手掛かりを求めて
この時間からニューポートを目指そうとする人はヨシュアの他には誰もいなかった。
すれ違う人たちの訝しげな視線を感じながらも、ヨシュアはニューポートまで孤独に走る。その距離およそ八十キロ。普通なら十時間近くかかってもおかしくない距離も、<身体強化>の魔法を駆使すれば、四時間ほどで環状根を渡り切れる。
空は夕焼け色に染まっている。
横から吹き付けてくる冷たい風は段々と強くなっている気がするが、決して悪い気はしなかった。むしろ一定のリズムで聞こえてくる自分の足音が心地よく、気分が乗ってきたぐらいだ。ペースも自ずと上がり、ニューポートに近づくにつれて、ヨシュアは走って馬車を追い越すようになっていた。
「ふぅ…… やっと辿り着いた」
環状根を渡り切ったヨシュアは街の入り口で立ち止まる。ここまでろくに休憩もとらずに走ってきたので、さすがに疲れを感じていた。辺りはすっかりと暗くなり、空には多くの星が瞬いている。
その一方でニューポートの街は夜でも明るく騒がしい。街灯と店の灯りが街全体を照らしていた。
ヨシュアは左右に並ぶ色とりどりのお店を横目に真っすぐギルドを目指す。この街には何度か訪れたことがあるので迷うことも無い。途中で大通りを右折し、もう一度今度は左折をすれば、ギルド<ニューワールド・ハンターズ>はすぐそこだ。
ホームの扉をゆっくりと開くと、カランカランとドアベルの音が鳴った。目の前の受付の女性が愛想よく笑ってくれる。栗色のショートカットがよく似合う女性だ。何度か対応してもらったことがあるが、名前は忘れた。
受付の女性がヨシュアに声を掛ける。
「えっと確かあなたはマーセナルの…… 」
「浮雲の旅団のヨシュアです」
「ああ、やっぱり。それで、こんな夜遅くにどうしたのですか?」
少し見て頂きたいものがありまして、と言ってヨシュアは例の予告状をその女性に見てもらい、同時にここに来るまでの経緯を説明した。手紙を見せると女性はすぐに真剣な目つきになり、それから他の受付を呼んで手紙を見せあった。
「この筆跡、うちの団員かもしれないです。断定はできませんけど」
ようやくまともな情報が見つかったらしい。ヨシュアは込み上げてくる嬉しさを胸の内に隠しながら、その人の名前と、顔が分かる写真を何枚か貰えないか尋ねてみる。
受付の女は気まずそうにしながらも、ヨシュアの問いかけに答えてくれた。
「名前はギルバートと言って、腕利きの弓使いで、今はちょうど休暇を取っています。明後日までは休むつもりのようですね」
「もしかしてその人、去年と一昨年の豊穣祭の時も休暇を取っていませんか?」
「一昨年は分かりませんが、去年でしたら調べればまだ記録が残っているかもしれません」
少々お待ちください、と言って受付の女が後ろの棚から資料を漁る。その中から一冊のファイルを取り出すと、丸い眼鏡をかけ、小さく書かれた名簿の文字を指でなぞって確認し始めた。その様子をヨシュアは静かに見守った。
「あった。そうですね。ヨシュアさんのご指摘の通り、ギルバートは昨年も豊穣祭の期間中は休みを取っていたようです。それと、こちらが顔写真になります。ギルド登録時のものなので少し古いですが、髪が少し伸びた程度で、顔つきなどの印象は大きく変わらないはずです」
写真には金髪の男が写っている。痩せ型で、頬がこけていて、青い目をしている。一見すると優しそうな男だ。凶悪そうな人相を想像していたヨシュアは少し意外に思ったが、状況的に彼が犯人でほぼ間違いないだろう。この情報は闇雲に走り回っていた中で得た確かな手掛かりであり、大きな前進である。
ヨシュアはその写真を受け取って、ありがとう、と礼を言った。
「いえ、我々のギルドのものが迷惑をかけたようで、大変申し訳ありません。あの、宜しければ我々の方でも人員を出させてはもらえませんか?」
思わぬ提案に、ヨシュアは「それはさすがに…… 」と言って、やんわりと断ろうとした。来てくれるのは有り難いが、明日も走って帰ろうと思っていたヨシュアからすれば、言い方は悪いが足手まといである。
だが受付の女性も譲らない。
「人を派遣するのがご迷惑だというのでしたら、せめてお力になれるよう、何かお申し付けください。何でも致しますから」
「えっと、それじゃあお金は払うから、宿の手配をお願いできるかな。急ぎで来たから、何の予定も立てていなくて。明日の朝までで充分なんだけど」
かしこまりました、すぐに手配します、と言って受付の女性はすぐさま行動に移してくれた。そして本当にすぐに宿を確保してくれた。担当してくれた女性は実に仕事ができる。見ていて気持ちがいいぐらいだ。
そしてそのあとは適当な店に入って遅めの夕食を済ませたあと、確保してくれた宿に泊まって一夜を過ごした。
用意された部屋は思いのほか広くて戸惑ったが、宿の店主は、代金はギルドに請求するから無料でいいと言ってくれた。だからヨシュアは何も気にせず、高級そうなベッドに身を沈めることにした。寝る前に魔法文で情報を送ることも忘れなかった。
翌朝は目覚ましい時計が鳴る五分前に目が覚めた。深緑色のカーテンを引いて、窓を大きく開け放つと、生暖かい風がヨシュアを包み込んだ。マーセナルの朝より幾分温かく、風も湿っていた。どちらかと言えばマーセナルで迎える朝の方が好みである。
若干の疲れを感じるが、体調は決して悪くない。それに、今日やるべきこともハッキリとしている。あとはマーセナルへ戻り、<浮雲の旅団>総出で犯人を捕まえるだけだ。
◆
(おいおい、アイツまさか今からニューポートに行く気なのか?)
