、結界の解除を行え!」

「「はっ、ただいま」」


 騎士の数人が壁の端と端に分かれ、なにやらぶつぶつと呟いている。

 お父様は部下のことを一瞥もしないで、私だけを睨みつけていた。


「聖女! その転送陣から降りるのだ! お前は、お前の使命がある。そう教えてきたはずだ! 汚い鼠にそそのかされるな!」

「お、お父様……私は、そそのかされてません!」


 私は震える拳を握り直すと、お父様と向かいあった。

 使命を守るのはもちろんだが、それ以前に、ナナシを汚い鼠呼ばわりされたことに腹が立った。


 それに、こうして対してみると、ますますお父様に従いたくない気持ちが膨らんでくる。


「ナナシさんは、私を助けてくれました。あれが……あんなことも聖女の使命に含まれているのだとしたら、それは違うと思います。私は、絶対に嫌です!」

「お前は、鼠に騙されておるのだ!

 ああ、そうだ。分かった、こういうのはどうだ?」


 お父様は怒りで顔を煮えたぎらせながら、今度はナナシに視線を向けた。


「そこの鼠。よくぞ、わしらをここまで出し抜いた、その実力を褒めてやる。

 その娘さえ渡せば、お前を主の下へ逃がしてやろう」


 お父様が全ての言葉を言い切る前に、ナナシは唸り声をあげた。どこからみても肯定する叫びではなく、お父様を嘲笑っている。


 答えは、それで十分だった。


「この……! 聖女、ともかく転送陣から離れろ! いますぐにだ!!」

「転送……陣?」


 なるほど。

 ナナシが私をここに連れてきたのは、てっとり早く外へ逃がすためだったのだ。


 それなら断然、ここから動く必要はない。

 ナナシが酷い世界に転送するわけがない。

 白い光は数分前とは比にならないほど増加し、あの月よりも強く激しく輝いている。転送するときが近いのだろう。私の身体自身も淡い黄色の光を帯び始めていた。


 反対に、私たちとお父様たちを遮断する壁が破壊されるときも近い。

 上の方から徐々に崩れ始めている。

 

 私たちが転送するのが先か、壁が崩れて攻め込まれるのが先か。

 時間との戦いだった。だが、こちらの転送を急ぐことはできず、逃げようがない。


「ナナシさん!」


 私は男の名を呼んだ。

 ナナシは箱の前にいる。私が呼んでも、こちらに視線を向けず、拳を振り上げていた。


「やめろ! 転送装置を壊すな!!」


 お父様の顔は怒りに染まった赤色が引いて行き、代わりに青ざめ始めていた。分厚い唇が、わなわなと震えている。ナナシの横顔は愉快気に嘲笑い、眼には狂気が迸っていた。


「やめろと言っておる! その手を下ろせば、我が軍に加えてやろう! 小さいが家と食事と女中付きの待遇で迎え入れようではないか!」


 だが、ナナシが聞き入れるはずもない。

 彼の腕はまっすぐ転送装置に振り下ろされ、強靭な拳は真っ二つに破壊した。しばし装置から火花が散っていたが、すぐに輝きを失い、静まり返る。


「この、薄汚い鼠風情が―――ッ!」


 お父様の叫びが空間を震わした。それが起因してか、氷が割れるような音が響き渡り、壁が完全に破壊される。待ってました、とばかりに騎士たちが攻め込んでくる。


 一方、転送陣は佳境を迎えていた。

 私自身、どこかへ飛ばされる感覚に包まれている。私は未だ陣の外にいる人に手を伸ばした。


「ナナシさん、早く!!」


 このままでは、彼が取り残されてしまう。

 私は切羽詰まり、彼に向かって呼びかける。

 ナナシは、こちらを振り向いた。いつかのような微笑に、少しの寂しさを含んでいる。鋼色の瞳ははっとするほど柔らかく、彼の意志を悟ってしまった。


「ナナシさん!」


 私は駆けだした。

 ナナシは私の方を振り返ることなく、迫りくる騎士たちに剣を向けて床を蹴り飛ばしている。


「ナナシさん、ナナシさん――ッ!!」


 私は走りながら、大好きな人に向かって腕が千切れんばかり手を伸ばした。

 彼との距離はみるみる間に離れ、私の視界は光に覆われていく。


「ナナシさん! 私と一緒に来て!!」


 しかし、その声が届くことはなかった。

 私の視界は完全に白く覆われ、まったく見知らぬ場所に転送されてしまう。 


 最後に見たのは、ナナシの心強い背中が遠ざかり、15人の屈強な騎士たちに突貫する姿だった。






ここが、折り返し地点。

がんばれ、今週中の完結!

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[一言] ふええ どうなっちゃうの 続きをハラハラしながら待ちます これからも頑張って下さい
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