弱者の戦い方
祝日の昼下がり、人々でにぎわう大通りにて、突如として起こった事件は、予期せぬ方向へと向かっていく。
ミントを人質に取り、勝ち誇った表情の男がヨシュアたちに向けて言う。
「へへっ。こいつはお前らの知り合いなんだろ? 後ろの女とよく似てるもんな。…… おい! この女を無事に返してほしければ、どうすればいいかは分かるよな!?」
男との距離はおよそ十メートル。この距離ではきっと何をしても無駄だ。
選択肢は一つしかないと悟ったヨシュアは、マジックワイヤーをほどいて男の仲間を解放する。
「おい、解放したぞ! だからその子を離せ」
「うるせーっ! こいつを助けたかったら二度と指図すんなっ!」
予想はしていたが、仲間を解放してもミントを解放してくれる気はまるで無いらしい。男はこの状況を楽しむように、怯えるミントの首筋にナイフを向けたまま、彼女の頬を舌で舐める。
「柔らけー肌だな。ナイフなんか簡単に刺さっちまうだろうな…… 」
「や…… やめて…… 」
「へへっ、”やめて”だとよ。可愛いねぇ」
男のゲスな行為に、ただ黙って見ていることしかできないヨシュア。真っ赤になる程左手を固く握りしめる。
その側で蹲っていたもう一人の男が立ち上がる。
「ってぇ…… 。マジいてぇ…… 」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「全然大丈夫じゃねーよ。こいつ、思いっきり鳩尾に膝入れやがった」
「うわ、そいつはひでーや! なあ、ウルキ、そいつらに一発やり返しておいた方がいいんじゃねーか?」
「だな」
ウルキと呼ばれた男はヨシュアとリコッタを交互に睨む。
「そうだな、あのカワイ子ちゃんを助けるためと思って、どちらか一発顔面殴らせてもらおうか」
そういうとウルキは敢えて不敵に笑って見せる。
「俺は別にどっちでもいいぜ?」
これは悪魔の選択だ。周りを見ると、多くの人々は大通りから既に退避しており、代わりに騎士たちがその場に集まり始めていた。だが、ミントを人質に取られている状況では、騎士たちも下手に動くことが出来ないでいる。
それなら、ここも選択肢は一つしかない。
「だったら俺を────」
「ダメ!!!」
ヨシュアが自分を殴れと言おうとした瞬間、後ろでリコッタが叫ぶ。
「もとはと言えば私のせいなの。だから私が…… 」
リコッタは震える声で自分のせいだという。きっと、胸を締め付けるような罪悪感に襲われているに違いなかった。
「いや、違う。あそこで反撃などせずに、大人しく鞄を渡して見逃していれば、きっと人質を取られることもなかったんだ。だから悪いのは俺だ」
リコッタのせいでは無いと言い切るヨシュア。
そんな二人のやり取りをウルキが嘲り笑う。
「ははっ、庇い合いかよっ。素敵だねぇ。まっ、どっちでもいいけどよ…… 早く決めねーと二人とも殴るぞ?」
ドスの効いた低い声で脅しにかかる男。
リコッタが殴られる展開は何としてでも避け無ければと思うヨシュア。
「それなら、先に俺の事を気の済むまで殴れよ。少なくとも、アンタは俺に対してムカついてる、違うか?」
「────まあな。確かにお前を殴らねーと気が晴れねぇな。お望み通りってのは少し癪だが、いいぜ、お前の顔面からぶっ潰してやるよ」
ウルキはニヤケ顔のまま、ヨシュアに見せつけるかのように目の前で拳をぎゅっと握りしめる。
後ろではリコッタが泣きそうな声でヨシュアの名前を呼んでいる。ヨシュアは振り返ることはせず、大丈夫だ、という意味を込めて左手を軽く挙げてみせた。
「…… 行くぜっ!」
短く一言。
大きく踏み出される左足。
ぐっと拳を引き、怒りと共に放たれる右ストレート…… !
それに対し、ヨシュアは歯を食いしばり、少しばかり前傾姿勢で拳を迎え入れる!
