この世には、不用意に口にしてはいけない言葉がある
……その頃、春彦は。
「なるほど、夏海とメルティちゃんは女子会か」
「ああ、そうらしい」
土曜日の昼。俺は冬樹と一緒に、俺の部屋でゲームをしていた。この某格闘ゲームは、最新機種で発売されてから大分経つが、未だに飽きることがなかった。やはり、定番ゲームというのはいくらでも楽しめるからこそ定番なのだろう。
「なるほど、それで俺を誘ってきたわけか」
「ああ。……悪いな。メルティの代わりみたいで」
「いいさ。俺も久々にお前と遊べて良かったし」
メルティが来てからというもの、冬樹と遊ぶ機会は激減していた。遊ぶときも、メルティが必ず一緒だったからな。二人っきりというのは、ほんとに久しぶりだ。
「……それで、メルティちゃんとはどこまで進んだんだ?」
新しいラウンドが始まった途端、冬樹がそんなことを尋ねてきた。こいつはたまにこうやって、デリケートな話を対戦中に振ってくる。盤外戦術のつもりなのだろうか?
「別に、メルティとは何もないっての」
だが、俺もこの手には慣れてるし、メルティの話も学校で散々噂されていたから、今更動揺したりしない。……実際、メルティとは同衾以上のことは何もないからな。触手プレイ? あんなの、ただのじゃれ合いだろう。
「……マジで? 別に、俺相手に隠さなくてもいいんだぜ?」
「いや、隠してるとかじゃないから」
ほんとは色々と隠してるが、親友相手とはいえ明かせないこともある。けれど、このことについては隠しごとなどない。
「そっか……ようやく春彦にも彼女が出来たって喜んでたのに」
「なんだよそれ?」
拾ったアイテムで自キャラを強化して冬樹のキャラを端に追い詰めながら、俺は疑問の声を上げる。
「いや、俺が言うのもあれだけどさ。春彦、ぶっちゃけ童貞じゃん?」
「おいこらちょっと待て」
冬樹の言葉に、思わず操作が乱れた。……この世には、例え事実でも軽々しく口にしていいこととそうでないことがあるんだぞ。大体、お前だって童貞じゃないか。
「だから、夏海に対して、その辺でコンプレックス抱えてんのかなと」
「んなわけあるか!」
俺は反射的に否定するが、心当たりがないわけじゃないから、動揺が抑えきれない。……夏海は中学時代、彼氏がいた時期がある。それも二回も。どこまで関係が進んだのかは俺の与り知らぬところだが、少なくとも恋人がいたことは事実だ。そういう意味では、「先を越された」という風には思っていた。
「だから、春彦にも彼女が出来て、夏海へのコンプレックスが消えると思ってたんだよ」
「……」
こんなデリケートな話をしながらも、冬樹の操作に淀みはない。対して、俺はゲームどころではなかった。……その理屈でいけば、夏海にも同じことが言えるはずだ。あいつは今、フリーである。それなのに、今まで童貞だった俺に彼女が出来たと思っていたのなら、あいつも心中複雑だっただろう。だからこそ、メルティに対する態度がより辛辣になったのだろうか。
「夏海といえば、あいつとは相変わらずか?」
対戦が終わって(当然、俺があっさり負けた)、冬樹が思い出したように尋ねてきた。
「……まあな」
人の心を掻き乱し続ける親友に多少のイラつきを覚えつつも、俺は返事をした。……とはいえ、冬樹のお陰で仲直りのきっかけが掴めそうなので、そこは感謝しておくか。
「早めに仲直りしてくれよ。俺たちだって、お前らがぎすぎすしてるのを見てるのは辛い」
「ああ」
冬樹たちのためにも、夏海と早く和解しないとな。……それはそれとして、卑怯な手を使った冬樹には、ちゃんとリベンジしないとな。
◇
「ただいまー!」
「わっ……!」
夕方頃、メルティが帰ってきた。冬樹とのゲームは格ゲーからFPSに移行していて、一緒にゾンビの群れを討伐している最中だったのだが……背後から突然抱きつかれて、驚きのあまり心臓が口から飛び出るかと思った。
「お、おかえり、メルティ……」
「うん!」
息を整えながらそう返す俺に、メルティは頬ずりしてくる。……ちょっと離れてただけなのに、そこまで寂しかったのだろうか?
