墓前に誓う
ヨシュアと妹のネル、そして二人の両親は、エルザという女性と共に墓地に来ていた。緑が広がる見晴らしのいい丘の上、多くの騎士たちの墓が連なるこの場所からは、はるか遠くの大陸にあるはずの世界樹がハッキリと見えていた。
ネルが墓に黄色い花束を添える。冷たい風がネルの紅い髪を揺らす。一瞬見えたネルの瞳はたくさんの涙をため、いつにもまして紅かった。
この墓は騎士であり、エルザの夫でもある『ガトリー』の墓である。
騎士ガトリーは魔物に襲われたヨシュアとネルを救った騎士だ。
浅瀬で魔物に襲われたあの日、いち早く異変に気がついたガトリーは、自分の身の危険もいとわず二人を助け出すために奮戦。体中に傷を負いながらも二人を救出して、残った力を振り絞って近くの村まで送り届けたのだった。
最初に三人を発見した村の人によると、ガトリーはその全身を深紅の血で染めながらも、ヨシュアの腫れあがった右腕を見ながら
「ちゃんと守ってあげられなくてごめんな……!」
と、後悔の言葉を遺して倒れ込み、まもなく息を引き取ったのだという。
ヨシュアは、自分が気絶してから自宅のベットにて目が覚めるまでの三日間の出来事を、目覚めたあの日に父親から聞いた。
話によると、あの魔物は正式には<死を告げる巨大な蝿>といい、ハエのバケモノでありながら蜂が持つような針をお尻に持つ魔物らしい。その針には刺した相手を腐らせる毒があって、その針で獲物が腐敗するのを待って、獲物を舐めるように喰らうのだそうだ。
当時ヨシュアの右手は、刺された右手首を中心に見るに堪えないほど変色しており、すでに腐敗が始まっていた。高熱から息も絶え絶えでかなり苦しそうであり、特に右手は肘の辺りにかけて、すでに魔法でも回復が見込めないほど症状が悪化していた。このままだと全身に毒が回って命まで危険が及ぶ。だから切断するしかなかったのだ。
ネルは幸運にも無傷だった。
あの状況で無傷なのはほとんど奇跡に近いことであり、ヨシュアはその話を聞いた時、本当に良かったと心の底から思った。
だがネルの心には深い傷が残り、あの日以来、外に出歩くこともできなくなった。
そんなネルも、今回のガトリーの墓参りにだけは自分から「行きたい」と言って、母親に寄り添いながらここまで来たのだった。
「ガトリーさん。俺、大きくなったら絶対に騎士になるよ」
ヨシュアはガトリーの墓に向かって語りかける。
この墓に来る前に立ち寄ったガトリーの家で、彼の妻エルザから、騎士としてのガトリーの活躍をたくさん聞かせてもらった。彼は聖騎士では無かったものの、剣術の達人で、単純な剣の腕前なら聖騎士をも圧倒するほどの騎士だったらしい。
話を聞くまでヨシュアは、ガトリーのことをただの陽気なおじさん騎士だと思っていた。けど実は聖騎士からも尊敬されるほどの剣術の達人だったのかと、身近な人の意外な強さに驚くと同時に、そんな偉大な人に命がけで助けてもらったことを、ヨシュアは申し訳ない気持ちと同時に誇らしく思った。
だからこそヨシュアは、ガトリーの墓の前である誓いを立てた。
「俺は立派な騎士になるよ。そしてこの残った左腕で、本来ならガトリーさんが生きて守るはずだった人々を助ける! そのために、俺は必ず聖騎士になる!」
────聖騎士
それは王国でも最強の騎士たちのことである。
聖騎士になるには剣術と魔法の両方を用いて、様々な困難にも1人で対処できるような万能の能力が求められる。右腕を無くしたというハンデはかなり大きい。しかしヨシュアの決心はゆるぎないものだった。
この日が、ヨシュアの『騎士としての人生』の本当の意味での始まりとなった。
◆
具体的な目標はできた。
けれども聖騎士を目指すうえで方法が分からない。
まず目指すべきは五年後に迫った『聖騎士見習い試験』に合格すること。
だが、ハッキリ言ってこの年齢から聖騎士を目指すのは遅すぎる。しかも聖騎士というのは、基本的に本国『アリストメイア』に住むような裕福な者が幼いころから英才教育を受けて、それでやっと見習いになれるかどうかという厳しい世界だ。そもそも片腕とか関係なく生まれた瞬間からハンデがある。この差を埋めるのは相当な覚悟が必要だ。
普通のやり方では絶対に追い付けない。ヨシュアは自分にできることは何かと考える。
(俺にできることってなんだ? 俺に残された左手で何ができるんだ?)
