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3話 同居人が増えたの


 言ってやった。

 

 言ってしまった!


 白い広間に、私の叫び声が反響する。

 膝はかくかく震え、一世一代の叫びを終えた喉は干からびている。なんとも聖女らしくないみっともない姿だろうが、それでも、自分の心からの願いを伝えた。


 これで、却下されたら―――それまでの話。

 少なくとも、私は私にできる精一杯のことをした。その意思を込めて、お父様を睨み続けるが、先程の懇願に気力のすべてを使い果たしてしまったらしい。

 

 お父様の瞳に映る姿は、みっともない小娘以外の何者でもなかった。


 

 お父様は私を見下す。

 お父様は冷ややかな目で見下し続け、やがて、ゆっくりと重い口を開き、その裁定を下した。


「分かった。お前の意見を採用するとしよう」


 お父様は言い放った。


「……へ?」


 問いに対する答えなのに、変な声しか出ない。

 その言葉の意味を理解するのに、私は瞬き二回ほどの時間を費やした。

 意味がだんだんと胸に染みこんでいくと、強張っていた表情に笑顔が広がり始めた。


「あ、ありがとうございます!」


 私の意見を初めて聞いてくれた。

 それから、後ろの男も助けることができた。

 その二つから沸き起こった感情が波のように押し寄せ、足から力が抜けてしまう。私がそのままペタンと座り込んでいると、豪奢な人達が額に汗を浮かべながら叫んでいた。


「陛下、お考え直し下さい。アレの処刑は、連中に対する見せしめになります!」

「定期連絡さえ途絶えれば、何があったか察するはずだ。生かしておいてあると分かれば……探りを入れてくるだろう」


 お父様は淡々と豪奢な人達に言葉を返していた。


「アレを聖殿に連れてきたことは、我らしか知らない。

 新たに探りに来た鼠を捕まえるにも好都合だ。

 コレはこのまま地下へ閉じ込めておく。その方が祝福をする時も楽だ。……もちろん、万が一のことがないように、鎖は厳重に付けておくがな」


 お父様は護衛や侍従を呼び寄せながら指示を飛ばしていた。


「……聖女様、お戻りくださいませ」


 私がぼんやりお父様の背中を眺めていると、いつもの侍従が声をかけてくる。

 相変わらず表情がなく、何を考えているのか分からない。私は立ち上がろうとしたが、これまた不思議なことに、膝が床に括りつけられたように持ち上がらなかった。何度か試してみたが、うんともすんともいかない。


 結局、私は申し訳なさそうに笑った。


「すみません。足が動かないの」

「…………分かりました」


 侍従は私の腕をつかむと、立たせてくれた―――が、相変わらず、足に力が入らない。ぐにゃりと曲がり、転びそうになった。私が前に傾くと、侍従は強引に引っ張って来た。そのまま侍従に引きずられるように、私は地下へと続く道へ誘われた。



 そして、日常に連れ戻される。


 太陽の光が一筋も差し込まない地下室。

 相変わらず、内側からは開くことができなくて、一人で暮らすには十分すぎる広さの部屋だったが、そこに新たな同居人が加わった。


 ナナシだ。

 部屋の一番隅っこに、ナナシが鎖に繋がれている。

 とはいえ、私と違って、彼は動くことができない。両手首に鉄枷を嵌められ、そこから伸びた鎖が壁に括りつけられているのだ。両足こそ自由だったが、壁から離れることはできなかった。


 彼がこの状況を「良し」と認めていないことは、明白である。


 お父様の護衛たちに壁に括りつけられている間も、私を噛み殺したそうに睨みつけていた。護衛が部屋を去り、二人きりになってからも同様で、獣のように唸っている。


 獣を見たことがないので、想像でしかないが。


「えっと……勝手なことをしてしまい、申し訳ありません」


 私は謝りながら、まったくもってその通りだと思った。

 私の勝手で彼を助けた。

 彼の意志は全くもって介入していない。彼の様子を見る限り、助かりたくなかったのだろうし、こんな地下に閉じ込められたくもなかったに違いない。


 だがしかし、もう決まったことだ。

 覆せないし、覆したら、お父様に今度こそ殺されてしまう。


「私は聖女です。ナナシさん、これからよろしくお願いします。

 あ……すみません。名前、違いますよね。でも、他になんて呼べばいいのか分からなくて」


 私が頬を掻きながら言うと、男は唸り声を緩やかに止めた。とはいえ、こちらを未だに睨みつけている。鋼色の瞳は先ほどのように燃えていたが、こちらを推し量っているような真摯な色があった。


