仕組まれた罠
ダメ元で緊急コールは試してみた。
でも、それが無駄だということはすぐに理解した。
森の中、息をひそめて茂みに隠れるニアが伺うのは一人の男。深緑色のマントのフードを目元まで被っているが、あの顔に入った赤い入れ墨は見間違うはずが無い。
(アイツ…… ギルドにいた奴だ!)
今までの事が全て仕組まれていたのだとようやく気付く。この街が、この傭兵ギルドが、ニアたちが追っていた事件にここまで深く関わっていたとは…… 。見誤った自分を呪ってしまいたい、そうニアは思った。
ニアのすぐ側にはいつものようにライがいた。
だが、そのライは背中に深い傷を追っていた。
それはニアを庇った時に出来た傷である。
「ごめんよ、ライ。痛むよな…… 」
「いえ…… 私のことなど…… 気にしないで…… ください」
ライの背中からは未だに血が噴き出していた。たぶん矢じりに毒でも塗られていたのだろう。時間が経つにつれ傷口が変色している。息も絶え絶えで顔色も悪く、汗も止まらない。
「もう…… 私は助からないでしょう。捨て置いて…… ください」
「何言ってんの! 無理やり背負ってでも帰るんだから!」
ニアは邪魔な荷物を捨て置くと、ライを強引に背負おうとする。
けれども、自分より大きな男、それも脱力しきった人間を背負うのは、華奢なニアの体ではどう頑張っても無理なようだった。そのままライの体重に押しつぶされるようにして座り込んでしまう。
「はぁ…… 、はぁ…… 、絶対に助けるから、諦めないでよ…… !」
その言葉は、自分に言い聞かせるようだった。折れそうになる心を奮い立たせ、ライを背負ったままもう一度立ち上がろうとする。
────でもやはり無理だ。
気合で何とかなるものじゃない。
ライは言う。
「ニア様…… もし私の事を…… 思って下さるなら、一度私の下から離れて、山を…… 下りてください」
「それ以上喋るな…… !」
「助けを呼びに…… 。それまでここでお待ちしております…… ごほっ、ごほっ」
「ライ…… !?」
────吐血。
毒が体全体に回り始めたのだろうか。
その時、後ろから茂みを掻き分ける音が聞こえた。
「────見ぃつけた」
心臓が止まりそうだった。
それでもニアは後ろを振り返ると、そこには憎き男の姿があった。
「…… エンデュランス!」
ニアが口にしたのは、ずっとニアたちが追っていた男である。白衣姿に銀縁の眼鏡が特徴で、口元に不敵な笑みを浮かべ、眼鏡の奥からは他人を見下すような冷たい視線を感じる。
その男の隣にはフードを被った男。褐色の肌を持ち、ギルド<金色の鬣>のリーダーで、名前はザウィードという。そいつが指笛を拭くと、周囲からわらわらと子分の男たちが集まって来た。
「絶体絶命だねぇ、ニアちゃん」
「気やすく私の名前を呼ぶな!」
「ふん。キミは父親とは違って随分と生意気だな」
「…… ! アンタ、私の父を知っているの!?」
「なんだ。こそこそと嗅ぎまわっていたからもう知っているかと思ったが、まだ知らなかったのか。はははっ! まあいい。これぐらいの情報、死に際の土産にくれてやるよ!」
ニアは悔しさから唇を噛みしめる。
どうあがいても勝ち目が無い事を、ニアは数分前の戦いで思い知らされたばかりだった。自慢の槍もエンデュランスには通じないばかりか、あっさりと折られてしまった。しかも素手で。その時にニアの心もぽっきりと折れてしまったのだ。
(どうする? こいつらの体鉄みたいに固いから、何をどう工夫したってアタシじゃ勝ち目がない。逃げるしかないけど、ライを放っておくわけにもいかない…… !)
ニアはただ黙って男を睨み返すことしか出来なかった。
さらに悪い事に、ニアに背負われたままのライはもう意識が無いのか、先程から一言も言葉を発していない。その事がニアを余計に焦らせる。
エンデュランスが小馬鹿にしたように言う。
「ふーむ。キミは思ったよりもバカなんだね。今キミに取れる唯一残された道は、その死にぞこないを置いて逃げる事だけだろう? 何故そうしない?」
「そんなことできる訳ないだろうっ!!」
「だが、キミがここにいて何が出来る? 何も出来はしないだろう?」
「それは…… 」
「そう、キミは彼に対して何もできないんだ。分かったら自分だけでも助かる道を必死になって捜せばいい」
敢えて屈辱を与えるかのような物言いでニアをあざ笑った。その隣でにやけていたザウィードが口を開く。
「いいや、エンデュランスさん。もう一つ道はあると思うぜ」
「ほう。興味深いね。一体何なのか教えてくれよ」
「命乞いだよ。みっともなく土下座して”助けてくださーい”なんて泣き喚けば、興ざめして俺たちも見逃してしまうかもしれないぜ」
「なるほどね。力じゃ勝てないから女の武器を使うという訳か。確かに逃げるよりよっぽど生存確率も高そうだ!」
男二人は揃って大きな口を開けて笑い始めた。周囲の取り巻きたちもニアをあざ笑う。
(くそっ…… ! くそっ…… ! コイツら言いたい放題言いやがって…… !!)
はらわたが煮えくり返りそうだった。けれど、弱者であるニアは何も言い返すことが出来ず、俯きながらじっと耐え忍ぶ。そんなニアにエンデュランスは、服の内ポケットから何かの液体が入った小瓶を取り出すと、ニアの鼻先までも持っていってそれを見せつける。
「これ、なんだと思います?」
「もしかして…… 解毒剤?」
「おっ、さすがにわかりましたか! 正解ですよ、ニア。そんな頭の良いキミなら、どうすれば解毒剤を貰えるか、話の流れを良ーく考えれば、分かりますよね?」
エンデュランスは大きな手をニアの頭に乗せて、ポンポンと二回叩いた。かと思うと、そのまま髪をわしゃわしゃと好き勝手触ってくる。しかしニアはされるがまま、我慢するしかなかった。
「…… そんじゃあ誠意を見せてもらいましょうか」




