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10話 客人が来たの


 ひとまず、青年を部屋に招き入れることにした。


「ああ、助かるよ。滞空するのは骨が折れるからね」


 青年は微笑むと、ふわりと浮き上がったまま入って来た。

 そのまま、軽やかに床に降り立つ。


 部屋に入ると、彼は燭台に照らされ、人の良さそうな端正な顔が良く見えた。

 ナナシと同じくらいだろうか。シーザーはもちろん、ブルータスより皺がなく、ナナシより遥かに肌艶が良い。

 服の質もよく、夜空に紛れそうな黒いコートを羽織っている。コートの隙間から覗く上下の服も黒く、胸元に赤い龍の紋様が刻まれていた。

 青年は床に降り立つと、訝し気に部屋を見渡し始める。


「……これは驚いた。この部屋、魔術式だらけじゃないか」


 青年は感心するように息を吐いた。

 ふむふむと見渡しながら、部屋を勝手に歩き回り始める。


「最高度の防音。扉には指定者以外の出入りを制限している。密度が細かい……どっちも解呪するには骨が折れそうだ」

「あの……」

「窓は自由に出入りできるが……身投げしても保護する式が組まれてるな」

「えっと……」


 青年は私の存在なんか忘れてしまったかのように、なにかに没頭している。

 私が戸惑っていると、青年は思い出したように振り返って来た。


「すまない。自己紹介が遅れた。

 俺はエド。エドウィン・カルダス。職業は見ての通りだ」

「はぁ……」


 そうは言われても、生返事でしか答えられない。

 どこかの制服なのだろうが、私の知識にはない。


 私の困惑していると、エドウィンは苦笑いを浮かべた


「驚くのも無理はない。レーマス帝国の騎士でも、選び抜かれた赤龍騎士団の制服ときた。

 普通、赤龍騎士団の精鋭は、こんな麦畑しかない巡礼地に来るはずもないからね」

「赤龍騎士団……」


 とても偉そうな単語が出てきた。

 エドウィンの話しぶりから察するに、帝国とやらの騎士団でも頂点に近い実力者に違いない。見た目も話し方も軽薄だが、そもそも空に浮かんでいた時点で、私の想像をはるかに超えている。


「さてと、君は?」

「私は……」


 一度、口を閉ざした。

 すぐに私の正体を明かし、助けを求めるのは危険すぎる。

 ブルータスの一味である可能性は捨てきれないわけだし、違ったとしても、ブルータスや偽お父様のように聖女の力を私利私欲のために搾取されるかもしれない。


 私は少し悩みながら口を開いた。


「初めて出会った人に教える名はありません」

「……まあ、当然の反応か。うん、俺も同じ立場だったら、君のように返答するよ。女性の身は堅い方がいい」


 エドウィンは少し肩を落としたが、すぐに持ち直す。


「さてと、俺は一人の女性を探している。

 名前は、グレイシア。濃い緑色の髪の女だ。年齢は四十代前後。半年前、ここの神殿の給仕だった。何か知らないか?」

「濃い緑の髪……」


 一瞬、脳裏に侍女の片割れが浮かんだ。

 四十代というのは想像でしかないが、目元に小皺が浮かんでいた。たぶん、若くはない。少なくとも、私やナナシ、エドウィンより遥かに年上だ。


「その人を探して、どうするつもりですか?」


 私は問い返した。

 心当たりがあると答えても良かったが、あの侍女を探す理由が知りたい。

 侍女たちが好きか嫌いかはさておき、正当な理由がなければ教える道理もなかった。


「俺の母親だ」


 エドウィンはそう言いながら、胸ポケットから手紙を取り出した。


「この神殿で給仕をしているが、半年前、こんな手紙が来た」


 私は彼から手紙を受け取ると、細く震えた文字に目を通した。


「『エドへ。


  頼もしい男になった?

