駆け引きと取り引き
「まさか…… お前、オーウェンか?」
その時、ヨシュアは言いようの無い怒りと、大事な人が凶悪な男に捕らえられてしまったという絶望が、胸の内に押し寄せていた。
違法な密売組織「毒蛇の牙」。その構成員にして、最も危険だと噂されているのが、このオーウェンという男である。
右腕を奪い、さらにはガトリーを失うきっかけを作ったこの男だけは、必ず自分の手で捕まえてやろうと、ヨシュアはずっと以前から情報を集めていた。名前を知っているのはそのためなのだが、まさかこのようなタイミングで再び相まみえることになろうとは思いもしなかった。
「なんだ? やっぱりお前、何処かで会ったことがあるか?」
オーウェンは訝しむような表情をヨシュアに向ける。
「何処かで会ったことがあるか、だと!?」
ヨシュアは敵意を剥き出しにしながら言った。
「六年前、レントの村の近くの岸辺にボートを乗り捨てたお前達と会ったことがある。檻に入った『カメレオンキャット』をエサに、魔物を俺たちの方へ押し付けたこと、忘れたとは言わせない!」
ヨシュアはだらんと垂れ下がる右袖を掴みながら、オーウェンの記憶に訴えた。
するとオーウェンがハッとした表情を浮かべ、かと思うと、盛大に高笑いをする。
「ハハッ! そうか、ようやく思い出したぜ! お前、あの時いたガキか! まさか生きていたとは驚いた! 確かもう一人、女のガキと一緒だったよな? アイツは元気か? それとも死んじまったか!?」
「妹は生きている。だが、俺たちを助けてくれた騎士は死んだ。お前のせいでな!」
ヨシュアは怒りの感情を隠すことなく、オーウェンをこれでもかと睨みつける。
そんなヨシュアに対し、オーウェンは薄ら笑いを浮かべて言った。
「おいおい、せっかく再会したってのに、そんな怖い顔すんなよ。それに、あれは俺だけのせいじゃない。後ろの二人だって、あの件に関わってたんだぜ!?」
ヨシュアは後ろの二人を見た。けれど、カメレオンキャットを渡してきたオーウェンのことはよく覚えていたが、他の二人に関しては記憶が曖昧で、正直覚えていなかった。
だが記憶があるかどうかは関係ない。此奴らは違法組織の構成員だ。誰一人として逃がしていい相手ではない。
しかし────
「で? この女、アルルちゃんって言ったか? 可愛いねぇ。お前の大事な人か?」
「そうだ。だからその人を放せ」
「嫌だと言ったら? 力ずくで奪い返してみるか?」
そう言ってオーウェンは片足をアルルの腹に乗せ、更に取り出したナイフをアルルの首筋に当てる。アルルは痛みと恐怖で、顔を引きつらせている。
しかし、オーウェンはアルルのことなどお構い無しとばかりに話を続ける。
「おい、お前、よーく聞けよ。知ってるかもしれねーが、俺たちは違法な密売組織の人間だ。取り扱う商品は幅広く、人身売買なんてのもやってる」
────人身売買
その言葉を聞いた瞬間、ヨシュアの胸の内がざわついた。
「だが安心しろ。俺はこの女を売り飛ばす気は無い。何故かって言うとな、魔法使いの女ってのは外の世界じゃ案外価値が低いからだ。環状列島より外の世界じゃ魔法が使えねーのは、流石にお前も知ってるよな? つまり、魔法も使えない魔法使いなど役立たずで、付加価値が付かねーんだ。だったら、運ぶ手間のかかる人間の女より、この島に住む珍しい生き物の方が遥かに価値があるってもんよ。そうだろ? …… ってことで、何が言いたいか、もう分かるよな?」
そこまで言ってオーウェンはヨシュアの返事を待った。
だが、ヨシュアは何も答えられず黙っていた。
「そういえばお前、名前聞いてなかったな。何て名だ?」
「…… ヨシュアだ」
「へぇ、ヨシュアか。良い名だな。それじゃあヨシュア、もう一度よく聞いて、それからよく考えて返事しろ」
オーウェンは余裕の笑みを浮かべている。
「この女は美人ではあるが、売る手間を考えると、商品価値はそれほどない。そこでだ。俺はこの女で遊ぶことにした」
「なっ、お前────」
「黙ってろ! まだ俺が喋ってる途中だろうが!」
穏やかだった口調から、一変して大声で叫ぶオーウェン。その怒声に、アルルが怯えた様子で、ぎゅっと目をつむった。
「いいか、ヨシュア。この女を生かすも殺すも俺次第ってわけだ。この女を裸になるまで切り刻まれたくなければ、その事をよく頭に入れた上で質問に答えろ」
そう言ってオーウェンはナイフをちらつかせ、手始めとばかりにアルルが着る白シャツの胸元に、ナイフで深く斬り込みを入れた。
「分かった! 質問に答えるから、一先ずナイフを置いてくれ!」
「フン。やっと理解してくれたか。そういう焦った顔が見たかったんだ。で、質問だがな、昼間に見えた『光の柱』、あれ、お前たちの仕業か? そもそもお前達はこの島にどうやってきた? 目的は何だ? 順を追って全部話せ」
「それを話せば、アルルを解放するのか?」
「答え次第だ。金になりそうな答えなら、考えてやってもいい。だが、舐めた答えを寄こしやがると…… 」
────ビリビリビリッ!
