夜、風は強く
その日の夜は茹だるような暑さだった。
同じ島でも山を一つ越えた先はこんなにも気候が違うのかと驚かされた。アミーテは「確かに今日はいつもより少し暑いですね」という言うが、これは少しどころでは無いだろうとヨシュアは思った。
空気は乾燥していた。時折風が強く吹き、その度に砂ぼこりが舞っている。それでも日中の暑さと比べれば幾分過ごしやすいからか、外を出歩く人の数は意外にも多い。
ニア達の側を離れる訳にはいかないから外食は止めた。代わりにロイを一人家に残し、ヨシュアとアミーテは外へ買い物に出かける。
訪れた市場にはキャベツや玉ねぎ、それにリンゴなど、残り物の野菜や果物がこじんまりと並べられている。その中の一つをヨシュアは手に取ってみるが…… 正直、どれも鮮度が良いようには見えない。勿論アミーテの手前だから、口に出しては言わないが。
その中でもまだマシそうなものをアミーテは手際よく選び買い物を進める。いつもギルドの仕事終わりに市場に寄るので、普段からこの時間に利用することは多いらしい。
「料金はこっちで持つよ」とヨシュアは言った。ヨシュアとしては世話になっているのだから、自分たちが払うのは当然だと思った。けれどもアミーテはヨシュアの提案に首を横に振る。
「そんな! これぐらい大丈夫ですよ! ヨシュアさんたちには助けてもらったし、母も歓迎しています。ですから、どうかお気になさらずに!」
アミーテは満面の笑みを浮かべてそう言った。明るく笑う彼女はとても嘘をついているようには思えなかったけれど、それでも無理してくれているような気がした。というのも、アミーテの家はお世辞にも裕福には見えないからだ。着ているものも質素で、年頃の女性にしては飾り気がない。家の中も驚くほど物が少く、生活に必要な最低限しか取り揃えていないように見えた。
「やっぱり悪いよ」とヨシュアは、半分はお金を出させてくれてと半ば強引に頼みこむ。時に無償の優しさは心苦しさを生むのだと、だからせめて半分は支払わせて欲しいとお願いすると、彼女は渋々ながらお金を受け取ってくれた。「本当に気を遣ってくれなくてもよかったんですけど…… 」とアミーテは口をすぼめていた。
買い出しを終えて家に戻り、アミーテの母が作ってくれた夕食を食べ終えると、その日はみんな早めに寝ることにした。
ニアはライの側を一向に離れようとはしなかった。食事も喉を通らず、キャベツのスープ以外はほとんど手つかずだった。夜も彼の近くで眠るという。ロイが「あんまり思いつめすぎんなよ」と、珍しくニアに優しい言葉を掛けると、ニアは微かな笑みを浮かべて頷いた。
狭く暑苦しい部屋の中、部屋の灯りを堕とした後もヨシュアはどうしても眠りに付く事が出来なかった。
外は相変わらず風が強いらしい。静かな夜だったからか、吹き付ける風の音が余計に気になって仕方が無かった。なかなか寝付けなかったが、誰かに話しかける訳にもいかず、かといって勝手に出歩く訳にもいかない。結局の所ヨシュアは目をつむったまま、一人物思いにふける。
ニアのこと。
ライのこと。
アミーテのこと。
エンデュランスたちのこと。
自分には何が出来るのだろう。今日見た出来事が延々と頭の中を巡っていた。けれど、何も考えはまとまらないし、解決策のような物も何も浮かばなかった。ニアから話を聞かない限り何も判断が出来ないこともあるけれど、それ以上に今回の問題は街全体が関わっていて、想像以上に問題の根っこの部分が深いような気がしてならなかった。そうして気が付いた時には、ヨシュアは眠りについていた。
朝になって目が覚めると、ニアがライの側で座っているのが見えた。ヨシュアは体を起こし、まだ寝ている人たちを起こさないように静かに立ち上がっては、ニアの隣に静かに腰かけた。
