1話 監禁されてるの
「聖女様、お仕事でございます」
神官の声で、私は意識を覚醒させた。
瞬きをしてみると、でっぷりと太った男が見えた。宝石をちりばめた服が陽光を反射し、眼が痛いほど輝いて見える。
私は真紅の椅子から立ち上がると、男の下へ歩き始めた。
「聖女様、こちらを」
「……はい」
私は歩きながら、細身の剣を受け取った。
男に近づけば近づくほど、煙の臭いが鼻につく。煙草という嗜向品の煙だそうだが、いつになっても好きになれない臭いだ。
おまけに今日は、ぷーんと甘くて、くらっとする臭いもする。煙草に負けず劣らず、この甘ったるい臭いは苦手である。
今日は最悪なことに、そのダブルパンチだ。
このまま回れ右をして、自室に戻りたい。
しかしながら、いまは聖女として仕事に専念すべきときだ。
喉奥から酸っぱさが込み上げてくるほど逃げ出したくても、身体中の力を総動員して我慢する時間である。
私は、事前に教えてもらった名前を思い出しながら、でっぷりした男に話しかけた。
「あなたが、グレープ・リスパダール伯ですね」
嫌な感情を心のうちに抑え込みながら、男の足元まで粛々と歩み寄って行く。
私が近づくと、男は口元を愉快気に歪めた。
「はい、聖女様。ご拝謁できて、大変光栄でございます」
私が近づくと、男は両手をもみもみしながら語りかけてきた。
「聖女様にお願いしたいことがありまして……我が話しをお聞きいただけないでしょうか?」
「はい、話を聞きましょう」
そもそも、聞かないという選択肢はない。
私が頷けば、リスパダールはますます嬉しそうに目を細めた。
「聖女様……実はですね、我が家業を脅かす不届き者がおるのです。ええ、宝石業をしておるのですが、いかんせん。最近、我が一族の扱う宝飾品を質が悪いだの偽物だの言いふらし、自分たちの品を売りつけようとしてくる連中が多いのですよ。
どうか我が家業が邪な者たちに妨害されることなく、今年度も売り上げを独占できますように」
「売り上げを独占……?」
私が思わず聞き返すと、男はニタっと笑った。
「我が家は正しい商家です。他のあくどい商売に手をつけてる輩のせいで、正しい商いをしている者たちが陥れられることを聖女様は望まれるのですか?」
「いえ、そのようなことは……」
「ええ、聖女様。私はないと信じておりますよ。ですので、どうか……我が祈りを聞き入れてくださいませ」
男は大仰に平伏しながら、その願いを口にする。
「……わかりました」
いつも通り、私は一字一句間違えないように、真剣に耳を傾けた。
念のため、もう一度だけ祈りを口にして貰った後、私は剣を鞘から抜くことなく構える。
「聖女は、貴方の祈りを聞き入れます」
聞き入れない、なんて選択肢もない。
私は柄を強く握りしめると、その切っ先を男の肩に乗せた。乗せるといっても、ちょこんと触れる程度だ。
「グレープ・リスパダール伯爵の家業が邪魔されることなく、年越しの市の売り上げを独占できますように」
私が彼の願いを口にすると、剣の鍔に埋められた宝珠が徐々に黄金の輝きを放ち始めた。
黄金の輝きに呼応するように、リスパダールの身体を薄紫色の膜が覆っていく。紫の膜は内側から淡い輝きを帯びながら、リスパダールの身体に溶け込むように消えていった。
「素晴らしい!」
リスパダールは両手に紫の輝きが沁み込む様子を見ながら、大はしゃぎで黄色い声を上げている。
対して、私の気分は急降下。
身体の力を空へ吸い上げられるような感覚に襲われる。
足の力も抜け、ふらりと揺れてしまいそうだ。
フォークやナイフより軽かった剣は、今ではすっかり重く感じる。たぶん、「鉛のように重い」という表現は、こんな時に使うのかもしれない。
「……」
しかし、ここで倒れるわけにはいかなかった。
ずっと昔、ちょっと膝をついただけなのに、お父様に怒られたのだ。
『聖女が倒れたら、力を失ったと思われるだろう!』
唾を吐き散らしながら怒鳴られ、叩かれた頬の痺れるような痛みは、10年経った今でも忘れない。
私は疲れを誤魔化すように、顔に垂れかかった黒髪を退けてみる。額に指が触れた時、汗が滲み出ていることに気付いた。
「よくやった」
お父様が声をかけてくる。
お父様は今日も上機嫌だ。輝かしいまでの金髪に金を散らしたような豪奢な服を纏った立ち姿は、リスパダールを見る時以上に眩くて、なんだか眼が痛くなる。
それでも、お父様が褒めてくれたことは嬉しくて、気持ちが盛り上がったが、すぐに沈んでしまった。お父様は私に声をかけてくれたが、視線を合わしてくれない。
