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片腕の盾使い、騎士を志す  作者: ニシノヤショーゴ
浮雲の旅団編
58/154

図書館と続刊

 

 ジークとの依頼の日々も四日目になった。

 いや、ヨシュアの中ではまだ四日しか経っていないという印象が強い。これまでの内容が濃すぎて、一日一日が長く感じるからだ。


 とはいえ今日から三日間はアリストメイアにて劇団の警護の仕事が入っている。

 それさえ終えれば半分近くが過ぎたことになる。日によっては簡単な仕事の依頼しかない日もあるのだから、これからはもう少し時間の流れも速く感じることだろうと、ヨシュアは期待していた。




 早朝、窓の向こうを眺めると、外はまだ静かに雨が降っていた。あくまでも予報通りだが、やはり残念な気持ちはぬぐえない。


 今日は依頼に向けて午前十一時よりアリストメイア行きの馬車に乗って出発する。そのころには雨もやむだろうが、ヨシュアが気落ちする理由はそこじゃない。もし晴れていたならばマトに会えたかもしれないと思ったからだ。

 ロイとの一件があって以来、マトとは酒場でも会えていない。今日から三日間アリストメイアに行くことを考えると、当分会えないということになる。仕方がないとはいえ、タイミングの悪さは否めない。




 それでもヨシュアは早朝の街をいつものように走り始めた。雨は降っていたが、日課には関係が無い。



 ヨシュアはどんな理由があれ日課を欠かす気は無い。自分自身の体調を整えるという意味でも、就寝の時間と早朝の走り込みの日課だけは、どんな時でも意地でも時間を確保して守り通してきた。少しぐらい嫌なことがあっても、いや、そんな時だからこそ、いつも通り朝の街を走ろうと思うのだ。



 しとしとと雨が降る人気のない街。その静寂を楽しむように走るヨシュア。

 別に静かな場所が好きというわけでは無い。だが、この朝の冷えた空気と、気持ちの良い風と、いつもと違った静けさ。早朝ならではのこの組み合わせは結構好きだ。

 モヤモヤとした気分で走り始めたものの、走り続けていると少しずつ気持ちが上を向いてくる。時間が経つにつれて走るペースも自ずと上がっていた。



 そうしていつものようにウルプス川の大きな橋の近くまでやってきた。いつもなら河川敷に降りるところだが、今日はマトはいない。だからなんとなく石畳でできた橋の途中まで渡って、それから一人橋の真ん中で上から川を見下ろしていた。



「……あれ? 誰だろう?」



 こんな雨の中、早朝の河川敷に一人、水色の傘をさして佇む人がいた。傘が邪魔で誰だか分からないが、スカートを履いているので恐らく女性だ。

 なんとなく見覚えのある服装に、ヨシュアの鼓動が自然と高鳴る。気が付いた時にはすでにヨシュアは岸辺に向かって走り始めていた。

 ヨシュアがその女性に近づくと足音で分かったのか、水色の傘をさしたその人は、ゆっくりとこちらに向かって振り向く。そこには見慣れた藍色のセーターを着た人の姿があった。その人は落ち着いた声でヨシュアに自分から話しかける。



「あっ、ヨシュア君。おはよう。やっぱりこの雨の中でも走ってたんだね」


「マト!? どうしてここに……」



 マトはヨシュアの問いかけに答える代わりにニコッと笑うと、持っていたもう一つの黄色い傘をヨシュアに差しだす。

 マトは初めからヨシュアをここで待ってくれていたようで、そのため準備のいい彼女は、ヨシュアのためにもう一本傘を用意してくれていたのだ。マトに傘をさしてもらいながら、ヨシュアはさっと全身を<瞬間乾燥ドライ>で乾かす。そしてマトから傘を受け取ると、彼女は再びゆっくりと話し始めた。



「”どうして?”と聞かれるとちょっと恥ずかしいけど、私が今日ここに来たいと願ったから…… かな。この前のことでなんだか変な別れ方してしまったし…… いつもは雨が降ったらここには来ないんだけど、今日はちょっと特別…… かな」