「その……」


 どのような言葉を続ければ彼の眼に叶うのか、まったく分からなかった。

 あれやこれやと考えてみる。

 しかしながら、答えは見つからない。結局のところ、言葉の続きはこれしかなかった。


「申し訳ないのですが、あなたのことを『ナナシさん』と呼んでも良いでしょうか?」


 「名無し」に由来した名前を名前として扱うのもどうかと思ったが、他に適切な呼び名が思いつかない。

 私から名付けるのも変な気がするし、本名を引き出す術はない。

 結局のところ、これしかなかった。

 もし嫌だという反応をされたら、別の名前を考えるしかないか……と考えていると、男は斜め上に視線を向ける。何かあるのかと視線を追ってみるが、偽物の青空が広がるだけだった。もう一度、彼に目を戻すと、やっぱり、まっすぐ私を睨んでいた。


「――—っ、う」


 ただ、先程とは異なり、匙一杯分くらいは怒りの色が退いているように思えた。男は息を吐きながら大きく肩を落とすと、しぶしぶと頷いてくれた。


「ありがとうございます! それでは、ナナシさんとお呼びしますね」


 私は胸を下ろす。自分の口元にほろりと笑みが広がるの分かった。

 そういえば、最後に笑ったのは、いつだっただろうか?

 私は久しぶりに浮かんだ笑顔が嬉しくて、さらに笑み深める。

 ナナシが不審そうな目で見てくるので、すぐに笑いを引っ込めようとしたが、口元のニヤつきを完全に隠せなかった。


 きっと、「変な奴」と思われたに違いない。





 それからも、地下生活は続いた。

 

 聖女として上に連れ出され、後ろ暗そうな人たちに祝福をする日々は変わらない。

 異なるのは、怪しげな祝福の後、そのまま地下に戻って、ナナシに治癒をすることだ。侍従は彼の傷が小指の程度の割合で癒えていくことを確認すると、私の手から祝福の剣を受け取り、鍵をかけて去っていく。


 それだけ。

 いままでとの違いは、私の生活に、身動きのできない同居人が加わった一点のみ。

 それだけなのに、私にしてみれば格段に心が弾む変化だった。

 


「おはようございます、ナナシさん!」


 朝はこの一声から始まる。


 私の挨拶を受けると、ナナシはゆっくりと瞼を開ける。どこか寝ぼけたような顔で首の関節を鳴らし、鋼色の双眸をこちらに向けてくると、低く唸り返してきた。

 侍従に挨拶をしても答えてくれないので、私の目を見て反応してくれるだけで嬉しい。


 そのあとは、新しい衣服に着替える。


 私が着替えるとき、ナナシは律儀にそっぽを向き、瞼も固く閉じている。

 穴が開くほど凝視されたら着替えにくいので、この配慮はありがたい。

 ちなみに、彼が着替える必要はなかった。

 彼を祝福する際、服の臭いや不潔なモノも一緒に消える。つまり、私自身を毎日祝福すれば着替えたり、身体を洗ったりする必要もなくなるわけだが、私は私を祝福できないので、ちょっと悔しい発見である。


 悔しい発見と言えば、食事だ。


「さて、朝食にしましょう」


 この言葉を聞くと、ナナシはあからさまに嫌そうな顔をする。

 その理由は単純だった。


 私の料理は、不味いのだ!


