巨大な岩肌の野牛
ジークエンデがヨシュアに課したミッション。
それは体長四メートル近くにもなる<巨大な岩肌の野牛>の暴走を盾一つで止めることだった。
ヨシュアと、それからヨシュアと共に行動するように命じられた弓使いのエルクは、急ぎ<巨大な岩肌の野牛>が暴れる騒動の中心地へと向かった。
二人は野次馬たちを押しのけるようにして前へ進んでいく。
命知らずの人垣をかき分けて見えた先には、人間たちを警戒するようにゆっくりと動き回る<巨大な岩肌の野牛>と、その魔物を取り囲むように戦う三人の騎士たちがいた。
(うわ…… これはでかい。ちょっと予想以上だ…… )
近くで見るバイソンはヨシュアが想像していたよりもずっと大きい。
背中からでっぱりのように見える隆起した背骨のおかげもあってか、野牛の魔物でありながら高さもあり、大きく真っ黒な面長の顔と、緑に発光する立派な角からは凄まじい威圧感を感じる。
これほどの巨体から繰り出される突進をまともに受けたとしたら、まず間違いなく死に直結するだろう。
三人の騎士たちは、それぞれがバイソンと五メートルほどの距離を保ちつつ、三角形を形成するように散らばっている。
三人は左腕で盾を構えながら、バイソンの角と、それから両方の後ろ脚を右手のマジックワイヤーの<ポイントショット>で捕えて、なんとかこの事態を安全に収めようとしている。
が、巨大な魔物は三人のマジックワイヤーだけでは止まるはずが無い。
騎士たちはもうすでに長い時間格闘しているのだろうか、大きく肩で息をするほど疲弊しきっていた。それでも騎士の一人が叫ぶ。
「────もう一度<痺れる電流>いくぞ!」
それを合図に三人の騎士たちがマジックワイヤーを伝って一斉に魔法の電流を流す。
辺り一帯が青白い光に包まれる……
騎士たちの一斉攻撃に<巨大な岩肌の野牛>は、動きを止め苦しそうな叫び声を上げている。ヨシュアとエルクも作戦の行方を静かに見守るが────
<巨大な岩肌の野牛>の特徴はその固く分厚い皮膚にある。
いくら三人分の<痺れる電流>とはいえ、所詮は対人間を想定した魔法。残念なことに、その程度で完全に動きを止められる相手では無かった。
分厚い皮膚によって電流は阻まれ、派手な見た目ほどの効果は得られなかったようだ。
バイソンは大きな雄たけびを上げたかと思うと、その場で一度、両前足を巨体ごと振りかざすように大きく上げた。そして環状根に向かって力の限り振り下ろす。ドシンという大きな音が、周囲にいた人々の体全体に響き、その多くは思わず身震いしてしまう。
静まり返る野次馬ども。
狼狽えた表情の騎士たち。
そしてバイソンは、その巨体からは想像できないほどのスピードで、前方の騎士目掛けて一気に突撃を仕掛ける!!
この時、両方の後ろ足を、二人の騎士がそれぞれのマジックワイヤーでしっかりと封じていた
────はずなのだが、バイソンはそんなのお構いなしに、二人の騎士を赤子のように引きずりながら猛然と走っていく!
敵意を向けられた騎士は思わず両腕を体の前でクロスさせるようにしてその身を必死に守ろうとする。
ただ、騎士のその行為はあまりにも無意味だ。
見ていた野次馬たちにもはっきりと分かる、絶望的なまでの体格差から繰り出される一撃の、その騎士の身に起きる悲劇を瞬時に想像してしまった人々は、今更ながらにバイソンに恐怖を感じ悲鳴を上げる。
────だが、
多くの人々が突撃の瞬間顔をしかめたり、背けたりする中で、ただ一人騎士を救うため果敢にバイソンに立ち向かうものがいた!
────ヨシュアだ!
ヨシュアは素早く騎士とバイソンの間に割り込むと、大型の魔物の突撃に臆することなく盾を構えた!
(失敗したら二人とも死ぬ!!!)