ニアはやはり上手く寝つけなかったようで、少しだけ眠った後はこうして朝までぼうっと座っていたらしい。顔は酷くやつれていて、彼女が普段纏っている凛とした雰囲気は見る影も無かった。
ライはまだ目を覚まさない。容態は大分落ち着いたようにも見えるが、峠を越えたかどうかヨシュアには判断が付かなかった。容態が急変することだって有るかもしれないと思うと、下手にニアに声を掛けることも出来なかった。
そうして声を掛けることをこまねいていると、隣りでニアが呟くように言った。
「昨日はホントにありがとね。来てくれて嬉しかった」
「うん。何とか間に合ってよかったよ」
そうは言ってみたものの、ヨシュアは本当に自分は間に合ったのだろうかと、ライを見て自問せざる負えなかった。自分が出来る範囲のことはやったつもりだけれど、決して胸を張れる結果でも無かった。
「ロイが起きたらさ。アンタたちに聞いて欲しい話があるんだ」
「うん。けど、今すぐじゃなくて別にいい。二人がもっと元気になるまで待ってるよ」
「…… ありがと。でもさ。一人で問題を抱え込むのって辛いなって、今になって思っちゃってさ。たぶんライがこんなになったからだと思うんだけどさ。ライが死ぬかもしれないと思うと夜が怖くて、眠れなくて、余計に色々と考えこんでしまってさ。ちょっと、色々と辛くって。だから、聞きたくはないかもしれないけれど、誰かに話を聞いてほしくって」
話の最中、ニアは決して泣かなかった。けれど、紡がれる言葉の一つ一つからは悲しみが伝わって来た。ニアが抱える孤独と闇が垣間見えた様な気がした。
「聞くよ。そう言う事ならいくらでも。俺だってホントはニアにもっと色々と話して欲しいと思ってるんだ。ニアの話を、ニアの口から聞きたいんだよ」
ヨシュアは語気を強める。励ましの言葉は思い浮かばないけれど、話を聞く事ならヨシュアにでも出来る。それが今のニアにとって救いになるのなら、彼女が抱える問題を少しでも共有できるのなら、ヨシュアにとってもこれ以上無いほどに嬉しい事なのだ。
◆
みんなが目を覚ました後は全員で朝食を採った。ヨシュアたち三人と、アミーテの家族の三人でそれぞれテーブルを囲む。ニアも昨日よりは食欲が戻ったようで、パンにも少し手をつけていた。
アミーテが仕事の為にギルドに行くと言うので、ロイが付き添いで一緒に行くことになった。昨日あれだけ派手に暴れた後なので、逆恨みがアミーテに降りかからないとも限らないからだ。
けれども、家を出て程なくして二人はまた戻って来た。どうやら仕事をクビになってしまったらしい。エンデュランスがギルドにも手を回してくれていたおかげで、特に暴力を振るわれることは無かったそうだが、職を失う事には繋がってしまったようだ。
流石に罪悪感を感じたヨシュアはアミーテに謝ろうとした。けれど、アミーテはヨシュアの前で明るく振る舞う。
「大丈夫ですよ、ヨシュアさん! 仕事はクビには成っちゃいましたけど、どういう訳か新しい働き口を紹介してもらえたので、私としてはむしろラッキーなぐらいです」
「本当に?」
「ええ、本当です。別に傭兵ギルドの受付に憧れて仕事を始めたわけでは無く、そこしか受け入れてもらえなかったので、仕方が無く勤めていただけなんです。他の仕事をもらえるなら、私は喜んで別の仕事させてもらいます」
アミーテがそう言ってくれるのなら、ヨシュアとしては有り難い限りだった。「何かあったら遠慮なく言ってくれ」という言葉と共に、ヨシュアはありがとうとお礼を言った。
それから、ヨシュアは少し落ち着いた時を見計らってロイに声を掛けた。そしてニアに話を聞かせてくれと頼んだ。
ニアもヨシュアの言葉に頷くと、静かな口調でゆっくりと話し始めた。
「何処から話そうか少し迷ったんだけどね、やっぱり始めから話そうと思うんだ。聞いてくれるかな、私のお父さんの話────」




