あと100日
「これって…… 何ですか?」
ニア達との一件からおよそ一月後。
それはいつものように朝の日課を終えた後だった。まだほとんど誰もいないようなギルドのホームにて、ヨシュアは何か新しい仕事の依頼が届いていないかと受付までやって来ていた。
受付にはジルとフレイヤがいた。「おはようございます」とあいさつを交わした時、受付のカウンターの上に見慣れぬものが置いてあることに気が付いた。小さな卓上カレンダーのようなものなのだが、そこには
────”豊穣祭”まであと100日
と、目立つよう太く、力強い文字で書かれていた。主に飾り付けを担当しているのはフレイヤなのだが、それにしても豊穣祭とはいったい何なのだろう?
「この街で一年に一度だけ開かれる、とっても大きなお祭りなの」とフレイヤは言った。「街中の人々がこぞって参加するわ。もちろん私たちギルドのメンバーもね」
「<浮雲の旅団>も何かするんですか?」
「そうよー。みーんなで作り上げるんだから。ヨシュア君も協力してね」
フレイヤはそう言ってにっこりと笑った。この微笑みを前にしたら、きっと世の男性陣は頼みを断れないに違いない。
とはいえ、具体的に何をするのだろうか。
「協力はしたいですが、何をすればいいのでしょう?」
「色々よ。単純に警備のお仕事もあるけど、お店を出店したり、コンテストに参加したりと、とにかく祭りを盛り上げるために積極的に豊穣祭に参加して欲しいの」
「コンテスト?」とヨシュアは思わず聞き返す。
「そうよ。お祭りが開催される三日の間だけ、大広間に特設ステージがくみ上げられるの。そのステージでは歌や踊りといった出し物が披露されるわ」
「そういえば去年はワレスさんも歌ってましたよね」とジルが口を挟む。するとフレイヤは当時を懐かしむように「とてもいい声で歌っていたわよね」と言った。太陽の下、スキンヘッドを眩しく照らしながら熱唱するワレスの姿が目に浮かんでくる。
「コンテストと言えば、一昨年はフレイヤさんの独壇場でしたよね」
何気ない会話のようにジルがフレイヤに話を振ると、フレイヤは困ったような恥ずかしいような、ちょっと複雑な表情で「そんな事無いわよ」と言った。
「何が独壇場だったんですか?」とヨシュアはジルに尋ねた。何となくフレイヤは答えてくれそうにないので、此処は本人ではなくジルに尋ねてみる。
「宝石屋”トルマリン”が主催するミスコンテストよ。その年一番の美女を決める大会で、優勝者には素敵な宝石をあしらったアクセサリーが贈呈されるの。豊穣祭でも特に盛り上がる企画なんだけど、一昨年は例年にないぐらい大盛り上がりだったんだから」
「なるほど。その盛り上がりの中心にいたのがフレイヤさんだった訳ですね」
そんなに褒めないで、と謙遜するフレイヤ。けど、彼女なら確かに優勝しても可笑しくない。
おっとりとした口調、穏やかな微笑み、長く伸びる栗色の髪からは、とにかく優しい印象を受ける。ぷっくりとした唇には淡いピンクのリップ。お化粧はいつも控えめで嫌らしさを感じさせない。
そして何より胸が大きい。ジルやアルルよりも二回り、リコッタの妹のミントと比べても一回りは大きそうだ。包容力のある女性とは彼女のことを指すのだろう。
フレイヤが美人なのは疑いようがない。だからと言ってジルが劣るかと言うと、そんなことは無い。フレイヤとはまた違った方向で綺麗な人だとヨシュアは思う。
パッチリとした目に、はきはきとした口調。鮮やかな紅い髪はポニーテールにまとめられている。胸だって十分な大きさだ。ジルもコンテストに出れば人気が出るに違いない。
さらに詳しく話を聞くと、フレイヤは毎年のように参加を熱望されながらも、本人は自信が無いと断っていたそうだ。しかしながら大勢の人々に望まれる形で、遂に一昨年開かれたコンテストに参加することになり、勢いそのままに優勝してしまった。グランプリに輝いた人は翌年のコンテストには出場できない決まりらしいので、去年は参加していないそうだが、前回優勝者という事で、結局ステージには引っ張りだこだったらしい。
ただ、此処で一つ気になる事が。
「色々とお話を聞いて、豊穣祭はこの街の一大イベントだ、ってことは伝わってきましたけど、それにしても百日も前から告知するなんて、少し気が早く無いですか?」
「そんなこと無いわ。お祭りの準備って、実は物凄く時間が掛かるものなの。例えば出店者の募集や外部団体の誘致、ステージ上で行う催しの企画に賞品の手配。あと宣伝用のビラやポスターの作成も必要ね。だから前もって色々と準備が必要なの」
「確かに言われてみれば準備が必要な事ばかりですね」
「そうでしょ。見えないところで苦労してるの」
たったの三日のお祭りなのにね、と言うフレイヤは、その言葉とは裏腹になんだか楽しそうだ。きっと準備も含めて祭りが好きなのだろう。
「毎年同じことをするならともかく、せっかく企画するなら前の年のお祭りより楽しいお祭りにしたいでしょ? だから、もしヨシュア君に協力の依頼が来たら、その時は快く引き受けてくれると嬉しいな」
そう言ってまたも微笑むフレイヤ。その隣ではジルもニコニコと笑っている。
ヨシュアも男だ。二人を前に断れるわけもなく(別に断る気も無いが)、「その時はぜひ協力させていただきます」と約束した。
それから今日新しく来た依頼が無いかを見せてもらって、これから受ける依頼を決めた後、ヨシュアは朝食を採りにカウンターへと向かおうとした。
振り返ろうとした丁度その時、フレイヤに呼び止められる。
「そうそう、お祭りの最後は毎年花火を打ち上げることになっているの」
「花火、ですか?」とヨシュアは繰り返す。確かに祭りの締めくくりに花火は相応しい気がする。けど、わざわざ呼び止めてまで知らせる必要があっただろうか?
「その花火なんだけどね。ちょっとした迷信があって。というのも、花火が打ち上がっている間に告白したカップルは、その後も末永く幸せになれるって言われてるの」
────カップル?
いやいや、どうしてそんなことを俺に? それこそロイとかマトに教えてあげればいいじゃないか。まあ、この街が地元の二人にわざわざ教える必要も無いのだろうが。
「あら? もしかして信じてない?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど、どうして俺に教えてくれたのかなって」
「別に特別な理由はないわ。でも、いくら花火が絶好のチャンスだとはいえ、意中の人と良好な関係を築けていないと告白は成功しないと思うの」
「はぁ…… 」
「でも、今ならあと百日は猶予があるわ。だから、それまでに好きな人とできるだけ仲良くなっておくことをおススメするわ」
「えっと…… 」
「もしかして好きな人とかいない?」
そんな訳ないわよね、となぜか確信をもってフレイヤはヨシュアに迫って来た。ジルも興味津々な様子でこちらを覗いている。
好きな人、などと言われても困る。ちゃんと一人顔が浮かんでしまうのが余計に困る。
「もし誰も相手がいない様なら、私たちからはミストちゃんを推薦するけど…… 」
いやいや、それは間違いなくミストに怒られる。可愛らしい顔して、彼女は人一倍性格がきついのだ。
「ありがとうございます。でも相手は自分で選ぶので大丈夫です」
ヨシュアはそう言って今度こそ受付を後にする。ただ、頭の中は一人の女性のことでいっぱいだった。あと残り百日。何か策を考えなければ。




