いざ、マーセナルへ
家に戻った時には辺りは真っ暗だった。
家の扉を開けると両親が玄関まで来て出迎えてくれた。
試験結果が気になるのか、少しよそよそしい。
出発前に両親に言われた一言を思い出し、あえて笑顔で結果を報告する。
「試験、ダメだった」
「…… そう。お疲れ様。すぐ夕食の支度するから待ってて」
夕食のテーブルには島でとれる魚を中心にヨシュアの好きな料理が並ぶ。試験には落ちたものの、帰る前にマオと会話をしたからか、意外と気落ちしていなかった。
ヨシュアは両親と妹のネルに今日一日の出来事を話す。クノンやミシェルとの出会い、試験で上手くいったこともいかなかったことも、それからアーノルドやマオとの会話など、できる限り笑顔を交えて話した。
一通り話を聞いた母が言う。
「…… そう、それでマオさんに『笑顔が大事』って言われたから、今日はいつもより笑顔多めで話してくれたのね。試験に落ちて気落ちしているはずなのに、何だかちょっとおかしいなと思ったら、そういうことだったのね」
「まあね。で、そのマオさんと、試験官だったアーノルドさんって人に『旅に出てみたらどうだ』って言われたんだ」
ヨシュアは続けてマオに旅について力説された話を家族にする。
できる限り家族を不安にさせないよう、マーセナルに行くメリットなども交え、言葉を選びながら話す。
「────ということで、マーセナルで傭兵としてお金を稼ぎながら色々と経験を積むのも一つの選択肢としては面白いかもしれないな、と思ったんだけど、どう思う?」
ヨシュアは両親の顔色を伺いながら、旅に出ることついて聞いてみる。
互いに顔を見合わせる両親。
少しして、ヨシュアの問いかけに父が答える。
「決めるのはヨシュアだ。聞いたところ、ちゃんと色々と考えたうえで提案してくれているのもよくわかるし、反対する理由はないよ。それに、もうヨシュアの中では答えが決まっているのだろ?」
「うん」
父の言葉通り、ヨシュアはもうマーセナルに行く気になっていた。
帰り道で立ち寄った本屋でマーセナルに関する本を買って、帰りの馬車や船で読み進めてみたのだが、ページを捲るたびに段々と興味が湧いていき、実際に訪れてみたい気持ちが強くなっていた。
といっても興味を持てたのは観光とかそんなのではなくて『傭兵』という職業にだった。
マーセナルは別名<傭兵と職人たちの街>と呼ばれている。街の中心産業として成り立っている傭兵の仕事とはいったいどんなものなのか、ヨシュアは実際に経験してみたいと思ったのだ。
「お兄ちゃん、旅に出るの?」
「うん。そうしようと思う」
「ふーん…… 」
ネルは少しつまらなさそうな顔をしている。
もともと聖騎士見習いとして入隊すればしばらく会えなくなる予定だったので、今更駄々をこねることは無かったが、それでもネルとしては面白くない。
そんなネルにヨシュアは笑いかける。
「お土産、買ってくるよ。何がいい?」
「ほんと! うーん、チョコレートがいい!」
「わかった。約束するよ」
ネルの表情がぱっと明るくなる。
父親がヨシュアに尋ねる。
「いつ出発するんだ?」
「せっかくだし、できるだけ早く出発したいと思ってるけど…… 」
「そうか。せっかくやる気になったんだし、いいんじゃないか? でも、明日はこの島にいるんだろう?」
「うん。試験のこと、旅に出ること、ちゃんとお世話になった人には話しておきたいし。それに旅の準備もしなくちゃいけないから、出発は三日後の朝…… かな」
「そうか…… 思ったより早い。けどヨシュアらしいな」
その日の晩は久々にぐっすり寝た。
けれど、翌朝は自然といつも通り早朝に目が覚めたので、町の外に走りに行くことにした。行先はもちろん、お世話になった騎士の墓だ。
