指先と魔法
アルルを魔法文で呼び出してまで来てもらった、もう一つの理由。
それは『魔法を教えて欲しい』というものだった。
この世界には魔法の素となる『魔素』が溢れている。
この世界に暮らすほぼ全ての人々がその恩恵にあずかっている。
魔法は戦いだけではなく、人々の生活の根幹にかかわるもので、一度その生活に慣れてしまえば、もはや魔法無しでの生活を考えられないほどだった。
そんな魔法の世界において、実は『魔法使い』と呼ばれる人々の数は意外なほど少ない。
魔法が使えるという意味だけなら、この世界に暮らす人々は全員魔法使いなのだが、無から有を生み出すような、魔法の杖一つで自由に魔法を扱うことができるような、そんな魔法のエキスパートはほとんどいない。
そして数少ない魔法使いの多くは<ニルローナ>という国の出身者である。ここマーセナルに魔法使いと呼ばれる者は、数える程しかいないのだ。
アルルは今は隣町に住んでいるが、もともとはニルローナ出身だ。
アルル自身は薬剤師を志しているが、彼女の一家は魔法使いの家系であり、杖一つあればたいていの魔法は使える。この街では大変貴重な存在だ。
(ちなみにこれは余談だが、アルルが言うには、彼女の家族は皆それぞれが好奇心の塊のような存在らしく、それ故に魔法に関わりを持ちつつも、家族全員が別々の職業についているらしい)
ただ、魔法は使えると言っても、アルルのそれは生活に役立つような魔法が多い。だからか、ヨシュアの頼みにアルルは少し申し訳なさそうな顔をして言った。
「えっと…… 頼ってもらえるのは大変有り難いのですが、戦闘用の魔法は詳しくありませんよ?」
土地柄なのか、もともとニルローナに住む人々は争いを好まない人が多い。魔法は生活を豊かにするためのもの、という意識を持った人が多いようだ。だから、ニルローナ出身でも戦いに秀でた魔法使いというのは、国家に使える一部の者だけだという。
「ああ、それはこの前も聞いたから知ってる。それでもいいから、いくつか知恵を借りたいだけなんだ」
「そういうことでしたら喜んでっ!」
ヨシュアの言葉にアルルはまたにっこりと微笑んだ。
「そうですね、普通なら右手と左手でそれぞれ魔法を使うのが一般的なのですが…… けど、ヨシュアさんに向いてそうな魔法となると…… まず一番に考えられるのは、やっぱり<術式魔法>が施された魔法道具に頼ることになるでしょうか。ちょっとありきたりな答えですけどね」
「うーん、やっぱりそうなるか…… 」
「ひとまず魔法のことは一旦置いておいて、ヨシュアさんの思う聖騎士の理想、それからヨシュアさんが今抱えている戦いの悩みを色々と教えてもらっていいですか? もしかしたら別のアプローチも思い浮かぶかもしれませんし」
アルルは身振り手振りを交えながら、ヨシュアの悩みに力を貸しくれようとする。そのことに感謝の念を抱きつつ、まずは聖騎士についての理想を語り始めた。
「理想は…… やっぱりどんなピンチにも颯爽と駆け付けては、助けを求める誰かを守れる人になりたい! それから…… 安心感を与えられるような存在にもなりたい! 何というかやっぱり俺の中ではガトリーさんの存在が大きいというか、その身をもって危険に立ち向えるような…… そう! 体を張って誰かを助けたいんだ! そのためには強さは絶対に必要で…… 」
「うんうん! 本当にヨシュアさんは聖騎士を尊敬し憧れているんですね!」
楽しそうに理想を語るヨシュアを見て、アルルも楽しくなって微笑みを浮かべながら話に相槌を打つ。
そんなアルルの笑顔を見ていると、なんだか聖騎士のことをもっともっと話していたくなって、ヨシュアはつい長々と理想を語ってしまった。
続けてヨシュアはできるだけ詳しく自身の悩みを打ち明ける。
「悩みは…… 何から話せばいいかな? とりあえず、アルルもよく知ってくれている通り、俺は片腕だからとにかく手数が足りないことが一つ悩みだな。それから、今まで盾で守ることばかり考えてきたから、有効な攻撃手段が何もない。別に相手を傷つけたいわけじゃないけど、ある程度相手にプレッシャーをかけられるような攻撃手段がないと、一方的に攻撃され続けることになる」
「相手を傷つけないような攻撃だと、たとえば拘束系の魔法とか?」
「まだ何も具体的には浮かんでないけど、それも確かに魅力的な選択肢の一つだな」
「うーん…… そうですね…… ヨシュアさんは魔法を使う上で、体のどの部分が一番重要かご存知ですか?」
「ああ、たしか手の指先だったよな」
ヨシュアの言葉にアルルが頷き、身振り手振りを交えながら説明を始める。