 『特別』という言葉にまた一段と鼓動が早くなる想いをするヨシュア。

 ただ、来てくれたことは素直に嬉しいが、それとは別に、昨日酒場を休んだことを考えると無理してここに来たんじゃないかと心配になる。

 右隣に立って、小さなその左手で眼鏡の縁を押さえるマトの横顔を見ながら、ヨシュアはマトの表情をうかがうようにして尋ねる。



「体調は? 無理してない?」


「うん、大丈夫。昨日は私が寝ている間にお母さんが勝手にマスターに連絡しただけだから。ホントは昨日の朝もここで待ってようと思ったんだけど、夜中に色々と考えてたら寝るのが遅くなってね、それで朝寝坊しちゃった」



 マトは昨日の出来事を振り返りながら恥ずかしそうにはにかんだ。いつもと違ってその笑顔はどこかぎこちない。きっとヨシュアのことを想って無理に笑顔を作ってくれているのだろう。そう思うと、小柄な彼女のその姿がいつになく愛おしく感じる。



「あっ、でも心配しないでね。もう大丈夫だから。それに…… 今日から三日ほどアリストメイアでお仕事なんだよね? だから今日は逃したくないな…… って」


「どうしてそれを?」


「この前マスターからのコーヒーの差し入れを持って行ったときに、机の上に置かれたリストを見て覚えたの。いつここで会えるか気になって…… 」



 目線を伏せたまま話す様子とは裏腹に、なんだか今日のマトが妙に積極的な気がして、ヨシュアは嬉しい反面戸惑いも覚える。頬もいつもより赤いし、落ち着かない様子でしきりに眼鏡の縁をさわっている。



「マト、変なこと聞くようだけど…… やっぱり今日ちょっと無理してない?」


「えっ? どうして?」



 ヨシュアの言葉にマトは顔を上げて、驚きと恥じらいが混じったような表情でこちらを見つめる。

 ヨシュアも「どうして?」と尋ねられると言葉に困る。『なんだか今日のマトは妙に積極的だから』なんてそんなことは口が裂けても言えない。

 急に恥ずかしさを感じて、慌てて別の話題を振ることにした。



「あ…… いや、気のせいなら別にいいんだ。それよりマトはもう朝ごはん食べた? ここで立ち話もなんだし、まだならギルドホームかどこかで朝食でも食べていかないか?」


「うん、いいよ」


「よかった。それでさ、もしよかったらその後、少し図書館を案内してほしいんだ」


「うん、それも大丈夫。…… なんだか私の好みに合わせてもらってるみたいで…… 気を使わせてごめんね」


「いやいや、そんなんじゃなくてさ、俺が図書館に行きたいんだ。そのことも含めて歩きながら話そうか」



 

 それから二人は傘を差しながらギルドホームへと向かう。彼女の狭い歩幅に合わせながら、いつもなら走って五分もかからない道のりを、あえて十五分ほどかけてゆっくりと歩いていく。今日は会えないと思っていた分だけ、なんだか得した気分になる。こんな時間を足早に過ごすなんてもったいない。




 ギルドホームはいつものように静けさに包まれていた。この時間、しかも昨日から雨が降り続いているからなおさらだ。でもこの静けさは今の二人には有難い。


 カウンターには今日もマスターの奥さんが立っていた。マトの姿を見つけると笑顔で軽く手を振ってくれた。マトが昨日のことを申し訳なさそうに謝っても、全く気にも留めず「今日は何にする?」と気さくに注文を聞いてくれた。あくまでいつも通り。そのちょっとした気遣いが嬉しい。



 二人隣り合って座りながら朝食を楽しむ。ヨシュアはずっと話したかったここ二日間のこと、『聞いて・見て・感じたこと』を自分なりの言葉でマトに話す。

 ヨシュア自身、今日はいつになく自分が饒舌になっていることに気付いていたが、それでマトが笑ってくれるなら、それはとても意味のあることだと思った。

 もちろん一連の話題の最後は<魔法結晶マナクリスタル>を使ったアクセサリーについてだ。ヨシュアは左の腰のあたりにぶら下げた小さな鞄からアクセサリーを取り出す。もしも万が一会えたならと、望みを捨てずに持ってきておいてよかった。



「はい、これが今話したお土産」


「えっ、私に?」


「そう、マトに。一応これでもオリジナルだから、この世に一つしかないプレゼントになるのかな。特にこの炎の揺らめきのような色合いは、まったく同じものは二度と再現できないらしいよ。…… よかったら首からかけてみて」



