表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/20

夢を見るの

漫画版6巻配信記念の番外編です


 眩いばかりの白亜の部屋。

 でも、そこに流れる空気は最悪で、大雨の日よりもどんよりとした湿り気が漂っている。磨き抜かれた大理石の床に目を落とせば、感情のない自分の顔が見返してきた。


『聖女様、今日の祈願者です』


 聞き覚えのある声に顔を上げる。

 そこにいたのは、ビッフェル国王とブルータスだった。その後ろには、これまで祝福を与えてきた欲に塗れた男たちが山のように集い、卑しい笑みを浮かべている。心底気持ちが悪く、見ているだけで鳥肌が立ち、思わず一歩、二歩と後ずさりしてしまっていた。


『わ、私。もうやりません。貴方たちの言いなりにはなりません! 絶対に!』


 両手を握りしめながら、必死になって睨み返す。

 すると、ビッフェル国王とブルータスは子馬鹿にするように笑った。その笑い声が部屋中に反響し、四方八方から囲い込まれているような錯覚に陥る。それでも、恐怖で叫びたい口を噛みしめ、なんとか背筋をぴんっと伸ばして立ち向かおうとした。


『なにをいまさら……お前の手はすでに汚れているだろう』

『なにを幸せになろうとしているのです?』 


 瞬間、大理石の床に黒い塊が出現した。無数の死体が折り重なるように足元に広がっていた。見覚えのない人も多かったけど、そのなかにはシーザーや自分を迎えてくれたシスターの姿もある。


『あっ……』

『お前のせいで、何人の人生が狂った? 誰の人生を狂わせた? そのように穢れた手の小娘が聖女とは――笑わせる』


 嫌、もう見たくない!

 助けてほしくて口を開こうとして、シスターの隣に倒れる人影に気づく。赤銅色の髪に顔に傷のある青年が生気のない虚ろな目でこちらを見上げていて――







「っ、はっ!?」


 恐怖と驚きに揺れ動かされ、弾かれたように目を開けた。

 荒い呼吸を繰り返しながら、どこにいるのか分からずに周囲を見渡した。とてもささやかな小部屋だった。左は扉で固く閉ざされ、右の窓から朝の日差しが差し込み、部屋を優しく照らしている。私はちょっと固めな長椅子に座っていて、お尻の下は規則的な振動で揺れていた。


「……そっか、私……汽車に乗って……」


 基本は徒歩の旅だけど、これから向かう場所が少し遠く、せっかくだから汽車に乗って移動することにしたのだった。最初こそ窓の外に流れる風景に興奮したけど、夜になるとやっぱり眠くなり、いつのまにか夢に落ちてしまっていたようだ。


「……嫌な夢だった」


 前に目を向ければ、同じような長椅子に、ナナシが私と向き合うように腰を掛けている。目を閉じて、こくりこくりと頭が揺らし、熟睡しているようだった。ちょっと狭いのか、長い足を窮屈そうに組んでいる。それでも、右手には剣の柄を握りしめていた。


 ナナシは寝るとき、必ず手の届くところに剣を置く。

 こうして、ベッド以外のところで寝るときは、必ず剣の柄を握りしめていた。

 彼曰く「こうすると安心できる」らしいけど、なんだか気を張り詰めているようで胸の奥が哀しい気持ちで満ちてくる。ナナシは自分の過去について口にしないし、触れられたくなさそうなのであえて聞いたことがない。唯一知っていることは、彼の家族はすでにおらず、出身の村も燃えてしまったということくらいだ。そこから先は、オキトンの密偵として影の世界を歩んでいた。


 それは、私に想像できないほど辛く暗い人生だったに違いない。

 私も自由のない生活だったけど、「聖女の能力」があるからみんなが生かそうとしていた。死とは無縁の世界を送るなか、ナナシは逆で常に死が隣で口を開けて待っていた。彼が選択を一歩でも間違えていれば、ナナシと私は会わなかっただろうし、私も彼と知り合うことができず、いまも地下で監禁生活を送っていたことだろう。