「一説によると、人間の脳が他の生物に比べて発達しているのは、指先が器用に動くからだともいわれています。また、脳の神経と体の各パーツの繋がりの割合を調べた研究があるのですが、一番脳と密接に関係している部位が『手や指』だったのです。だから人々は難しい魔法を扱うとき、まず手や指先に魔力を集中するんですよね」
ヨシュアはアルルの知識に感心しつつ、語られる言葉に静かに頷く。確かに<衝撃吸収>や<魔法無効化>も一度手に集めた魔法を剣や盾に付与する魔法であり、<自己再生>も傷口に手をかざして治療したほうがより早く治る。
「でもその理屈だと、片腕の俺は剣術だけじゃなく魔法も向いてないことになるんだな……」
「そうですね。そしてそれを解決するために私が呼ばれていると…… 。なんだかこれはこれでワクワクしてきますねっ!」
アルルの言葉に思わず「えっ?」と驚き聞き返すヨシュア。
その様子にアルルは自分の言葉が不適切だったと気付きすぐさまこう付け加えた。
「あぁっと、すみません。ヨシュアさんの気持ちも考えずに勝手に一人でテンション上がってました……。ただ、私はヨシュアさんが他の人とは違うからこそ、独自のルートで強くなろうとする、この展開に少し胸が熱くなったと言いますか…… だってヨシュアさんは可能性の塊なんですよ?」
アルルにとっては、思ったことを素直に口にしただけの何気ない一言。
────しかし、ヨシュアは彼女の言葉に強く心を打たれていた。
片腕で聖騎士を目指すこと。
それは自分自身ですらハンデだと、伸びしろが少ないと感じていた。
それなのにアルルは、そんなヨシュアを『可能性の塊』だと言ってくれた。
この言葉がヨシュアにとって嬉しくないはずがなかった。
嬉しさのあまり言葉を失うヨシュア。
対するアルルは、ヨシュアが黙り込んでしまったのを見て、やはり今の言葉はいけなかったと反省を口にする。
「────やっぱり失礼でしたよね。すみません。片腕の苦労も知らずに”何をふざけたことを言ってるんだ”って感じですよね…… 本当にごめんなさい!」
アルルは肩をすくめて申し訳なさそうに謝る。
「いや、違う。そうじゃないんだ。俺が片腕だということを、ここまで良く言ってくれる人は今までいなかったから、その…… ちょっと嬉しくて……」
「ヨシュアさん……」
少しの沈黙。
それからヨシュアは天井を見上げ、今にも零れ落ちそうになる涙をこらえると、一つ深呼吸をして言った。
「────ごめん。ちょっと感情的になってしまったみたいだ。続けてほしい」
「…… はいっ! えっと、それじゃあ考えられる魔法なんですけれども、『左手を使った新しい魔法』というのは、残念ながら少し考えにくいですね。手数を増やす意味でもそうですけれど、基本的に一つの手に一つの魔法と考えると、左手で魔法を使うときは<衝撃吸収>や<魔法無効化>が使えなくなってしまいます」
「つまり防御中は攻撃ができない…… ということか?」
「その通りです。それだと今の悩みを何も解決できないことになるので…… いや、待って下さい…… そういえば……」
「なにかいい手があるのか?」
「いえ、ちょっと私の兄に確認をとってみないと分からないのですが、たしか敵の攻撃を反射する魔法を開発したとか…… 」
「本当なのか!? それ、どんな魔法なんだ!?」
ヨシュアはアルルの言葉に驚き目を見開いた。
もしその言葉通り相手の攻撃を反射するような、盾一つでできる攻防一体となるような防御方法があったとして、その魔法が少しでも相手にプレッシャーを与えられるものなら……
ヨシュアは期待からテーブルに身を乗り出してアルルに尋ねる。
「ああ…… 待って下さい! まだ確認してみないことには……。それにたしかその魔法はあまりにも使うのが難しすぎて、結局誰も使いこなせず、泣く泣くお蔵入りになった術式だと言ってた気が……」
アルルは確証がないことでヨシュアを期待させ過ぎないよう、慌てて記憶を辿りながら話す。
しかしそれでもアルルが語る魔法の詳細が気になって質問を重ねる。
「誰も使いこなせないほどって…… どういう意味で難しいんだ?」
「たしか、使い方は<衝撃吸収>と同じらしいのですが、発動時間が極めて短い<衝撃吸収>よりもさらにタイミングがシビアで、とても実戦で扱えるものではなかったとか……」
アルルは自分で語りながら、そんな誰も使えない魔法ではダメだと、期待させてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
しかしヨシュアの考えは違った。
「────それだ。俺にも見えたよ、片腕の盾使いの可能性ってやつが!」




