小さなすれ違い
「ハルヒコー? ぶちょー?」
穴に落ちて暫くして。穴の上からそんな声が聞こえてきた。口調と声から考えて、メルティだろうか?
「メルティ!」
「ハルヒコ! そこにいるの?」
俺は思わず、大声で彼女を呼んだ。すると、微かな足音と共に声も近づいてくる。
「ハルヒコ……!」
そして、穴の上からメルティがひょっこり顔を出した。俺たちを探しに来てくれたのだろう。助かった。
「助けてくれ、メルティ。穴に落ちて出れないんだ」
俺は彼女に助けを求めた。メルティの腕力ならば、俺や先輩を引き上げるくらい出来るはずだ。三歳児に頼るのは情けない気がしないでもないが、背に腹は代えられない。
「分かった……!」
すると、メルティは両手をこちらに伸ばし―――文字通り、腕を触手に変えて伸ばしてきた。
「なっ……!?」
そんな光景に、先輩は驚愕している。当然だ。女の子の腕がいきなり触手になったら、俺でも驚く。アリシアさんのときだって、父さんたちがうろたえていなければ、もっと取り乱したかもしれない。まして、先輩は普通の人なんだ。驚かないはずがないだろう。……ほんとは可能な限り隠して欲しかったのだが、 こうでもしないと届かないだろうし、やむを得ないだろう。
「えいっ……!」
メルティの触手が俺と先輩の体に巻きつき、そのまま俺たちを持ち上げて、穴の外に下ろした。とりあえずは助かったが―――
「メルティ君……その腕は、一体……?」
先輩はメルティの触手を見て、震えるような声でそう尋ねてきた。その表情に浮かんでいるのは、怯えか、それとも戸惑いか。とにかく、動揺しているのは見て取れた。
「それは、その……」
とはいえ、なんと説明したものか。事実をそのまま教えてしまっていいのか、判断に困る。……無論、メルティの正体がばれる可能性は考えていた。けれど、触手を見られるのは想定外だ。これでは誤魔化すのも容易ではない。
「春彦ー!」
「大丈夫かー?」
すると、木々の向こうから夏海たちの声がした。あいつらも来たのか。
「メルティ、触手! 戻せ!」
「あ、うん!」
先輩だけじゃなく、夏海たちにまでメルティの触手を見られるのはまずい。最早収拾がつかなくなる。俺はメルティに、触手を腕に戻すよう指示した。
「先輩、メルティのことはちゃんと説明しますから、今は……」
「あ、ああ……」
そして、先輩に対する説明も後回しだ。夏海たちが合流してしまえば、そんな話をしている余裕もないだろう。
「春彦、黒原先輩!」
その直後、夏海が姿を現した。息を切らせて、俺たちのほうへと走ってくる。
「ちょ、はえぇよ……!」
その後ろからは冬樹が。夏海以上に―――というか、比べ物にならないくらいへとへとだった。夏海は元陸上部の体育会系、対して冬樹は俺と同じ元帰宅部。基礎体力が全然違うのだ。
「メルティ、夏海たちも……悪い」
「全く……勝手なことしないでよね」
夏海が息を整えている間に、俺は彼女たちに謝罪した。こちらから謝れば、夏海はあまり強く出られない。そんな彼女の性格を分かっているからこそ、俺は先に頭を下げた。案の定、夏海は溜息混じりにそう漏らすだけで抑えてくれた。……怒らせると面倒だからな、夏海は。
「みんな……すまない。部長という立場も忘れて、軽率な行動をしてしまった。そのせいで、春彦君まで危ない目に遭わせてしまった」
俺に続いて、先輩も頭を下げる。そもそも、先輩が勝手な行動をしたから今の状況があるわけなのだから、けじめはつけるべきだろう。
「まあ、いいんじゃないっすか? 周りが見えなくなることって、誰にだってあることだろうし」
最初に答えたのは冬樹だった。こいつは度量が広いというか、他人の失敗を笑って許せるところがある。こういうとき、真っ先に許してしまって、周りが怒るに怒れなくなるのだ。
「なんていうかもう、怒る気力も消えちゃったし」
続いて、夏海も溜息混じりにそう答えた。いつもはもっとしつこく糾弾してくるタイプなのだが、対応を間違えなければ丸く収まるものである。
「それよか、腹減ったんで、飯にしましょう」
「……ああ。そうだな」
冬樹の一言で場の空気は和み、昼食を取る流れとなった。
「……」
―――ただ、一つだけ気になることがあった。夏海たちが来てから、メルティが一言も喋っていないのだ。相変わらずニコニコしているものの、俺と目を合わせようとしない。それだけが不安だった。
◇
それから昼食を取り、何事もなく下山した。電車で移動した後、俺たちは解散する。
「……」
「……」
駅から家までの間、俺とメルティは当然ながら二人で歩いていた。けれど、俺たちの間に会話はない。メルティは俺から顔を背けて、距離を取っている。明らかに避けられている状況だ。
「……なあ、メルティ」
「……」
話し掛けてみるも無視される。……これは、怒っているんだろうか? 俺が一人で先輩を追いかけたから?
「……メルティ」
結局、帰宅するまでの間、ずっとそんな感じで。メルティと話すことは出来なかったのだった。
◇
「……ふぅ」
夕食後、俺は自室で溜息を漏らしていた。……あれから結局、メルティとは話を出来ていない。両親に対してはいつも通りだったが、俺とは目を合わせることもしない。今も、メルティは自室にいるみたいだ。
「メルティ……やっぱり怒ってるんだよな」
彼女がうちに来てから、メルティは宛がわれた部屋をまともに使っていなかった。私物を置いてあるだけの状態で、基本的には寝起きも含めて俺の部屋で過ごしていた。久々に一人っきりになって、俺は猛烈な寂しさを覚えていた。……メルティと過ごす日々の中で、俺は思った以上に彼女のことが大切になっていたみたいだ。メルティが傍にいないだけで、とてつもない喪失感が襲ってくる。
「春彦、いる?」
ベッドでゴロゴロしながら意気消沈していたら、母さんがやって来た。
「何か用?」
「まあね。あんたたち、どうしたのよ? 帰ってきてから、メルティちゃんとまともに口利いてないじゃない」
俺とメルティの様子がおかしいのに気づいて、様子を見に来たらしい。さすがに母親だけあって、こういうことにはよく気がつく。
「もしかして、喧嘩でもした?」
「……そんなとこ」
喧嘩と言っていいのか怪しいところだが、仲違いしているのは間違いなかった。
「だったら、早く仲直りしてきなさい。普段からあんなに仲が良いあんたたちが喧嘩してたら、こっちも息が詰まるから」
言うだけ言って、母さんは部屋を出て行った。……母さんの言う通り、メルティとは早く和解するべきだろう。今は母さんだけだが、そのうち学校のみんなも気づき始めるはずだ。そうなれば、みんなにも迷惑を掛けてしまう。そして何より―――俺だって、メルティとこのままなんて嫌だ。
「……よし」
母さんに言われるまでうじうじ悩んでるとか、我ながら情けないが―――それはそれ。気持ちを切り替えて、俺はメルティの部屋へと向かうのだった。




