胸に光るもの
早朝、マトはまたウルプス川のほとりにある長いすに座っていた。朝の冷たい空気の中、いつものように藍色のセーターを着込んだマトは、今日は何をするでもなくただぼんやりと、川が流れるのを眺めていた。
(今日で三日目。ヨシュア君たちは上手くやれているのかな?)
ヨシュアに聞いた話によると、初日と二日目の夜は劇団公演の警備を担当し、その他の時間は街の巡回にあたるそうだ。そして三日目の昼頃にはアリストメイアの街を出て、夕方以降にこちらに帰ってくる予定だと聞く。
(明日はどんなお土産話を聞かせてくれるんだろう)
マトは胸に光る赤いペンダントを手のひらの上に乗せた。
それは先日ヨシュアがマトの為にと作ってくれたもので、世にも珍しい”赤く光るクリスタル”が特徴的なオリジナルのペンダントである。この不思議な輝きを見つめていると心が温かくなる気がして、ここ数日は暇さえあればペンダントを眺めていた。
マトはペンダントを胸の定位置に戻すと、鞄の中に手を入れ、一冊の本を取り出した。それはヨシュアと図書館に立ち寄った際に借りた本である。タイトルは『魔女と黒猫と秘密の部屋』だ。
マトはしおりを差し込んだページをゆっくりと開き、息を深く吸って、それから本の世界に飛び込もうとした。ちょうどその時、後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえてきて、マトは驚き振り返る。
「あっ…… ロイ…… くん?」
「…… おう」
後ろに立っていたのはロイだ。
話しかけてきたロイは気まずそうに俯き、こちらを見ようとはしない。理由は分かっている。つい先日の出来事を気にしているのだろう。
「えっと…… 隣り、座る?」
「おう」
ロイは短く一言、小さく呟くように言葉を発すると、マトの隣にゆっくりと腰を下ろした。
やはり目を合わそうとはせず、膝の上に乗せた自分の手を見つめたまま黙ってしまった。何か会話のきっかけでも探しているのだろう、そう感じたマトはロイに話しかけてみる。
「なんだか久しぶりだね、ここでお話するの」
「…… だな」
「二年ぶりぐらい?」
「そう…… かもしれない」
マトはヨシュアと出会うずっと前から、こうして川のほとりでのんびりとした時間を過ごすのが日課になっていた。そして以前はロイとこの時間、この場所で出会っていた。ちょうど最近のマトとヨシュアのように。
ロイが口を開く。
「なぁ、この前の事、怒ってねーの?」
「うーん、どうだろう。怒ってるというよりは、悲しい、かな」
「そっか。その…… ごめん」
「うん」
珍しくロイが自分から謝った。過去を振り返ってみても、ロイが誰かに謝っている姿を思い出すことが出来ない。それほどめったにない出来事だ。もしかしたら明日は雨でも降るかもしれない。それでは困るんだけどなぁ、とマトは思う。
(────でも、嬉しいな)
久々にロイとまともに会話できることがなんだか嬉しい。ロイが聖騎士見習い試験に落ちてからというものの、ロイとは距離が出来てしまって、以前みたいに上手くお話ができないでいた。こんな風に気軽に談笑するのは、それこそちょうど二年ぶりぐらいかもしれない。
「────今日も本を?」
ロイがマトの手元を見て尋ねる。
「うん。この前図書館で借りたの」
「お前も好きだなー。もうあそこの本ほとんど読んだんじゃねーの?」
半ば呆れ気味に言うロイ。
「さすがにそれは無いよ。二階にある本なんて難し過ぎて読めないし、そうでなくても毎月の様に新しい本が並べられるから、いつ行っても楽しいよ」
「ふーん」
「今度一緒に行ってみる?」
「俺が? …… いや、まぁ、マトがどうしてもって言うんなら…… 」
「ふふっ、そっか。それじゃあ”どうしても”行きたいから、ヤード君も誘って今度三人で────」
「あ、あいつはたぶん本なんか読まねーから、行くとしたら、その、二人でというか…… 」
急に”二人”を強調するロイの言葉に、さすがにマトも意識してしまう。
「あっ…… えっと、それじゃあ二人で…… 」
消え入るようなマトの言葉に、ロイが小さく「…… おう」と返事する。
マトは姿勢を正して座り直し、眼鏡の縁にそっと触れる。
顔も体も何だか火照ったように熱い。
それは以前にも感じたことのある、久しぶりの感覚だった。
先程とはまた違った気まずい空気が流れる────
「────その胸のペンダント、綺麗だな」
「あ…… ありがとう」
「どこで買ったんだ?」
「えっと、これはもらったもので────」
ここまで話して、マトは「しまった…… 」と心の中で呟く。
