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11話 約束を守るの


 ここ数か月、最も幸せな時間は2つあった。


 1つ目は、食事時。

 長年培ってきた貧乏舌は、たかが、果物であろうと感激で目が覚める。

 みずみずしい甘さが舌から喉奥へと通り抜け、全身に染み渡っていくのだ。


 15年間の人生、調理を必要としない野菜や果物も食うに値しない処分品以下の食材を与えられ続けてきたことを知ったときは、人生観が足元から音を立て崩れ落ちる感覚に陥ったものだが、あの偽お父様たちのことだ。

 私が思ったより、あっさりと受け入れることができた。



 だが、その食事時も……最近では心が重い。

 

 フォークを持つ腕が重く、空腹感がないのだ。

 真っ白い白い皿に鎮座した肉料理を見て、小さく息を吐く。


 肉を細かく刻んで丸めた「ハンバーグ」なる料理は、私の大好物になった食品の一つだった。

 ナイフで割れば、じゅわりと肉汁が溢れ出し、湧きあがる香ばしい匂いだけで口内の唾を分泌させた。獣臭は一切感じず、噛みしめるたびに、肉の味が口の中に広がっていく。

 はっと我に返れば料理がなく、ハンバーグにかかっていた焦げたような黒色なのに甘い汁をパンに吸わせながら、その余韻を味わうのは、至福の一時だった。



 そう、だった。


「……ごめんなさい」


 ナイフで切り分け、ハンバーグを口に運ぶ。

 味がしない。

 ねっとりとした油だけを舌が読み取り、喉の奥は「なにも入れるな」と抗議中。お腹は石の塊が入ったように重く、かちゃりとナイフとフォークを皿に戻した。


「お腹いっぱいです」

「わかりました」


 焦げ茶色の髪の侍女は、てきぱきと皿を片付け始める。


「果物はどうでしょう?」


 緑色の髪の侍女が、ひとつの皿を勧めてきた。

 皿に盛りつけられた黄色く柔らかそうな果実には、薄ら桃色の皮が被っている。フォークを持ち上げ、果物を口に運んだ。冷たい甘さを感知し、すっと心に落ちていく。

 

 でも、それも二切れが限界。

 半分残して、皿を下げさせてしまった。


「……」


 緑髪の侍女は感情を顔に出さない。

 

 だが、彼女がエドウィンなる男の母親……グレイシアだとしたら、反ブルータス側の女性である。きっと、私の身を案じて、果物を勧めてくれたのだと思いたい。


「ごめんなさい」


 ほとんど手の付けられていない美食たちを想い、謝罪の言葉が零れる。

 言葉を呟くことさえ、心が重い。

 原因は分かってる。

 

 過度の祝福だ。


 今日だけでも、6件の祝福をした。


 偽お父様は1度につき1人だった。

 対し、ブルータスは6件。

 最初は3件だったのが、だんだんと数が増えている。どこまで一日の回数を増やせるか実験しているのでは? と危惧している。

 それに、ブルータスの場合は書面だ。

 相手を連れてくる必要がない分、回数が多く祝福させることができるのだろう。


 その分、疲れがたまる。

 昔は眠れば、頭がすっきりして一日を迎えることができたのに、昼食を終えてベッドに倒れたら朝陽で目覚めるということも多々ある。


「それでは、聖女様。何か御用がありましたら、お呼びください」


 いつものように、扉が閉まる。

 私はベッドに座り込むと、そのまま後ろに倒れた。

 

「……鳥でも卵は、1日に1つしか産めないと聞くのに」


 本で得た知識を口にし、自嘲気味に笑った。

 これでは、卵を産み終えた鳥が「もっと産め!」と首を絞められているみたいだ。そのうち、絞殺されてしまいそうな気がする。


「ナナシさん」


 名前を呟く。

 命がけで助けてくれた人に対して、申し訳ない気持ちが身体を支配している。

 彼のおかげで、美味しい食べ物を知ることができたのに、つつくだけで終わってしまっている。


「ナナシさんが、今日も健康でありますように」


 彼への祝福を口にすると、押し寄せる疲労に勝てない。

 私は最後の一言を口にしながら、重たい瞼を抵抗せずに受け入れる。



 そして、彼の夢をみる。

 これが、2つ目に好きな時間。

 食事が苦手になってしまったらか、いまでは唯一好きな時間。


 ナナシと過ごした時間を夢に見る。

 私が一方的に語り掛け、一方的に世話を焼く。それに対する小さな反応を確認する。ささやかだけどあの時間は、すごくすごく楽しくて、心に棘みたいに刺さっている。

 