「ガトリーさん…… ごめん。俺、試験に受からなかったよ。けれど、聖騎士になること、諦める気は全くないよ。アーノルドって試験官には色々否定されたけど、やっぱりガトリーさんが俺を助けてくれたことが、間違いなく俺が聖騎士を目指そうと思った原点だし、それを認めてもらうまで何度でも挑戦するつもり。そのためにも、少しばかり旅に出てたくさん学んで来ようと思う。ちょっと会えない日が続くけど、ここで見守っていて欲しいな。いいよね? ガトリーさん」
早朝の風に吹かれながら、しばらく草むらの上に胡坐を掻いて座る。
いつもは祈りを捧げるとすぐに走り出して鍛錬に戻るのだが、今日はなんだかのんびりしたい気分だ。
墓の向こうに広がる景色には蒼い空と湖と、そして世界樹が見える。世界樹は遠く離れているにもかかわらずハッキリとヨシュアの目に映る。
とても大きな大きなマナの木は、いくら見上げても頂点が見えない。世界樹付近の上空はいつも雲で覆われているが、もし仮に空が雲一つ無い快晴だったとして、それでも世界樹の頂点を見ることはできないだろう。
ほとんどこの島から出たことが無いヨシュアは、世界樹については試験勉強で学んだ範囲でしか知らない。世界樹のあるエルベール大陸も、そのエルベールを中心に円形状に囲う『環状列島』の島々のことも知らないに等しい。
その環状列島の全てを結ぶように存在するドーナツ型の『環状根』も遠目で見たことがあるだけで、実際にこの足で踏みしめたことは無い。
(マーセナルに行くのなら、当然環状根の上を歩くんだよな。どんな感じなんだろう?)
何百キロメートルにもわたってこの世界を囲う『環状根』は、この世界の謎の中でも最大級であり、未だに多くの議論を呼んでいる。
そもそも環状根とは『巨大な世界樹の根っこ』であり、エルベール大陸に納まりきらない大きな世界樹の根が海底に進出し、さらに根の先端部分が海面から顔を出し、いつしか『鳥の巣』のように形作っていた。
隙間なく絡み合う巨大な根は、さらには海上を浮かぶ環状列島と合体しながら『天然の防波堤』を作り上げてしまったのである。
そして長い長い年月をかけ、防波堤をつかさどる環状根の外側には『海』が、環状根の内側には淡水で構成された『湖』が広がるようになったという。(ちなみにヨシュアが住んでいるこの島は、環状列島の内側に位置する島のため、島の周りの水は全て湖ということになる)
環状根の色は白い。これは世界樹の根の先がもうすでに死んでしまっているからである。
理由は明らかにはなっていないが、一番有力だとされている説は、環状根となっている部分は海水にされられ続けているからだとされている。実際、白いのは根の先の方だけで、湖部分にあたる根の部分は今でも元気いっぱい。当面は世界樹が枯れる心配もなさそうだ。
人々はこの天然の防波堤である環状根の、水上に出た先端の日の当たる部分を、これまた長い年月をかけてできるだけ平らに加工し、島と島を結ぶ『橋』として生活に役立てることにした。
ヨシュアの言う『環状根の上を歩く』というのは、人間の手によって加工された世界樹の根の上を歩くということだ。
根と言っても世界樹の木の根は太くて丈夫だ。道幅はところによって変わるが、だいたい十メートルはある。馬車だってなんとかすれ違うことができるぐらいには道幅がある。
(マーセナルに行くのに徒歩は時間がかかりすぎて日が暮れてしまうから、行くとしたら馬車か…… いや、やっぱり自分の足で走ってみたいな!)
今まで試験のこと以外考えることが無かったからか、久々にやりたいことが見つかった気がして、ヨシュアは旅に出る日を心待ちにしていた。
『聖騎士になる』というのはあくまで目標であって、やりたいこととは少し違う。
でも旅に出ることは未だ見ぬ発見と、新しい出会いと、それでいてヨシュア自身の可能性という名の『伸びしろ』を探すことができる気がしていた。
まだまだ片腕でも強くなれると、そんな気がするのだ。




