逃避行の始まり
「一先ず、今の状況を確認しよう」
ヨシュアはアルルと自分自身を落ち着ける為にそう言った。そして空を見上げて太陽の位置を確認する。たしか今の時刻は十四時前後だったはず。太陽と影の位置関係から察するに……
「ここはエルベール大陸のなかでも東側みたいだな」
「東、ですか…… そのまま真っすぐ東の岸辺を目指しますか?」
アルルの問いかけにヨシュアは考え込む。
確かに最短距離を行くなら東だ。けれど船が無い状態で岸辺に辿り着いても意味が無い。
「目指すなら、ジークさんたちが救出に来てくれることを信じて南東を目指すか、もしくは北かな」
南東方向にはコルト諸島が、そしてその奥にはマーセナルへと続いている。もちろん船が無いと脱出できないことには変わりないが。でも、ジークたちが船で迎えに来てくれるとしたら南東だろう。
「南東を目指す理由は分かりますが、北が選択肢にあるのはどうしてですか?」
「北ならエテルマギア領に近づく。もしかしたら今も世界樹攻略を目指して遠征部隊をこの大陸に派遣しているかもしれない」
あっ、と息を呑むアルル。
「そうか、つまりエテルマギアの兵隊さんに救助してもらえるかもしれない、ということですね!?」
「うん。ただ、俺たちはアリストメイアから来た人間で、しかも転移魔法を使ってやって来た。そのことはかなり追及されるとは思う。もしこの島を無事に離れられても、エテルマギアから出してもらえないかも」
もしくは捕虜という形で政治的材料に使われるかも、というのは黙っておく。
「そうですね。戦争中ですものね…… 」
「みんなニアたちみたいに良い人なら北を目指すのはアリだと思うけど、ニアとライさんの境遇は特殊だからね。宗教国家で戦争中の相手に助けを求めるのが果たして正しいのか、俺にはよく分からない」
ヨシュアは正直に言った。どちらを選んでも楽な道のりでは無いはずだ。
その時、アルルが少しだけ視線を上にあげた。何か気になるものでも見つけた様な、そんな顔をしている。
「アルル?」
「あの、ヨシュアさんの後ろ、木の枝の上に青い鳥が…… 」
振り返ってみると、確かにそこに青い鳥がいた。見たことの無い珍しい鳥だが、大きさは普通の鳥と同じぐらい。特に危険は無さそうだ。
そういえば、エルベール大陸には危険な生物だけでなく、珍しい生き物も沢山いる。そして希少価値の高い生き物は密売組織によって捕らえられ、高値で取引されていると聞く。ヨシュアが右腕を無くした事件に関わっていた男も、この大陸で……
「────バウバウバウバウっ!!!!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
鳴り響いたのはけたたましい音。犬が吠えるような声である。あまりに突然すぎて、アルルは体をびくつかせている。
でも、一体どこから聞こえるんだ?
いや、見たままの事実を信じるなら、この吠え声は青い鳥が発していることになる。アイツが口を開くと同時に、威嚇するような騒音が聞こえてきたのだ。
「バウバウバウバウっ!!!!」
「な、なんですか!?」
鳴りやまない吠え声。耳をつんざくような不快な声に、二人して軽いパニックに陥っていた。命の危険を感じずにはいられなかった。
「とにかく逃げよう!!」
ヨシュアは騒音に負けじと叫んだ。そして怯えるアルルの手を引いて駆け出した。その場で仕留めておくべきだったのかもしれないが、なぜかその時は仕留めるという考えに至らなかった。足は自然と南東方面へと向かっていた。
────が、そこで二人はピタリと足を止めることになる。
ほんの数十メートル先。二人の行く先を横切るのは巨大な生き物。緑色の背に白い腹。そして尖った鼻先。口元からは白く大きな牙が見えている。悠然と空を泳ぐその魔物は、名前だけならヨシュアも知っていた。
「…… 空を飛ぶ人喰い鮫!」
全長およそ十メートル。獰猛な人喰い鮫で、鋭利な牙と分厚い鮫肌を持つ、見た目通りの危険な生き物である。特に血の匂いに敏感で、一度見つけた獲物は捕らえるまでしつこく追い回すという。
二人は手を繋いだまま、息をひそめて立ち尽くしていた。あまりの恐怖に、何処かに身を隠そうという考えすらも思い浮かばなかった。呼吸すらも忘れて、その巨大な生き物が目の前を過ぎ去るのを静かに待っていた。見つかりませんようにと祈ることしか出来なかった。
遠く後ろでは、まだ青い鳥がけたたましく吠えていた。




