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痴漢あかん

 

 本霞ヶ丘駅は、地元では一番大きな駅である。

 と言っても、そもそも田舎だからね。駅じたいがエンターティメントになってるようなたいそうなものはない。ただ、ここから僻地への在来線が放射状に伸びていて、町中の人がこの駅を利用している。


 とくに特徴のない、秋の日曜日だ。きっとガラガラだろうと思っていたが、甘かった。


「なんか、中途半端。満員ってわけじゃないのに並んで座れるところがないな」


 キョロキョロあたりを見回しながら、アユムちゃん。目的地、動物園のある駅までは電車で20分。できれば座って、しゃべりながら過ごしたいな……。

 彼女はおれの袖を引いて、横並びの長ベンチ、たったひとつの空席へ導いた。


「順番に座ろ。三駅目で交代」

「……ああ。じゃあ、お先にどうぞ」


 そう言うと、遠慮なく腰掛けるアユムちゃん。そして、目の前に立ってるおれを見上げて、ふふっ、と笑った。


「こうして向かい合ってるのも話しやすいな」


 おれは笑った。いいなあ、こういうとこ。不機嫌や愚痴っぽくならないで、さっと切り替えて提案してくる。その中で楽しいことを見つけて笑う。彼女は勉強は苦手だが、頭のいいひとだと思う。明るく生きていけるってのは、優れた才能だ。

 おれたちはそうしてしばらく、雑談を楽しんだ。ひと駅ごとに乗客が増えて、やがてほとんど満員に。約束の三駅目でお年寄りが入ってきて、アユムちゃんは席を立つ。

 おれの隣に立ち、手すりに摑まるアユムちゃん。おれのほうをちらりと見て、微笑んだ。


「……やっぱり、並んで顔見れた方がいいね」


 ……だから。だからもう。この子はっ……もう!


 いますぐ抱きしめたい衝動にかられたが、グッと我慢。そんなことしたら大惨事になる。おれの下半身の形状的に。電車はやばい。普段ならアユムちゃんに知られるのがいちばん恥ずかしいことも、電車内に限って言えば、アユムちゃん以外の客に見て取られた方が断然やばい。


 がたんごとん、揺れ動く車内、にぎやかな満員電車で、おれにはアユムちゃんの声しか聞こえない。


「――こないださ、ナカムラくんがうちに来て、初めて会ったよ。シノブの彼氏っていうかどんな変人かと思ったら、普通に好青年でびっくりしちゃった」

「ああ。……なんというか、普通だよね、あいつも」

「特別イケメンでもないし、でも優しそうで。あいつすごい自慢するんだよ。顔面偏差値はお兄ちゃんとこのベイオウーフに及ばないけど、うちの巫女侍のほうがイイ男ヨっとかいって。とりあえずゲームのアカウント名で友達呼ぶのはやめろって言っといた」

「あはは。おれも、三人だけでいるときはシノブちゃんのことボインゴGって呼ぶけどね。もしくはギルマス」

「ぎるますって何?」

「えーっと……オンラインゲームってやったことはある?」


 おれとアユムちゃんは、共通の趣味で知り合ったわけじゃない。お互いの知識を交換しながら、オシャベリは尽きることが無かった。

 とりとめのない、穏やかな時間。こういうのもいいよな。

 そうしている間に乗客がさらに増え、おれたちの背後にも人が詰まってきた。心地のいい感覚ではないが、あと一駅、十分もかからないはず。オシャベリもいったん中止して、おれたちは黙って立っていた。


 ――と。


「ふっ。くくっ……ふふっ」

「アユムちゃん? 何笑ってるの」

「くふっ、あは、ごめんなんでもない。ん、くっく……」


 小刻みに震えながら俯いてしまう。思い出し笑い、だろうか。とりあえず放置しておこう。

 おれはポケットから畳んだパンフレットを取り出し、動物園デートへ思いをはせた。

 アユムちゃんに何度か話しかけたが、彼女はなにか心地悪そうに、ニヤつきながら雑な返事をくれるだけだった。



『北霞山駅――北霞山駅。お降りのお客様を先にお通しください――』


 アナウンスを背に改札へ向かいながら、おれはアユムちゃんを振り返る。

 もう笑いの衝動はおさまったらしい、普通に切符を確認している。


「ねえ、さっき電車でクスクス笑ってたの、どうしたんだ」

「ああ、あれ? ふふ。なんなんだろう」

「うん?」

「あたしもなんだかわかんないんだけど、後ろのやつが、こちょばしてきてたんだよ」


 ……えっ?


 おれは硬直した。まさか、という疑いは、彼女にはみじんもないらしい。やはりクスクス笑いながら首を傾げ、あっけらかんと、口にする。


「最初、背中に手のひらがペタって当てられて、それから腰の、このへん? 臍のちょっと下を両側から掴んできて。揺れでヨロけたのかなと思ったんだけどさ」

「……ちょ。ちょっと、アユム、さん。それって」

「そのあともチョイチョイ、股にソイツの脚が入ってきたり、膝裏のあたりをゴシゴシこすられるような感覚あったりで、もうこちょばったくって。あっはっは。あれなんだったんだろう? もしかして知り合いだったのかな。学校のやつがイタズラで」

「痴漢だよっ!」


 思わず絶叫した、刺激的なキーワードに通行人がぎょっと振り返る。それにかまわず、おれは走り出した。しかしすぐに、アユムちゃんに止められる。


「ど、どうしたのモモチ、なんで戻るんだよっ?」

「痴漢野郎を捕まえるっ!」

「エッ、痴漢? どこに?」

「ぬあ、あああああ」


 おれは頭を抱えて突っ伏した。

 悶絶するおれに、さすがに状況は察したらしい。理解はしてもピンときていない、複雑な表情で、アユムちゃんは頭を掻いた。


「もういいじゃん。実害があったわけでもないし」

「いや、君おもいっきり被害者でしょ!?」

「んん、それよくわかんなかったし……世の中のためには捕まえといてやった方がよかったんだろうけど、逃がしちゃったもんはしょうがない」


 あっけらかんと、言う。愕然とするおれの手を引いて、


「だからもういいの。そんなことより、動物園! あっそうだゴハン食べるとこも探さないとなっ」


 赤い髪をなびかせ、恋人は笑っていた。


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