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2話 状況を説明するの



 この暮らしは、まあ悪くない。


 「聖女の仕事」の他、掃除や自炊といった日課をこなせば、あとは基本的に自由だ。


 本を読んでも、刺繍をしても、お菓子だけで朝晩をすませても、壁に絵をかいても、ずっと昼寝をしても、一人で部屋を走り回っても、鍵のかかった扉を手が赤く腫れあがるまで叩いても、声が枯れるまで泣き叫んでも、まったく怒られない。

 


 侍従が身の回りの仕事をしてくれたのは、ずっとずっと昔。

 家事やら何やらを叩き込まれ、7,8歳くらいからは自由気ままな一人暮らし。

 炊事から掃除に至るまで、全部自分でこなしていた。 

 とはいえ、洗濯だけは乾かないので、侍従に干してくれるようにお願いしている。


 朝、私が洗濯物を渡せば、すっかり綺麗になった純白の絹布をくれた。

 私は絹布を受け取ると、上端を折り返して体に巻きつけ、両肩を留める。腰に銀製の帯を巻くと、着替え完了である。

 いつもこれ一択。

 お父様や侍従たちとは違う服装だが、これが聖女としての正装らしい。

 兄曰く、


『伝統的すぎる古風な服しか着れなくて、本当に可哀そうだな』


 だとか。

 憐れに思うのであれば、もっと可愛らしい……いや、可愛らしいとか我儘言わないから、せめて、同じ型でも色違いの服を取り寄せて貰いたい。


 だが、


『残念だが、お前は聖女だ。他の服は着ることはできない』


 と笑って返されてしまった。



 その言い方が悔しくて、腹の辺りがむかむかする。

 そこで、私は大きい布を貰って、こつこつと服を自作することにした。見様見真似で作ったので、非常に歪な形になってしまったが、それでも、一応は完成した。


 ところが、それを着ることは許されなかった。


『聖女らしくないから駄目です。いついかなるときに、聖女の仕事が入るか分からないのですから』


 侍従に叱られ、抵抗虚しく没収された。

 

 それ以降、服を作ったことはない。

 どうせ着れないと思うと、もっともっと地の底へ沈んでいくような気持ちになるから。


「…………諦めよう」


 私は嘆息とともに、ベッドに飛び込んだ。

 木製のベッドは、非常に丈夫だ。上で飛んだり跳ねても壊れる気配すらない。頑丈過ぎて、寝ていると背中が痛くなる。

 これも仕方ないと諦めていたが、物語の王様や王女様たちが「雲のように柔らかいベッド」で寝ていることを知ってからは、考えが少し変わった。

 下敷に詰められた綿は薄く、どう考えても柔らかくない。

 頑丈なのは良いが、私も王族だ。もう少し寝心地の良い下敷きを用意してもらえないだろうか?


 だから、私は駄目もとで頼んでみた。


『私も王族ですから、もう少し柔らかいベッドで寝たいです』


 案の定、侍従は首を横に振った。


『王女である以前に、聖女様です。

 聖女様は清楚で慎ましく生きて行かねばならないのです。

 そもそも、国王陛下も王である以前に、星教の大神官であられます。陛下も質素倹約慎ましく生活を送っているのですから、聖女様も我慢してもらわなければ困ります』

『でも、お父様は……ちょっとふくよかな気がします』


 お父様は腹が出ている。

 とても血色がよくて、頬がパンみたいに丸くて、金の輪を嵌めた指は腸詰のようにふっくらしている。耳飾りは赤い宝石が輝いているし、赤や黄、緑や青といった色彩豊かな宝石を散りばめたネックレスを太い首に垂らしていた。

