06 ていへん!
「だ、誰がお前なんかと仲良く出来るか」
雷人くんはそんなことを言っている。もしかすると初めての入学式に緊張して不安になっているから、動揺して、そんなことを言っているのかもしれない。
「それにしてもさ、ブレザーって何だか格好つかないと思わないか?」
「! おい、何を! 何、こっち無視して普通に話しかけてきて……」
俺が――遠野虎一が通っていた頃の湖桜高校はブレザーではなく学ランだった。それがブレザーだもんな。先走ってボンタンとかを買わなくて良かったぜ。
それに校舎も何だかおしゃれだ。パステルカラーというか、『きゃんぱすらいふ』みたいな横文字が似合いそうな校舎になっている。
至る所に缶スプレーの落書きがあって、さらに校舎にはヒビが入っていて、窓ガラスは割れているような――そんな俺の記憶にあるような底辺の学校とは別物になっている。
よく考えたら遠野虎一が通っていた頃から四十年近く経っているのか。そりゃあ、別物にもなるか。
『新入生の皆さんは体育館へ移動してください』
と、そこで放送が入る。教員が迎えには来ないようだ。
「体育館って何処だよ」
「こっちじゃねえか?」
「何処だよ」
さっきまでにらみ合っていた連中が体育館を目指し仲良く教室を出て行く。意外にフレンドリィな行動力だ。
「そういえば、共学のはずなのに女子の姿を見ないな」
「だから、なんで、お前は普通に! 俺に話しかけてくるんだよ!」
雷人に聞いてみたが、答えてくれない。確かに前世の時も女子の姿は殆ど見なかった。底辺高に通おうと思う女子は少ないのだろう。
俺も他の連中の後を追いかけ教室を出る。
「おい! 無視かよ。ちっ、あっちを見ろよ、普通に居るだろうが」
雷人の言葉を聞き、示した方を見る。そちらでは普通に女子が並んでいた。いや、男子の姿も見るな。
うん? なんでこっちは野郎連中ばかりなんだ? 俺たちが集まった教室に女子の姿はなかった。
「居るじゃん!」
「ここの制服が可愛いって評判だからな。それだけで来る女も多いぜ」
雷人が教えてくれる。多いのか。
う、うーん。ますます俺の知っている硬派だった頃の湖桜高校から離れていくなぁ。
「!?」
と、そこへ雷人の拳が放たれる。女子の方を見ている――よそ見した俺を狙ったのだろう。
素早いジャブ。ボクサーの基本にして最速の攻撃。ヘビー級のボクサーが放ったならば、それは超一流と呼ばれるような格闘家でも避けることは出来ない、喰らうことが前提になってしまう拳。そして、そのジャブによって、足は削られ、動けなくなったところを重く強いストレートで狩られてしまうだろう。そんな基礎にして基本となる攻撃だ。
対ボクサーでは、このジャブをどう防ぐかが重要になってくる。
だが。
そう――この雷人はもちろんヘビー級ボクサーなんかじゃない。
ひょいと上半身を動かし、ギリギリで躱す。確かに、同年代同レベルの中では早い攻撃なのだろう。だが、それだけだ。今の俺なら充分に回避出来る。
次々と素早いジャブが飛んでくる。それを上半身だけの動きで躱していく。この一年、柔軟は腐るほど繰り返してきた。俺の体はかなり柔らかくなっている。
そして、今の俺は、俺が思うように体を動かすことが出来る。これは前の俺でも出来なかったことだ。自分が思い描くように体を動かす。それは格闘家なら誰でも夢みることだろう。考えてから動くと、どうしても体の動きは少しだけ遅れてしまう。普通はそうだ。上級者では命取りになってしまうズレ。
だが、今の俺にはそのズレが殆ど無い。若い体だからなのか、それとも俺の訓練法が良かったのか、俺は思ったとおりに体を動かすことが出来る。
「くっ! この! モグラたたきみたいな動きをしやがって!」
モグラたたきみたいな動きってなんだよ。良く分からないことを言うな。
「おい、雷人、早く体育館へ行こうぜ」
「だから、なんで普通に話しかけ……そうか、分かったぞ。お前、学校をサボって格闘技を習っていたんだな。それで調子に乗ってるのかよ!」
雷人は何だか変な勘違いをしているようだ。
雷人はジャブを繰り返す。いい加減飽き飽きだ。
飛んできたジャブに合わせて、手をのせ、前に引っ張る。それだけで雷人はおっとっとっという感じで体勢を崩し、転けそうになる。足を鍛えていないのが丸わかりだ。
「おいおい、雷人、そんなので、この湖桜高校でやっていけるのかよ」
「クラウンだと?」
転けそうになっていた雷人が何とか踏ん張り、こちらへと振り返る。睨み付けるような視線だ。そして、その視線を向けたまま笑う。
「いつの時代の話だよ。ここが王だったのは、トップだったのは、十年以上前だぜ。今はただの馬鹿が通う高校だぜ?」
へ?
「今はよぉ! 二年の、いや、今は三年か? 三年のあらたさんが居るから何とかなっているけどな、ここがトップをとっていたような時代じゃねえんだよ。俺だってあらたさんが居なかったら、こんなとこにっ!」
へ?
え?
湖桜高校が? トップじゃない?
湖桜高校は底辺の高校だ。だが、底辺なりに誇りがありプライドがあった。いや、誇りもプライドも同じか。とにかく、だ。喧嘩一番、県下で一番。湖桜高校の名前を聞いたら、他の学校の連中が避けて通る。拳一つで男を語れる学校だったはずだ。
それが?
「はん。知らなかったのかよ。今は道化の学校だぜ」
雷人の言葉に崩れ落ちそうになる。
俺の、俺の母校が……。
いや、前世の記憶に引っ張られすぎか。それでも、俺の中で、遠野虎一の中で宝物のように輝いていた記憶だけに、もう一度、あの時の体験が出来ると期待していただけに……。
落ち着け、落ち着け、俺。
「お前みたいな不良ネットワークに入っているワケじゃないからさ、知らなかったんだよ」
「な、何が不良ネットワークだ」
「雷人、お前、不良だろ?」
「うるせぇ」
雷人が口を尖らせて叫ぶ。図星って反応だぜ。
「それであらたって誰だ?」
「呼び捨てにするんじゃねえよ」
雷人に睨まれる。
「ちっ、とにかく体育館に急ぐぞ」
雷人の言葉に思い出す。周囲を見ると、他の連中はすでに居なくなっていた。
お、おう。
このままだと入学式に遅れてしまう。