お父様の瞳は、私を通り越して、感極まっている男に向けられていた。
「リスパダール伯、これで貴方の願いは叶うでしょう」
お父様はリスパダールの手を握り、嬉しそうに目を細めた。
「いやー、国王陛下! 本当にありがとうございます! 高いお布施を積んだ甲斐がありましたよ! 聖女様の祈りを使わせていただき、ありがとうございます」
「いえいえ、祈りが叶ったのは、貴方の国への忠誠心と神への信仰心の深さからです」
お父様はリスパダールの背を軽く叩くと、そのまま二人で去ってしまった。
広々とした白い広間には、私だけが取り残される。
「聖女様、祝福の剣をこちらに」
いつも通り、私は剣を渡した。
神官は剣を受け取ると、しずしずと去っていく。
代わりに来るのは、私の見張り……もとい、侍従だ。感情豊かな男たちとは真逆で、顔から感情をぬぐい取ったような女性である。
「さあ、聖女様。お部屋にお戻りになる時間ですよ」
「もう少し、ここにいては駄目ですか?」
私は周囲に目を奔らせた。
白い部屋には、先ほどまで座っていた椅子以外の家具はない。
その代わり、天井までびっしりと神話を象った絵が描かれていた。にこやかに微笑む女神と彼女の周りを飛ぶ使者たち、色彩豊かな花々が風にそよがれ、青い空の下で揺れている。
手が届かないくらい高い窓から差し込まれた陽光が、この部屋全体を照らし出していた。
「駄目です、聖女様」
しかし、侍従は首を縦に振らなかった。
「貴方の御身は、この国……いえ、世界の宝なのです。
我がままを言われては困ります」
「宝、ですか」
私は侍従から顔を背けると、お父様たちが去っていった扉を見据える。
私が宝なら、もう少しお父様たちは丁重に扱ってくれてもいいのに……。
「終末の世において、聖女様の存在は希望であらせられます」
侍従は諦観したような声色で、おなじみの説明を繰り返してきた。
「『祝福の剣』は、聖女様しか使うことができません。
そして、聖女様が『願い事』を告げると、『祝福の剣』を通して祈りが叶う……混沌とした終末の世を良き方へ導くためには、祝福の剣と適切な祈りが必要不可欠になってくるのですよ。
故に、聖女様は我らの希望になっております」
「本当に良き方へ導いているのでしょうか?」
私は疑問を呈した。
あの太った男は家業の成功について願っていた。
世間について詳しく分からないが、あれは私欲なのではないか?
「聖女様、お父様が間違いをなさると?
貴方のお父様は、この国を統べる王であり、神殿の長なのですよ?」
「それは……」
「ありえませんよね。
聖女様は、大事なお方です。命を狙われる危険もあります。
聖女様は多少の不自由は許容して貰わないと困りますわ」
「…………分かりました」
私が渋々頷くと、侍従は神官たちに目配せをする。
彼らは椅子と壁の間の狭い空間に進むと、その足元に隠された戸に手をかけた。そこには、人が一人、通るのがやっとの地下に続く階段が四角い口を黒々と開けていた。
入り口の立つと、すうっと冷たく黴臭い空気が昇って来る。
「聖女様!」
「……すぐ行きます」
最後に窓と向き合い、両手を広げながら大きく伸びをする。
暖かな陽光で身体を満たすと、侍従より先に階段を降り始めた。
かつん、かつんと足音が異様なまでに木霊する。
十段ほど降りては小さな踊り場で方向が変わり、また十段降りては変わりの繰り返し。
何回曲がったのか数えるのが億劫になるくらい進んだ後、やっと、広間の半分にも満たないスペースに辿り着く。
具体的に言えば、寝台と衣装や雑貨を置く棚、風呂や諸々が入るだけの空間。
つまり、私の世界だ。
私の世界は、地下と先ほどの広間で完結している。
この世に生を受け、もうすぐ15年。
1度たりとも、この世界の外に出たことがない。
必死に頼み込んでも、誰も出してはくれない。
本で読んだ知識と符合してみると、なんとなく異常な気がした。
この状況に名前を付けるとするのであれば、「監禁」という言葉が最も相応しい。
鎖こそ付けられていないが、行動が監視され、行く場所も制限されているのだ。いまも私が通って来た扉は速やかに閉められ、蝋燭の頼りない灯りだけが世界を照らしている。
耳を澄ましてみれば、外側から錠の落ちる音が聞こえてきた。
まるで、檻に鍵をかけるように。
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軟禁された聖女と名無しの密偵が織りなす脱出ロマンスをお楽しみください!