 これは、お兄様も同じだ。

 お父様のミニチュア版である。この二人が親子であることは、素直に頷けた。


 対する、私の顔は青白い。

 骨が薄ら浮き出るくらい痩せている。

 他にも違う点をあげればキリがない。

 私は黒髪なのに、お父様たちは金髪。私は青い瞳なのに、お父様たちは黒々としている。私は鼻が低くて、お父様たちは尖っている。

 お父様たちは金を基調とした華やかな服を纏い、数多の指輪や首飾りなどで豪奢に着飾っていた。

 私は上質だけど白くて簡素な服だ。装飾品にいたっては、身に着けたことさえなかった。


『同じ生活をしているのであれば、お父様たちも私と同じ体型になると思います。

 それに、私は……本当にお父様の子なのでしょうか?』

『見た目ではなく、内面が似ているのです。

 この終末の世を憂い、少しでも良き方向へ導こうとする高潔な魂が瓜二つでございます』

『……』


 ここで、反論するのを辞めた。

 なにを言っても、きっと無駄である。

 




 世界は、滅びに向かっている。


 私は終末の世を救済するため、母の胎を借りて「聖女」として降臨した……らしい。

 聖女は「祝福の剣」を使い、相手の名前と願いを唱えることで、その祈りを叶えることができる。これは本当のことみたいだ。前に来た人が、再び「祝福」を受けに現れた際、


『聖女様の祝福のおかげで、有難いことに我が家は順調です。今回もよろしくお願いします』


 と、ほくほく顔で礼を口にしている。

 あの男は会うたびに服が煌びやかになり、顔も丸くなっていっていた。あの男は好きになれない。にまにまとした笑顔は薄気味悪く、もみもみ手を這わせるところも好きになれなかった。


 彼らに祝福を授けろと強いる、お父様も嫌いになり始めていた。



「子どもの頃は、使命感に燃えていたんだけど」


 自由に外へ出られず、自由に服も着れず、好きでもない仕事を強いられる。

 聖女としての使命を想えば、当然のことなのかもしれない。この地下の暮らしは基本的に制約がないし、王女として「社交」とやらに気を使わなくても良いのだ。



 だから、暮らしは悪くない。



 それに、外に出ることはできないが、本で逃避行することができる。

 異界や異国に心を飛ばし、登場人物たちと一緒に冒険をする。空想の世界では聖女としての使命から解放され、私はドラゴンを退治したり、財宝を手に入れて国を興したり、病気の母を救ったりと百戦錬磨の猛者。

 見ず知らない世界を探検し、どこまでも縦横無尽に走りまわることができるのだ。

 


 ところが、これにも難点があった。

 冒険から現実に帰ってきた後、必ず心にぽっかり穴が開いたような感覚に陥る。


 陽の差し込まぬ地下に閉じ込められていることを、否応なしに実感してしまうのだ。


「……」


 天井を見つめる。

 少しでも外にいる気持ちになりたくて、青く塗りたくった。頭上に空を描けば心が晴れるかと思ったが、気休めにしかならない。視線の先に広がるのは、青く塗った凹凸のある石の天井だ。それ以上でもそれ以下でもない。


「……誰か、私を……」


 そこまで呟いてから、私は首を横に振る。

 その先の言葉は、あまりにも現実味がない。むしろ、途方もない虚しさを掻き立てる。私は身体を起き上がらせると、枕もとの人形に手を伸ばした。


 自分で作った人形だ。

 絵本に載っていた犬をモチーフに作ってみた。

 ぎゅっと抱き着いていると、心が少しずつ落ち着くのが分かった。雫が水面に創り出した波紋と揺れが収まるように、感情が平坦になっていく。

 




「聖女様、すぐに来てください!」



 私が寂しさを押し殺していると、侍従が駆け込んできた。

 普段はこのまま何事もなく一日が終わるのに、このタイミングで来るなんて珍しい。私が了承する間もなく、侍従は私の腕をつかみ、地上に向かって急ぎ始めた。

 一体何が起こったのだろう?