臆すれば<衝撃吸収>が成功することは絶対にない。
ヨシュアは突撃の瞬間をぎりぎりまで見極め、十分にバイソンを引きつけると、その巨体と左手に持つ盾とが衝突する瞬間、<衝撃吸収>を発動させる!
魔法によって勢いを完全に殺されたバイソン。
一瞬、その巨体をふわっと宙に浮かせたかと思うと、ヨシュアの前にひれ伏すかのように膝を折って大きな音を立てながら目の前で崩れ落ちた!
もしコンマ一秒でもタイミングがずれていたら、間違いなくヨシュアも騎士も死んでいた。
だが、ヨシュアはここ一番で驚異的な集中力を発揮すると、見事にバイソンによる攻撃を無力化してしまったのだった。
それは恐らく、数日前に戦った<巨大な両腕の大熊>との戦闘経験と、その時得た自信が、今回の結果につながったのだろう。
さすがに死を覚悟していた騎士。
彼はバイソンが崩れ落ちる大きな音を聞いて、クロスさせた両腕の間からうっすらと目を開け、一体何が起こったのかと事態を確認しようとする。
「さあ! 早く立って! 皆さんももっと離れて!!」
ヨシュアの叫びに、尻もちをついていた騎士も、それからバイソンに引きずられて寝そべっていた騎士も慌てて立ち上がる。
だが、野次馬たちはいったい何が起こったのかという興味が勝っているのか、ヨシュアの言葉を聞いてもその場を離れようとしない。
人々が避難するよりも前に<巨大な岩肌の野牛>が静かに巨体を揺らしながら立ち上がる。
依然として角は興奮状態を表すように緑色に光ったままで、鼻息は荒く、後ろ脚の蹄をせわしなく鳴らしながら周囲を見渡し、今にもまたどこかに向かって突撃してしまいそうな様相を呈している。
(…… まずいな。この距離は近すぎる)
バイソンと人垣が近すぎることを危うく感じたヨシュア。
もう一度叫んで見物人たちを下がらせた方がよかったのかもしれない。
が、下手に叫んでバイソンを刺激してしまってはまずい。
「マジックワイヤー、ローピング!」
「マジックワイヤーは使うな」とジークに言われていたが、今はそれどころではない。
マジックワイヤーで輪っかを作ってバイソンの首にくるくると巻き付けると、ヨシュアは人垣から離れるように走りながら<痺れる電流>でバイソンに電流を流す。
「さぁ、こっちだ!!」
バイソンに<痺れる電流>の効果が薄いのは先ほどの騎士たちを見ていて知っていた。だが全く効果がないわけじゃない。注意ぐらいなら十分に引きつけられる。
バイソンは湖を背にしたヨシュアの方を向き直り、低い姿勢から頭突きをかますように猛スピードで突進を繰り出してきた!
────だが、一度タイミングを掴んだヨシュアの完璧な<衝撃吸収>の前にまたしてもバイソンは崩れ落ちる。
ヨシュアはバイソンの首にマジックワイヤーを巻き付けたまま、少し後方に離れて警戒しつつ様子をうかがう。
その様子を見ていた周囲の人間が次第にざわつき始め、それは次第に歓声へと変わっていく…… !
「あいつ何もんだ!?」
「もしかして片腕で戦ってるのか?」
「なんで盾一つで魔物の攻撃を防げるんだよ。ありえないだろ…… 」
「騎士たち三人より、赤髪の少年の方がよっぽど頼りになるじゃないか!」
その人垣の中に混じっていたエルクは、もしもの時のためにと最前列で立膝をつき弓を構えて待機していたのだが、ヨシュアとバイソンの激しい攻防を間近で見て、そのヨシュアの強さに驚いていた。
(なんなんだ。なぜあの少年はあんな大きな魔物相手に踏み込んでいけるんだ!? しかも盾一つで動きを完全に止めてしまうなんて…… 。この目で見るまで信じちゃいなかったが、コルト諸島で<巨大な両腕の大熊>と戦ったってウワサは本物だったってことか…… !)