 だから、彼の夢をみる。


 目が覚めると現実を叩きつけられて、ひどく虚しい気持ちになるから、無意味どころか、心が誰もたどり着けない地下深くに押し込まれるように辛いことだけど、あの日々の強烈なのに淡い色彩は……………一生、忘れない。







 

「……っぅ、うん」


 目が覚める。

 部屋が赤かった。

 窓の向こうには、世界が燃えるような夕焼けが広がっている。地平線の向こうの森に、灼熱の太陽が静かにゆっくりと溶けるように消えていく。


「喉、乾いたな」


 私は喉を擦りながら、水差しに手を伸ばす。

 

「あっ」


 哀しいかな。

 私の指が震え、水差しの細い持ち手を宙に留まらせることができなかった。かしゃんと悲しい音を立て、足元に落ちる。足元に散らばった水は夕陽のせいで赤く染まり、血のように見えた。


「私が……落下したら……」


 この水差しのように、赤い華を地面に咲かすのだろうか?


 その姿を幻想し、小さく首を振った。


 なにを馬鹿なことを。

 私はエドウィンに約束をしたのだ。彼に協力すると。


 だから、私は待っている。

 ナナシの近況を知り、エドウィンに協力してブルータスやビッフェル、他の悪いことをした人たちを罰する日を。

 そして、また延々と続けるのだ。

 無意味で無価値で道具のような日々を。


 それが聖女の仕事であることは理解しているし、聖女であるから仕方ない。


 私は、どこへ行っても囚われる。

 最初は地下、次に塔の上。ブルータスを倒したら、私を正しく運用する人の下へ移るだけ。そこから逃げ出す力なんて、たぶんないし、正しければそれでいい。

 

 逆に、


「これから、あなたは自由です」


 と、放逐されたところで、生き方を知らない。

 未知の荒野に放り出されても、生きる術を知らないのだ。

 その先に待っているのは、野垂れ死に。


 故に、結局は、誰かに囚われ、囲われる人生しか選べない。


 なので、私は多くのことを望まない。

 私が望むことは、ただ一つ、ナナシの幸せだ。彼が健康で幸せに暮らしているのであれば、それだけで私も幸せなのだ。


「それに、どうせ、落ちたって死なないもの」


 落下防止の術式が~、とか、エドウィンが言ってた気がする。



「すみません」


 私は足元のガラスを簡単に片づけると、ベルを鳴らす。

 しばらくして、侍女たちが部屋に訪れた。


「ごめんなさい。水差しを壊してしまいました」

「かしこまりました。それでは、新しいものを用意しましょう」


 緑髪の侍女がそう言った、そのときだった。


「ああ、こんなところにいましたか」


 ブルータスが部屋の入り口に姿を現したのだ。

 この男が仕事中以外で現れることがなかったので、つい、目を見開いてしまう。


「いいえ、聖女様の手を煩わせることではありません。

 そこの侍女、このあと、私と一緒に来てください」


 ブルータスは緑髪の侍女の方を見た。


「かしこまりました」


 緑髪の侍女が言う。

 ここで、私は声を上げた。


「お待ちください、ブルータス様」

「……なんでしょう?」

「この侍女をどうするつもりなのですか?」


 私はブルータスを見据えた。

 

 なぜ、わざわざ、ブルータスが彼女を呼びに来たのか?

 単純に、伝令の兵を使えばよいだけの話だ。

 とはいえ、第五神殿に来てから兵の姿を見ていないので、兵がここまで登ってくることができないのかもしれない。だとしても、下で待機させておけば良いだけの話だ。


 わざわざ、ブルータスが直々に捜し、呼びに来る必要がない。

 それなのに、彼は来た。


「聖女様のお気にすることではございません」

「この侍女をどうするつもりですか?」


 私は言葉を繰り返す。


 導き出される答えは単純だ。

 兵に知らせることができない用事が出来た。それか、兵を待たせるのも惜しく、すぐさま、彼女を捕縛する必要ができた。


 どちらにしろ、悪い状況だ。

 エドウィンとの約束を果たさなければならない。


「用件でしたら、ここで話したらどうですか?

 そこのあなた、一度、外に出なさい」


 私は焦げ茶髪の侍女に命令する。

 焦げ茶髪の侍女の顔に、ここで初めて動揺の色が過った。


「彼女を出せば、私たちだけになりますよね。

 私はどうせ、ここから出ることができません。話しても良いでしょう? それとも、話せないほどの大悪事を彼女が起こしたのでしょうか?