 私は心なしか不安に思いながら、息を切らしながら階段を上っていく。


「こちらです」


 扉を開けた瞬間、急に差し込んできた眩い光に視界を奪われる。

 これは、いつものことだ。少しだけ立ち止まり、眼を半分だけ閉じる。わずかに喉の奥から上ってくる気持ち悪さを耐え、眼が慣れてくるのを待とうとした。ところが、侍従が「止まることを許さない」とばかりに、勢いよく私の手を引っ張った。

 あまりにも強く引っ張るものだから、身体が前のめりになり過ぎて、転びかけてしまう。


 普段なら、お父様からの叱責が飛ぶのだが、今日は反応がない。

 おかしいなと思いながら、私は薄く開いた瞼を持ち上げ、視界に飛び込んできた人物を見て、はっと息を飲んだ。



 私の眼前には、いつもの祈願者とは全く毛色の違う青年が転がっていたのだ。

 


 最初に意識したのは、鋼色の瞳だった。

 とにかく、激しい。これまでに出会った全ての人々を圧倒する。轟々と燃える火よりも激しい眼差しだった。

 じろりと、その双眸が向けられている。

 瞬間、ぞわりっと背筋が逆立つのが分かった。


 怖い。


 足を退いてしまう。

 一歩退くと、青年の全体像が分かった。

 今年、20を迎えた兄よりは若く、身体つきは硬そうだ。

 赤銅色の髪はぼさっと粗野に跳ね、顔には頬から目元にかけて十文字の傷が走っており、服の至る所にも切られた痕跡や血が滲んだような赤い染みが目立った。

 顔の傷からは赤い血が流れ、ぽたぽたと白い床に滴たり落ちる。

 これまで、「○○の傷を癒せ」と命じられたことはあったが、本当に傷だらけの男を見るのは初めてだ。


 磨き抜かれた白い床に、赤い色が広がっていく。


「だ、大丈夫ですか!?」


 気が付けば、私は駆けだしていた。

 

 彼は見るからに辛そうだった。

 痛めつけられた身体を見ていると、心臓を内側から握られたように息が苦しくなる。


「しっかりしてください」

 

 誰に命令されなくても、自分から祈願者に近づくのは初めてかもしれない。


 もちろん、男から漂う鉄の臭いと生々しい傷が残る姿を見ると、足元から虫の大群が這い上がってくるような震えが走った。


 けれど、いまは恐怖よりも「彼を助けたい」という気持ちが勝っていた。


「貴方の名前を教えてもらえませんか?」


 私は彼の前に着くと、屈みこんで目線を合わせる。

 近づいてから分かったが、男は両手と両足に重そうな鉄枷を嵌められていた。彼は枷いついた鎖を鳴らすと、私を嘲笑うように口を開いた。

 尖った歯列の向こうに、ちろっと舌が覗かせる。

 ざらりとした赤い舌は、なんとなく中途半端に短い。

 不思議に思いながら返答を待っていると、お父様の声が上から降ってきた。


「そいつは話せない。

 舌が切られている。口を割らぬようにとな」

「切られた……?」

「再生しないように呪いがかけられている。聖女の力なら解呪できるかもしれん。試してみろ」

「ですが、彼の名前を知りません」

 

 私が尋ねると、お父様はつまらなそうな口調で名を告げた。


名無し(ナナシ)という名で良いだろう。やってみろ」

「ナナシ、ですね。分かりました」


 私は祝福の剣を受け取ると、彼の肩にそっと乗せた。

 傷の浅い場所を選んだが、男はますます目を鋭く尖らせた。まるで、傷を癒されることを嫌がっているように思える。その仕草に疑問を覚えたが、私は剣に力を籠め、心の底から精一杯の祈りを唱えた。


「ナナシの傷が癒えて、万全な状態になりますように」


 彼の痛みが癒えて、健やかな身体になりますように。

 その辛さが消えて、彼が笑顔になりますように。


 私の祈りに呼応するように、剣の鍔に埋められた宝珠が徐々に黄金の輝きを放ち始める。


 ところが、ここで異変が起きた。

 いつもは目が眩むほどの紫の輝きを帯びるというのに、今回に限っては大匙一杯分ほど。申し訳程度に身体の周りが輝き、すぐに収まってしまった。

 私の祝福は、男の流血を止めた程度にとどまったのである。

 私は瞬きをする。

 目を袖で擦ってみても、状況は変わっていない。


「そ、そんな……!?」

「―—っふ」


 男は鼻で笑う。

 当然、舌は切られたままだ。


「なんで? どうして!?」


 私は薄暗い階段の上から突き落とされたような感じになった。

 こんなに真剣に祈ったことは子どもの頃以来で、いや、その頃よりもずっとずっと祈ったのに、どうして治らないのだろう?