この前どうしてロイが自分に対して腹を立てたのか、マトはいまいち分かっていなかった。けど、唯一心当たりがあるとすれば、それは自分とヨシュアの関係にあるのだろうと思う。だから、このペンダントはヨシュアにもらったものだと話せば、きっとロイは嫌な思いをするのだろうと思った。
そんなマトの想いを知る由もないロイが、ごく自然な感じでマトに尋ねる。
「へー、誰からもらったんだ?」
マトは言葉に詰まる。
もちろんマトとヨシュアの間に特別なものなど何もない。
けれど、ロイとヨシュアの間にはある。同じ聖騎士を目指し、試験を受けて落ちた者同士である。そしてロイが諦めた夢を、ヨシュアはまだ追っている。だからロイはヨシュアの事が嫌いなのだろう。
ヨシュアの名前を出してはいけない気がしたマトは、咄嗟に「お母さんにもらったの」と嘘をつくことにした。
それなのに────
「…… なぁ、お前、今嘘ついたろ?」
「えっ?」
どくん、と鼓動が跳ね上がる。
どうしてすぐに嘘だとバレたのだろう? という疑問が頭の中をぐるぐると駆け回った。
「そんなことないよ」
マトは否定を口にする。
でも、ロイの顔を直視できないでいた。
「お前、分かりやすいんだよ。顔にもすぐ出るし、何より眼鏡の真ん中あたりを触った。眼鏡の縁を触るときは恥ずかしい時、でもって、眼鏡をかけ直すときは決まって何か嘘をつくときだもんな。ずっと昔からそうだから俺には分かるんだよ」
ロイに指摘されたマトは驚き目を見開いた。
自分でもその癖に気づいていなかったのだ。
マトは明らかに動揺していた。そして自分でも気づかぬうちの手をもじもじとさせていた。それを見たロイはさらに確信を深め、マトを追求する。
「なあ、ホントはそれ、ヨシュアにもらったんじゃねーの?」
「そんなことは…… 」
本当の事を指摘されマトは思わず目を泳がせる。
「なに? おまえ、ヨシュアの事が好きなのか?」
「そ、そんなことないよ!」
食い気味で否定するマト。
でもそれがまた怪しいとロイは感じた。
「付き合ってんの?」
マトは首を横に大きく振る。
なんだか涙が出そうになってきた。
「…… ふーん。じゃあ、それはヨシュアからもらったけれど、別に深い意味は無くて、ヨシュアとは付き合っていない。そういうことか?」
淡々と問い詰めてくるロイの言葉が胸に刺さってくる。
マトはこれ以上言い逃れは出来ないと思い、首を小さく縦に振った。
(私、別に何も悪いことしていないのに、どうして…… )
辛くて、悲しくて、やりきれなくて、溢れ出しそうになる涙をぐっとこらえる。
そんなマトの隣ですっと立ち上がるロイ。彼はそのままマトの方に振り返ると、冷たく言い放った。
「そっか。じゃあ、それ、あんま大事なもんでもないってことだな。なら、紛らわしいから俺が捨てといてやるよ」
「え? いや、大事だよ!?」
信じられない、という目でマトはロイを見た。その表情は怖いぐらいに感情が無くて、ただただ冷たくて……
「さっきから様子が少し変だよ? ね、もう一回座って、落ち着いてお話しよ?」
マトが必死に呼びかけるものの、その声はロイの心に届かないみたいだ。
ロイは無言でマトの首元に手を伸ばすと、ペンダントに革紐を人差し指と親指で摘まむ。すると、何ということか、革紐は焼き切れたかのように簡単に千切れてしまった。(この時指先が光ったので、恐らく何かの魔法だった)
ロイはそのまま赤いクリスタルを奪うと、振りかぶり、何の躊躇いも無くそれを川に向かって投げ捨てた!
「────ああぁ!!」
マトが悲鳴を上げた時にはすべて遅かった。
勢い良く投げられたそれは、向こう岸の近くまで飛んでいき、川の中へ水しぶきを上げて落っこちた。
「なんで!? どうして!?」
マトはロイに問いかける。
その頬には熱い涙が伝っていた。
でも、その涙を見てもロイは何も答えない。
マトは走り出していた。
一度岸辺を登って、橋を渡り向こう岸へ。
靴と靴下を脱ぐと、なりふり構わずバシャバシャと川の中へと入っていく。
(どこ!? どこにあるの!?)
マトは必至だった。
ウルプス川の中央付近はかなり深く、成人男性でも足が付かないどころか、そのまま流されて溺れてしまうことすらある。もしそんな深いところにペンダントが落ちてしまっていたら探しようがない。
マトは嫌な予感を胸の内に押しとどめ、懸命にペンダントの行方を捜す。見落としたりしない様、袖をまくり、手で石を掻き分けながら、一心不乱にヨシュアからもらったものを探す。
(あのペンダントは絶対になくしちゃいけないものなのに…… )
マトはヨシュアの言葉を思い出していた。あれはこの世に一つしかないものだと、二度と同じものは作れないと言っていた。そんな大事なものを自分のためにと作ってくれたのだ。絶対に無くすわけにはいかない。マトは涙に濡れる瞳で必死になって探し続けるのであった。




