ヨシュアのはなし
ウルプス川のほとりにて初めてマトに話しかけて以来、ヨシュアの朝の日課にマトとの会話が加わった。
いつもウルプス川まで走っては休憩がてら十五分ほど会話する。短くも楽しい時間である。退屈だったここでの暮らしに新しい色どりが加えられた、そんな風に感じた。
今日もマトはいつもの川の岸辺に置かれた長いすに座って本を読んでいた。
早朝の時間は彼女には少し肌寒いのか、いつも白いボタンシャツの上に袖の長い紺色のセーターを着ているのだが、それがとてもよく似合っているとヨシュアは思っていた。
ヨシュアが声をかけるとマトはこちらを振り返って挨拶を返してくれる。
「あ、おはよう、ヨシュア君。えっと…… よかったらどうぞ」
マトはそう言いながら鞄から水筒を取り出すと、水筒からコップを外してヨシュアに渡してくれた。
ヨシュアは「ありがとう」とお礼を述べつつ、いつものようにマトの左隣りに座ってコップを受け取る。
マトが読んでいる本は街の図書館から借りてきたものらしい。どんな話かとヨシュアが尋ねると『行方不明の母親を探す少女の話』だと教えてくれた。
「私、この本みたいに主人公が街から街へと旅するお話が好きなの。主人公が新しい出会いをするたびに私自身もわくわくしたり心が温かくなるから……」
「へぇ…… 。それじゃあ、酒場で働いているのは将来どこか旅に出たいと思っているからなのか?」
ヨシュアの質問に、マトは首を横に振って慌てて否定する。
「そんな旅なんて! 私はそんなことできないよ。働いているのもただ家が貧しいからというだけだし…… 性格的にも旅なんて考えられないからこそ物語の主人公に憧れているというか…… 」
たしかに旅に出るような性格には見えない。
が、何もそこまで自分自身を否定しなくてもいいのにとヨシュアは思った。
「それに…… 」
「それに?」
マトが何か思いつめたように呟く。
ヨシュアは気になって聞き返す。
「────ううん。なんでもない。…… ただ、私はこの街が好きだから、きっと旅に出ることは無いと思う。ヨシュア君はこの街に旅してきたけれど、なにか不安とかはないの?」
「不安はない…… けど、焦りとか戸惑いなら感じてる」
マトはヨシュアの言葉に少し意外そうな表情を浮かべる。
「そう、なんだ。ちょっと意外だなぁ。いつも堂々としてるから、あんまりそういうの無いと思ってた」
「そんな凄い人間じゃないよ。実際に今年の見習い試験だって落ちてしまったし。だから次こそは合格したいと思って、自分に足りないものを埋めるために傭兵として頑張ろうしてたんだ。けどさ、まだ信頼が足りないのか、難しい仕事を回してもらえなくってね。このまま傭兵業を続けても来年の聖騎士見習い試験に合格できるのかなーって、ちょっと焦ってる」
「目標が高くて明確だからこそ焦っちゃうんだろうね」
「そう…… かもしれない。まだこの街での生活も始まったばかりだし、試験も一年後だから何をそんなに焦ってるんだって話なんだけどさ。けど、やっぱり俺は盾使いだから、一人じゃ戦えないから、もっともっと信頼を勝ち取って、守ることしかできない俺に役割を与えて欲しいって思ってる。だからまあ、つまり『認められたい』ってことになるのかな? …… なんか自分で言うと物凄く恥ずかしくなってくるな…… 」
ヨシュアは気恥ずかしさから無意識に頭を掻く。
(自分でも意外だ。俺はいつの間にかどうやら、自分が思う以上に『片腕の盾使いとしてみんなから頼られたい』と強く願っていたんだな)
自分の内面や欲求を実際に誰かに話すという行為は、思っていたよりも恥ずかしいものなのだと感じた。
それと同時に、こうやって口に出してみることで、意外なほど自分の感情を整理できることに正直驚く。
そんなヨシュアの言葉に相槌を打ちつつも、ヨシュアの悩みが思っていたよりもずっと立派過ぎて、マトはやはり自分とは違うと、どこかヨシュアの存在を遠くに感じてしまっていた。
「あと悩みと言えば『街の人や傭兵団のみんなの視線が気になる』ってこともかな。ほら、俺って片腕だからさ、良くも悪くも目立つし。たぶんだけど、別に軽蔑とかそういった意味の視線では無いとは思うから、そんなに嫌ではないんだけど……」
「あ…… えっと、ごめんなさい。私も…… 」
マトは初めてヨシュアと出会った日を思い返す。
あの日マトは店員という立場でありながらヨシュアの右腕が無いことに気が付いて、ヨシュアの気持ちも考えずに無意識とはいえジロジロと見てしまったことを未だに申し訳ないと思っていた。
だから、こうして朝の時間に何度か話す機会があったというのに、マトはまだヨシュアが片腕でありながら騎士を目指す理由を尋ねることができずにいた。
マトは相手の気持ちを考えすぎるあまり、肝心なところに踏み込めない。それ故にいつも当たり障りのない会話で終わってしまって、そんな自分を情けなく感じていたのだ。
そんなマトの、申し訳なさそうに俯く姿を見て、気持ちをなんとなく察したヨシュア。少しばかり慌てて言う。
「いやいや、それが普通だと思うよ。『意識するな』という方が無理だし、どうしても気になってしまうよな」
ヨシュアの気遣いの言葉。
けど、この一言が意外にもマトの心に重たく圧し掛かる。
(あの日と同じだ。またヨシュア君に気を使わせてしまった…… )
────このままじゃいけない。
マトは意を決してヨシュアに尋ねる。
「あの、ヨシュア君…… !」
「なに? あらたまって」
ヨシュアはマトに名前を呼ばれて振り向く。