  すぐに逃げ出すんじゃないかって心配したよ。

  けどさ、尻尾を撒いて帰ってこないところをみると、死んだ父さんに

  似て、意外と真面目に励んでいるのかもしれないね。そりゃ、生きていれば

  気落ちすることもあるかもしれないけどさ、仲間の人たちと

  手を取り合えば、乗り越えられるさ。

  ぶるぶる震えるようなときも

  互いに助け合って、励まし合って、成長して行くことができるような

  素晴らしい友人を作りなさい。きっと、貴方のためになるわ。

  母も職場の人たちとは上手くやっているよ。もちろん、あんたを想うと

  寂しい時もあるさ。だけど、あんたが頑張ってると思えば、どんな

  辛いときも乗り越えられるってものよ。

  じゃあね。母は元気でやってるからさ、なんというか気にしないでおくれ。あ

  んたも達者でね。

  しゃんと背を伸ばして生きていくんだよ!』

 ……長い手紙ですね」

「これまで、一度も手紙を送ってくることがなかった」


 エドウィンの声色は、先程とは比べ物にならないほど重たかった。


「『便りがないのは良い便り』。我が家のモットーだ」

「では、これが悪い便りと?」

「そういうことになる」


 私はもう一度、手紙に目を落とした。

 額面通りに受け取れば、子どもを想う母親の手紙だ。特段、気にする点は見当たらない。だが、エドウィンの言うことが本当であれば、これは「悪い知らせ」だ。どこかに、ヒントとなる文字が隠されているかもしれない。

 数度、目を凝らすように読み返してみて、私は一言、


「珍しい改行をする人、ですね」


 と、感想を呟いた。

 7行目の「ぶるぶる震えるときも」と8行目の「互いに助け合って」のくだりだ。ここは普通に続けて書けばいいのに、改行している。他にも続ければいいのに、と思ってしまうところもあったが、これ以上書き続ければ字が小さくなり、読みづらくなってしまうので改行したのだろう。


 なので、別に気にするようなことではない。

 

 私がそう答えると、エドウィンは頷いた。


「俺も同じように思った。

 だが、俺の母親は几帳面でな。そのようなことをするとは思えない。言い回しが変なところもある。

 そこで考えを変えてみることにした。

 母は、わざと改行したのだ(・・・・・・・・・)と」

「わざと?」

「ここから、こう読んで欲しい」


 エドウィンは長い指で最初の文字だけをを上から下へ滑らせる。


「頼、す、け、似、気、手、ぶ、互、素、母、寂、辛、じ、ん、しゃ。

 たのすけに、き、て? ん? すけにきて? ……え、あれ、これって……」


 文字を幾度か口にしながら、自分の顔から血の気が引いて行くのが分かった。


「まさか、最初の文字を拾って読むと……」

「上半分は『たすけにきて』。下半分は『ぶたすはさつじんしゃ』だ」

「ぶ……ぶたすは、殺人者……もしかして……」


 「ぶ」の隣には「る」がある。

 ここだけ「ぶる」と続けて読めば、意味が通じる。


「ブルータス?」


 ありえる。

 あの男なら、殺人もやりかねない。むしろ、最初の時を除き、シーザーが姿を見せず、彼に祈りが届かないことから考えるに、もしかすると、ブルータスが殺ったのかもしれない。

 薄々感づいていた仮説が実体を伴い始める。


「君は、なにかを知っているね?」


 上から降って来た静かな声に、はっと顔を上げた。

 黄色い瞳が、まっすぐ見下している。エドウィンは少しばかり屈みこみ、私と目線を合わせてきた。


「救援の文を見て、俺は戻って来た。

 ブルータスの殺人に関する調査も兼ねて。

 久しぶりの故郷を見て、驚いたよ。神殿の門に魔術式がびっしり刻まれていたんだ。

 庶民や出入りの商人たちは見えないが、わずかでも神殿に敵意のある者が通過すると、それを察知し、術者に知らせる警報術式が張り巡らされている。

 あれは尋常じゃない。背筋が震えたよ」


 エドウィンの声が一段階、低くなった。


「遠目から家を確認したが、庭は荒れ放題だ。まず、半年は帰ってきていない。

 そうなると、神殿が一番怪しい。

 だから、術式が刻めない空から様子を窺ってみることにした。赤龍騎士団クラスでないと、空を飛べる騎士はまずいない。だから、警戒も薄い」

「それで、空を飛んでいたんですね」

「……驚いたよ。

 この部屋の術式密度は神殿の門に匹敵する。君の目が訓練されていなくて、本当に良かった。この術式が四六時中見えていたら……まず、正気ではいられない」


 どうやら、想像以上に、この部屋に閉じ込められているらしい。 

 14年間、閉じ込められていた地下室も同じく術式が張り巡らされていたのだろうか?