 非常に認めたくない事実だが、悔しいことに本当らしい。

 

 これが発覚したのは、ナナシと寝食を共にし始めてから数日経った頃である。


 彼は手を拘束されているので、自分で食事をとることができない。

 必然的に、私が匙ですくって食べさせることになる。本で読んだが「餌付け」に近いかもしれない。私が匙を差し出してあげると、ナナシは唇を固く結んで顔背ける。頑なに口を開かない。

 ただ、お腹は空いているらしい。時折、彼のお腹から地面を震わすような音が部屋に木霊していた。


 それから、2日くらいしたとき、ついに空腹に負けたのだろう。彼は観念したように唇をわずかに開けると、私が差し出した匙を加え込み、


「――—ぐ、がっ」


 世界のすべてを嫌悪するかのように顔を歪めた。

 ナナシは咳を込みながら、無理やり飲み込む。目元には薄らと涙が浮かんでいるようだった。


 最初は「私に食べさせられるのが屈辱なのかな」と思っていたが、どうやら違うらしい。

 これが分かったのは、私が食事をしている時のこと。

 私がぱくぱくと料理を口に運んでいると、ナナシの顔が少しばかり青ざめていたのだ。ナナシは半分瞼を閉じながら、私の食事風景をじとーっと眺めている。

 まだ、お腹が空いているのだろうか? 私は首を傾げると、スープを匙ですくい、


「もっと食べますか?」


 と聞いてみると、物凄い勢いで首を横に振られた。彼は何か伝えたそうに口を開いたが、当然ながら掠れたような声しかでない。ナナシは話せないことを思い出したのか、口惜しそうに地団太を踏み始めた。


 こんなやり取りがしばらく続いたのち、私はとうとう仮説に辿り着いてしまった。


「その……これ、美味しくない、ですか?」


 おずおずと尋ねると、彼は神妙な顔をして頷いた。

 頭のつむじが見えるくらい非常に深々と、二回も頷いた。 


「す、すみません。私、人に食べて貰ったのは初めてだったので」


 生まれてこの方、このような味しか経験していなかったため、不味いとは認識していなかったのだ。

 自分の舌に絶対的な自信を持っていただけに、この事実には衝撃を受けた。仮説が立証されてしまったことを受け、ふらふらと後退し、ベッドに肘が当たって、そのまま座り込んでしまうくらい、激しく動揺した。

 


 それ以降、調理方法を改良をしている。

 塩の量を増やしてみたり、香辛料を匙一杯にいれてみたり、火のかけ具合を調整したり……だが、美味しい料理には程遠いらしく、ナナシは眉間にしわを刻みながら辛そうに食べている。

 不味いと評されることは悔しいが、残さず食べてくれる点は料理人として嬉しい。毎日、料理の研究に励む意欲がわいてくる。


「料理って楽しいですね」


 私は食材を包丁で切りながら呟いていた。


「これまで、料理は暇潰しみたいなものでしたから」


 料理は淡々とした日常の一場面でしかなかった。


 あまりにもやることがない時間の潰し方。

 料理は腹も膨れて一石二鳥程度にしか考えていなかったので、心が平坦になったときはベッドで丸まったまま何も口に入れずに朝を迎えたこともある。

 私一人の時はそれで良いかもしれないが、いまは食べさせないといけない相手がいる。考えようによっては、とても面倒な作業なのかもしれない。それなのに、他人が自分の作った料理を食べて、美味しいと喜んでもらう姿を想像しながら調理方法を考えるだけで心が弾んだ。


 これは、いままでになかった変化である。


「ナナシさんは、料理が好きですか?」


 刻んだ野菜を水でいっぱいにした鍋に入れ込み、火をかけ終えてから振り返る。

 ナナシは両腕を拘束され、退屈そうに胡坐をかいていた。私の問いかけを聞くと悩むように唸った後、首を横に振った。


「そうですか……ということは、普段は外食をしていたってことですね」


 私は本の知識を引っ張り出した。


「飲食を提供してくれるお店があると書いてありました。お金を払って料理を提供してくれるとか……そこで済ませていたのですか?」


 ナナシは頷いた。

 彼の返答を受け、私は人差し指を唇に添えて考え込む。


「なるほど……ナナシさんみたいに料理を苦手とする人たちがいるから、そういったお店が栄えるということですか。つまり、私も料理が苦手だから、そのような店で飲食をするのが適切……いえ、私は料理は苦手ですけど、楽しいと感じているから外食をする必要はない?