先ほどよりも勢いよくナイフを入れ、白シャツを完全に引き裂いた。忽ち、アルルの白い肌が、オーウェンの前に無理やり露出させられる。アルルが小さく「嫌…… 」と言ったのが、口元の動きで分かった。
「ひゅー! 下着の色はピンクか。可愛いねぇ。若い女はそうでなくちゃな!」
「オーウェン!!」
「お前は質問にだけ答えていればいいんだよ、ヨシュア!」
────悔しい。
けれど、今は絶えるしかない。
「俺たちが来たのはコルト諸島にあるデゼル島からだ。そこの遺跡の魔法陣を使ってやって来た」
「やっぱり魔法陣が関係あったのか。それで? どうやって起動した? どうやって此処まで来た? まさか転移してきたなんてことはねーよな?」
「そのまさかだ」
ヨシュアが答えると、オーウェンの顔つきが変わった。目を見開き、明らかに興味を示している。
「マジかよ。此処までワープしてきたってのか?」
「事実だ」
「その方法は? どうやって転移した?」
「確かなことは分からない。分かっていたら、こんな軽装でこの島にやってこない」
すっと、ナイフがアルルのスカートに向けられる。
「待て! 分からないのは本当なんだ! けど、一つ気になっていることもある!」
「勿体ぶるな。簡潔に話せ。でないと、次は本気で女を切り刻むぞ!」
またオーウェンが声を荒げた。油断ならない目がヨシュアに向けられる。
「彼女の胸元を見ろ」とヨシュアは言った。「クリスタルの付いたペンダントが見えるだろ?」
「ああ、見える。で? これがなんだ?」
「そのクリスタルはお前もよく知るであろう<魔法結晶>なんだが、色をよく見て欲しい。珍しい色をしていないか?」
ヨシュアに尋ねられ、オーウェンはアルルの胸元のペンダントを今一度見つめた。
「ピンクと無色透明と…… って、おい、これ本当に魔法結晶なのか? 透明の方は珍しくも無いが、ピンク色の魔法結晶なんて見た事ねーぞ?」
「ああ、普通なら出回っていない特別な魔法結晶だからな。そしてここからが重要なんだが、その大きな透明のクリスタルも、元はと言えば色が付いていたんだ。しかも、淡い紫色だった」
「紫だと?」
オーウェンが何かに気付いた。察しの良い奴だ。
「光の柱の色も紫だった。つまり、その紫の魔法結晶が関係してるってことか」
「確証は無いし、此処に来たのは偶々だが、再現してみる価値はあると思う」
「こっちのピンクの奴でも再現できるか?」
「それも含めて試す価値はあるだろう」
オーウェンは目を細めてヨシュアを見た。今の話が本当かどうか、探りを入れているようだった。
「それで、この色違いの魔法結晶は何処で手に入る?」
「何処かは言えないが、作り方なら知っている」
下手なことを言えばマーカスの工場に迷惑をかけてしまう。いくら切迫した状況とはいえ、それは何としても避けたい。
「教えろ」
「アルルの解放が先だ」
「へー、強気だな。だが別に話さなくてもいいぜ。此奴のペンダントってことは、この女もどうせ作り方を知ってるんだろ? だったら、女の体に聞くだけだ!」
そう言うと、オーウェンはアルルの首筋にナイフを押し当てて、脅すような激しい口調で言った。「おい、女、答えろ!」
「い、言えません」
「何だと!?」
「あぐぅ…… !」
思わぬ反抗に苛立ったのか、オーウェンがアルルの首を絞める。忽ちアルルの顔は苦痛に歪み、何とか抵抗しようと手足をばたつかせる。だが以前として体はワイヤーでぐるぐるに巻かれていて、アルルは何一つ抵抗が出来なかった。
「止めてくれ!」
ヨシュアは叫んだ。
「うるせえ! いまさら何言ってやがる! 散々忠告してやっただろうが!」
「教える! だからアルルから手を離してくれ!」
「だったら、この女が窒息しちまう前に早く言え!」
魔法陣の秘密を教えてしまえば、何に悪用されるか分からない。それに素直に話しても、オーウェンがアルルを解放する保証も無い。
それでもヨシュアには考える時間も、選べる選択肢も無い。
「その魔法結晶の作り方は────」




