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4話 笑って欲しいの


 ナナシは笑わない。

 

 一度も笑ったことがない。

 

 食事をする時は、げんなりと世界を恨むような顔をする。

 私の質問を聞くときは、退屈そうに唸りながら回答してくれる。

 考えるときは視線を斜め上に向け、私が落ち込む姿を見ると斜め下を向く。そのあとは、だいたい掠れた声をだして、悔しそうに唇を強く噛んでいた。


 私が朗読している時はあくびをし、時折、ふむふむと微かに頷きながら聞き入っている。

 後者の場合、私は鎖が揺れる音で気づく。彼を見上げると、すぐにそっぽを向く。そのまま横顔を見ていると、傷だらけの頬が赤みを帯び始める。

 さらに眺めていれば、威嚇するように唸りながら私を睨んでくる。そんな表情が不思議と可愛らしくて、私がくすりと笑えば、心底呆れたように深々と息を吐いていた。


 ナナシは一見すると仏頂面だけど、ころころと地味に表情が変わっているのだ。



 それなのに、一度も笑ってくれない。

 私ばかり、笑っている。



 当然のことだが、私は彼との生活を喜んでいる。


 これまでの生活は、灰色だった。

 聖女として敬られながらも、独りぼっち。

 狭い狭い世界に閉じ込められ、ゆるりと死なぬ程度に首を絞められるような日々。

 

 いっそ、殺してくれと願ったときもある。


 けれど、死ねなかった。

 死ぬのが怖かった、と言い換えることもできる。

 はたして、死ぬことで自分は救われるのだろうか?

 私が死んでも、誰かに惜しまれることもなく、その先も独りぼっちなのではないか?

 そのことを考えると、腐臭漂う生温い水に浸かるみたいな恐怖が心身ともに激しく揺さぶってくる。


 無論、死んだら悲しまれる。

 けれど、それは()ではなく聖女(・・)に対して。


 ()は、誰からも認知されることなく、世界から消えていく。



 助けを呼びたくても、手の伸ばし方を知らなかった。

 叫んだとしても、聞き遂げる声などなかった。

 誰かにすがる道はなく、聖女である自分にかける祈りもない。

 私には大きすぎる役職がなければ、自身に何もなく、誰からも期待されてなどいない。



 聖女の力が尽きた時、それが私の終わり(ワールド・エンド)



 心臓の鼓動が刻んでいく終わりに震えながら、恐怖に目を瞑り、自分の夢とか希望とかは諦めて、檻の隅で膝を抱えていた。

 そんなときだった。



 燃え盛る火よりも激しい瞳を見てしまったのは。

 




 ナナシの存在は、諦観した世界に落ちた一滴の雫。

 雫が垂れた場所から五色の光を放つように、私の世界に色彩が広がっていった。



 だが、ナナシ本人は笑わない。

 考えてみれば、当然である。

 ナナシは外の世界出身だ。

 私よりも、ずっとずっと自由に過ごしていたのだ。

 私の問いかけに対し、律儀に返答してくれるところから考えるに、真面目な人なのだろうが、鎖に繋がれた生活は変わり映えのしない退屈な日々に違いない。


 私とは反対に、ナナシは色彩を奪われたのだ。


 



「ナナシさん、聞いてください!」


 だから、彼に素晴らしい報告をしたかった。


 私自身、植物を育てる夢がかなって嬉しいが、この退屈な生活に植物(・・)という新たな同居人が加われば、彼の退屈も紛れるのではないかと思って。

 ナナシは私が飛びついてくると、面を喰らったようだった。鋼色の目を大きく見開きながら、石のように固まっている。


「私、15歳になるんです!

 今夜、お父様が初めて誕生日プレゼントを……それも、種をくれるんですよ!!」


 ナナシの太い首に抱き着きながら、私は吉報を叫んでいた。


「ずっと生きた植物を持ち込むことを禁止されてたから、私、とっても嬉しいんです!

 花なのか草なのか、野菜とか果樹なのか……まだ分かりませんが、種から成長を見守っていく……これって、絶対に楽しいですよね!

 

 ……ナナシさん?」


 返答がないので、私は小首を傾げた。

 彼の首に廻していた手を胸元へスライドさせ、ナナシの首元に埋めていた顔を上げてみる。

 ここではじめて、鼻と鼻がくっつきそうになるくらい接近していたことに気付いた。まつ毛の一本一本が見えるくらい近い。彼の顔には相変わらず生々しい傷痕が目立つが、それ以外のパーツは形よく整っている。少なくとも、お父様やお兄様たちよりも百倍以上に好ましい。


「えっと、その……」


 胸に添えた手元には、自分とは異なる脈の音が伝わって来た。

 初めて感じる他者の心音は、自分のより熱くて速くて激しくて……けれど、そのうち、自分の鼓動の方が速く脈打ち始めていた。私の胸を内側から突き破りそうなほど大きい鼓動に気付けば、顔から耳にかけて火が出そうなくらい内側から熱せられ、そそくさと彼の身体から離れる。