 それでしたら、私が直々に彼女を裁く必要があります」


 私は目を細める。

 ブルータスは、一瞬だけ顔をしかめた。


「しかしですね、この程度のことで聖女様のお手を煩わせるのは……」

「話しなさい。話せないのでしたら、この侍女を渡すわけにはいきません」


 ここまで言って、私が退くつもりがないことを悟ったのだろう。

 ブルータスは焦げ茶髪の侍女を退出させると、駄々をこねる子を見るような目を向けてきた。


「この者の息子が、大悪人だと判明したまでのこと。

 よって、彼女から話を聞くことになったのですよ」

「大悪人? どのような悪事を?」

「国王の暗殺を企てた騎士だったのです。

 明日、暗殺者リストをまとめて、天罰の祈りを与えていただこうと考えていたのですが……」


 しらじらしい。

 天罰の祈りを与える前に、司法で罰すればいい。

 それをしない時点で、司法で罰することができず、私法で罰しようとしている魂胆が見え見えである。


 それは、地下に閉じ込められ、与えられる知識でやりくりしないといけないので、他の人よりも多少、学が低いかもしれないが、この程度のことを考えられないほど馬鹿ではない。


「……貴方の息子は、不正をする騎士だったのですか?」

 

 緑髪の侍女 グレイシアに尋ねる。

 グレイシアは、まだ感情を顔に出さない。淡々と機械のような声で、


「そのようなことはありえませんが、聖女様の気にすることではありません」


 と、説明した。

 私に迷惑をかけるまいと律しているのかもしれないが、私にはエドウィンとの約束がある。再三だが、この者を引き渡すわけにはいかない。


 私は立ち上がると、ブルータスとグレイシアの間に立った。


「あなたの息子は、あなたに犯罪への教唆をしたのですか?」

「聖女様、どうかその者を渡してください」


 グレイシアが応える前に、ブルータスが口を挟んできた。心なしか、口調のなかに苛立ちの色が見え隠れしている。


「嫌です。まだ話は終わっていません」

「聖女様……!」

「ブルータス様っ!!」


 がたんっと勢いよく扉が開き、見知らぬ神官が駆け込んできた。

 ブルータスの顔に怒りが浮かぶ前に、神官が怯え切った声で叫んだのだ。


「赤龍騎士団に続き、第一神殿から、問い合わせが殺到しております!! せ、聖女さまを、いんと――」

「隠匿!?」


 神官が全てを口にする前に、そして、ブルータスが隠そうと口を開くより半歩速く、私は叫ぶように言い放った。


「どういうことです? 第一神殿に伝えたと聞きましたが!?」

「そ、それは、この者の伝令ミスです。

 お前もお前だ。この部屋に入ってはいけないと命令しただろう!? すぐに降りる。さっさと、この女を――」

「説明が終わっていません」

「この……くっ、もういい!!」


 ついに、ブルータスがキレた。

 私の腕を赤く痕が付きそうなほどの強さで掴んでくる。


「お前、この場で女の首を切れ! 私は、この娘を秘匿の地下牢へ連れて行く!」

「はっ!」


 ついに尻尾を出した。

 エドウィンが、おそらくナナシから私が聖女だと聞き、助けを廻して来てくれたのだ。


「やっぱり、私を騙していたんですね」


 私は口にしながら、エドウィンにもらった魔術式札を袖から出した。


 そして、彼に教えてもらった通り、叶えたい祈りを叫ぶ。


「私とグレイシアを、この場から逃がせ!!」


 叫んだ瞬間、札が強烈な光を炸裂させた。

 世界を潰すほど眩い光が視界を奪う。あまりの光に眼が潰れ、呻きながらよろめいてしまったが、あっけないほどすぐに光の洪水は収まった。瞬きをすれば、ブルータスと兵が床に伸びている。 

 私とグレイシアだけが、部屋に立っていた。


 札の威力、恐ろしや。

 だが、感心するのは、後回し。私はグレイシアに駆け寄ると、彼女の手をつかんだ。


「グレイシアさん、逃げ道を知ってますか?」


 彼女は目を白黒させながら、私を見下してくる。


「え、ええ。ですが、どうして、私の名を?」

「エドウィンさんに聞きました」

「エドウィンが!? そう、良かった。私の手紙が届いたのね」


 グレイシアの顔に、少しばかりの光が浮かんだ。

 が、すぐに、緊張感のある強張った顔になると、普段以上にてきぱきとした口調で話しかけてきた。


「第一神殿から連絡が来たということは、すぐに救援が来ます。

 ついてきてください。真に安全な場所まで案内します」


 グレイシアが、走り始めた。

 私は彼女の後を追いかける。


 エドウィンさんとの約束を絶対に守りぬいてみせる。

 ナナシさんの近況を知るまで、絶対に捕まってなるものか!



 だから、自分の足で駆けだした。

 この数か月、ずっと、人が出入りするだけだった扉の向こうへ。










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