Act8-119 大人になるということ
本日六話目です。
「……ずいぶんと情けないところを見せましたね」
しばらくして、ククルさんが俺から離れた。
目元は紅く腫れていたけれど、声はだいぶ落ち着いていたし、表情も少しすっきりとしていた。
泣いたことで憑き物が落ちたように見える。
いや、ため込んでいたものをすべて吐き出すことができたんだろうね。
「落ち着けたようで、なによりです」
「……私は最初から落ち着いています」
「左様で」
ククルさんは若干顔を紅くしながらも、いつものように言ってくれた。この人は本当に強がりだよなとしみじみと思うよ。
でもそれでこそのククルさんだ。シリウスとカティの「ばぁば」さんだ。
「なんですか? そのわかっていますよ、みたいな顔は? エロガキの分際で生意気ですよ?」
ククルさんの手が伸び、俺の頬を抓ってきた。
地味に痛い。というか、頬を千切ろうとしていないかな、この人?
力の入り方が明かにおかしいんだけど?
「あ、あのククルさん、痛いです。痛いんですけど!?」
「だから?」
「え、あ、あの、だからって言われても。痛いからやめて」
「ああ、まだ「痛い」で済んでいましたか? これは失礼。これから「死ぬほど痛い」にしてあげますね?」
にっこりと笑いながら、とても物騒なことを言ってくださるククルさん。
ああ、すっかりといつものご調子を取り戻しておられますね。
さっきまでのしおらしいククルさんはどこに行ってしまったのやら。
さっきまでのククルさんであれば、かわいかったのに。
なのにどうしていまはこんなにもバイオレンスになってしまっているんだろう?
「……かわいい、って。そういうところですよ? そうして突拍子もなく、女性を口説くようなことを言うから、あなたはいつもいつも面倒事を抱え込んでしまうんですよ、わかっていますか?」
ククルさんは呆れていた。呆れているけれど、ほんのりと頬が紅くなっていた。
とはいえ、それを指摘する状況ではないのはわかっていたし、言われていることも確かに頷けることだ。
俺ってば、どうしてかひと言多いんだよね。
そのおかげで口説いているわけではないのに、なぜか撃墜してしまっているというか。
「……本当にそういうところですよ、あなたは」
やれやれと肩を竦めながら、ため息を吐くとククルさんはようやく手を離してくれた。
めちゃくちゃ痛かったが、離してくれただけでもよしとしよう。
……上司に下手なことは言うべきじゃないね、うん。
「しかし、すっきりとさせていただきました。そのことにはお礼を言いましょう」
穏やかに、でも少しだけ悲しそうにククルさんは笑っていた。
なにか言うべきなんだろうけれど、言うべき言葉が思いつかなかった。
「アトライトは私が殺します」
「……どうしても、ですか?」
「ええ。それが彼の最後の願いです。愛する私に殺してほしい、と。自分の死を以て「ベルゼビュート」入隊を果たしてほしい、と。自分の代りに「ベルゼビュート」を指揮してほしい、と。そんな手紙が届きましたからね。……まったく面倒な話です。面倒な幼なじみですよ」
面倒と言いながらも、ククルさんの目はとても真剣だった。
アトライトさんをこの人が殺す。
それがアトライトさん自身の願いであったとしても。
俺には頷くことはできなかった。
「殺さない方法はないんですか? アトライトさんを殺さなくても済む方法は本当にないんですか? あの人が死ななきゃいけない未来しかないんですか?」
「あるのであれば、よかったのですけどね」
そう言ってククルさんは腰をあげた。
すでに宴の喧騒はなく、周囲はとても静かだった。
虫の鳴く声くらいしか聞こえてくるものはない。
「明日は早いですよ。交代の時間が終わったら、あなたも寝なさい」
それだけを言って、ククルさんは離れていく。
現実を、辛い現実を受けとめてもなおまっすぐに歩き続けようとしている。
「……ああいうのが大人ってことなのかな?」
ククルさんの背中を眺めながら、初めて「大人」というのがどういうことなのかを理解できた気がしたんだ。
続きは六時になります。