簡単に答えが出る問題ではない。けれど、残されたものなら左手の他にもあると気がつくヨシュア。
(そうだ。ガトリーさんが残してくれたものは他にもある。この立派な両足だってそうじゃないか!!)
みんなと同じように足は二本そろっているのだ。それならば脚力だけは絶対に負けられない。幼いヨシュアが出した答えは単純だったが、彼の覚悟は本物だ。
それからは、毎朝早く起きては日の出とともに走り始めることを日課とした。走り始めるとまずガトリーの墓参りをすることも忘れない。
毎朝約二時間の走り込みを終えると、そのまま剣の鍛錬に移行する。毎日、毎日、来る日も来る日も……雨が降ったって風が強くたって、ヨシュアは日が暮れるまで剣の素振りをする。ただひたすらがむしゃらに、今までの遅れを取り戻そうと、右腕のハンデを埋めるために。
そして胸の内から溢れ出てくる、どうしようもない不安を掻き消すために。
その甲斐もあって、左手だけでもそれなりに強く成れたと実感できるまでに成長した。もともと利き腕は右手だったこともあり、左手だけで戦うことに初めは違和感しかなかったけれど、それも今ではかなり様になってきたと、ヨシュアは少しばかり手ごたえを感じ始めていた。
◆
そうして二か月ほどが経過したある日、ヨシュアはエルザに招かれて彼女の家を訪れると、そこには見たことのない若い男性が一人、椅子に座ってこちらを見ていた。知らない男だったが、もしかしたらガトリーに関係する騎士なのかもしれない。
その男はヨシュアを見ると椅子から立ち上がってこちらに寄ってきて、左手を差し出しながら言った。ヨシュアも左手を出して握手を交わす。
「初めまして。俺は名はラスティ。この国の騎士で、ガトリーさんの弟子だったものだ。よろしく」
「あ…… ヨシュアです。あの、俺、ガトリーさんには命を救ってもらって、それで…… 」
「知ってる。エルザさんから色々と聞いたからな。その腕で聖騎士を目指しているんだろう? とりあえずこっち来て座れよ」
ラスティはそう言ってヨシュアに自分の隣に座るように促す。自分をガトリーの弟子だというラスティは、まだ二十代前半と若く、ガトリーほどではないが背も高い。目元までかかる黒髪は騎士にしては少し長い印象だ。
「俺は十八の頃、だから五年ほど前からかな、ガトリーさんに色々と稽古をつけてもらっていたんだ。実際に一緒に仕事をこなしたこともある。騎士としてのガトリーさんのことならエルザさんよりも詳しいつもりだ。何か聞きたいことがあれば俺の知る限りで色々と話してあげられると思うが、どうだい?」
憧れの人と共に戦った騎士から話を聞ける。
ヨシュアにとってこれほど嬉しいことは無い。
あとから聞いた話では、ラスティはガトリーが死んだと聞かされた後、予定されていた仕事を全て片付けてから特別に休暇をもらい、アリストメイアからわざわざヨシュアのためにこの村までやってきたそうだ。
ヨシュアはこの機会を逃すまいと、ガトリーについて気になること全てを次々と尋ねる。彼が話すガトリーの過去を、ヨシュアは目を輝かせながら熱心に聞いていた。
「さてと…… それじゃあ本題に入ろうか。ヨシュア、キミは聖騎士を目指していると聞いたが、どうだ、見習い試験には合格できそうか?」
「それは…… 」
ラスティに尋ねられてヨシュアは答えることができない。ヨシュアがこの二か月の鍛錬で行ってきたことと言えば、がむしゃらに走り込むことと剣の素振り、それから筆記試験に向けた勉強だ。
見習い試験で問われる筆記試験も難しいが、それは今から勉強すれば十分間に合うはずだ。しかし問題は実技試験だというのはヨシュアにもわかっている。思いつく限りの鍛錬は行っているが、正直なところ我流での鍛錬に限界があることは幼いヨシュアにだってわかる。だから、自分の努力はちゃんと実を結ぶのだろうかと、毎日が不安でたまらないのだ。
そんなヨシュアにラスティはある提案をする。
「よかったら少し稽古をつけてやろうか? いわばまぁ『兄弟子』として…… になるのか? ヨシュアさえ良ければだが、どうだ?」
「本当ですか!? お願いします!!」
この申し出はヨシュアにとって願っても無いことだ。
ラスティとは今日出会ったばかりだが、ガトリーという共通の知り合いが二人の距離をぐっと縮めていた。
さっそくエルザの家の前で稽古をつけてもらう。ヨシュアは、ラスティがあらかじめ持ってきていた木刀を受け取る。互いに持っているのは木刀一本のみだ。
真っすぐ体の前に木刀を構えるヨシュアに向かってラスティは言う。
「剣の稽古は続けているんだろう? それならとりあえず俺から一本とってみせろ。遠慮はいらない。全力で来い!」
ラスティの言葉に、自ずと木刀を握る左手にも力が入る。
(この人に認められたい! そのためにも、何としても一撃を入れてみせる!!)
