笑顔
「あれ? …… もしかして…… 寝てる?」
ティアが助かった安堵から、思わずヨシュアに抱き着いて泣いてしまったアルルだったが、疲れからか、いつのまにかヨシュアの腕の中で寝てしまっていた。これにはさすがにヨシュアも戸惑いを隠せない。
そのことに気がついたタニスが声をかける。
「あら、アルルちゃん、もしかして寝ちゃった?」
「無理も無いな。俺たちが無理やり夜中に起こしてから、今までずっとティアのためにボロボロになりながら走り回ってくれたんだからな。どなたか知らないが、ちょっとそのまま寝かせておいてあげてくれないか?」
ドミニクもアルルの寝顔を見ながら頷く。
ヨシュアはドミニクの思いがけないお願いに戸惑いながらも、アルルの幸せそうな寝顔を見ると、いつのまにか自分の首に両手を回していた彼女の手を払いのけるのは、確かに罪悪感を感じた。ただ、ほのかに香る甘い匂いと、柔らかな胸のふくらみが気になりすぎて、顔が紅くなっているのが自分でもわかる。
「そういえばそうと、君は一体? アルルの知り合いで、ティアのために協力してくれた恩人だということは分かるんだが……」
今までティアのことで頭がいっぱいで、見知らぬ男のことを気にする余裕も無かったが、今となっては不思議でしかない。
特にドミニクは、ヨシュアがティアを背負って走ってきたところを見ていたので、余計に気になって仕方がなかった。
「アルルの知り合いってわけじゃ無いんですけど、どこから説明したらいいかな?」
ヨシュアは困りつつも、自分の名前と、それからつい先日<浮雲の旅団>に入団したこと、朝方ギルドホームにて緊急コールを受けてコルト諸島へ向かったことを手短に説明した。
その間ドミニクは口元に手を当て、ヨシュアの話に納得したように何度も頷き、ヨシュアが話を終えるとこう切り出した。
「それでアルルを背負ってきてくれたわけか! さっき走ってきたのを見た時はほんと驚いたけど、そういう事情があったのか。でも、とりあえずハールとケイトも無事でよかった」
「そういえばハールさんもケイトさんも戻ってきませんね? 二人ともこの街の住人だとアルルから聞いた気がするのですが」
ヨシュアはふと疑問に思って尋ねる。ヨシュアとアルルがこの街にたどり着いてからもう二時間以上は経過していた。あのあと馬車でまっすぐ帰るとしたら、もう十分にこの町に到着していてもいい頃なのだが……
「そうだな。言われてみればおかしいな」
あの二人のことだから真っ先に気になって戻ってきてもいいはずだった。
ヨシュアの言葉にドミニクも首を傾げる。
するとちょうどその時、誰かが玄関のドアを叩く音がする。
こんな時にベルも鳴らさずにいったい誰だろうと思いつつ、ドミニクは外の様子をうかがうために玄関まで行こうとするが、その前に外の人間が勝手にドアを開けた。
「あれ、開いてる? ドミニクさーん?」
恐る恐る尋ねる声の主はケイトだった。その後ろには心配そうな表情を浮かべるハールの姿も見える。
二人は、先ほどまで色々と慌てていたため、鍵を閉め忘れていた玄関のドアを、勝手に開けて入ってきたようだ。
二人の姿を見てドミニクが喜び礼を述べる。
「ああ、ケイト!! それにハールもよく無事で!! ちょうど今二人の話をしていたところなんだ! さぁ、家へ上がって、娘に会っていってくれ!」
ドミニクが見せた喜びの表情と「娘に会っていってくれ」の言葉から、無事にティアが目を覚ましたことを知った二人は、嬉しそうに互いの顔を見合わせ、ベットで安静にしているティアに会いに部屋にやってきた。
ティアの顔を見るなり、二人はやっぱり嬉しそうに笑う。
ティアは先ほどまで病気で苦しんでいたこともあり、いつもの元気な姿とは程遠いが、それでも自分に会いに来てくれた二人を見て、ティアも笑顔を見せる。その表情にさらに嬉しくなったのか、ケイトはティアの柔らかそうな赤いほっぺたをを両手でさすって、喜びをあらわにしていた。
その一方で、ハールはヨシュアたちの方を振り向いて、不思議そうな顔をして言う。
「────それで、ヨシュア君、キミはいったい何してるの?」
気が付かなくてもいいのに────
ケイトがティアに夢中になっているのとは対照的に、ハールは意外と冷静だった。
「部屋に入ってきた時にすぐ気がついたんだけど、ヨシュアの腕の中の人って、もしかしなくてもアルルさんだよね?」
「え、ほんとだ! うそ? なんで? というかキミ、顔紅くない?」
ハールの言葉に振り返ったケイトは、部屋にヨシュアとアルルもいたこと、そして二人が抱きあうようにして部屋の真ん中で座っていることに気がつき驚く。ヨシュアは二人の視線を避けるように顔を背けてみるも、明らかに無駄な行為だった。
「えっと、これには深いわけが……」
(まいったな。やっぱり、この状況はさすがにまずいよな……。それにしても、なんか俺今日はずっと状況説明に追われている気がするぞ…… )
