彼が右腕を無くした理由
ここは宝の島だ。そして、世界樹は金のなる樹だ。だが、うまい話には必ず危険がつきまとう。今回だってそうだ。
「もっと早くボートを走らせろ! 追いつかれるぞ!」
密売組織のリーダーであるオーウェンは金色の髪をかき上げながら前方に乗る二人に向かって叫んだ。暑いわけじゃない。けれど、確かに彼の額には汗が光っていた。
この日オーウェン達三人は、依頼人からの命令で世界樹のある大陸<エルベール>に来ていた。マナの木々がうっそうと生い茂るこの島に来た目的は、この大陸にしか生息しない珍しい生き物の捕獲。外の世界へ高値で売りさばくためだった。
途中までは順調だったはずだ。
三人は港町の商人から買ったマジックアイテム<催眠の煙玉>を用いて森の生き物たちを眠らせては次々と捕獲していった。茶色い毛に緑のシマシマ模様が特徴的な<緑の縞模様を持つリス>や、周囲の環境で色が変わる<七変化する猫>など、今回の依頼で要求された生き物はいずれも小型のペット用。捕まえることはたやすい。だが森には危険な生物も多い。危険な奴らを刺激しないように細心の注意を払った。
そう、ここまで彼らは完璧だった。
十分な数を確保したオーウェンたちは、小型のボートに積み荷を移してさっさと島を抜け出そうとした。
しかしここで問題が起きた。眠っていたはずの生き物たちが目を覚まし始めたのだ。捕獲した生き物たちは小さな檻の中で助けを求めて叫び出す。その声に引き寄せられるかのように、森の魔物たちが寄ってきた。
三人は急いでボートを出発させる。島から抜け出せばこっちのもんだ…… などという甘い考えはすぐに間違いだと気付かされた。羽根を持った虫たちがこっちへ向かってくる。ただの虫じゃない。世界樹の影響でバカでかく育った巨大なハエのバケモノだ。
エルベール大陸の中心付近に位置する巨大な<マナの木>
人々が<世界樹>や<マナの御神木>などと呼ぶこの樹は、<マナ>と呼ばれる大量の魔法の素を生み出している。この世界は、水や空気中に溶け込んだマナによって、生き物は皆多かれ少なかれマナの影響を受けている。特に世界樹の近くに住む生き物たちに多大な影響を与え、多くは肥大化し、いつしか魔物と呼ばれ人々から恐れられていた。
そう、オーウェンだってこの島は危険だと分かっていた。けど、金は欲しい。誰だってそうだろう?
「ちくしょう! あの商人の野郎、テキトーな商品を売りつけやがって! 今度会ったらぶっ殺してやる!」
オーウェンは怒りに任せて思わず叫んだ。<ニューポート>の街で出会った、あの調子のいい商人を信じるんじゃなかったと後悔してももう遅い。
ボートの後ろには大きな深緑の眼をしたハエのバケモノたちが、二十~三十匹ほどしつこく追ってくる。しかも虫とはいえ体長は一メートル近くある。
(というかアイツら本当に虫なのか? ほんと世界樹って奴はこんなバケモノを生み出しやがって! しかもよく見ると、ハエのバケモノだってのにお尻の部分には針もついてやがる。お前らはハエなのか蜂かハッキリしろよ、まったく…… !)
