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窮鼠猫を嚙む


 レーマス帝国、国境付近の某街。

 西陽も薄れ、濃紺の夜空が街を覆う頃、繁華街からは仕事を終えた者たちの笑い声や酒を運ぶ給仕の声、数多の料理の香りや客寄せの姿で満ち始める。


「……」

「…………」 


 明日が安息日ということも起因してか、街の賑わいは普段より増していた。

 どの店も客で溢れ、個室はどこも貸し切り状態で、その部屋からも人が溢れ出さん勢いで騒いでいる。賑やかで面白きことは善きことなりだが、その中で一つ。

 周囲の喧騒など我関せず、静まり返った個室があった。

 部屋の内側に張られた「防音の術式」の効果もあるが、それとは別に静まり返っている。


「……」


 エドウィンは肉を頬張りながら、対座する男に視線を向けた。

 ナナシは、黙々と手を動かしている。

 傷だらけの顔を緩めながら、テーブルに並んだ料理をひたすら食べていた。「美味い」と口に出さずとも、一流どころか二流にも程遠い家庭風味の料理を心の底から楽しんでいることが、ひしひしと伝わってくる。

 戦闘時とは似て非なる姿だ。

 鮮烈な傷顔(スカーフェイス)で大の男でも逃げ出す眼光をした男が、がつがつと掻っ込むことなく、付け合わせの若干萎びたサラダに至るまで、ひとつひとつ、丁寧に味わっている。


「ん? どうした?」


 エドウィンがしげしげと見過ぎたせいか。

 ナナシが食べかけていた煮込み肉を皿に戻し、訝し気に尋ねてきた。


「あー、いや。美味そうに食べるなと」

「そりゃまあ、な。

 この世全ての不味さを煮詰めた料理を数週間に渡って食べさせられたら、何でも美味しく感じるってもんだ」

「それは……精神に刳る拷問だな」

 

 エドウィンは眉をひそめた。

 ナナシは語らないが、幾度も修羅場を潜り抜けてきたに違いない。自身と大して年の頃は変わらないのに、顔は無残なまでに傷だらけだ。敵に捕らえられ、肉体面だけでなく、精神面の拷問を受けたとも考えられる。

 しかし、ナナシの返答は、あっけないものだった。


「いや、善意」

「そうか…………ん? 善意?」

「純度100%の善意。本人もその味が普通(・・・・・・)って認識している」


 ナナシはそこまで言い切ると、最後の一切れを頬張る。

 彼の表情は困った教え子を思い出すようなほろ苦い笑みへと変わっていった。


「それは、あの子……聖女のことか?」


 エドウィンは低い声で尋ねた。

 

「あの()、自分以外の料理を知らなかったんだ。聖女って立場なのにさ」


 ナナシはカップを手に取り、中身がないことに気付いたのだろう。小さく舌打ちをし、ポットに手を伸ばした。入れるか?と目で尋ねてきたので、快く頂戴することにする。煮だし過ぎたのか、銅のように濃いお茶がカップに注がれていく。


「……君は、俺を信じているのか?」


 ふと、気になったことを尋ねてみた。


「あんたが、俺を欺こうとしてるって?」


 ナナシはカップをエドウィンに渡しながら淡々と答えた。


「あんたは、あの娘の目の色を知っていた。それだけで、十分だ」

「それだけか?」

「あの娘と会える立場の人間を、俺程度の追手に使うわけないだろ」

「でまかせかもしれないぞ?」

「誉れ高き赤龍騎士団の騎士様が嘘をつくのか?」

「なるほどな」


 エドウィンは温かなカップを両手で包み込む。


「それで、赤龍騎士団のエドウィンさんは、俺から何を聞きたいんだ?

 まさか、俺の安否の確認だけじゃないだろう?」

「そのまさかさ」


 エドウィンが正直に答えると、ナナシは驚いたように瞬きをした。


「なんだって?」

「あの子に君の安否の確認を頼まれた。君が幸せに暮らしているかどうか、それが知りたいそうだ」

「それだけ?」

「ああ、でも、妙だな。俺は……あの子から、君が話すことができないと聞いていたが……。

 君、自力で解呪したのか?」

「まさか!」


 ナナシは小さく吹きだした。


「あの娘、気づいてなかったのか? いや、らしいと言ったら、らしいけどさ」


 エドウィンの困惑をよそに、くっくっくと、喉の奥で笑っている。

 一般人に紛れていた時や自分と戦っていたときとは違い、意外と明るい面もある男だ。そんなことを思いながら、ナナシが話し出すのを待つ。


「俺は、あの娘だけを転送陣に乗せて逃がした。転移先が分からぬように、機器を壊し、あの娘を即座に追わせないように、可能な限り場を混乱させた」


 ナナシは笑みを消すと、上着に手をかけた。


「15,6人だったか? 細かいことは忘れたが、転移の間で暴れに暴れた。4,5人斬ったところで、窓を割って外へ逃げた。騎士たちを俺に引きつけ、俺に目が行くように……まあ、一世一代の大立ち回りって奴をやったわけだ」