 ヨシュアの言葉にマトは静かに頷きながら、両手を差し出すようにしてアクセサリーを受け取る。



「あっ、そうだ。かける前に光にかざしてみてよ」



 マトはまた頷いて、言われた通り照明にアクセサリーをかざしてみる。深紅のクリスタルに光が差し込んで、唯一無二の幻想的な輝きを放っている。マトは息を呑むようにしてしっと眺めている。


 マトは確かめるようにヨシュアの瞳を見た。

 ヨシュアはマトに応えるように頷く。


 マトはアクセサリーについた革紐の輪っかに頭を通す。柔らかな紺色のセーターの上に深紅のクリスタルが収まる。まるで初めからそこが定位置だったかのようだとヨシュアは思った。



「うん、思い描いた通り、とても似合っているよ」


「あ、ありがとう…… 」



 マトはそわそわと落ち着かない様子で、クリスタルと同じように頬を朱に染め、また両手で眼鏡の縁をさわっている。でも、その表情からは確かに嬉しいという気持ちがヨシュアにちゃんと伝わってきた。



「あの…… 私のために本当にありがとう。大事にするね」



 マトがはにかむ。ずっと見たかったこの笑顔がヨシュアにとって何よりも嬉しい。今この瞬間、マトが映る目の前の光景を切り取るように胸に焼き付けようとヨシュアは思った。







 二人はギルドホームを後にして、まだ少し雨が残るなかを並んで傘を差しながら、マトの案内で図書館へと足を運ぶ。

 図書館はレントの村にもあったが、ここは比べ物にもならないほど大きい。

 マトの話では首都アリストメイアにも引けを取らないほどの大きな図書館で、世界的に見ても珍しい本をたくさん取り揃えているとのことだった。



「うわ…… これは凄い。しかも二階まで…… 」



 館内に入ったヨシュアは眼前に広がる景色に圧倒される。壁面は手を高く伸ばしても届かないところまでぎっしりと本で埋まっている。本棚も綺麗に真っすぐずらっと並んでいて、そこにはほとんど隙間なく本がそろっている。ギルドホームとは違って早朝でもそれなりに人が多く、テーブル席に座って静かに本を楽しんでいる人の姿もあった。

 上を見上げると吹き抜け越しに二階の様子も確認できるが、どうやら一階と同じように本で埋め尽くされているようだった。



「二階はどちらかというと学者さんが読むような難しい本が多いの。魔法に関する専門書もあると思うけど…… そっちは係の人に聞いてみた方がいいかも」



 ヨシュアが探しているのは、新しい魔法のインスピレーションになるような本だ。魔法に関する難しい本も取り揃えてあるらしいが、決してそういった専門書では無くて、あくまでイメージの手助けになるような本がいい。



「いや、そんな難しい本は俺には早すぎる。とりあえず一階から見てみようかな…… けど、どこから探そう?」


「どういった本を探しているの?」


「うーん…… 普段本を読まないからなぁ。唯一まともに読んだことがあるのは『ダンジョントラベラーズ』ってファンタジー小説なんだけど…… 」



 ヨシュアが言う『ダンジョントラベラーズ』とは、昔ガトリーが愛読していて、ガトリーが亡くなった後、その妻のエルザから譲り受けた本だ。見習い試験前に読んでいた本もこれにあたる。元聖騎士の四人組が騎士を引退後、前人未踏のダンジョンの攻略を目指して世界各地を旅する王道ファンタジー小説だ。



「その本なら私も知ってるよ。かつて騎士だったおじ様たちが自由を謳歌しながら気ままに旅する本だよね? 半年ほど前に『十年ぶりに最新刊が発売された』って話題になってたからよく覚えてるよ」


「えっ、知ってるの!? というか俺、最新刊のこと知らないんだけど!」



 まさかマトが同じ本を読んだことがあるとは────

 たとえ偶然でもなんだか嬉しい。

 しかも最新刊があるという。随分と前にシリーズに一区切りついていたので、まさか続きが読めるとは夢にも思っていなかった。



「確か向こうの本棚に騎士を題材にした本が特集としてまとめられていたはずだから、探せばあるかも」



 さっそくお目当ての本を探しに行く二人。マトが案内してくれたコーナーには、パッと本の背表紙を見ただけでも騎士を題材にした本が集められているのが分かる。よく見てみると、本の並びはどうやらタイトル順になっているようだ。ということは……