ヨシュアは言葉を詰まらせる。
ハールはともかく、ケイトはこの状況に興味津々なご様子だ。
ヨシュアは困り果ててドミニクとタニスに助けを求めようとしたが、二人ともこの状況を面白がるように笑うだけで、助け舟を出してくれる気は無さそうだ。
「えーと…… それはそうと、二人とも遅かったね。あのあと、ここまで来る途中何かあった?」
「そういやそうだな」
「ああ、それは……」
ヨシュアの言葉にドミニクも乗っかってくれた。
────なんとか話をそらせたようだ。
ハールが質問に答えるようにいきさつを話し始めた。
「あのあとボートを持ち主に返してから、ニアさんたちに連れられて一度ギルドホームまで行ったんだよ。…… ああ、ニアさんと、それからライさんの二人にも今回手伝ってもらったんですよ。二人はヨシュア君のお知り合い…… ってことでいいんだよね?」
ハールが、ドミニクにも分かるようにと説明しつつヨシュアに確認するので、ヨシュアは頷き知り合いだと肯定する。
ハールが話を進める。
「それで、ニアさんたちに連れられてギルドホームに行った後、ちょっと受付の方々にお叱りを受けていたんだ。…… ほら、俺たち今回ギルドを通さずに直接依頼を受けて、しかもそれが自分のランクにあわない仕事だったわけで。挙句の果てに緊急コールまでする始末だったから、そりゃあもうひどくお叱りをね。もちろん、今回のことは仕方がない部分も多かったとは言ってくれたんだけど……」
ハールはそういって苦笑いを浮かべた。
どうやらニアたちは、今回のことをきちんと報告してもらうため、誰かギルドホームまで連れてくるよう、受付嬢たちから頼まれていたのだろう。
「それで、実はヨシュア君とアルルさんも呼ばれてるんだ。このあとすぐに、一度ギルドホームまで来るようにって。ジルさん怒ってたよ。ヨシュア君が話も聞かずに勝手に飛び出して行っちゃったって。まぁ、俺たちはキミのおかげで助かったから、あんまり責めないで欲しいとは言ったんだけど……」
「…… そうだろうと思った」
ヨシュアは、ハール達が受付嬢たちに叱られたと聞いて、きっと自分も後で何か言われだろうとは予感していた。しかもすぐに来てと言われるあたり、受付嬢たちの本気度を感じる。どうやらお説教は長くなりそうだ。
アルルも一緒にということなので、ヨシュアはしかたなく、気持ちよさそうに眠るアルルの背中を軽く叩く。
「…… ん…… ヨシュアさん? おはようございます…… 」
アルルは一度ヨシュアの顔を見たが、寝ぼけているのか、再びヨシュアの腕の中で眠ろうとするので、ヨシュアは「起きてください!」と声をかける。
アルルは眠たそうな目をこすりながら、どうして起こすのだろうと、不満そうな表情でヨシュアをまじまじと見つめる。ヨシュアは恥ずかしくなって咄嗟に目を逸らす。顔の辺りが熱くなってくる。
アルルは辺りを見渡す。まだ意識がはっきりしていないようだ。
アルル達を覗き込むように見つめるドミニクやハール達の顔を見渡して、それからもう一度ヨシュアの方を見て、やっとアルルは自分の状況に気がつく。
「あぁ…… ごめんなさい、ヨシュアさん。わたしヨシュアさんに寄りかかって眠ってしまっていたようで…… いやぁ…… お恥ずかしい……」
ぼんやりとした表情を浮かべつつ、アルルはそう言って頭の後ろを掻きながら恥ずかしそうに笑う。とはいえ、男女が抱き合っていたというこの誤解されそうな状況に対し、アルルは特に慌てる様子もなかった。
一人で勝手に焦っていたことにヨシュアはなんだか恥ずかしくなってきた。
そんなヨシュアをよそに、アルルはふらふらっと立ち上がると、ベットで横になっているティアの近くまで歩いていき、目線を合わせるようにしゃがみ込んで声をかける。
「ティアちゃんもおはよー」
「えへへ。おはよー、アルルお姉ちゃん」
「気分はどうですか?」
「うん、もう大丈夫。ティアのためにいろいろありがとう、お姉ちゃん。わたし、お熱が出てしんどかったときもね、アルルお姉ちゃんの優しい声、ちゃんと聞こえてたよ」
「そっかぁ。それは嬉しいなー」
アルルはティアの言葉ににっこりと笑う。その笑顔にティアも嬉しくなって笑う。
「ティアちゃん。元気になったら何食べたい? いまならティアちゃんのお母さん、なんでも作ってくれると思うよー」
「えっとね…… うーんと…… おさかながいい。昨日食べたおさかなおいしかったから、また食べたい」
ティアはそう言ってまた無邪気に笑う。
高熱の原因を知らないとはいえ、まさか原因となった魚をリクエストされたとあって、ドミニクは困った顔をしながら言った。
「それだけはほんとーに勘弁してくれ!」
もうあんな怖い思いはたくさんだと言わんばかりに、声を裏返して娘に訴えるドミニク。部屋中が笑顔で包まれた。