多くの者たちが見守るなか、三度バイソンは立ち上がる。
バイソンはじっとヨシュアを見ながら、環状根を後ろ足で蹴って蹄を鳴らす。
どうやらまだ暴走は収まりそうもない。
(あの人、最後は自分が決めるって言ってたけど、いつまで待たせる気なんだ!)
未だにジークからの援護はない。
だが幸いなことにバイソンの注意は完全にヨシュアに向いている。
これならむやみに<痺れる電流>を使ってバイソンを傷つける必要もない。
ヨシュアの様子をじっと見つめていたバイソンだったが、唸り声を上げながら首を左右に振り、そして低い姿勢でぐっと力をためると、またしても渾身の力を込めて猛スピードで突進を試みる!
周囲の人々が息を呑んで見守るなか、バイソンの巨体から繰り出される突進は先ほどよりも速く鋭い一撃だった。
が、それでもヨシュアの<衝撃吸収>の前には何の意味もなさなかった。
またしても体格差を跳ね返して魔物を跪かせたヨシュアに対し、見物人たちがひときわ大きな歓声を上げる!
ヨシュアはバイソンが諦めるまでこの攻防を繰り返す気でいた。自分が失敗しない限り誰も傷つかずに済むからだ。時間はかかるかもしれないが、それはこの場をヨシュアに任せたジークが悪い。とにかくここは安全第一だ
────と、ヨシュアが思い始めていた時だった。
「…… 今だ! かかれぇー!!!」
何を思ったのだろうか。バイソンがヨシュアの前に崩れ落ちるのを合図に、離れて見ていたはずの騎士たちが突然バイソンのもとに駆け寄ると、右手に握りしめた剣でバイソンに襲い掛かる!
「なっ!? やめろっ!!」
騎士たちのまさかの行動に、咄嗟に飛び出したヨシュアは、一番近くの騎士が振り下ろす剣を盾で防ぐ。
「なんだ!? お前! 何をする!!」
「それはこっちのセリフだっ!!」
騎士の剣を<衝撃吸収>できっちり弾き、何とかバイソンを守るヨシュア。
だが、さすがに一人で三人同時には対処できない。
バイソンの背後から駆け寄った二人の騎士がバイソンに向けて斬りかかった!
バイソンは痛みから大きな叫び声をあげたのだが────
<巨大な岩肌の野牛>という名はやはり伊達じゃない。
騎士たちはここぞとばかりに力の限りバイソンを上から下へと剣を振り下ろして斬りつけたのだが、それはバイソンの表皮の薄皮部分を傷つけたにすぎず、分厚い皮膚の下に剣先が届くことは決してない。
バイソンは激しく体を揺らしながら勢いよく立ち上がった。
その巨体から赤い血がぽたぽたと流れ落ち、真っ白な環状根を赤く染めた。
興奮からバイソンの角はこれまで以上に緑色に光り輝いている。
そして振り返り自分を傷つけた騎士たちを睨みつけると、ブルっと巨体を震わせ、低い姿勢から突撃を仕掛ける!
自分から離れていくように突進するバイソン。
これに対して素早く回り込んで盾で防御…… なんてことは、さすがのヨシュアにもできない。
それならばと、ヨシュアは<身体強化>で上半身を中心に強化して、後ろからバイソンを背負い投げをするかのように首に巻き付けたワイヤーを力の限り強く引っ張る
同時に<痺れる電流>を駆使して動きを止め、何とかもう一度バイソンの注意をこちらに向けようとするが────
「ぐっ………… うわぁ!!!」
バイソンの動きを止めることができたのはほんの一瞬だった。
いや、僅かな時間でも止めたこと自体十分に凄いのだが、さすがに体格差が違い過ぎた。
すぐさまバイソンに引っ張られヨシュアの体は宙に浮く。
バイソンはヨシュアを引き連れたまま二人の騎士たちに向けて突進していく……!!
(ダメだ! …… 何もできない!!)
宙ぶらりんになった状態ではヨシュアといえど何もできない。
せめてもの想いで渾身の魔力を込めて<痺れる電流>を流すが、それでもバイソンは止められない!
────その時だった。
ヨシュアの前を猛スピードで走る<巨大な岩肌の野牛>の固い皮膚を、『光の槍』が貫いた。