「あった。これじゃないかな?」



 ヨシュアよりも先にマトが探していた新刊を見つけてくれた。さすがこの図書館をよく利用するだけあって探すのも早い。



「そうそう、このシリーズ! しかもホントに読んだことが無い作品だ…… !」



 ヨシュアは本棚から抜き取って表紙を見る。良く知るシリーズのタイトルだが、見覚えのない絵が描かれていた。続いで裏面も見てみる。確かに発行日は昨年の末頃、つまりマトが言うように半年ほど前ということになる。正真正銘、ヨシュアがまだ読んでいないシリーズ八作目の最新刊だ。



「凄いや! これは普段本を読まない俺でもちょっとワクワクするな……!」


「ふふ、それはよかった。本は一度に六冊まで。二週間は借りれるから、せっかくだし他の本も見てみようよ」



 マトの言葉にヨシュアは再び本棚に目を移す。上から順番に題名を目で追うだけでもなんだか楽しい。

 本の題名とは、例えるならお店の看板だ。内容を連想してもらうためであったり、興味を惹いて手に取ってもらえるようにだったりと、短い言葉に沢山の意味が込められている。

 


 ヨシュアの目が一冊の本の前で止まる。左手で抜き取って表紙を眺めてみる。



 ヨシュアが手に取ったのは『見習い剣士ルドルフと空飛ぶ魔法のアトリエ』という本だった。『見習い』『魔法』『アトリエ』など、なんだか気になる単語が並んでいる。

 表紙の絵柄は思ったよりカラフルだ。草原にルドルフと思わしき少年がポツリと立ち、その上には題材にもなっている『空飛ぶ魔法のアトリエ』らしきもの、さらにその奥には世界樹らしきものが描かれていた。きっと『空飛ぶ魔法のアトリエ』に乗って、色とりどりの魔法とともに世界樹攻略に向けた冒険が繰り広げられるのだろう、などど勝手に想像してみる。



「いい本だよ、その本。魔法もたくさん登場するし、ヨシュア君が探している内容とも一致すると思う」


「この本も読んだことがあるの?」


「うん、えっと…… そのきれいな表紙に惹かれて読んでみたことがあるんだ」



 マトが騎士を題材にした本も読むという意外な事実に驚きつつも、確かに表紙はとてもカラフルでマトが好きそうな絵かもしれない。

 数日前に見せてもらった水彩画を思い出しながら「マトも将来はこういう素敵な表紙を描くんだろうな……」とヨシュアは無意識に呟く。

 何気ない一言だった。けど、当然マトはその一言に過剰に反応してしまう。マトは目を逸らし、両手で眼鏡の縁をさわりながら、頬を真っ赤に染める。



「えっ……あぅ…………もう、ヨシュア君!?」


「えっ!? 俺? ごめん、俺なんかした?」


「気づいてないならいいです……!」







 最終的にヨシュアは『ダンジョントラベラーズ』の最新刊と『見習い剣士ルドルフ』のシリーズを三冊借りることにした。上限いっぱいではないが、ここ数日はジークに連れまわされていることもあって、読書の時間をとれるか分からないし、それに読み終えたらまたここに来ればいいだけだと思い、四冊だけにしておいた。

 受付にて新しくカードを作り、ついでに図書館で売られていた手提げ鞄を買って、無事に目当ての本を借りることができた。

 外に出るともう雨は止んでいた。二人は揃って空を見上げる。薄雲の切れ間からうっすらと日が差している。



「雨…… 止んだな」


「そうだね」



 ヨシュアはマトに礼を言って借りていた傘を返す。



「今日は図書館まで付き合ってくれてありがとう。おかげで今の俺にピッタリな本を見つけることができたよ」


「ううん。お礼を言うのは私の方だよ。素敵なアクセサリーをどうもありがとう」



 お互い向き合うようにしてお礼の言葉を述べる。これはこれで何だか恥ずかしい。

 意外とマトは目線を逸らすことなくヨシュアの瞳をじっと見つめていた。ヨシュアの方から一瞬目線を逸らしそうになるが、もう一度彼女の瞳を見て、惜しむようにしばしの別れを告げる。



「えっと、じゃあ…… 行ってきます! アリストメイアに!」


「うん、気を付けて」



 ヨシュアは軽く左手を上げる。

 マトの微笑みを目に焼き付ける。

 そして振りかえり彼女を背にすると、まっすぐ視線を上げて歩き始めた。


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