「だけど……」


 もし、彼ではない密偵が舌を切られ、私の前に投げ出されていたら――同じように助けた。それは間違いない。それでも、彼と同じく運命共同体の仲にまで発展するとは思えなかった。他の密偵でも監禁された私を助けてくれたかもしれないけど、オキトンや主君に渡されたり、自分の私欲のために聖女の力を利用したりするような気がする。もちろん、そんな人ばかりではないと思う。でも、それでも、ナナシと会えなければ、ここまでの自由と解放を味わうことはなかったに違いない。


「……」


 私はもう一度、ナナシの顔をじっと見つめる。

 生々しい傷痕が頬から目元にかけて走り、肌艶もそこまで良いとはいえない。それでも、朝の日差しを浴びた寝顔は輝いて見える。心地よさそうに寝息を立てる顔は、いつまでも眺めていられた。彼はどのような夢を見ているのだろう、と考えたとき、ふと自分が先ほどまで浸っていた悪夢を思い出した。


 もう監禁生活に戻りたくない。ナナシの愛情と外の世界を知ってしまった以上、地下でも塔の上でも閉じ込められて過ごすのはごめんだった。せっかく生えた翼をもがれるくらいなら、と思ってしまうかもしれない。

 ああでも、1つだけ――後悔していることがある。

 それは、自分の祝福のせい誰かの人生を狂わせてしまったこと。聖女の祝福によって受けた被害については、可能な限り祝福を返した。でも、すべてを元に戻せたわけではなく、亡くなってしまった人を生き返させることはできないし、その人が受けた苦痛や困難を帳消しにするわけでもない。シーザーや第五神殿のシスターは私に会わなければ命を落とすことなく、いまも元気に過ごしていたかもしれないと思えば、自由を手にしてしまった自分が後ろめたくなった。


 自分のしてしまったことは取り返しがつかない。

 だから、私は旅をしている。

 これまで見たことのない世界を羽ばたきながら、自分のやったことの後始末をするため。

 どこまでも自己満足にすぎない旅に、ナナシは付き合ってくれている。彼はなにも言わず、私の旅に付き合ってくれる。私のことを愛してくれているからなのだろうけど、私は彼の大きな愛に応えられているのか分からない。


「……よし」


 音を立てないように注意しながら、慎重に立ち上がった。

 汽車の揺れを感じながらも、ゆっくりと足を進ませ、ナナシの隣に腰を降ろす。ナナシは私が隣に座ったことに気づいていないのか、すやすやと寝息を立て続けていた。よほど疲れ切っているのかもしれない。こうして近づいたというのに、彼は眉ひとつ動かさなかった。


 私は、そんな彼の左手にそっと指を這わせる。

 自分から手を繋ぐのは未だに恥ずかしくて、こうして彼が眠っているときしか自ら触れることができない。節のある指にちょんっと触れ、起きないことを目で確認してから、そろりと指を絡ませた。ナナシの大きくて武骨な手にも傷が目立ち、ところどころ白い線が幾重にも重なるように走っていた。何度も握り、よく知った硬い手から暖かなぬくもりが伝わり、頬が緩むくらい安心する。


「……ナナシさん」


 彼の肩に頭をつけて、ゆっくりと目を閉じる。


「いつも、ありがとうございます」


 私は囁くように呟いた。 

 寝ている彼には届かない言葉。前まではもっと無邪気に伝えられた言葉だけど、彼の愛の深さを知るたびに自分の幼さが際立ち、恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。いつか、もっと自分に自信が付いたら――彼が起きているときも伝えられるといいな、と祈りをこめて。








 実はこのとき――ナナシはとっくに起きており、私の反応を楽しむために寝たふりをしていたと知るのは、まだまだ未来の物語。




デジタルマーガレット様にて、大久間ぱんだ先生による漫画版が連載されております。

1~6巻がkindleを含む電子書籍店にて配信中です!

軟禁された聖女と名無しの密偵が織りなす脱出ロマンスをお楽しみください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最初から一気に読みました! 最後幸せに終わって良かったですよ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