僕は案外理性的ではなく直感で生きています
「もう分かりましたよね」とエンデュランスは言った。満身創痍でありながら、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。そして雄弁に語りだす。
「そうです、彼はニアの父です。名前はルフレ。私の研究所で働く職員であり、とても優秀な人物です。様々な薬を開発し、私に多くの利益をもたらしました。つい先ほど私が使用した<ゼムロイド>も、それからライを苦しめた毒も、全て彼が制作したものです」
「嘘だ。ニアの父は妻の病を治すために研究を行っていたはずだ。そんな人が毒を作り出すはずが無い」
「薬と毒は案外似ているのですよ。それに彼はお金に困っていましたから。金の為なら多少の汚い研究は喜んでするのです」
ニアの父は目を伏せ、此方に視線を合わせようとはしない。娘であるはずのニアの顔も見ようとはしない。
エンデュランスはニアに「もう少し近くにきたらどうです」と言った。「せっかくの父との感動の再会なのです。そんな遠くから見てないで、よければ熱い抱擁でも交わしませんか?」
だがニアは動かなかった。動けなかった、という表現の方が正しいかもしれない。酷く取り乱した様子で立ち尽くしていた。エンデュランスの言葉など、まるで耳に届いていないみたいだった。
ニアは震える声で父親に問いかける。
「う、嘘だよね? お父さんがお金なんかの為に危険な薬の開発に関わっていたなんて、そんなの嘘だよね?」
父であるルフレは黙っていた。目を伏せたままだった。何か大事なものを落としてしまった人みたいに、地面を見つめ、落ち着かない様子で瞳を左右に泳がせている。
「ルフレさん。今あなたの首元には何が見えますか?」
エンデュランスがそういうと、子分の一人がルフレにナイフを突きつける。何処にでも売ってそうな、特徴の無い銀色のナイフだ。「正直に語ってください、ルフレさん」
それでもルフレは少しの間黙ったままだったが、やがて決心したように口を開く。
「…… すまない」
ルフレはそれだけ言った。だが、それだけで十分過ぎた。後ろからはニアのすすり泣くような声が聞こえてきた。
少ししてニアは「どうして?」と言った。喉の奥から絞り出すような声だった。そんな娘の悲痛な問いかけにルフレはまた「すまない」とだけ言った。
「謝って欲しいんじゃない。説明して欲しいだけなの…… 」
それはニアの心からの言葉なのだろう。どうあってもニアは父親を憎めない。ニアは他人の悪口を言うような人でもなければ、本当に困っている人を見捨てるような人でもない。ニアは父親の苦しみに気付けなかった自分のことを恨んでいる。きっとニアは本当のことを話して欲しいだけなのだ。
エンデュランスはひとしきりやり取りを眺め終えると言った。
「せっかく演出してあげたのに感動の再会とはいかないようですね。話も進まないようですし、そろそろ取引に進みましょうか」
ヨシュアは身構えた。エンデュランスが何を持ちかけてくる気なのか、まるで想像がつかないからだ。ただ彼の鋭く狂気に満ちた目を見ていると、己の保身のために交渉するような人物で無いのは確かだろう。
エンデュランスは敢えてゆっくりと、勿体ぶるような口調で言った。
「ニア、あなたは父親を助けたい。母親を見殺しにした屑みたいな父親でも、あなたは放っておくことが出来ない。ですよね?」
ニアは唇を噛みしめる。その沈黙は肯定を意味していた。
エンデュランスは満足げに笑うと続けて言った。
「ニアとヨシュア、今からあなたたち二人で殺し合いをして頂きましょうか」
「なっ、そんなことできるはずが無いだろう!!」
ヨシュアが叫ぶよりも先にニアが声を上げる。
「おや? 父親を助けたくは無いのですか?」
「それは…… 」
「そうですよね。どちらも大切な人ですから迷いますよね。だから好きなだけ悩めばいいですよ。悩んだ末に一人だけ殺す。一生罪を背負って生きていくのです。どちらを殺すか、胸に手を当ててよく考えなさい」
答えられる訳が無い。こんな理不尽な二択、例えニアでなくても答えられる訳が無かった。
だからヨシュアは言った。ニアの代わりにエンデュランスに問いかけた。
「お前はこれを取引だと言った。つまり、もし俺たち二人が戦えば、ニアの父親の安全は保障される。そうだな?」
「戦う、ではなく殺し合えと言いました。でももちろん、二人がちゃんと殺し合えば彼はきちんと返して差し上げますよ」
「本当か? もしルフレさんを手放せば、もうお前を守るものは何も無くなる。そうなれば俺かニアのどちらかが必ずお前を殺すぞ?」
ヨシュアが脅すとエンデュランスは「そうかもしれませんね」と言って可笑しそうに笑った。
「お前は命が惜しく無いのか?」
「ええ、自分の命にはそれほど興味がありませんね。そんなことより”目の前の面白いこと”の方が僕には大事です。僕は案外理性的ではなく直感で生きています。面白い事の為にこうやって手を尽くすことはあっても、何年も先のことを計画することはありません。もちろん死にたくもありませんが」
エンデュランスはヨシュアを真っすぐ見つめて言った。
先ほどの薬を飲んでからの獣のような戦い方を、ヨシュアは愚かだと思っていた。でもエンデュランスは自分の好奇心に従っただけなのかもしれない。勝ち負けより”目の前の面白いこと”に飛びついただけなのかもしれない。
「私からもお尋ねしていいですか?」
「なんだ」
「あなたはこの状況でも随分と余裕そうに見えますが、まだ何か”奥の手”を隠しているのですか?」
「…… どうだろうな」
「あるのですね。知りたいなぁ」
エンデュランスがヨシュアに好奇の目を向ける。次は何を見せてくれるんだろうと、手品師を前にした子供のような視線を投げかけてくる。でもその目の輝きは非常に危ない色をしていた。
「僕はどちらでもいい。殺し合いでも、あなたが用意した奥の手でも。でも僕はあまり気の長い方では無い。勿体ぶるようなら先にこの男を殺しますよ?」
「────なら、奥の手を見せようか」
茂みの奥から声が聞こえた。落ち着いた男性の声だった。
エンデュランスは不意を突かれたみたいに勢いよく振り返る。だが、それより一瞬早くルフレの体が宙を舞い、何かに引っ張られるようにして声のする方へと消えていった。
代わりにエンデュランスの足元に光を帯びた槍が突き刺さる。ヨシュアの<魔封じの光剣>とはまた違う、魔法で作られた真っ赤に光る槍だ。
その槍はチリチリと肌にひりつくような殺気を放っていて────
爆発。
決して大きな爆発ではない。だが、その場にいた男たち三人を吹き飛ばすには十分な威力だった。
男たちはそれぞれ地面に倒れたままピクリとも動かない。まさか死んだということは無いだろうが、気は失っているみたいだ。
そして茂みの奥から一人の男が姿を現す。
「やあやあ、久しぶりだね。少年」
その男の名はジークエンデ。ヨシュアが用意していたとっておきの奥の手は、マーセナルが誇る<赤のカード持ち>の傭兵だった。