「相変わらずお熱いな」
「あ、フユキだ。来てたんだー」
冬樹の冷やかすような言葉で、メルティはようやく彼の存在に気づいたらしい。どんだけ俺に夢中なんだよ……いや、ここまで思ってもらえるのはとても嬉しいけどさ。
「女子会はもう終わったのか?」
「うん。凄く楽しかったー」
どうやら、メルティは女子会を満喫したらしい。夏海とまた揉めないか不安だったけど、特に大きなトラブルもなかったようだな。
「あ、そうだ。ナツミが来てるよ」
「え?」
メルティに言われて、俺はさっきとは別の意味で驚いた。……ちょっと前まで彼女の話をしていたのに、その本人がうちに来てるとは。噂をすれば何とやらだな。でも、どうしてうちに?
「ハルヒコに話があるんだって」
「俺に?」
夏海のほうから俺に用事があるらしい。今まで散々無視してきたのに、急にどうしたのだろうか?
「行ってやれよ。折角、向こうから話がしたいって言ってるんだし」
冬樹が俺にそう促してくる。確かに、いい機会である。今なら彼女も俺の話を聞いてくれるだろうし、和解の糸口も見えてきたので、今度こそ仲直りできるかもしれない。
「ああ。ちょっと行って来るわ」
「いってらっしゃーい」
「頑張れよ」
二人に見送られて、俺は夏海の下へと向かった。
「遅い」
リビングに入るなり、聞こえてきたのはそんな言葉。夏海はリビングのソファに腰掛けていた。相変わらずまともに目を合わせようとしないが、それでも話してくれるだけかなりマシになったのだろう。
「悪い」
「全く……」
別に俺は悪くないと思ったが、これから和解をしようとしている相手を無駄に刺激する必要もないので、大人しく謝っておく。
「ほら」
俺を促すように、夏海はソファの隣をポンポンと叩く。隣に座れということか。
「ああ」
拳二つ分ほど間を空けて、俺は夏海の隣に腰を下ろした。……密着というほどではないが、ここまで夏海と近づくのは久しぶりな気がしてきた。何だかんだで、幼馴染とはいえ異性である。幼い頃ならいざ知らず、成長するにつれて物理的な距離は開いていったものだ。
「……」
座って暫く待っても、夏海はそれ以上口を開かなかった。彼女のほうに目を向けてみるも、顔を背けているし、その横顔も何とも言い難い表情をしていて、声を掛けづらい。
「……あんたさぁ」
時間にして十分くらいだろうか? それくらい経って、ようやく夏海は口を開いた。
「私のこと、好き?」
「……は?」
だが、その言葉はあまりにも意味不明だった。いや、意外すぎてうまく理解できなかったと言うべきか。それは、彼女の口から出てくるには、あまりにも不釣合いすぎた。
「さっさと答えてよ。私のこと、好きなの? 嫌いなの?」
「あ、ああ……」
一瞬、俺の耳が狂ったのかと思ったが、そうではないらしい。であれば、またいつもの脈絡のない行動だろうか? ともあれ、俺は彼女の質問に真面目に答えることにした。
「そりゃ、好きか嫌いかで言われれば……好き、だけどさ。少なくとも、異性としては見てないぞ」
十年以上も幼馴染をしているのだから、今更嫌いだなんてことはありえない。とはいえ、好きかと言われれば……ライクの意味であればそうだが、ラブの意味ではない。恋愛対象にはなりえない。
「そう……良かった」
「え?」
俺の返答に、夏海は満足そうに頷いた。何が良かったんだろうか? 意味が分からない。
「で? 誰のことは異性として見てるの? ん?」
「なっ、何言ってんだよ……!?」
かと思えば一転、からかうような表情になって、そんなことを尋ねてくる。何なんだよ……いつもに増して、テンションの変動が大きくないか?
「やっぱりメルティ? それともシスティ? あ、まさか黒原先輩とか?」
「だから何なんだよ……!?」
俺は彼女の意図が読めず、狼狽するしかなくて。結局、夏海が飽きるまでからかわれ続けたのだった。……けれど、もう夏海とは大丈夫な気がした。
「あははっ!」
俺を追い詰めて遊ぶ彼女は、心の底から楽しそうで。前みたく、いや、それ以上に良好な関係を築けた。そう思えたのだった。……っていうか、そう思わないと、俺が無駄に辱められただけだし。ポジティブに思わないとやってられない。