「……そういえば」


 ふと、思い出す。

 脱出の日。

 ナナシに抱えられて走ってい時、鉄を爪で引いたような金属音が耳を貫いたことがあった。あの時、ナナシが舌打ちをしていた意味がつかめなかったが、警報術式の類だったのではないか?


「君は……何者なんだい?」


 エドウィンが問うてきた。


「おそらく、俺の母を知っている。

 そして、ブルータスが何をしたのかも察している。貴族の重罪人を監禁するに匹敵する部屋で一人、夜を過ごしている。

 これは、異常だ。

 考えられる可能性は、3つ。

 1つは、ブルータスの殺人現場を目撃し、拘束されている。

 1つは、ブルータスの独占愛で囲われている。

 そして、最後は……」


 エドウィンは何か言おうとして、口を閉ざした。

 彼の中でも確証が得ていないのだろう。少しばかり、彼は視線を逸らした。


「最後は?」

「……君が、ブルータスにとって有意義な存在。金の卵を産む鶏のような」


 だが、そうは見えない。

 わずかに自信のなさそうな声は、そのように伝わって来た。


 私は、彼の顔を穴が空くほど見つめる。 


「……」


 エドウィン・カルダス。 

 騎士団でも、(おそらく)エリート揃いの赤龍騎士団に所属している。

 

 彼に母の情報やブルータスの疑惑、自分の立場を洗いざらい話して、この場から助け出してもらうのは手段としては有りだ。


 だが、そのあとは?

 

 赤龍騎士団のところへ行き、同じように監禁されてしまったら?

 エドウィンは、ブルータスより遥かにマシだが、シーザーが殺されたように、状況が変わって、私の身柄が更に質の悪い人の手に渡ってしまうかもしれない。


 私は、どうするべきなのか。


 ああ、そんなこと、いまさら考えるまでもないだろう。

 ずっと堂々巡りしていた脳を蹴り飛ばし、さくっと単純な結論に思考を飛ばした。


「話しましょう」


 私が口を開くと、エドウィンは再び目を合わせてきた。

 少し大きくて黄色い瞳は、まっすぐ私を映している。


「濃い緑色の髪の女性を知っています。眼の下ところに、小じわのある女性です。眼の色も貴方と同じでした」

「本当か!?」

「……これ以上の情報は、今は話すことができません」


 私が断ると、彼の瞳が少し細くなる。


「取引、ということか?」

「ビッフェル王国を知っていますか?」

「ビッフェル……? ああ、北の小国か」

「知っているのですか!」

「有名だからね」


 エドウィンの声色に少しばかり色が滲んだ。


「悪名高い国だよ。ビッフェルはろくな国じゃない。王族と一部の富裕層が搾取に搾取を重ねた贅沢三昧な暮らしをし、多くの一般庶民を飢えさせる国だ」

「搾取に搾取……なるほどね」


 私の祝福は、外界的にはそう見えていたのだろう。

 いや、あえて、そのように演出していたのかもしれない。とはいえ、ビッフェルを知っているなら話が速い。


「私は人を探しています。ですが、ここから出られません。その人の安否を確かめてくれたら、お母様のことに加え、殺人のくだりや私の身の上をお話ししましょう」

「ここからビッフェルまで、早馬を飛ばしても、10日はかかる。

 その女性の安全は保障されるのか?」

「はい。彼女は私の侍女をしてくれています。手際も良く、仕事も早いです。辞めさせられることは、まずないでしょう」


 万が一の時は、私が守り抜いて見せる。

 たとえ、再び地下に閉じ込められる事態になっても、エドウィンが持ってきてくれる情報の方が大事だ。


「等価交換ということか。分かった、君の探し人の話を聞こう」


 エドウィンは少しばかり拳を握る力を強めたように見えた。

 母の安全や情報を秤にかけ、私に力を貸してくれる気になったらしい。


「顔に傷がある男の人です。ここと、ここに、十字を書くように。

 年齢は、エドウィンさんと同じくらいで、堅い感じの身体をしています。ぼさぼさっとした赤銅色の髪で、目の色は鋼色で……こう、いつもは気怠そうな感じなんですけど、炎みたいに焼けるような目をしたり、お日様の光みたいに優しい目をしたり、えっと……」