「…………やはり、急造の名では不可能か」


 私が混乱していると、お父様が冷ややかな声で呟いていた。


「祝福される側が名を認めていない場合、祝福の力は最大限に発揮されないそうだが……どうやら、本当らしい」

「まったく、連中め。呪いとは面倒なことを!」


 ここで、私はようやくお父様以外の人がいることに気付いた。お父様の周りには、お父様のように豪奢な人たちが、額を合わせるように話し合っている。

 本人たちは囁き合っているつもりらしいが、会話の内容は耳に届いていた。


「せっかく、連中の尻尾をつかめたのにこの始末! これでは、頭目の名を聞き出せぬではないか!」

「っくそ! 名前さえ分かれば、堂々と訴えることができるのに」

「訴える? 合法的に攻め込み、我が国に吸収するの間違いだろう?」

「我が国よりも財を貯め込んでおるからな……早く奪い取りたいよのう」

「今はどうでも良いだろ。まずは、アレの処分を考えるべきだ」


 男たちの目が、ナナシに向けられる。

 私に向けられているわけではないのに、お父様たちの平坦な眼差しに身体が固まってしまった。


「鼠は見せしめにする」


 お父様が呟く。

 

 私はこれまでにない程、頭を回転させて状況を飲み込もうとした。


 お父様たちは、ナナシの主人を訴えようとしている。

 でも、それは名目作りで、ナナシの主人の国?に攻め入り、吸収合併をするつもり……なのだろうか?

 

 

 その一環で、ナナシを捕まえたが、口を割らすことができなかった。


 なので、役に立たなくなった男を見せしめにする。


「みせしめ……」


 その言葉を口の中で呟く。


 本で読んだことがある。

 異国に忍び込んだ斥候を捕らえた後、見せしめに処刑すると。そのことを理解した途端、私は頭のてっぺんからつま先まで、さあっと血の気が失せていくのを感じた。


「牢へ連れていけ」


 お父様は地下の石よりも冷たく言い放つと、護衛の人たちがナナシに近づき始める。


「お、お待ちください!」


 気が付くと、私は叫んでいた。

 ナナシをお父様から庇うように、立っていた。


「わ、私の力で、少しだけ怪我が癒えました!

 もっと回数を重ねたら、舌まで治すことができるかもしれません!」


 私の口が勝手に言葉を紡いでいる。

 足の指先から膝にかけて小刻みに揺れ、その振動を受けた上半身も揺れていた。


「どうか、この人に慈悲を!」


 両手を広げて、力の限り叫ぶ。


 自分は、何を考えているのだろう?


 頭の片隅で疑問が生まれる。

 私自身、どうして彼を庇っているのか分からない。


 殺される者への慈悲か、お父様に喜んでもらいたいのか、はたまた他の感情なのか。


 まったくもって理解できないが、1つだけ確かなことは「彼を殺してほしくない」という点だった。



「…………」


 お父様が私を見下している。

 そう、お父様が私を見ている。

 数年ぶりに合致した視線は、真冬の水よりも冷たい。その黒々とした瞳のなかに、ちっぽけな小娘が目尻を潤ませながら両手を広げる姿が映っている。


 蛇に睨まれた蛙、とは、今の状況を指すのだろう。

 もちろん、私が蛙。

 

 だが、蛙である前に、私は聖女だ。

 

 この人を助けたい。

 そのくらいの我儘を通したい。14年間、なにも望みを叶えてもらえなかったのだ。今回も同じ結末になるかもしれないが、今回こそ我儘を通して欲しい!


 お父様に言ってやる。

 あの男が見せた激しい色に負けないように、身体中の眠っていた気合を叩き起こし、それを喉の奥に集結させる。拳をぎゅっと握りしめ、裁定者のように佇むお父様を睨み付ける。


 我がまま聖女は、数度呼吸を繰り返し、長く息を吐いた後、一世一代の叫びを思いっきりぶつけてやった。



「お父様! この人を殺さないでください!! 私が、必ず治して見せます!!」







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