「なっ…… !?」
右の拳は、ヨシュアの額にあたったかと思うと、何かの力に弾かれたかのようにふわっと浮いた。まるで衝撃を無効化されたかのように────
「テメー! いったい何をした!?」
インパクトの瞬間、ヨシュアの額の辺りが一瞬だけ淡く深緑色に光った。魔法で何かをしたのは間違いなかった。
「…… 教えない。けど、何をしたか分かるまで殴り続けてもいいぞ。気が済むまで相手になってやる」
「っち! 言われずともぉっ!!」
ウルキは怒りに満ちた表情でヨシュアの顔面目掛けて大ぶりの左フックを見舞う。そして続けざまに右のショートアッパーを鳩尾に。ヨシュアの体が”く”の字に曲がる。
さらにはウルキは両手でヨシュアの髪を引っ掴んで抱え込み、顔面目掛けて膝蹴りを二発繰り出したかと思うと、突き放し、フィニッシュとばかりに渾身の右ストレートで勝負を決めにかかる!
「ヨシュアァ…… !」
後ろから泣き叫ぶような、悲鳴にも似たリコッタの声。
それにヨシュアは、平気だと、左手を挙げて応えてみせる。
「はぁ…… はぁ…… 、テメー、何で倒れねぇんだ?」
「…… 気が済んだか?」
「そんなわけあるかよっ!!」
ウルキは拳を引き、一歩後ろに跳び下がるとナイフを抜いた。
長く鋭利な銀のバタフライナイフである。
ウルキはナイフを持ち出さなければならない程に追い詰められていた。だからこそ、ここで怖気づく訳にはいかない。ヨシュアは強気な姿勢を崩さず言った。
「いいのか。そんなものを使ってしまうと、ただの窃盗事件じゃすまなくなるぞ?」
「…… 脅す気かよ」
「いいや。けど、狙うなら────」
ヨシュアは左手の親指を立てて、トントンと自分の額を指さす。
「ちゃんと一突きで殺して見せろ」
「なっ…… 正気か…… ?」
ヨシュアの一言に男は一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに険しい表情に戻ったかと思うと、顎を引き、ヨシュアに向けて一言「後悔するなよ」と言った。それは覚悟を決めた顔だった。
ウルキの後ろ、視界の奥ではミントも、ミントを人質に取った男も、固唾を呑んで行方を見守っていた。
男が腕を引きナイフを構える。
その目はまっすぐとヨシュアを見ていた。
目、口元、息遣い、流れる汗。
そのどれもが男の緊張を伝えてくる。
男は半歩だけ、すり足で左足を前に出そうとする。
────その時だった。
何処からともなく伸びる、二本のマジックワイヤー。
それはミントの首元に向けられたナイフを絡めとり、さらには男の首を締め上げる!
「ぐっ!? ぐぅへぇぁぁぁ…… !!?」
引きずられ、宙に吊られるように首を締め上げられた男は、足をバタつかせ、両手でワイヤーをほどこうと必死の形相でもがく。
男の手から逃れたミントは、訳が分からず、宙吊りの男を唖然とした表情で見つめた。
ウルキが咄嗟に振り返り、「トロワ!」と、仲間の名前らしきものを叫ぶ。
だが、その判断は大きな間違いだ。そしてその隙を逃すヨシュアでは無い。
ヨシュアはマジックワイヤーの<ローピング>でナイフを持つウルキの手首にワイヤーを巻く。さらに、タイミング合わせるように高いところから伸びてきた二本のマジックワイヤーが、ウルキの体を縛り上げる!
「喰らえ! 痺れる電流!!」
マジックワイヤーを伝う青白い雷光がウルキを包む!
「がぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」
大口を開け、天を仰ぎながら悲痛の叫びを上げるウルキ。再び膝から崩れ落ち、空を見上げたまま動かなくなった。
ふぅ、とヨシュアは一息吐くと、視線を左上へと移す。
そこには見覚えのある二人の騎士の姿が。
店の屋上からマジックワイヤーで窮地を救ってくれたのは、見習い試験で出会ったクノンとレオナルドだった。