「名前は?」

「……分かりません」

「分からない?」


 エドウィンの眉間にしわが寄る。

 当然の反応だ。名前も分からない相手を探させるだなんて、探偵でも骨が折れることだろう。


「名前を教えてもらえなかったんです。

 呪いで舌が切られてしまったらしくて。私は、ナナシさんと呼んでいました」

「呪いで?」


 エドウィンは考え込むように、指を顎に添える。


「その者は、ビッフェルにいるのだな?」

「半年前、王城にいたことは事実です。その先の消息が分かりません。

 誰かに調べてもらいたかったのですが…………逆に、彼の身に危険がかかるかもしれないと思うと、誰にも調べてもらうことができなくて」


 最初は「ナナシの生存」について尋ねてしまったが、今になって思うと、あれは悪手だった。

 聖女を助けた者を……それも、第五神殿に送ったと知っている者を、ブルータスが見逃すわけがない。

 それ以降、彼の安否は尋ねてはいないが、聖女の力が無事に発動していることから考えるに、生存していることだけは確かだ。


「つまり、君をここに閉じ込めている人……たとえば、ブルータスたちの敵、になるということかな?」

「そういうことです」 

「なるほど。それは、少し面倒だが……いや、ブルータスの尻尾をつかむ機会になるかもしれない。

 分かった、取引成立だ。その者の情報を持って帰って来よう」


 エドウィンは腕を組み、深く頷いた。


「ありがとうございます」


 取引成立だ。

 ナナシがどのような生活を送っているのか、知ることができれば安心だ。

 あとは、私と関わり合うこともなく、平穏に過ごして欲しい。彼さえ幸せになってくれるのなら、私の所有主がブルータスから赤龍騎士団へ変わっても、たとえ、もっと悪い場所に閉じ込められることになっても良い。


 彼が平穏であるならば、幸せだった色彩豊かな日々を夢に見ながら、狭い世界で生きていくのも悪くない。

 だって、私は彼と過ごして楽しかった。

 彼のおかげで、太陽を知れた。空を知れた。月を知れた。美味しい料理も知れた。それで、十分ではないか。これ以上、欲ばると罰が当たる。


「では、君にこれを渡しておこう」


 エドウィンは袖から紙を取り出すと、こちらへ渡してきた。

 何の変哲もない白くて細長い紙だ。それ以外の何物でもない。


「貴人用の緊急魔術式だ。術式の知識がなくても使うことができる。

 三枚あげるから、もしものときに祈りを唱えると良い」


 エドウィンは白い紙を握らすと、窓の方へと歩き始める。

 そして、去り際。

 エドウィンは、思い出したように尋ねてきた。


「そういえば、その者に伝えることはないか?」

「なにも」


 私は即答する。


「無事を知ることができれば、それでよいのです。

 もし、私の様子を心配しているようでしたら……。一言、ありがとうと伝えてください。

 あなたのおかげで、私は幸せに暮らしています、と」

「この状況が?」

「きっと……心配すると思いますので。

 彼に余計な心配をかけたくありません。お願いします」


 私は頭を下げた。

 ぱさりと黒い髪が前へ垂れたのが分かった。


「……分かった」


 エドウィンは心強い言葉で返してくれる。

 私は顔を上げながら、肩の力が抜けていく気がした。


「ところで、君の名前……本当に教えてくれないのかい?」

「ええ。いつか、機会があれば」


 私の立場を明かそう。

 その意を込めて口にすれば、エドウィンはやれやれと肩を揺らす。そして、一呼吸あとに彼の足が床から離れた。


「その時を楽しみにしてる。では、また」


 彼は二本立てた指を額の辺りにあて、軽く外側へ払い、夜空へと飛び出して行った。

 厚い雲に覆われた夜空は、月の鈍い光さえ地表へ差し込まず、エドウィンの黒い姿は瞬く間に闇に紛れて見えなくなった。


「……お願いします。エドウィンさん」


 どうか、良い知らせを。









次回更新予定は、20日の17時~18時を予定しています。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >名前は、グレイシア。濃い緑色の髪の女だ。年齢は四十代前後。 >四十代というのは想像でしかないが、目元に小皺が浮かんでいた。たぶん、若くはない。少なくとも、私やナナシ、エドウィンより…
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