 ナナシさん、料理が苦手だけど楽しいって思っている人でも、外食をしないといけないのでしょうか?」

「うー……――—ッ!!」


 私の問いかけに、彼は首を横に振りながら、ぴたりと固まった。みるみる間に驚くように目を見開いたかと思えば、言葉にならない声を上げながら、がしゃがしゃと手枷を動かし始めたのだ。私とは全く異なる武骨な指は、私の斜め後ろ辺りを指している。なんだろうかと振り返ってみれば、まさに鍋から泡が噴き出して零れる瞬間だった。


「あーッ、大変!!」


 急いで鍋を火から退ける。

 幸い、零れる一歩手前で気づいたので、大事には至らなかった。私は息を吐きながら額に浮かび上がった汗を袖で拭う。


「ナナシさん、ありがとうございます」


 彼の目を見てお礼を口にする。

 ナナシは疲れたように吐息を零すと、肩の力を抜いた。鋼色の眼は「気をつけながら、料理を続けろ」と訴えているようである。私は彼の瞳に頷き返すと、鍋の方へ身体を戻した。気が付けば、また口元が緩んでいた。



 ナナシの見た目は変わらない。


 顔の生々しい傷、ぎざぎざした歯、短い舌に鋭い眼。角とか牙とか長い爪とかないことを除いても、物語に出てくる怪物のような外見である。 


 それなのに、恐怖は完全に消えていた。

 むしろ、一緒にいると心がぽかぽかしてくる。狭い窓から陽光を浴びたときの感覚と似ているが、外側からではなく、内側から浴びているみたいだ。暖かな日差しが胸の奥から生まれ、毛布に包まれるよりも身体が温まる。


 ほとんど一方的に話しているだけなのに、とっても不思議だ。

 やっぱり、侍従よりも反応を返してくれるからだろうか?

 この不思議な現象について、彼に尋ねてみたいところだが、おかしなことに話そうとすると言葉が詰まってしまう。熱を出した時みたいに顔が赤くなり、恥ずかしくなってしまうのだ。


 

 彼と生活を始めてから、胸がきゅうっと萎んだり、目が覚めたら枕が濡れていたりすることが減った。人形を抱いて寝ることもなくなり、ここ数日間は、心が地の底へ沈んでいくような感覚に陥ることもなくなった。



 だから、彼の傷が完全に癒える日が怖い。

 

 私の祝福の力を受け、小指の先程度だが確実に舌は再生し始めている。

 舌が戻り、話すことができるようになれば、この生活は終わる。彼の声を聞いてみたい、という気持ちはあったが、彼に声が戻れば、彼は地下に戻ってこない。



 一歩ずつ、着実に近づいてくる足音に耳を塞ぐ。

 これまでみたいに現実に蓋をして、湧きがある気持ちを狭い狭い心に閉じ込めて。







 そんなときだった。


 いつものように脂ぎった男の祈願を済ませた後、お父様が私に言葉をかけてきたのだ。


「聖女。お前は今日で15歳になる。つまり、成人だ」

「……はい」


 私はお父様の言葉を聞きながら、そういえばそうだったと思い出す。

 物語の登場人物は誕生日を楽しみにしている。でも、私は誕生日が楽しかったことは一度もない。

 誕生日のプレゼントとやらを貰ったことはないし、祝われたこともない。

 それでも、15歳の誕生日は一生に一度しか来ない特別な日。成人を迎えるともなれば、もっともっと特別な日だ。


 あまり、嬉しくはないが。


「だから、喜べ。お前に種を与えよう」

「種ですか!?」


 一変して、私は目を輝かせた。

 暗い広間に、窓から陽光が差し込んだような心地だ。

 これまで、生きた植物を見たことがない。陽の届かない地下では、植物を育てることができないのだ。


「今夜、お前の兄を遣わす。身体を清めて待っていろ」

「はい!」


 兄は苦手だった。

 お父様とそっくりで、私を妹として見てくれない。

 容姿や服に文句言い、嫌味を飛ばしてくる。だから、兄と会うことを待ちわびたことは一度もなかった。



 地下に戻ったら、ナナシに伝えよう。

 きっと、彼も喜んでくれる。もしかしたら、彼の笑顔を見ることができるかもしれない。



 お父様が去ると、私は心の中で小躍りをしながら階段を駆け下りるのだった。





本作は、ハッピーエンドです。

問答無用のハッピーエンドです。

メリー・バッドエンドではありません。ご注意ください。



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