「す、すみません。

 私、はしゃぎすぎてしまって」


 だいたい一人分ほど離れると、冷たい床を見つめた。

 彼の表情を確かめたいが、体中が燃えるように恥ずかしくて、とてもではないが顔を上げることはできない。

 少し冷静になれば、あのように抱き着くのは嗜みがないように思えてきた。


「その……どのような種か分かりませんが、成長して、花が咲いて、実を成して……変わりゆく過程を楽しむことができるかなって。

 楽しみが1つ、増えるなって……私は思うんですけど」


 ゆっくり言葉を選びながら口にすると、身体を燃やしていた炎が引いて行く。

 待てど暮らせど、ナナシの反応がない。

 唸ったり掠れたりする声が、全く聞こえてこなかった。


「あの……」


 もし、否定されたら……?

 彼が応えてくれなくなったら……?

 それは、死んだも同然だ。

 色彩を知った今、あの灰色の停滞した世界に落とされたくない。独りぼっちに戻りたくない。寒くて冷たい棺桶みたいな地下室で、()を誰からも認めてもらえぬまま、寂しく死にたくない。


 怖さを押し殺すように、拳をぎゅっと握った。

 

 返答はない。

 息遣いさえ聞こえない。

 しかしながら、これ以上は心が折れそうだ。心なしか、視界が潤み始めている。

 「答えがない」というのが応えかもしれない。しかし、私は彼の表情を見ていない。

 

 こうなったら、表情を見るまで諦めてやるものか!

 身体中の気合を高めて、さらに爪が食い込むくらい拳を握りしめて、そして――、


「ど、どうでしょうか!?」


 勢いよく顔を上げ、彼の顔を見た。

 

 ナナシは真顔だった。

 眉をピクリとも動かさず、私をまっすぐ見ている。

 そして、私の不安が鎌首を上げ始める寸前、二回ほど瞬きをして、


「――—っふ」


 鋼色の瞳が和らいだ。

 目元が緩やかになり、頬が少し上がる。ほんの一匙分だけ口元に微笑みを孕んでいた。


「……あっ」


 笑っている。

 ナナシが、笑っている。


 これまで、笑っている人は沢山見てきた。

 祈願者たちのにたにたとした笑みは、目が覚めたら触覚の長い虫が足元を這っていたのと同じくらい不快だった。

 

 それでも、自分が笑う時の感情と表情、本の描写からして笑うことが気持ちいいことなのだと理解はしていたし、彼の笑ったところを見てみたいと思っていたのは事実だ。

 

 だが―――、

 これまで見た笑顔のなかで、一番破壊力がある。

 本当に少しだけ微笑んだだけなのに、こちらまで幸せな気分になるようで、胸の中に篝火が灯る。嬉しいはずなのに、目元が更に潤み、せっかくのナナシの微笑みが歪んで見えた。


「よかった……喜んでもらえて、とっても嬉しいです。

 でも、どうしてかな……なんだか、涙が止まらなくて」


 溢れてくる涙を腕で拭う。

 嬉しいことなのに涙が出るのは、私の感情機能がおかしくなったのだ。幸せを超越して、感情がぐちゃぐちゃになって、涙腺が潤んだのかもしれない。

 その間もナナシは微笑を絶やさなかった。むしろ、さらに口角を上げ、首をわずかに傾ける。


「っん」


 「しょうがないな」と呆れるような微笑みのまま、胡坐をかいていた右足を伸ばした。彼の足は私よりずっと太くて長い。ナナシは私の足をひっかけるように伸ばすと、そのまま強引に前へと戻した。


「うわっ!?」


 必然的に、私は前に倒れる。

 普段なら避けることができたが、謎の涙に動揺した思考は凍り付いたみたいだ。私は為す術もなく、ナナシの胸に飛び込んでいた。

 彼の胸は堅い。

 私のベッドの方が柔らかい。それなのに、彼の鼓動を感じてると、不思議なことに心穏やかに毛布に包まっている以上に落ち着いた。彼の鼓動を聞きながら、そのまま眠り込んでしまいたくなる。


 もしかしたら、私を安心させるために胸に押し付けたのかもしれない。


「……ありがとうございます」


 上がったり下がったりと激しく動いていた感情は次第に収まり、涙も引いてくる。

 私は鼻をすすると、完全に緩んだ顔をナナシに向けた。


「落ち着きました。私の涙で服が汚れてしまい、すみません。明日の祝福の時まで我慢してください。

 そろそろお昼ですよね? 私、頑張ります!」


 このことの礼にならないだろう。

 私の料理は不味い域を脱していない。しかしながら、今日はいつになくヤル気に満ちていた。理由はないが、きっとうまくいく気がする。


 私は、意気揚々と調理場へと歩いて行き始めた。

 もう一度、彼の笑顔をみたくて。

 今度は微笑ではなく、もっと歯を見せて笑うような顔が見たくて。






 


 このときは、嬉しすぎて気が付かなかった。


 ナナシが真剣な眼差しを私の背中に向け、なにかを思案していたことに。






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