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花と狼

作者: 一之瀬

季節外れな描写が出てきますがスルーの方向で。ヤンデレが苦手な方もUターン。

 冬の底は白い。溺れるような夕暮れに身を任せ、渇いた眼球を瞬かせれば二月の冷たい空気が体を刺す。薄暗い針葉樹の森に佇む一人の男、泣きたい夕にそれは静かにやってくる。


「ああ、また」


 泣きそうな顔をしているね、ローゼ。


 目の前の男は静かに微笑んでそう告げる。別に泣いてなんか無いわ、と私は言うけれど、彼は相変わらず困った様に微笑むだけだった。私の顔を覗き込み、そっと目元に触れる手は優しい。


「ねえ」

「……なんだい?」

「結局、貴方は何者なの」


 素朴な疑問だった。私とこの男が出逢ったのは淡い柔らかな色の花々が咲き誇る、それは美しい春の事だった。目の前の男ともう会って一年経つというのに、私は未だこの男の名前を知らずにいる。――彼は黒に染まりつつある夕焼けに浮かぶ満月を一瞥して、何を考える様な仕草をする。


「何者、と言ってもね」

「貴方は私の名前を知っているというのに、私は貴方の名前を知らない。不公平だと思わない?」

「俺はヴォルフと名乗った筈だろう?」

「偽名なんでしょう?」


 男はただただ首を傾げて誤魔化す事しかしなかった。ああ、だから。だから私はいつも目の前の男の事について聞けないでいる。不貞腐れる私の事を見てか、彼は私の頬をゆうるり撫でて、「そうだね、君は俺の何を知りたいんだ?」と、そう言ったのだ。


「貴方の何が知りたいって言ってもね。……普段何してるのか、とかかしら」

「そんなものでもいいのかい?」

「そうね、後は何故偽名をヴォルフとしたのか、とか」

「それがどうかしたのか?」

「遠い異国の言葉で「狼」という意味なんでしょう。それ。貴方が適当にその偽名をつけたとは思わないわ」

「ふふ。知っていたんだね」

「本で知ったの。大体、今時己を狼だと言う男は居ないわよ、しかも何故態々遠い異国の言葉で」

「他意は無いよ」

「本当に?」


 ふふり。品を感じさせる笑みを浮かべる目の前の彼。またいつもの誤魔化しだろうか。元は整った顔立ちをしているからか、その笑みは男らしいというよりも何処かの芸術品のような、美しい笑みだった。


「そうだね、確かに俺の本名はヴォルフじゃないよ。けれど本質については、ヴォルフと言う言葉が当てはまるんじゃないかな」

「貴方が?」

「ああ。俺は“逃す”事を最も嫌うからね」

「――逃す?何を」

「獲物さ」


 その双眸はいつもの様な優しさでは無くただひたすらに冷たい狂気が浮かんでいた。何かあったのだろうかと彼を心配するよりも、私はいきなり変貌した彼が恐ろしくて、何も言葉を発せずにいた。


「俺は元々人付き合いが苦手でね。――全て一人でやってきた」

「一人で?」

「ああ。何もかも。欲しいものも、全て一人で得るしかなかった」


 そう言って微笑む男は先程とは違い優しげな笑みを浮かべる。


「俺に何故か付き纏うお節介な男もいたけれどね。なんだかんだ鬱陶しかったけど面白い奴だったよ」

「……好きだったの?その人の事」

「さあ、ね。少しだけ好きだったかもしれない」

「……好きなら好きっていいなさいよ」

「仕方ない、俺は狼だもの。本気で欲しいものにしか興味を示さない」

「どう見たって貴方は人間なのに?」

「……比喩の話さ」


 長い睫毛がふわふわと揺れる。ターコイズブルーの瞳を奥に秘めて、彼はそっと瞼を伏せた。


「元々親元が特殊過ぎたせいで、俺の周りには常に表面上の偽りの関係しか無かった。――嫌気が刺したんだ」


 どこかから狼か何かの遠吠えが聞こえた。寂しさに染まる目の前の男に、私は恐る恐る、手を伸ばす。


「――ローゼ?」

「……私も?」

「え?」

「私とも、貴方にとっては表面上の関係でしかないの?」

「……!そんな事は無いさ」


 そろり伸ばした手が彼の頬に触れた。彼の深い藍とかちあう。綺麗な瞳だと、どこかぼんやり見詰めながらそう思った。


「私にとっては貴方は大切な友人だから、貴方の事を知りたい。そう思う事は、いけない事なのかしら」

「――ローゼ」


 彼の頬へ添えていた私の手の上に、そっと壊れ物を扱うように優しく触れるヴォルフ。そんな事は無いさ、と言う彼に笑みが零れる。


「――君が泣崩れる姿を見てみたい。ひずむ君の瞳を舐めてみたい。汚れた君を愛したい。そう思う俺は可笑しいのだろうか」

「ん?何か言ったかしら、ヴォルフ」

「いや、大した事じゃない」


 今は知らなくていいものだからね。


 その言葉は私に疑問を抱かせた。不思議には思ったが、私はそれを敢えて深く追求しない事にしたのだ。聞くな、と言うようにそっと彼が人差し指で私の唇に触れたのだから。


 普段は聞き手でしかない彼の過去が聞けたのだ、それだけで十分じゃないか。そう自分に言い聞かせれば、良い子、と子供をあやす様な手つきで頭を撫でられる。それのせいか、浅く被っていた赤いローブはずり落ちて、視界の隅に自身の黒髪が目に入った。


「ああ、すまないローゼ。ローブが落ちてしまったね」

「……構わないわ」

「そうかい?ならもう少し撫でててもいいかな。君のその髪、とても綺麗だから」

「煽てても何も出ないけど、どうぞご自由に」

「ふふ、ならばお言葉に甘えて」


 優しい手つきで髪の気を撫でたり、割いたり、いじったり。好き放題するヴォルフに溜息をつく。彼が大事な友人である事には変わりは無いけれど、時折こんな風に恋人を愛でるように触ったり甘ったるい言葉を紡ぐ彼はどうしたものだろうか。この美貌に性格だから、引く手はあまただろうに。


「ローゼ」

「何?」

「――君は本当に愛らしい女性だ」


 そう言った彼はそっと髪にキスを落として。





「君が、他に喰われる事の無いよう。俺が、ずっと守ってあげる」


 ――そうすれば、いつか君が俺から離れられなくなる筈だからね。




 ――柔らかな狂気と鋭利な愛情に殺されるまで、後少し。


 始まりはすこしだけ苦くて、終わりはほんの少しだけ苦しくて、それでも幸せに溢れてる二人の世界。これは、観客すらいない二人だけの世界の話。


「――今はまだ、大切な友人のままで」

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