ラスティに言われた通り、ヨシュアは初めから全力で向かっていく。地面を力強く蹴って一気に距離を詰めると、大きく振りかぶって勢いそのまま木刀を振り下ろす。
「…… 速いな!」
ラスティはヨシュアの攻撃を見て小さく呟きながらも、落ち着いて木刀を体の正面で受け止める。
ヨシュアに合わせているのか、ラスティも左手一本しか使ってこない。それなら条件は五分だ。
ヨシュアは左右の横薙ぎから、斬り上げ、突きを交えて守りを崩そうとする。
だが、ラスティは涼しい顔をしてヨシュアの猛攻を受けきる。
(くそっ! これならどうだ!)
ヨシュアは一歩下がると、頭を下げて屈むように低く構える。
そして低い姿勢のまま、体ごと突撃するように渾身の突きを放つ!
しかしラスティは、ヨシュアの突きに対し体を捻ってかわすと、ヨシュアのガラ空きの右脇腹目掛けて木刀を見舞った。ヨシュアは痛みからその場にうずくまる。
「どうした? もう終わりか?」
「────いえ、もう一度お願いします!」
ヨシュアは痛みに顔を歪ませながらも立ち上がり、距離をとる。
そしてもう一度地面を強く蹴って、今度は上から下へ、まっすぐ木刀を振り下ろす。
だが、ここからは全く歯が立たなかった。
ラスティはその攻撃を木刀を横に構えて体の正面で受け止めると、そのまま半歩距離を詰めてきた。 そして、今まで使ってこなかった右手をヨシュアの左肩の付け根辺りに添えると、そのままぐっと力を込めてヨシュアを後ろに押し倒す。
ヨシュアは無様にもその場で尻餅をつくことになった。
「卑怯だと思うか?」
不意に右手からの攻撃をくらったヨシュアだが、ラスティの言葉を肯定するわけにはいかない。片腕で聖騎士を目指すということは、つまりこういうことなのだ。
その後も何度も何度もヨシュアはラスティに向かっていくが、そのたびに彼は左手に持った木刀一本でヨシュアの攻撃を捌ききると、距離を詰めて右手でヨシュアを押し倒す。
それでもめげずに立ち上がるが、何度やっても簡単に押し倒されてしまう。
「────ここまでだな」
ラスティは倒されまま尻餅をつくヨシュアを見下ろしながら言った。このままでは終われないと、ヨシュアは肩で大きく息をしながらも、ふらふらと立ち上がって木刀を構える。
「まだ、もう一度お願いします……」
その言葉にラスティは、今日初めて木刀を両手で握って構えるとさっと振り上げ、右上から左下へ斜めに素早く振り下ろし、ヨシュアの持つ木刀を叩き落した!
そしてそのまま木刀をヨシュアの喉元に突き付ける。
「ヨシュア。お前に何が足りないか、分かるか?」
「────右手……です」
木刀を喉元に突き付けられながら、ヨシュアは声を絞り出すように答える。
認めたくない。
けれど認めなければならない事実だった。
片腕の限界を思い知らされた気分だ。
もしかしたらラスティは試合を通してヨシュアに聖騎士という夢を諦めさせようとしているのかもしれない、そうヨシュアは思った。
けれどラスティの考えは違った。
「右手が無いのはその通りだが、俺はそんなに意地悪なつもりは無いんだがな。右手以外に足りないものは何だ?」
────右手以外に足りないもの
ヨシュアはラスティの言葉に考え込む。
ラスティとの実力差を知った今、足りないものだらけだ思い知らされたわけだが、ラスティはいったいヨシュアに何を伝えようとしているのか────
しばらく考え込むヨシュアにラスティは言う。
「なぁヨシュア。お前さ、『盾使い』を目指してみないか?」
それは思いがけない提案だった。けれど、ヨシュアにとって間違いなく転機となる瞬間だった。