眼鏡の奥のマトの目は、まっすぐヨシュアを見ていた。
「どうしてヨシュア君は、その…… 片腕で騎士を目指そうと思ったのか、教えてもらってもいい?」
マトの真剣な眼差し。
ヨシュアも、マトが凄く勇気をだして尋ねてくれていることを感じ取った。
「そうだな、この機会に騎士を目指すきっかけと、それから少しこの右腕のことも知ってもらおうかな……」
そうしてヨシュアは言葉を選びながら、ゆっくりと過去の出来事を話し始めた。
十歳の時に魔物に襲われて片腕を無くしたこと。
その時に見かけた金髪の男のこと。
ヨシュアと妹を命がけで助けてくれた騎士のこと。
その騎士に憧れてこの五年間すべてをかけて修業に励んだこと。
それでも聖騎士見習い試験に受からなかったこと。
試験官の一人にマーセナルで傭兵を経験してみてはどうかと勧められたこと。
兄弟子のラスティに何度も背中を押してもらったこと。
ヨシュアの言葉にマトは熱心に耳を傾け、何度も頷いて相槌を打つ。
一通り話し終えると、マトは少し考えたうえでヨシュアに向けてこう言った。
「ヨシュア君にとってガトリーさんはとても大切な人だったんだね」
「もちろん! とても尊敬しているし、今もこの世界に生きていたとしたら、もっと多くの人の命を救えていたはずなんだ! だから俺はガトリーさんの分も頑張らなきゃって、命を救われたものとしてそう思ってる。なのに、試験監督のお偉いさんにそのことを否定されたときはさすがに頭にきたよ……」
ヨシュアはそう言いながら、つい先日の苦い思い出を振り返る。
どこか遠い目をしているヨシュアの横顔を見ながらマトは質問を重ねる。
「自分を救ってくれたガトリーさんの命に応えたいって、だから騎士を目指すというのは少しわかる気もするけど…… どうしてそこまで『聖騎士』にこだわるの?」
「俺にとってガトリーさんはそれだけ大きな存在だったんだ。ガトリーさんは聖騎士では無かったけれど、魔法が少し苦手なだけで剣術は凄まじかった。いつもまじめで朝晩の鍛錬を欠かさない人でもあった。そんな凄い人に命を救われたんだ。なのに生き残った俺が半端な騎士を目指してちゃいけない。そう思っていたんだ。けど……」
「…… けど?」
「この前マトの将来の夢を聞いた時、俺の夢ってなんだろうって、ちょっと思ったんだ。聖騎士になるのは本当に夢なのかなって。もちろん聖騎士になるのを諦める気は無い。けれど、聖騎士になるのはあくまで『目標』なのであって、『夢』とはまた違うような気がしたんだ。えっと…… 何と言えばいいかな…… 。そう、聖騎士になった後、何がしたいのかなって思ったんだ」
ヨシュアは自分自身もよくわかっていない感情を一つ一つ確かめながら言葉にしていく。
マトはそんなヨシュアの思い悩む表情を見つめながら尋ねる。
「答えは出たの?」
「いや、まだなんとも」
「そうなんだね。もしかしたらヨシュア君は『聖騎士になって叶えたい夢』を探しにこの街にやってきたのかもしれないね」
「夢を探しに来た……?」
マトの言葉にハッとするヨシュア。
この街を勧めてくれたマオの真意は分からないが、ヨシュアはマトの「聖騎士になって叶えたい夢を探しにやってきた」という言葉が、思うような日々を送れず焦るヨシュアに対して「もっと気楽に暮らせばいい」と言ってくれたような、そんな気がしたのだった。
「そうか…… きっとそうなんだろうな。うん、なんか元気出てきた。とりあえず、焦らずいろんなことに挑戦してみるよ。せっかくこの街に旅してきたんだ、もっと楽しまないとな」
マトの言葉に元気をもらったヨシュア。ここ数日感じていたモヤモヤが晴れたような気がしていた。
マトもヨシュアの一言に、自分の言葉が少しでも力になれたような気がして嬉しくなった。
◆
ヨシュアはマトと笑顔で別れた後、いつもよりは遅くなったものの、この日も走って<浮雲の旅団>のギルドホームにやってきた。
すると、扉を開けるなり、知らない男がヨシュアにハイテンションで話しかけてきた。
「遅かったじゃないか!! まったくこのボクを待たせるなんてね…… ! まぁそんなことはこれから迎える素敵な日々に比べればとても些細なこと。さぁ、まずは朝食をとって英気を養おうじゃないか!!」
男はそう言っては右手でヨシュアの肩を何度も叩く。
「遅かった」と言われても、こんな見知らぬ男と約束なんてしていないのだが……
まだ三十代半ばに見えるその男は、細身で背が高く鼻も高い。白シャツとタイトなズボンに茶色の革靴がやけに似合っており、さりげなく見える腕時計はかなり高価なものに見える。
だが、ヨシュアはこの男のことを全く知らない。
そんな見知らぬ男にいきなり迫られたとあってはヨシュアも戸惑いを隠せない。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 誰かと勘違いしてませんか!?」
「まさか!! 君みたいな片腕の人間と誰かを間違えるなんてありえないよ!!」
「たしかに」と納得せざる負えないヨシュア。
────だからといって、この行動の意味は全く理解できたものでは無いが。
理解の追い付かないヨシュアに対し、この男は追い打ちとばかりにさらに理解不能なことを言い始める。
「さて、それじゃあ挨拶も済んだことだし、あっちのテーブルで計画を立てるとしようじゃないか! ボクの付き人としてこれから二週間働くキミの最初の仕事だ! 光栄に思うといいよ!!」
この言葉にヨシュアが唖然としたのはもはや言うまでもない。