 彼は語りながら、固く締められたボタンを解いて行く。


「ただまあ、俺は小国の鼠。正規の騎士……それも、王選りすぐりの近衛騎士に敵うはずがない」


 胸元がはだける。

 引き締まり、強そうな上半身が露になる。その姿を見た瞬間、エドウィンは後ろに退きかけるほどの衝撃を受けた。


「おい、その傷……っ!?」

「自分でも良くやったぜ」


 ナナシは自嘲気味に笑った。 


「槍で腹を貫かれたのに、身体が動くんだよ。んで、刺してきた奴を叩き切ってやった。連中、今のあんたみたいに仰天してさ、

『なぜ、死なない!? 化け物め!』

 とか、言ってやがる。俺自身、不思議だった。息ができない。呼吸をしても、喉が焼け付くように乾いてさ、空気が身体に染みこんで行かない。血が滝のように流れてるのに、身体の熱ばかり上がってくんだ。


 我に返った時には、王都のはずれに転がってた。

 最後まで残った騎士と一緒にな。

 騎士の方は首が奇妙に曲がっていて、死んでいた。

 俺は首こそ繋がってたが、ほとんど腕の肉が露出してたし、左脹脛から下はない。腹にも穴が空いてる。まず助からないし、隣の奴みたいに数分で死ぬのは明白だった。

 ……それでも、これで良かったって思った。

 俺みたいな薄汚い鼠でも、あの娘の夢を叶える手助けができた……って」


 ナナシは愛おしそうに、右腹部に残る拳大の罅割れたような傷痕を擦った。


「ところがだ。

 意識が途絶える寸前だ。あの娘の声が聞こえたんだ。

 『ナナシさんが、どうか無事でありますように』

 ってさ」

「声?」

「それからは、続けざまに、

『ナナシさんの命が助かり、外を自由に走ることができるようになりますように』

『ナナシさんの舌が元通りになりますように』……って。

 こっちが心配するほど、切羽詰まった声でさ、耳元で囁いてくるんだよ。

 そうしたら、時間が逆転するみたいに、傷が塞がって、左足が生えてきた。喉から声が出たときも驚いたが……俺的には、また両足で立てたことに仰天したぜ」


 ナナシはあくまで淡々と語るが、エドウィンは背筋が逆立った。


「聖女の、祝福の力なのか?」

「それ以外、なんだってんだよ。俺は自己回復する超人じゃねぇーっての」


 ナナシは見世物は終わりだと、上着を手に取った。

 エドウィンは彼が服を着る様子を眺めながら、祝福の奇跡の威力を思い知った。自分も数々の試練を潜り抜けてきたが、あの傷で助かった者はいないし、一命をとりとめるはずがないと断言できる。

 しかし、現に目の前の男は生きている。


(なるほど。これは、聖女の祝福を悪用する者が出てくるわけだ)


 エドウィンが生唾を飲み込んだ。


「だから、君は……生きている。話すこともできる。そいうことか」

「余談だが、あの娘は一日に一度、まだ俺に『健康でありますように』と祝福を祈り続けてる。おかげさまで、産まれてから一番、今が調子が良い。

 ただまあ……祝福される際、身体が紫色の光を帯びる」


 ナナシの苦笑いを見て、エドウィンは頷いた。

 彼とすれ違った際、視界の端に取られた紫色の光は、聖女からの祝福の証だったのだ。これぞ、神の導きというべきなのか。

 単なる偶然だろうが、しみじみと感慨深いものを感じた。


「と、いうことでだ。

 エドウィンさん。あんたは、あの娘のところへ報告しに帰るんだろう?

 そのときに、伝えてくれないか?