魔物が持つ針には猛毒がある、なんて話をよく聞く。そんなやつをまともに相手にはできない。
少しずつ魔物と距離を引き離してはいるがそれではダメだった。ボートから馬車に積み荷を移し替えるあいだに追い付かれてしまうだろう。
もうすぐ湖を抜けて目的の島にたどり着く。それまでに何か考えないと三人ともバケモノの餌食だ。積み荷を湖に投げ捨てれば、その場は命が助かるかもしれないが、依頼が達成できないことは彼らにとって死と同じ。何とかしなければと、オーウェンは必死に考えた。
その時オーウェンの目が人影を捉えた。島の浅瀬で遊ぶ二人の子供。どちらも紅い髪が特徴的だ。おそらくは兄妹なのだろう。妹の方はより鮮やかな紅い髪色で、白のワンピースと麦わら帽子がよく似合っている。
(かわいそうに。俺に見つかってしまったばかりに)
口元には自分でも気づかぬうちに笑みがこぼれていた。まだまだ運は俺たちの味方のようだと、オーウェンは初めてこの世の神に感謝したい気分だった。
◆
その日、十歳になったばかりのヨシュアと、三歳年下の妹ネルはいつものように湖の浅瀬であそんでいた。島国である<レント>の子供たちにとって、浅瀬で遊ぶのはいつものことだった。とはいえまだ早朝の時間帯。ここで遊んでいるのは二人だけだった。
浅瀬で遊んでいたとき、ふと顔を上げると、ボートを乗り捨てバシャバシャと急ぎ足で浅瀬を走り去る三人組の男がいた。そのうちの一人がこっちへ寄ってくる。知らない男に少し警戒して身構えるヨシュアとネルに、男は笑顔で話しかける。
「可愛い二人に良いものをあげよう。ちょっと重いから気を付けて」
見知らぬ男はそう言ってネルに小さなカゴを渡す。ネルが母親譲りの紅い瞳で覗き込むと、変わった色をした可愛らしい子猫がそこにいた。
「うわー! ネコだー! へんな色ー!」
ネルはもらった猫を覗き込む。子猫は少し興奮しているのか大きな鳴き声をあげる。ヨシュアは妹に代わって礼を言おうとしたが、男はすでに走り去っていた。
(誰だったんだろう?)
左頬から顎のあたりにかけて大きな縦の傷が二本入った金色短髪の男。あんな男、この島では見たことない。しかもこんな朝早くから慌てていったいどこに行くのだろう。
なんとなく気になって男たちの背中をぼんやりと見ていた。
「────お兄ちゃん」
そんなヨシュアの袖を妹が引っ張る。我にかえってネルに尋ねる。
「どうしたの?」
ネルは湖のほうを見て固まっている。なにやら様子がおかしい。だけど、ネルの視線を追ってみると理由はすぐに分かった。
何かの大群が近づいてくる。
羽根をはばたかせ、不吉な音とともに近づいてくる。異様な光景に立ちつくしてしまう2人。ネルが抱える籠の中では子猫が大きな鳴き声をあげて騒いでいる。この時二人は、まさか虫たちが猫の鳴き声につられて向かってきているなんて思いもしない。
とうとう虫たちがすぐ近くにやってきた。ネルは籠を抱きかかえ、虫たちに背を向けてその場でうずくまった。ヨシュアはせめて妹だけでも守ろうと、自分の背中を盾にするようにして、うずくまるネルの背中を後ろから抱きかかえた。
恐怖に怯えるヨシュアたちに容赦なく虫たちが襲い掛かる!
ハエのバケモノはエサにたかるように俺たちの周囲を飛ぶ。虫たちの身の毛がよだつような気味の悪い羽音が二人をより一層パニックに陥れる。
(怖い! 怖い! 助けて! お父さん! お母さん! 怖い!)
声にならない恐怖で頭がいっぱいだった。それでもヨシュアは何とかバケモノを追い払おうと、必死の思いで右手を伸ばす。しかしそれが間違いだった。よけいな刺激を与えてしまったのだ。
「いっ!!!」
右手首辺りに激痛が走る! 痛みで叫び声をあげるが、それすら大きな羽音にかき消される。あまりの焼けるような痛みに意識が遠のいていく────
◆
気が付くとベッドの上にいた。
あれ、なんで寝てたんだろう? 何も思い出せない。
なぜだか体も思うように動かない。特に右手の感覚がない。ヨシュアはなんとなく視線を右手に向ける。そこには包帯にまかれた右腕があったのだが、なぜか二の腕より下が無くて────
ヨシュアはようやく全てを思い出した。虫のバケモノに襲われたこと。痛みで気絶してしまったこと。あの時感じた恐怖も全部。すべては下半分を無くした右腕が物語っていた。
読んで頂き有難うございます。
現在少しずつ内容を推敲中です。
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