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片腕の盾使い、騎士を志す  作者: ニシノヤショーゴ
豊穣祭編
128/154

アルルと魔の森

 暗闇が怖い。

 木々のざわめきも、鳥の鳴き声も、怪しく光る魔物の両目も、何もかもが怖い。


 何処から、何が飛び出してくるのか分からないのが怖くてたまらない。背筋がゾクゾクと、震えも止まらなくて、足もすくんでいて、本当なら一歩だって前に進みたくない。今自分が立っている足場すらも信じることが出来なかった。



 ────唯一信じることができるのは、右手に感じる温もりだけ。



 アルルはヨシュアの手をぎゅっと握りしめた。

 今まで頼りにしていたヨシュアが魔法を使えなくなってしまった。自分からヨシュアに「頼ってください」と言った手前、平静を装ってはみるけれど、本当は心許なくて泣きそうである。魔法が使えなくなるのが自分だったら良かったのにと、アルルは心の底から思った。


 でも、今こそ頑張りたいと思ったのも本当だった。そもそも私が巻き込んでしまったのに、私の為にヨシュアは私以上に力を尽くしてくれているのだ。今こそ少しでもヨシュアの力になりたい。だから怖くても、ヨシュアの盾にならないと。



 ────バサバサバサ…… !



「ひゃあ!」



 鳥が夜空へ向かって羽ばたく音が聞こえた。

 襲われたわけでも無いのに、アルルは驚きのあまりに悲鳴を上げてしまう。

 

 ああ、なんて情けないことでしょう。

 そんな目で見ないでヨシュアさん。



「だいじょ────」

「大丈夫です! 心配ご無用ですから!」



 恥ずかし過ぎて、「大丈夫か」と問われる前に慌てて否定する。それこそ大丈夫でない証のような気もしたけれど、今は気にしないことにする。

 視線は前へ、しっかりと目を凝らし、気を取り直して先に────



「うひゃあ!」

「アルル!?」



 アルルの目の前に現れたのは、まさかの”蜘蛛”だった。


 頭上の木の枝の、垂れ下がった糸から蜘蛛が急に視界を塞ぐように降りてきて、アルルはまたしても情けない声を上げるとともに、驚きのあまり後ろに転びそうになった。ヨシュアと手を繋いでいなかったら、派手に尻もちをついていたことだろう。



「あの、アル────」

「大丈夫ですから! その、あの、頑張りますから!」



 何をもって大丈夫なのだろうか。アルル自身よく分からないまま、アルルはまた「大丈夫です」と口にした。気持ちがからまわっている自覚はあれど、頑張る以外にできることを知らなかった。


 そんなアルルにヨシュアは言う。



「無理に張り切らなくてもいいんじゃないかな」



 諭すような言葉に、アルルは途端に恥ずかしくなる。無理していたのがバレバレで(もちろん隠せているとも思っていなかったけれど)、しかも年下の男の子に注意されて、どうしようもなく恥ずかしかった。顔中が火照ったみたいに熱い。



「あはは…… やっぱり私ダメです────」

「ダメじゃない」



 今度はヨシュアが食い気味で否定した。



「一人だったら怖いのは俺も一緒。というか、一人だったらもう死んでた」


「そんなこと無いです。私ばっかり足手まといで…… 」


「それも違う。少なくとも俺一人だったら、オーウェンと出会った時に冷静でいられなかったと思う。この島で冷静でいられないってことは、それは死を意味することだから、たぶんもう死んでた」


「ヨシュアさん…… 」



 アルルは自分が捕まっていた時の二人の会話を思い返す。

 二人は六年前に会っていて、オーウェンはヨシュアに魔物をけしかけた。恐らくは、その時の出来事がきっかけでヨシュアは右腕を無くした。それはつまり、ヨシュアの大切な人である「ガトリー」という人物の死とも関りがあるということだ。記憶違いで無ければ、ヨシュアが騎士を目指すきっかけを尋ねた時に、そのようなことを口にしていたはずである。



「でも、やっぱり────」


「『でも』は禁止。俺が好きなのは、いつも前向きなアルルの笑顔だよ。もちろん、この状況で笑えなんて、なかなか言えないけどさ、それでも後ろ向きになっちゃダメだ。この島の空気に呑まれることなく、一歩一歩確実に前へ進んでいこう。二人ならそれができるよ」



 そう言ってヨシュアは笑った。なんとも晴れやかな笑顔だった。自分も怖いと言いながら笑えるヨシュアに、強さと頼もしさを感じずにはいられなかった。



 アルルは深呼吸した。まずはともかく落ち着こう。話はそれからだ。

 深く深く息を吸って、それからゆっくりと息を吐きだす。そしてもう一度。今度は更にゆっくりと、大きく深呼吸をした。



「少しは落ち着いた?」


「はい、少しだけですけどっ!」



 アルルはヨシュアに向けて、今できる精いっぱいの微笑みを返す。好きだと言ってくれた笑顔を見せることが、今できる一番のことだと思ったから。



 そうしてアルルとヨシュアは再び歩き出した。

 落ち着いてみると、暗闇はただの暗闇で、生暖かい風も案外心地よくて、虫が奏でる音色は美しく感じた。不気味だと感じていた静けさも、慣れれば悪くない気がする。

 それでも魔物の目はやっぱり怖いし、時折聞こえるガサガサと茂みを揺らす音には、毎回のように驚かされるけれど、その度に右手のぬくもりが「大丈夫だ」と言ってくれているような気がした。だから押し寄せる不安にも耐えられた。



 どれだけの時間をこうして一緒に並んで歩いただろうか。

 ずっと気を張り詰めていたこともあって、時間の感覚が全くなかった。どうしても気になって左手に巻いた腕時計に視線をやると、今は夜中の三時前だと分かった。早めに寝ようとしていたところを襲われたから、少なくともあの時から六時間近くは夜の森をさまよっていることになる。通りで疲れを感じるはずだ。



「大丈夫?」


「はい、まだへっちゃらですよ!」


「それはよかった。俺の魔力の感覚もだいぶ戻って来たけど、それでもまだ魔法は使えないから、それまではアルルの魔法が頼りだよ。夜が明けるまではもう暫く時間がかかりそうだし」



 そうだ。こんなところでへばっていられない。それに逃げている間はずっと背負ってもらっていたのだ。疲れたとか、足の裏が痛くなってきたとか、そんなこと絶対に言えないし、言っちゃいけない。そう、アルルは自分に言い聞かせた。



 夜明けまでおよそ三時間。

 ヨシュアの魔力が戻るまでは…… あとどれくらいだろう?


 考えても分からないけれど、せめてその時までは自分がヨシュアの盾になろうと、アルルは改めて心に誓った。

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