ヨシュアがニューポートへと向かったまさにその日、物陰からヨシュアの動向を覗いていた男がいた。
その男の名はギルバート。ニューポートのギルドに所属する弓兵であり、年齢は四十四歳。妻と娘の三人で暮らしをしている。そしてソーニャを狙った張本人でもある。
ギルバートがソーニャを狙った理由はただ一つ。それは彼がフレイヤの大ファンであり、フレイヤがコンテストで優勝することを誰よりも望んでいたからだ。
ギルバートがフレイヤと出会ったのは二年前の豊穣祭でのこと。たまたまコンテストに出場したフレイヤを見て一目ぼれして以来、妻と娘がいるにも拘らず、彼女のことがずっと気になっていた。去年と今年の豊穣祭の時期に休暇を取ったのも、フレイヤを一目見るためだった。
ギルバートはフレイヤと直接話したことが無い。それでもギルバートはフレイヤに特別な感情を抱いていた。手紙を書いたこともあった。そして人伝に、フレイヤが今年のミスコンテストに出場することを聞いた。ギルバートはフレイヤの優勝は間違いないと信じ、そして歓喜した。
────それなのに。
楽しみにしていたコンテストの前日。
その日ギルバートは、今年の候補者が誰なのか初めて知って驚いた。
「なんでソーニャが…… 」
昨年のコンテストを見ていたギルバートは、もちろん前年の優勝者であるソーニャのことも知っていた。そして従来なら、前年の優勝者が翌年のコンテストに出場できないことも知っていた。だからギルバートは驚いたのだ。
なぜなんだ?
なぜ今年に限ってルールが守られていないのだ?
ギルバートは考えた。そして一つの答えに辿り着いた。
ソーニャは資産家の娘だ。きっとソーニャは、金にものを言わせてコンテストの出場権を買い取ったに違いない。そしてそれはつまり、コンテストの優勝を金で買ったかもしれないということだ。証拠は何も無かったが、少なくともギルバートはそう考えた。フレイヤへの深すぎる愛が、ギルバートの目を曇らせていた。
そしてコンテスト当日。
ギルバートが見守るなか、彼の想いとは裏腹に、コンテストはソーニャの優勝で幕を閉じた。ギルバートにとって耐えがたい結果であった。
────あの女さえいなければ……
それからのことはよく覚えていない。
気が付けば予告状を用意し、建物の屋上から弓を構えていた。そして怒りの赴くままに狙撃した。この時、あとのことは何も考えていなかった。本来は何事も慎重に行動するギルバートにしてみれば、自分でも驚くべき行動力であった。
だがすぐに後悔することになった。ソーニャに付き従う傭兵が犯人探しを始めたのである。しかもその手には予告状が握られている。どうやら筆跡をもとに自分のことを捜しているらしい。
ギルバートは過去にフレイヤに送った手紙のことを思った。名前は書いていなかったはずだが、ニューポートのギルドに所属していることは手紙で打ち明けていた。だから片腕の傭兵がギルバートのことを捜し出すのも時間の問題だと思った。そしてその男がニューポートへ向かって走り出したのを見て、疑念は確信へと変わった。
もうダメだ。あの男がギルドに訪れれば間違いなく私が犯人だとバレてしまう。そしてもうあの男を追うことも、止めることも、私にはできない。
けれど私はどうしてもソーニャに罪を償わせたい。私は何としてもフレイヤの優勝を証明しなければならないのだ。
逃げるべきか、それとも強行すべきか。
ギルバートは選択の時を迫られていた。