 あんたのおかげで、俺は十分以上に幸せに暮らしてる。だから、俺みたいな奴じゃなくて、もっと別の人へ向けろって」


 ナナシは、はにかむように笑った。

 エドウィンは半ば頷きかけ、はたと……違和感に気付いた。


「君は……ナナシ殿は、本当に幸せなのか?」


 すっかりぬるくなったカップを握りしめながら、男に向かって問いかける。

 身体は健康そのものだが、身なりは粗末で、この食べっぷりは尋常ではない。金銭はあまり持っていないのだろう。

 それに、エドウィンがいくら「赤銅色の髪の男性」を目で探していたとはいえ、これでも、エリート教育を受けてきた身だ。人探しの名を借りた諜報活動をこなせるほどの技量があり、いかに本職中の本職でも見破ることは困難だ。

 そう、それこそ……


「ナナシ殿は、常に気を張っているのではないか?」

「そんなことはないさ」

 

 彼の声の調子が元に戻った。

 口元には微笑が残っていたが、どこかで見覚えのある切なそうな色へと変わっていく。


「では、いまは、なにをしている?」

「なにも」


 ナナシは冷え切った茶を見下しながら答える。


「生き残ったのは良いが、俺には行く場所も帰る場所もない。

 せいぜい、俺が生きてることを恐れる奴らを引きつけて、返り討ちにしてやろうって感じだな」

「……あの子のところへ戻るという選択肢は」

「ない」


 エドウィンの問いかけに、ナナシは即答した。


「あの娘は……あの娘は、聖女だ。

 名前がなくて、美味いものを知らなくて、空も、太陽も、地面も草も何もかも知らない。月灯りすら逃げ出してから……初めて知ったんだ」

「だが……」 

「あの娘は、これからなんだ。これから、人生が始まるんだ。

 俺みたいに名前も教養も地位も何もない……ただの後ろ暗い鼠が、あの娘を拘束しちゃいけない」


 ナナシは立ち上がった。

 机に両手を置き、エドウィンに向かって首を垂れる。


「あの娘には、あんたみたいな奴が必要だ。これから……あの娘のことを、よろしく頼む」

「……ナナシ殿」


 エドウィンは立ち上がると、彼の肩をつかんだ。

 そして、顔を近づけると、


「この、大馬鹿者が!!」


 勢いよく、彼の額めがけて頭突きをかましてやった。


「痛ッ!」

 

 ゼロ距離の攻撃は、さすがの彼でも避けることができなかったようだ。

 赤い額を抑え、理不尽な暴力に怒りを露にしてきた。


「てめぇ、いきなり何しやがる!?」

「大馬鹿者ですよ! 君、いいえ、君たちは!! あー、俺は、騎士だ! 聖職者ではないのだぞ!!」

「なに勝手に一人で怒ってんだよ!? 俺は頭良くないから、分かんないんだっての!」

「…………」


 エドウィンは、よっぽど互いの想っているであろうことを口に出してやりたい気持ちにかられたが、もっと手っ取り早い方法があることに思いついた。

 ひとつ、ふたつ、みっつと、数を心のうちで唱えながら、昂った怒りを鎮め、静かに口を開いた。


「ええ、聖女様は言われましたよ。

 『ナナシさんには、私は幸せだと伝えてください』

 と。

 そして、こうも言われました。

 『だから、この状況は悲しませるので、絶対に伝えないでください』ともね」


 文言は少し変えたが、概ねのことを口にした瞬間、ナナシの顔から怒りが消えた。


「……なんだと?」

「第五神殿内で、反乱がおこった。

 シーザー神殿長は重病ということになっているが、実のところ秘密裏に殺害され、ブルータス副神殿長が第五神殿を支配している。

 第一神殿はもちろん、帝国上層部にすら、聖女帰還の報告は入っていない」


 エドウィンは、胸の内で聖女に謝罪の言葉を呟いた。

 約束を破るのは、騎士非ざる行為だが、これは正道のためだ。聖女の未来のためでもある。

 だから、心を鬼にして、分からず屋の男に向かって、事実を冷酷に突きつけた。


「聖女様は第五神殿の最も高い塔の最上階に軟禁されている。

 俺は密命を帯びて、彼女に接触し、ナナシ殿の安否確認と引き換えに、協力関係を結ぶことで合意した。


 ……まあ、俺の仕事はすんだ。

 あとは、君が『幸せに暮らしている』と聖女様に伝え、赤龍騎士団が中心となって、ブルータスの悪事を暴けば良いだけだ」

「……それで」


 ナナシが口を挟んできた。


「それで、あの娘が……本当に、自由になれるのか?」


 地の底から絞り出すような声に、エドウィンは内心、にたりと口を歪める。


「俺は一介の騎士だ。聖女の身の上は、上で決める。できる限りの努力はするが、これまでの経緯もある。

 ありていに言って、何かしらの拘束を受けるのは当然だ」



 さて、君はどうする?


 エドウィンは、ナナシに視線を向けた。

 






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